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oldreavesさんのハルカの国 ~明治越冬編~の長文感想

ユーザー
oldreaves
ゲーム
ハルカの国 ~明治越冬編~
ブランド
Studio・Hommage(スタジオ・おま~じゅ)
得点
98
参照数
220

一言コメント

人生という越冬────究極の "冬ゲー"

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

総プレイ時間:7時間

DLsiteにて「ハルカの国 前三部作」を購入してプレイ



例によってプレイ中の感想メモをそのままコピペして載せます。
最後に、プレイ後のぐちゃぐちゃした状態で書いたぐちゃぐちゃした感想があります。





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・北へ

方言や当時の言葉のリアリティがすごい。相当丁寧に監修しないと無理では
あと背景の写真も頑張ってロケハンしたんだなぁ。明治時代の風景として違和感ないものを選ばないといけないからなあ

主人公ハルカじゃなくてユキカゼなんだ。また春と雪のコンビ
ユキカゼも女の子なんだ

ユキカゼは雪子ちゃんと少し似ている。
内心脆くても必死にツンと取り繕っているところとか。
すぐにボロが出ちゃうところとか。

・・・ツンデレ2人組やないかい!!!


・越冬二匹

冬の、吹雪の描写がエゲツない。ベルンハルト『凍』(Frost) を読みたくなってきた
あるいはカヴァン『氷』やマクラウド『冬の犬』のような。海外文学っぽさがある。自然と人間の対峙、共生。
本当においしそうな食べ物の描写なんかはタブッキ『レクイエム』にも引けを取らない。(まぁこっちはイラスト付きなのだけれど)


・こころ
狐二匹が雪国の山奥で越冬するだけの話なのになぜこんなに心に刺さるのか。
それはおそらく、作中で言われているように、都会の人間が「なぜ雪国の奴らはたかが越冬であんなに大げさな」と言っていることに対するものと同じなのだろう。
冬を越すことは、なんの比喩でもなく、生きることそのものなのだ。

"御仁の背中にとりつき、小さな歩みを重ねていた、あの時。
あの瞬間、私たちは二人であった。
たった二つの熱源として、冬に挑んでいた。"

ハルカ御仁、第4十刃説

ハルカ様www みすずの国での様子からは考えられないほど人間らしいというか……ぜんぜん完璧でない可愛げのある方なんだな
親父ギャグ属性はどうかと思うけれど

「おもさげね」=申し訳ない、恐縮です
「すけられた」=助けられた、世話になった
「おすずかに」=お元気で、お変わりなく
は忘れたくない言葉だなあ

・いとなみ

"この国の言葉は尖ることが出来ない。
親から譲られ、使い古された農具のような言葉でしか、一生を語れない人々。
その言葉は、丸い。
長い年月のなかで摩耗したかのように、丸い。
どんな悲しみも、苦難も、彼らの言葉では、雪さえ傷つけられない丸みを帯びる。
幼い梅の振り絞る声も、それであった。
ツゲや佐一の悲しみも、それであった。
巨大な冬の中。
まんじりともせず、耐え忍んできた、この国の言葉だった。
そして私が流すのは、その国の涙。
生きることの、涙だった。"

ずっとこの時代の、この国の言葉で語られてきた物語だったけれど、こういうことだったのだなあ

前時代的で野蛮な、未開の民のすることだと、現代に生きるわたしはどうしても思ってしまうけれど、彼らの生活を克明に描くことで、有無を言わさず、良いとか悪いとか、そういうことではない生と死の営みを見せつけられている。わたしがどうしてこれに何か言えよう?

「人という者はしがらみの多い中で生きるらしいでな。生きるということは、蔦の中を転げ回るに等しいだろう、あれらにとって」
(中略)
「我々のようにある日現れて、ある日消えていくのでない」
「そういう者が、絡まりに絡まった中よりついに抜け出すというのは、寂しい反面、自由で心のすくことであるようだな」
そうかぁ……ここで、この物語が人間でなく化けによって語られていることの意義が、さらに深く滲み出してくるのか。
更には、男衆と女衆の分業や、子供のかまくらといった、確かに息づく家父長制を描いてきたことの滋味もまた出てくる。

「トド様」「カガ様」って「父様」「母様」か!!!
やっと気付いた。固有の人名かと思ってた。

歳を取らない化けは、『さよ朝』のマキアたちでもある

実質『AIR』か『加奈』みたいなとこあるのでは?? ヒロインがお婆さんだけど。

化けは必ず人に見つけられて生まれる、ということか。なかなかに考えさせられる……

"涙は、誰かの瞳から流れたとしても。
誰のものともわからない、この世に木霊す幾千の心の、表白のような気がした。"

そうかぁ、明治初頭、という越冬の時期でもあるのだよなあ





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おわり!!!

