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wellroundedさんの群青の空を越えての長文感想

ユーザー
wellrounded
ゲーム
群青の空を越えて
ブランド
light
得点
80
参照数
66

一言コメント

悩み、迷い、問い質せ。それこそが進むべき道。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

 「私達は何のために戦っていたのでしょう」
 或いは、私たちは何のために戦うべきなのか。

 …この問いに対してどんな答えを出すべきなのか、はそんなに重要じゃないんですよね。大切なのは、問い続けること。迷い悩むこと。解を出してそれで終わりにしないこと。自分はそう、本作のメッセージを受け取りました。

 答え自体は何であってもよいのですよ。前半3ルートのような男女間の愛のためでも、次に解放されるシナリオで描かれたような使命感・矜持のためでも、グランドルートで主人公が掲げた理想世界への革命理論でも。極論、お偉いさんが固執したような既得権益のためでも、若さに滾った学生たちが熱狂した民族的意識であっても、別に構わない。

 でも、出した答えに満ち足りて終わり、ではよくない。それはなぜか?…「結果じゃなくて過程が大事」みたいなクリシェを述べる訳ではなく、本作は一歩引いた理由付けをしています。

 理由の一つは…理想は決して手に入らないものだから。幸せに暮らしました、みたいな「お伽話」など、現実には絶対にありえないから。まぁ当然と言えば当然ですよね。思い焦がれる形は十人十色なのだから、押し付け合いと諍いは避けられない。その上、人間一人で世界を変えられるわけなどありません。

 事実、各ルートの結末は、理想或いはハッピーエンドから程度の違いこそあれ離れたものでした。若菜と加奈子のルートでは、親しい者が沢山死んで、関東は完膚なきまでに打ち負かされる。美樹ルートは一見ハッピーな部類かもしれません。でも、望むような戦いは視力低下のせいで叶わず、手の離れたところの事情で戦争は終わってしまいます…戦うことで二人は結ばれたはずなのに。夕紀と圭子のルートが描いたのは、価値観の徹底的な相対化であり、それはつまり何一つ絶対に正しいものは無い、ということです。全てに価値がある、なんて甘っちょろいレベルではない。そして二人は、自らの在り方に正しさを確信できないながらも、自ら死地へと赴く。

 でも、プレイヤー達は、こんな後ろ向きな論拠だけを受け取ったわけでは無いでしょう。逡巡せよ、と唱えるもう一つの理由。それは、悩み迷いが前進をもたらすから。苦悩こそが明日を切り開く原動力であると。

 本作のどのルートでも徹底しています。なぜ戦うのか、この戦争とは何なのか、何のために自分は戦場に出るのか。作中ずっと、この問いに悩み苦しむ登場人物の姿を描いています。でも、それが彼ら彼女らの停滞を表しているようには思えないんですね。むしろ、戦争という過酷な現実に立ち向かうためのエネルギーが、懊悩から生成されている。なんというか、(立ち絵付きの)登場人物たちは、とても活き活きとしているんですよ。そしてその姿は、とても美しく愛おしい。読後感は『罪と罰』に近いものがあります。

 やや論旨からそれますが、自分は加奈子ルートのラスト、俊治の独白がとても好きです。少なくとも最期、彼とその戦友にとって、社と加奈子が寄り添って生きられる世界は理想でした。でも、二人の再会が叶ったとき、俊治は衝動に突き動かされます。そして俊治は二人に何も告げず何処かへ去ってしまう。
《どこにも行く当てなどなかったが、それで構わないと思った。あの日戦って……死んだ誰にも、そんなものは無かった。だからそれでいいのだと、自分に言い聞かせて。……僕は、走り出そうかと思う。……ここではない、何処かへ……》
叶えられたのは、今も俊治にとっての“理想”だったのでしょうか。…そうではないようです。沢山の戦友が死んだ。姉も死んだ。密かに思いを寄せる女の子を支える生活ではありますが、彼女は別の男に心を囚われていて、二人が再会した後の世界に自分は必要じゃなさそうです。世界の果てのような雪原で隠遁生活を送る中で、俊治は自分が戦ってきたことの意味を繰り返し疑ってきたのでしょう。そして、使命を果たし終えたその瞬間、はち切れたかのように彼は駆け出す。…このシーン、とてもエネルギッシュでは無いでしょうか。彼のこれまでの懊悩が、彼の身体を新たな明日へと突き動かす衝動へと転化したのです。

 話を戻します。悩み迷いが前進をもたらす。「私達は何のために戦っていたのでしょう」という問いかけで締めくくられること自体も、本作のメッセージをかなり直接的に表しているように思えます。グランドルートで社は、繰り返した自己問答の末に、理想世界について自分事として悩み迷うことこそが、前進である、幸福に近づくことであると呼びかけます。少々アクロバティックな論理の帰結かもしれませんが。
“システム(=理想する世界)は人を幸せにしない。この世界に人を幸せにするものなど何一つとしてない……人は、幸せに『なる』のです”
“幸せは自分から求めるものじゃない。己の生き方を貫けば、結果として幸せになるだけだ”

 まぁ、この主張は、“自分は自分だと言い切れる強さと能力を持った人達”にしか獲得し得ない理論なのかもしれません。ナショナリティーだとか社会的地位だとか、外側から与えられるラベルに縋ってしまう、圭子の言うところの“ネズミを捕れないバカな猫”にとっては、厳しい言葉でしょう。弱き彼らも果たして変われるのか? 吉原司令を自殺に至らしめたリアリズム的洞察は、相当に重く、無視できません。欠点というほどでは無いですが、本作は“バカな猫”それ自体を描くことはありませんでした。彼らに対する「強者」からの温かい眼差しは描かれていましたが、生身の人間を見た時に「それでもまだ愛おしく思えるのか…?」とは思います。最も、そんな描写を入れるとかなり作風が変わりそうではありますが。

 ですが、少なくとも僕は、本作のメッセージを正面から受け取りたいと思います。そう思わせてくれるくらい、美しい作品でした。