『私は私を取り戻す』 ユキカゼが『自分が自分』であるために、生きる意味を求める物語。ハルカとユキカゼのこれまでの関係性があったからこその今作が、読んでいて没入していくほど面白く最高でした。
『私は私を取り戻す』
今作は、大きく分けて、前半『ユキカゼが猪の化けを倒すまで』と、
後半『五木の最後』の物語でした。
その中でも
①ユキカゼにとってのハルカと『自分自身の意味』を問う物語
(1)前作の印象から~実際の今作のユキカゼの最初の印象
(2)ユキカゼのひたすらに自分に問い続ける数々のシーン
(3)猪との決戦より。露わになっていくユキカゼの心。
(4)猪との決戦。決着。蛭の墓より。
②五木の最後の姿と。最後の国の在り方と。過去作品を通して。
③次回作へ
で3つに分けての、好きなシーン引用等の備忘録感想です。
※最初からネタバレ全開の感想です。
①ユキカゼにとってのハルカと、『自分自身の意味』を問う物語
今作は特にユキカゼに焦点を置いたお話でしたが、やはり一番印象的なのはこの『自分自身の命の意味』を問うこの部分でした。
以下、ユキカゼ視点を中心に、物語前半部分の感想です。
(備忘録のため、引用が長かったりします。すみません)
(1)前作の印象から~実際の今作のユキカゼの最初の印象
前作の『ハルカの国~明治越冬編~』より次作となる今作『明治決別編』。
前作の明治越冬編では、あまりにも厳しい自然の過酷さと、その名でも宿る暖かさや嬉しさが、どれほど人の心に必要で美しいものかという描かれ方が魅力的な作品でした。
同時に、ハルカの国1つ目にあたる前作は、ユキカゼとハルカの出会いの物語であり、二人のバランスの取れた関係性が本当に好きで好きでたまらないものでした。
特に、明治越冬編の最後に描かれた、ユキカゼとハルカの後ろ姿での掛け合いが本当に大好きです。
最後。路銀等を全部村に渡して別れを告げた最後の会話
──────────────────
ハルカ
「お前こそ、どうして後先のことを思わないのだ」
ユキカゼ
「しかしですね、ああいうことは勢いですることです」
──────────────────
等々。
ハルカの正論(時に我儘)に、ユキカゼが突っ込みをしたり、時にはユキカゼがハルカに窘められたり、そんなやり取りが本当に心地よくて仕方ありませんでした。
なので今作では、そんなユキカゼとハルカの二人のやり取りがもっとたくさん見られると良いなと思ったりしながらの、今作『明治決別編』を読み始めました。
正直言えば、読み始めてまず最初に抱いた感想は戸惑いでした。
ここまでユキカゼがここまで『自分が自分であるため』、『自分自身の意味』を問いかける姿が描かれるとは思ってもいませんでした。
きっとこの先もハルカとユキカゼはあーだこうだ言いながらも仲のいいコンビでやっていく姿が見られるのかなと思い込んでいたので、序盤からユキカゼ自身の姿にここまで焦点を当てて描いていくのが本当に予想外で。
今思えば、確かに明治越冬編でも、話の序盤で『ユキカゼ自身を証明するのは剣の強さである』ことを描いた姿を思い出します。しかし、ハルカとユキカゼのあの厳しい冬を乗り越えた二人の関係性が描かれた後に、また更にもう一度立ち返るようにユキカゼ自身に焦点が当たるのが予想外だったのだと思います。
ただそれ以上に自分が読んでいて戸惑いショックだったのは、ユキカゼとハルカのかけがえのない関係性を私自身がとても好ましく思っていたところで、実はこのハルカとの関係性がユキカゼにとって枷になっていたと描写されたことでした。
ユキカゼが『自分が自分であるため』の意味を問いかける際に、ハルカの存在が強大であればあるほどその自分自身の強さの存在が霞んでしまう、まさに逆の関係性でもあったことを改めて知ってしまったことが、そうだったのかと、ショックでした。
(2)ユキカゼのひたすらに自分に問い続ける数々のシーン
その関係性が描かれていたのが、序盤から描かれた化けの猪退治のお話でした。
作中では、五木に剣で負ける=自分自身でもある剣の強さを否定される。
⇒五木でも倒せなかった猪の化けを倒すことで、五木に勝ち、自分の強さを取り戻すことができる。
