人は一人でも生きていけるけど、それだと、生きていくことしかできないんだなって
司のこのセリフに、『家族計画』の全てが詰まっている。このメッセージ、単純に見えて、そうでもない。“生きていくことしかできない”に加わるのは、他者との絆であろう。では、“絆”とは何か? その価値は? “一人でも生きていける”ような強さよりも、無くてはならぬものなのか?
幸運にも家族や友人との繋がりに恵まれたものなら、こうした問いに対して、肯定的な答えを返すだろう。それは大切だ、価値がある、何にもまして無くてはならない、と。でも、明確な言葉で根拠と理屈を述べるのは、とても難しい。とてもじゃないが、伝えきれない…このセリフのように。だからこそ、物語として長々と描かれる。
だが、この『家族計画』という物語、“絆”を題材に取るにしては、ひねくれたアプローチを取っている。直球に、正攻法で、(例えば『CLANNAD』のように)家族愛や友情・愛情を描く方が、プレイヤーには分かりやすい。しかし、本作に配役された人物は皆、家族無し、絆を知らぬ者、だ。背後に強く存在を感じられるのは…ライターの問題意識だ。
絆の価値は、理解できて普通なのか。
絆の存在も、その作り方も、何も分からない人間だって、いるじゃないか。
そうした者達は、一体どうすればよいのか…
“ふつう”なら、手に取るように分かるものなのだろう。それは恐らく、“ふつう”の家族に“ふつう”に育てられながら体得するものなのだろう。だが、そうではなかった高屋敷家の人々は、それが分からないし出来ない者達だ。
司は人に頼るのを嫌い、独りに拘る。だから義理や貸し借りをとても敏感に察知しては、忌避する。(時折見せるお人好しさはこの潔癖症の裏返しとも言えよう。)
青葉は全ての他者を憎悪する。搾取を目的に近づいてくるのが常だから。
準は他者に不信と疑念を抱く。故に、金で重みを付けた契約に執着する。
茉莉の振る舞いは媚びを売るようなものばかり。何も持たない以上、気に入られる以外に認めてもらう方法は無いから。
春花は諦めてしまっている。あっけらかんとした振る舞いはその裏返し。事実、彼女との接触は相手にとってリスクだ。関わりは持たない方がよい。
真純は過度に依存する。他者から自分が求められているという実感無しには生きていけない。
他者との繋がりを、求めない、信じない、上手く作れない…“ふつう”の物差しからは外れた、歪んでしまった人々から、絆の価値を叫ぶ物語を描く。強烈な問題意識に端を発し、矛盾した構造を持ったストーリー。その展開は、強引と言わざるを得ない。
絆を知らぬ者達から、絆が自然発生するのは期待できない。だからこそ、狂人と言う他ない寛が無理やりに彼らをつなぎ合わせ、住まいと金銭を融通し合うだけが目的であったはずの共同生活には「家族計画」と銘打たれた。繋がりが作れないのなら、「家族」という繋がりがあるのだと宣言する。シナリオ序盤の展開は、ごり押しといっても間違いではないだろう。
その後の展開も、ちぐはぐだ。ある意味、現実的とも言えよう。中々に彼らの間の溝は埋まらず、“家族”の面々の内スポット的に一対一の描写があるばかり。一同集まる食卓の場も、寄り合い所帯に相応しく、まるでお遊戯かのようだ。いわゆる“一家団欒”のシーンは殆ど存在しない。そして最後、一致団結することも出来ずに家族計画は失敗に終わる。当然と言えば当然だ。だって彼らは絆を知らぬ者達、名ばかりの“家族”を与えられてすぐに、“ふつう”の家族のような絆が作れるわけがないのだから…
…しかし、僅かながらの相互干渉だったとしても、心打たれるものはあった。虚構に過ぎない家族だったとしても、その繋がりは、温かなものだったのだ。そして、少しずつこぼれ出す、彼らの本音。
一人は、さみしい。だから、だれかと繋がっていたい。
他者との絆を求める心の叫びが、露になっていき、最後にはそれを自ら肯定する。「人恋しさ」を、長い長い回り道をして、全く論理的に明白な言葉では語られてはいないけれども、丁寧に丁寧に描くからこの物語は、多くのエロゲプレイヤーに愛されるのだろう。自分だけを例にしてしまうが…他者との繋がりを疎んじ、絆の素晴らしさなんてものに疑いの目を向けながらも、愛を諦め切れずに求めて(エロゲ―で眺めて)しまうような、そんな人々を…
ライターとして惜しむらくは、全ての絆は、家族との繋がりからその築き方を学ぶのだ、とも取れるようなシナリオになってしまったことなのかもしれない。悪く読み取るなら、“ふつう”の家族に生まれ育たなかった者には、絆を作るのは難しい、とも。しかし、もしそうならば、家族を作りなさい、とメッセージを送っているのでは、とも思う。個別シナリオのラストのように。…ちょっとひねくれた解釈かな。もっとシンプルだろう、この物語のメッセージは。
“人は一人でも生きていけるけど、それだと、生きていくことしかできないんだなって”
だから、だれかと絆を作ろう。
そう、優しく語りかける物語だと、僕は思います。
補遺
KOTOKOが歌う『同じ空の下で』は、「家族を題材にした作品の主題歌としては歌詞があんまりマッチしていないな…」なんて思っていましたが、プレイ後にはこれ以上なく作品に寄り添っているなと思いました。すごいよこれ。