軽々にゲームを地雷やクソゲー呼ばわりするのは不適切だという事例【どれもこれに比べりゃ大した事ない。】その1。体験した人全てが(どんな見識や価値観の持ち主かは関係なく)一切の躊躇なく「これはクソゲー」と断言する程、酷く品質の低い「真の」クソゲー。この批評空間内では0点だとかクソゲーオブザイヤー対象だという感想を(実際に0点を付けた上で)見る事があるが、その方がそう評した作品の多くは絵や音楽で評価できるケースが大半。(許容力が足りないのでは?) 本当の0点はこの吐溜のような作品だろう。0点を付けるか迷ったが歌唱曲に免じて・・。古い記憶を思い出して評価して苦々しい気持ちが込み上げ腹立たしくなる作品。物語とシナリオの整合性、低品質なご都合主義などが見られれば評価を著しく低くするとして点数付けする場合に20点台とする自分でも20点台すら付けようのない究極のガラクタ。
数値、5が平均です。(5以下だと気に入らない部分あり)
キャラクター(魅力、言動) 0
ストーリー(全体を通してのお話、結末) 0
シナリオ(作品中での出来事、キャラクターの行動) 0
音楽 2
文章 0
グラフィック 1
システム 1
ボリューム(長さの満足度) 0
満足度 0
一本のゲームに複数の人間が関わり、長い時間とお金をかけて必死に完成させて発売される、という
所までとても大変な事だろうかと思う。
もちろん、ユーザー側はそんな事情を意識する事はあまりなく関係ないといえばないが。
PC-98末期にも変なゲームはあった。でも奇抜でも面白いものもあった覚えがある。
WINDOWSが普及し数年以内のWINDOWS用アダルトゲームとしての黎明期には変わったゲームもあったし
出来の悪いゲームもあった。そこは昔と同じだけども。
それでもここまでの低品質で魂の入っていない酷い作品はPC98後期、、WINDOWS95~98の時代でも今でも
そうはお目にかかれないと思う。
時に、エロゲー批評空間内の感想で低評価された理由がとてもわかりにくいような
「50字以内程度の書きなぐりのような文章+地雷orクソゲー」という感想を見る事がある。
そのゲームは「一見して下手でない原画家によって描かれたキャラCG、イベントCG」が登録されていて
絵だけでもまだ悪くないな、と思ったりする。実際に遊んでみたら50点くらいだと思う事がよくある。
そしてこう思う。「これの何処が地雷ゲー/クソゲー?」と。「プレイした人は許容力が低すぎなんじゃないの?」と。
まあ、つまらなかった、楽しめなかった、合わなかっって感想ならまだわかるけどそれにしても「クソゲー/地雷」って
何処がだ?と読んでいて思う。
けだし、このエロゲー批評空間にはクソゲー認定されているゲームは多くある。
名作にも0点が付けられたり糞呼ばわりする人が居るくらいだからよく分かる。
「0点だ」「クソゲーオブザイヤーものだ」「地雷だ」と評する人も居るしギブアップだらけの人もいる。
しかし、「0点だ」「クソゲーオブザイヤーものだ」「地雷だ」と、気持ちに任せたような感想の意見に
(ただし、本物のクソゲーに対してされている意見には同意する。バグだらけ、未完成品など)対し反論するなら
本当の0点作品はこの吐溜のような作品であろう。
絵だけでもまだ見れる、音楽はそれなりの作品でもとにかくある一点が気に入らないから0点だと評するような人は
このゲームを一度やってみてはどうだろうか?