という話の流れで展開が描かれていきました。
ただしその根源にある自分の強さの証明は、越冬編でも描かれた『御仁(ハルカ)に勝つ』という前提条件があり、つまり化けの猪退治には、ハルカではなくユキカゼ自身の力でなさなければならない。
だからこそ作中の、御仁の力を借りようとついしてしまい、そうではなくて自分でやり遂げたいのだとする、葛藤する台詞や心中がとても印象的です。
以下作中より、該当する好きなユキカゼの想いの台詞等を引用。
──────────────────
御仁に、勝ちたい。
御仁に勝てば、私は何者かになれる。
自分を取り戻せる。
(御仁に勝って)
私は何者かになる。
それは生存の欲求から立ち起こる、揺るがすことの出来ない強烈な決意だった。
──────────────────
──────────────────
(猪の化けの性質について考察シーンより)
同時に、私たちもつい御仁を中心に据えてしまう。
御仁の意見に耳を傾けてしまう。
改めて、自分のなかで大きくしてしまった御仁の存在に気づかされた。
──────────────────
──────────────────
ユキカゼ
「嫌です!御仁は私の師じゃない!私と御仁は対等ですよ!図々しいですよ、自分で師なんて」
「私は御仁の後ろに立ちたくないんです!貴方が前に出るのを当たり前にしたくないんですっ!」
──────────────────
──────────────────
弱気になってどうする。
私も私に懸けなければならない。
絶対、譲ってはいけない。
たとえ御仁の方が《上手》だったとしても。
五木がそれを望んでいたとしても。
私は絶対、私を諦めてはいけない。
(ここで取り返すんだ。ここを譲れば、もうないぞ。終わりだぞ)
自分を信じられなくなって、御仁の隣には並べなくなる。
剣が、終わってしまう。
いつのまにか見つめていた濁流から、顔をあげる。
また御仁が前を歩いていた。
──────────────────
──────────────────
(化けの猪に出会い引き返してきた後より)
ユキカゼ
「誰にとっても、何者でもない。ただ生きてるだけじゃ、何者でもないんだ。
信じる何かが必要なんです。私を私と信じる何かが必要なんです。
それが剣。剣で、私は何者かにならなくてはいけない。
私の剣は、必死です」
──────────────────
──────────────────
(ハルカに諭されて、混乱して苦しみの中でのユキカゼより)
ユキカゼ
「生きてたって仕方ないんですよ……!
弱いまま生きていたって、仕方ないんです。
意味がないんです。強くなけりゃ、駄目なんです。
強くなけりゃ、意味がないんです……!
──────────────────
──────────────────
(ユキカゼと五木、蛍の前の語らいより)
ユキカゼ
「けど私は嫌なんだ。そういう扱いを受けたくない。
御仁の慮りを受け入れたら、私はその程度になってしまう。
御仁が決めた通りの、御仁より幾回りか小さい《ハヤ》で終わってしまう。
御仁の後ろに控えることが当たり前になる。
嫌だよ、そんなの。
負けて当然、敵わないものとして御仁を仰いでいたくない。
私はあの方に挑まなければならない」
──────────────────
該当する好きな台詞が多くなってしまいました。
それほど何度もユキカゼが自分自身を問いかけるセリフが多いのが今作の特徴だと思います。
しかしこれらを引用して改めてユキカゼにとって『自分自身の命の意味』を問うことと、ハルカという存在がどれほど大きいものだったのかと改めて思います。
ユキカゼにとって自分が何者であるかを問い続ける事に対し『剣の強さ』こそが己自身の証明であると同時に、後半の『御仁の隣に並び立つ』ことができる、御仁に勝つことこそが自分の強さの証明であるそのセリフ一つ一つの必死さが響きます。
この必死な姿に魅入る面白さがありました。
