古のKeyを感じる。具体的に言うとKanon。あの時代にあって今は失われてしまったモノがつまっている。昨今は目新しい展開が評価されて説明や整合性を求める傾向にあるけど、不思議を不思議として置いておいて情緒に傾注するのも、物語の一つのあるべき姿だと思う。当時を生きてきた人ほど響くのではないかな。
良い物ってなんだろうね。
粗がなくて隙がなくて計算しつくされていれば良い物なのかな。
ここで彼らが出会うのは現実的ではない、偶然出会う確率がどれだけか知ってるか、そんなリアルを追求して楽しいのかな。
息苦しい。夢がない。楽しくないや。
物語って、人が未だに出くわしたことのない希望を、あるいは絶望を、そういう人々の感情を誘起させるモノじゃないかな。きっと点数で表せば“完璧”な方が評価される。けど、人々の心に最後まで残るのは、道端に咲く名もない“不格好”な花だと思うよ。
価値観はそれぞれで前者を否定するつもりはないけど、少なくとも自分は、創作物は奇跡でできている方がうつくしいと思っている。あり得ないけどあるかもしれない、そんな夢を持たせてくれる方が好き。
いつから夢を見なくなったのか。
それはきっと、人類の進歩であり良いことなのかもしれないけれど。
大昔、物理法則を知らない方が、地図を持たない方が、医学を知らず短命な方が、人々は幸せだったんじゃないかな。
そう思うのは、持っている人の傲慢かもしれないけどね。