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wellroundedさんのBLACK SHEEP TOWNの長文感想

ユーザー
wellrounded
ゲーム
BLACK SHEEP TOWN
ブランド
BA-KU
得点
80
参照数
476

一言コメント

物語のように死ねる人と、死ねない人

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

 “ 眼下には、ごちゃごちゃして、人の沢山住んでいる、町並みが見えます。あの世界のなかには、それぞれの人たちが複雑に絡み合って、どうにもならないしがらみのなかで、みんな、泣いたり笑ったりして苦しんだりしているんだと思います。”(『CARNIVAL』 九条理沙)
 Y地区の描写から真っ先に思い起こしたのは、この一文だった。丁寧な語り口が暗に示す、人の世への冷ややかな眼差しと心の底からの諦念も含めて。

 いずれにせよ、私たちは「狂騒」の後であっても、そこへと戻って生活せねばならない。時には愛おしく思える事もあろうが、人と人が肩身を寄せねばならずごちゃごちゃした世の中というものは、やはり倦み疲れる。
 だからこそ、人は『物語』を求める。他人とのくだらない諍いを含む、全てに理由と意味があると思わせてくれるからだ。そう思わなければ、このとっ散らかった現実生活のしがらみと雑事に取り組んでなどいられない。そして、物語から掬い取ろうとする気休めの内、最奥にあるものこそが、「人生には意味がある」という観念、つまるところ死生観なのだろう。
 平和な披露宴から始まるが、そこからは血と暴力ばかりで彩りが与えられるこの物語。死と破滅を身近に感じざるを得ないY地区において、登場人物の殆どは、自分の生き方に価値を、自分の命に意義を見出し、または与えようとして、死んでいく… 死に臨み、死を迎える人間を描くことを通じて、死生観を提示する。本作はまさに「物語」の使命を果たさんかとしているようだ。とても自覚的に。

 しかしですね…ここまで来ると、「物語」 過ぎるのですよ。言ってしまうと、「気分よく死ねてよかったね」という感じがある。ある意味、死を迎えた本作の主要登場人物は、恵まれている。自分の人生に価値を見つけることが出来たのだから。しかし、現実に生きる、疑り深い私達にとって、同じことは出来ないのです。死生観を獲得しようと物語にあたるくせに、一度「これだ」と思って剽窃してきた死生観は、退屈で平坦な現実生活に希釈されてしまう。どこまでいっても、私たちには「物語」のような人生など無いのです。
 そして何より…瀬戸口氏が描いてきたのは、「物語」の外、「終」のテロップの先、どうしても続いてしまう生活ではなかったのか? 本作から感じた違和感、というより作者の変質は、ここにある。
 思うに、氏の本領は、死生観では無く、その先の不毛の地にある。親殺しの罪を引き受けてなお生きようとした学、そして彼に狂信することで命を繋ぐ理沙。『SWANSONG』では、凡人でしかない自分の人生に深く絶望しながらも、柚香は死ぬことは選んでいなかった。そして、鹿クンは、きらりの喪失をなんと時間の魔法によって克服してしまう…生にも死にも意義を感じられなくなった者達が、「生きよ」という定言命法に盲目的または惰性的に従ってでも生きようとする様、生への執着、ゴキブリのような生き方すらをも全肯定してしまう優しさに、自分は心揺さぶられたのだ。
 氏の過去作、特に初期三部作と同じ体験は、『BLACK SHEEP TOWN』では出来ない。あくまでメインに据えられているのは、所詮、気休めによい死生観に過ぎない…のだが、要素として全く存在しないわけではない。不死身の体を持つ松子の、ある意味狂っている、生への実感も当てはまろうが、「死ねるっちゃ死ねるけどそれにすら価値が無い」と底まで落ちた諦念を持ったエリオットこそ、前期瀬戸口作品の系譜上にあるだろう。個人的には彼についてもっと描写が欲しかった。

 とまあ、否定的な感想にはなったが、本作、かなり質の高い群像劇である事はまちがいないです。加えて、超能力×頭脳戦の描写もめちゃくちゃ面白い。しかし、それはあくまで「エンタメ」として面白いというだけであり、切実性のある実存作品としては、過去作に劣るかな、と。