その必死さには、ユキカゼが自分自身に意味があって欲しい願いと同じくらいに、ユキカゼ自身がハルカの後ろではなくて、ハルカの隣で立ち続けたいと願う。それほどこの1年間の関係で、ユキカゼにとってハルカが大きくて大切な存在になったからではないかと思ってしまいます。(これはユキカゼにとってハルカがそれだけ大切な存在であってほしいと願ってしまう自分の願望かもしれません)
ただ言えるのは、読んでいた自分自身が「きっとユキカゼとハルカは仲の良いコンビで旅をするのだろうな」と漠然に思っていた以上に、ユキカゼにとってのハルカの存在が大きく、大切で、同時に自分自身の意味がないのではないかと苦悩する存在でもあるのだという深さが、最初は想像できなくて驚いたのが、この作品でした。
(3)猪との決戦より。露わになっていくユキカゼの心。
そして、そのユキカゼの必死な問いは、とうとう化けの猪と向かい合うことで、吐露されていきます。まさにユキカゼ自身の心がだんだん露わになっていく部分でした。
──────────────────
猪に挑むのは止せと。
挑む必要はないのだと、御仁に説かれた時。
嬉しかった。猪が、怖かったのだ。
私が逃げたいと思っていることを、私より先に(御仁は)知覚した。
だからその道を整えてくれた。整えてもらった時。
その道に飛びつこうとしている自分を見つけて、私は泣いたのだった。
御仁はわかっていない、決めつけるなと怒りを偽装してみたが。
本当のところは、浅ましく飛びつこうとした自分がいて。
それが余りに情けなくて泣いたのだった。あの日流した涙は、全部、自分への失望だった。
今ではあの涙さえ、私は疑問に思う。本当に、知覚した己の情けなさに泣けたのだろうか。
不甲斐なさを悔しく思い、泣けたのだろうか。無自覚ながら逃げようとした自分への、憎しみであれただろうか。
自己への怒りであれただろうか。そうではなくて。本当は。
見つかってしまったことへの、落胆ではなかったか。
逃げようとしている自分を自覚してしまったことに、失望したのではなかったか。
つまり。上手く逃げ切れなかったことに。己という監視にみつかってしまったことに。
私は悲しくて涙を流したのではなかっただろうか。無自覚であれたなら。
矛盾を抱えないまま、乗り切ることが出来たなら。
生き残ることができたのに──。
そんな涙では、なかっただろうか。
──────────────────
これは、二度目、ユキカゼが猪を自分の庭に引き付けるために遁走するシーンより。
ユキカゼの心の奥底を垣間見るシーン。決別編のユキカゼ視点で、私はこのシーンが一番好きです。
自分自身への矛盾を自覚するシーン。自分への不甲斐なさや情けなさで泣けたのだったらどれだけ良かっただろうか。自分への怒りで泣けたのだったらどれだけ良かっただろうか。
そうではなくて、自分で自分のことすら信じられなくて失望してしまったからの涙ではないだろうか。
だから自分の心に火を灯すことができない。心でも身体でも立ち向かうことができない。
作中の言葉を用いるなら、それでも唯一立ち向かうことができたのは、自分自身の過去。『剣=私の強さ』という過去の自己規定でした。
そして、その後の自分の庭に引き込んだ後の、猪との決戦の始まり。
このシーンがもう最高に興奮します。切り替わるBGM。
対峙する巨大な猪と、小さなユキカゼ。
──────────────────
「ハヤにしては、よく考えた」
「悪くないよ」
空の心と、空の身体に響いた。御仁からの、承認。
私は惨めなのだろうか。そんなものにひたすら慰められる私は、惨めなのだろうか。
いや、違う。何かがある。私は私に言い聞かせる。何度も言い聞かせる。
私には、何かがある。それを信じるために。
私は手を伸ばす。しっかと掴み、ふり返る。
剣を、真っすぐに構えた。
勇気も出ないまま。身体にも裏切れられたまま。
己への猜疑心で満ちたまま。
私は立ち向かう。そして、そこから願うのは。
私の奪還だった。
私は、私を取り戻す。
──────────────────
ここの胸中のシーン、何がめちゃくちゃ好きかって、ハルカがユキカゼに対してかけただろう御仁からの言葉が、ここでやっと明かされるのがもうめちゃくちゃ最高に好きなんです。