冒頭をもう一度読んでみる

あ!!!! このお爺さんてっきりカサネの夫(梅の祖父)かと思っていたけれど、カサネのトド様か!!!
ここでソリの話をハルカは聞かされていたのか・・・・・・

初見のときより、北国訛りの言葉がかなり理解できる・・・

南部の名馬・・・・・・

うっわ・・・・・・
もうここで全部見せていたのか・・・
これをひとりで・・・そりゃあハルカゼに側にいてほしいわ
2周目でより味わい深くなるやつじゃん。ぜったい、歪んだ家が初登場するところで泣く
構成まで完璧かよ

今のところスタジオおま〜じゅ作品でいちばん完成度が高いんじゃないか。
ボリュームはそれほど無いけれど、構成の隙のなさ、1つの作品としてのまとまりの良さは『雪子の国』よりも上だと思う。
おそろしいのは、これでまだ『ハルカの国』6部作の1作目、ここからまださらにより評判の良い続編たちが控えているということ・・・・・・

思い返せば思い返すほど、ユキカゼという存在、この主人公の立ち位置が絶妙で、ハルカとの関係の語られ方、語られずに伝わってくる妙がほんとうに良い。

カサネ、ハルカ、ユキカゼ、梅・・・彼女らの、世代間・時代を越えた結びつきと受け継がれるもの、そうしたものの描き方が本当にすばらしい。
(もちろんツゲや佐一も大事なキャラクターだ)

ユキカゼとハルカの2人をメインに据えながらも、カサネが実質的なメインヒロインとして「越冬」という物語を終わらしめ、それでいて、ハルカの、そして他でもないユキカゼの成長譚としてもしっかりまとまっている。ほんとうにすごい。

はじめ、ユキカゼとハルカの顔が似ていて、キャラの書き分けが出来てねぇなぁキャラデザもっとちゃんとしろよ〜〜〜とか実は思っていたのだけれど、最後までやると、むしろこの2人は似ていなければこの作品が成立しない、とすら言えるのではないかと思ってしまった。

そして、ハルカがユキカゼを呼ぶ「ハヤ」というのもまた・・・
「ハルカ」と「ハヤ」で、名前まで似せてきていて、これも終わってみればなるほどなぁ……と、儀式を終えて御犬に引き継いだあとのハルカの1枚絵──終盤と、そして冒頭のそれ──を頭に思い浮かべながら、しみじみと感じ入るのだ。


何かを持ち上げるために別の何かを貶す、そんな下品なことはしたくないし、何よりそれはこの作品の品格を下げてしまうかもしれない唾棄すべき行いであることはわかっているのだけれど、それでも、ほんとに純粋に、こわい。こんな作品に出会ってしまったら、これから先に出会うものに心から感動することができるのだろうかと不安になる。もしこれ以上のものにたくさん出会えるのならそれはそれでおそろしい。精神がもつ気がしない。
……まぁまずは何より先に、『ハルカの国』の続きをやらなければならないのだけれど。こえぇ〜〜〜楽しみだけどこえぇ〜〜〜これ以上わたしを打ちのめさないでくれ〜〜〜いや打ちのめしてほしいけれど〜〜〜〜・・・・


それから、これほどに「冬」そのものを扱ったノベルゲームはないんじゃないか、とも思う。
究極の冬ゲー

それは、「冬」という季節を単なる物語の背景にある季節だとか、せいぜいシナリオの重要なシーンをあらわすアイコンとして冬とか雪を使うのではなく、「冬」そのものを描いている。

この物語の主役はある意味で、この雪国の冬それ自体だ。

季節が冬でなければ成立しない、どころの騒ぎではなく、作品が冬そのものであるから、冬でなかったら文字通り何も無くなってしまう。
そういう意味で、本作は究極の「冬ゲー」だと思う。
(なので、本作も、冬ゲーの代表作と同じ点数にしておく。他意はない)

ノベルゲームに限らず、小説でも映画でも何でも、これに匹敵する「冬」の作品があったらぜひ触れたい。山の雪や吹雪のおそろしさ、という点では登山モノに似たようなのがありそうだけれど、それは「冬」ともまたちょっと違うしなぁ。

あと、本作は「キリンの国」のB面のようにも位置づけられると思う。
山の郷の「夏」を生きる人々を描いたキリンの国、山の里の「冬」を生きる人々を描いたハルカの国。
本作をやってから「キリンの国」を読み返すと、アンさんたちの生き様が、あの綾野郷での生活が、より思い入れ深く感じると思う。
そもそも越冬譚といえば「みすずの国」からしてそうであるからして、やっぱり、「国」シリーズは、やればやるほどにお互いを魅力的にしていく、一度はまったら抜け出せないおそろしいほどに魅力的な作品群だなぁと心から思う。