ニョーランドは遠くに
この値段でこの出来ならばまあまあかなと思います。ルートによっては、シナリオ的に若干不快に感じてしまう部分もあったりはしますが、起伏を多少求めるようならばまあ許容範囲のような気もしますし、逆にこれは湊きゅんの可愛さこそがメインというキャラゲーだとするならば、ミドルプライスにして堂々の主人公ボイス、頑張ってくれたのではないかと思います。
個人的に大変に秀逸な点が一点ありました。それはメインヒロインの風莉ちゃんのボトラーという属性についてです。ボトラーというのは一般的に、そうなってしまった経緯や実際の行動にどうしてもネガティブな要素がつきまとうと思うのですが、そういったネガティブさを排除し、可愛らしいボトラーを作り上げようとした時、この風莉ちゃんというお嬢様は創造しうる最高にして到達点の様な出来であると思いました。何がというのを具体的に言うのが難しいのですが、私にはこれ以上に可愛くて魅力的に作られたボトラーをどうしても想像出来ません。この一枚絵を見る時、私はある種の芸術性を感じずにはいられませんでした。ついついおまたに向けてしまいがちな視点を全体像に合わせた時、現れるのはお嬢様の僅かな戸惑いと慈愛の眼差し、何とも言えない安らかな表情。元来あるはずの羞恥心は湊に対する信頼と親愛によってかき消され、丸出しに突き出されたお尻から醸し出される、純真無垢でありながらも溢れ出す放尿感、解放感、そして誘惑的なエロス。表現が稚拙でホントすみませんが、大変勝手ながら私は、この一枚絵を「天使の休息」と呼ばせて頂いております。或いは「現代版ヴィーナス誕生」とも言えましょうか。後世に残すべき素晴らしい芸術作品なのではないかと感動させられてしまいました。また、そこにあるペットボトルの中身を見ましたでしょうか。おまたの間にある、何とも不思議な平らな部分に当て込まれたペットボトル。その中には、金色の液体はほんのちょこっとしか入っておりません。このシーンを作るにあたり、社内でその量についての熱い議論が繰り広げられたかと思うと、私は本当に胸が熱くなります。その中身がなみなみと入ってしまうようだと、作品の方向性はどうしてもそっち方面に傾きますし、しかし導入部分でのあのバックスタイルボトリングこそ、この作品のアイデンティティというべきものであり外せない。ぱれっとには元々の作風やカラーがありますし、風莉ちゃんの無垢で可愛らしいキャラを壊してもいけない。恐らくそれらを全て勘案した上でのあのちょこっとさ加減なのです。芸術の神はディティールに宿るという見本のようなものであり、本当に素晴らしい事だなあと感心させられました。
またお嬢様のぬいぐるみオナニーのシーンでの事なのですが、お嬢様のオナニーを覗き見ている時の湊きゅんのモノローグに、「さうか、後であのぱんつを僕が洗ふ事に成るのか。其の時僕は、舐めてみたり嗅ひだりするのを我慢出来るのだろうか」という素晴らしい反語表現がありました。実際にそうしなかったのは残念だったのですが、実に文学的、哲学的であり印象的でした。ひなたルートではひなたと恋人関係になったにも関わらず、本人を目の前にしてもなお相変わらずボトリングさせる風莉お嬢様。ユーザーの期待通りの展開であり、我々を楽しませよう、可愛いやりとりで笑わせようという気概を随所に感じることが出来ました。
ですが私はこの作品を手放しで賞賛する事が出来ません。それはまずライターのNYAONさんが過去の作品において、軽やかで楽しげな雰囲気の中に突発的に倒錯したエロスを挿入する事により、そのシーンの持つエロスを最大限以上のものにし、印象付ける技法を取って来た事によります。野乃崎つばさやさくらシュトラッセのかりんちゃんのオナニー、みんな捧げちゃうの和奏ちゃんの絶妙の立ち位置からの手コキなどがそれです。本気を出せば実に流麗なシナリオを見せ付けてくれるこの方なのですが、反面、そういったエロスがどれほどの効果を作品に加味させられるかをも知った、愛すべきド変態という側面も確実にお持ちです。そんな非凡のライターさんが今回、今までのブランドイメージの制約から外れ、別ブランドという形で自らを更に表現する機会を得た。その割には私には心の底からのリビドーや叫びがどうしても聞こえてこないのです。この作品は女装学園潜入ものというよりは、男の娘である湊きゅんを皆で愛でようという、どちらかというとホモセクシャル的な楽しみ方の方が正しいと思います。もしくは一旦は女の子と認識し、そこからの男性的な行動や性衝動を垣間見ることによる倒錯感というのもありましょうか。その是非はともかく、それならば何故シナリオをもっと湊きゅんのおちんちんを中心とした構成にしなかったのか。この作品に「金玉」という言葉が一度でも出てきたでしょうか。前述のブランドイメージをある程度守ろうとした結果、やはり冒険できなかった、そんな印象が拭えないのです。そして何より私が決定的に許せなかったのは、お嬢様の出したペットボトルの中身とその行動を、この湊というクソ野郎は、「ペットか赤ちゃんのそれを処理しているようなもの」みたいな事を言って貶めた事です。重ねてになりますが、この作品は男の娘を愉しむ為にあるものだとは思うのですが、同時におしっ娘的な方向性もしっかり持たせている事は、シーンの配置やその濃さ、エピソードなどから明白であると思います。ならば何故至高のボトラーたる風莉ちゃんのおしっこが、犬猫のものと同列に扱われなければならないのか。湊の事が大好きな風莉ちゃんが、その性格や境遇から自らの感情を上手く表す事が出来ず、それでも何とかして自分という存在を、湊に伝えよう、表現しようとした結果がこれなのです。そんなおしっこがただのおしっこの筈などなく、それは大好きな男の子に向けた自己表現であり、おまたから流す心の涙であり、おまたから伸ばされた救いを求める手であるという事を、何故このクソ野郎は気付かなかったのか。何故その手を握ってやれないのか!多数のユーザーが感じたであろうこのふがいなさを、どうしても私は評価できません。
私はニョーランド国民であり、少しだけ一般からは離れた嗜好を持っています。しかしそれを抜きにしても、もう少し本気のNYAONさんを見たかった。その舞台は確かにあったと思います。変な感想になってしまいましたが未プレイの方は是非手に取ってみてください。ご自身の嗜好がどこにあるのかを見極められるような、とてもいい意味での問題作であると思います。