プレイすれば地雷だの、クソゲーだのと、その言葉に値する本物の真髄を知る貴重な体験が出来るし
地雷、クソゲーという用語は本来どういうゲームに用いるべきか?そもそもクソゲーとは何か?を理解できるはずだ。
それにより軽々しくクソゲーという言葉を使わない自重の意識が生まれるかもしれない。
何より、絵、音楽、登場人物の少々の言動の不快感、多少の難易度、システムの不自由さ程度で
クソゲー認定を行う、0点と評していたという人なら凝り固まった己のクソゲーの価値観と基準を
考え直す機会が得られるに違いない。
とにかく、「地雷」だとか「クソゲー」だとかという言葉が最近(2010年代以降)は軽すぎる。
何せ、物語の形を成していないし、まじめに読めば50分超だが時間の無駄なので読み飛ばすことになり、
プレイ10分以内でエンディングに到達するし登場人物に差異がないし
テキストは他の方が書かれた感想にあるとおり「台本のト書き」同然。
テキストが酷いと常々ゲームをプレイ後に言う人はこの「吐溜」をプレイすればよい。
ストーリーが酷い、シナリオが酷い、~ちゃんルートが問題などという人もこの「吐溜」をプレイすればよい。
テキストがダメだのシナリオがダメだのストーリーが、キャラが不快と他ゲーで不満を言う方は
この「吐溜」とその他ゲーとでの読み比べを推奨する。きっと、その他ゲームがマシに思えるはず。
グラフィックは当時レベルだからまあいいが、レイプメインなのにボリュームすらなく実用度は0.
今のクソゲー扱いされるゲームとCGを比べてみたなら今のゲームが良すぎるように思えるはず。
CGも比較にならないレベルで、でも当時はこれくらいが下の水準でも普通だった。
これがフルプライスという事実、I’veの曲が無駄に起用されている虚しさ、物語として成立していないなどの
あらゆるクソ要素が一つに詰まっている。
創作物には熱意と時間を魂がこめられていると、普段は思っているし、そんな創作物を貶めたいと思わないのだが。
このゲームにはI'veが曲を提供したという事実以外の価値は何も存在しない。
褒めてもI'veの女性歌手のシングルCDレベルの価値。
おそらく私がもっとも最初にプレイしたWINDOWS98ゲーム(当時、お店で3本買ったけどその中の1つ)。
これを書いているのが2018年、2018年を現在としてもう19年ほど前の話。
1999年当時、ソフマップの中古で4980円だったけど価値に及ばず。
(プレイ開始してすぐ終わる分量)何でこんなに高いのかと首をひねった記憶がある。
これを書いている2018年夏現在で、なんでも中古屋「駿河屋」では2万円とバカらしい値段が付いている。
実に馬鹿らしい事だが世の中わからないものである。
締めの段に入る。
自分以外の多くの方が「吐溜」の感想を書いた際に否定の意見を書かれているように
自分ではない他の誰であっても(人生の時間の中で境遇やそれまでの体験全てで培ったいかなる価値観に関わらず)
ゲームのプレイ暦や鑑賞してきたあらゆる創作物によって考え方や価値観は違っているとしてもこの作品を遊んだ後
この作品を評する段階になれば例外なく、躊躇もなくこのゲームを正真正銘クソゲーと断じると言い切れる。
その判断を下すのに1秒の迷いも持たないであろう。本物のクソゲー、真の地雷だけが持つ最低の品質がここにある。
この4点は、唯一評価する2つの歌に対する評価。
本来、私はこのサイトでは点数は完成されたゲーム作品として、遊んで何を感じるを大事に考え、体験を記録するために
点数付けしている。
しかし点数付けの対象として物語、文章、声、絵、音楽、歌の中で唯一歌だけを評価して加点せねばならない
という事実にはとても虚しい気持ちになる。 原画家は「当時なりにだがまあ仕事したね」と。
それ以外のゲームに関わった面々については作曲者、歌手のI'veの人たち以外に言いたい事が一言。「FUCK YOU!」
ただ、恐ろしいのはこれより質の低いものも有るらしいという事実。(私は怖いので触っていない)
プレイ後、金返せ!という感想がまず出るだろう。
買った自分に自分で「こんなゲームを買うなんて、お前バカだろ?」と言いたくなるゲーム。