この作戦の前シーンで、ハルカは五木から作戦を聞いていた、「悪くないな」と感想を述べていました。五木からユキカゼを「貴方が思っているほど、小さい方ではない」と諭すシーンがあって、ハルカが思うよりユキカゼはずっとしっかりしていることを理解するようなシーンがすごい好きですが、こうしたやり取りがあってのこのハルカがユキカゼを認めたであろうセリフ。
それを、ここぞという猪との決戦で明かされる構図が本当ににくい。
ユキカゼにとっては、ハルカに承認されるのはどれだけ嬉しかっただろうか。
そしてその承認で嬉しくなってしまう自分に対して、やはり御仁あっての自分なのかもしれないという事がどれだけ惨めに感じてしまっただろうか。
ただそれでも、自分自身には、きっと何かがあるはずなのだと、自分の中の自分を取り戻すためにはじまる決戦の始まりがめちゃくちゃに好きです。
BGMの盛り上がりがもうピアノ調の音楽が最高にオシャレです。
そして始まる猪との決戦のテキストもすごい好きなんですよね。
この決戦は、今までのユキカゼの『正々堂々』とは違う、ハルカや五木のように自分で考え、自分の環境に誘い込み、猪を倒す策が練られた戦。
──────────────────
これが私の作り出した庭に咲く、一つ目の庭。
──────────────────
──────────────────
負けられない。負けたくない。逃げられない。
逃げることを、許すことは出来ない。
己の意地で、五木や御仁を危険に晒すのだとしても。
私自身が恐怖に震え、挑戦を拒絶していたとしても。
許されないのだ、決して。
私はこれ以上、私を裏切ることは出来ない。
──────────────────
自分とは圧倒的に違う存在だからこそ、それでも負けられないとするユキカゼの決死の覚悟が、今までの積み重ねの想いを理解できるからこその叫びが刺さる。
それでも、あっさりと倒すことが出来ないのが、この『蟲毒』の呪いを喰らった猪の化けでした。
猪の目を潰し、勝機を見出した所で三度踏みつぶされるユキカゼ。
自分を喰らおうとする猪。生きているかも分からない自分。
ただそれでも自分自身の証明でもあった『剣』を握り続ける。
過去の自分の証明が、剣がユキカゼを助けるこの構図のなんていう本当に熱い。
それでも迎える、ユキカゼの最期かと思われる決死のシーン。
読んでいた時は、最高潮にハラハラしていたのを覚えています。
大木を背中にもたれかかり、動かぬ身体で剣の切っ先を猪に向ける。
それは自分の命と引き換えにした、最後の抗いでした。
そこで抱く、ユキカゼの本当の胸中がまた響く。
──────────────────
私は負けた。全力を尽くした。
いや、全力以上のものを出し切った。だが、私は勝てなかった。
──────────────────
──────────────────
(死ぬことで結果を見ることなく)試みだけを残して終わることが出来れば。
もうウンザリしなくて済む。私は私を裏切らないんで済む。
憎まれないで済む。
もうこれ以上。自分に失望しないで済むのだ。
猪が迫る中、胸にあったのはあの時と同じ嬉しさ。
御仁が、挑まなくて良いと諭してくれた時。
もういいのだと、思えたあの時。
束の間覚えた安堵と、しみじみとした嬉しさが胸にあった。
挑むことは、いつだって恐ろしかった。私の挑戦とは、結局そうだったのだろう。
何もなかったかもしれないあの日々で。私はいつも、怯えていたんだ。
負けることにじゃない。負けて、失うことにでもない。
失うものなどなかったことに。
大切と握りしめた手の中には、最初から、何もなかったかもしれないことに。
私は、何もないかもしれないことに。
不安で、いつも。怯えていた。
何かが。何かが欲しかった。だから、負けたくなかった。
──────────────────
ユキカゼにとって、『剣の強さ=自分自身』という過去があって、今のユキカゼがいるのだと、だからユキカゼにとっての剣の強さは絶対に譲れるはずがないものだと思っていた。思い込んでいた。
だから、もし負けてしまったら、それを失ってしまうのではないか。だからハルカにも五木にも負けられないとしていた。
けれど、心の奥底の感情の正体は違った。
自分自身には、本当は強さなど何もないのではないか。自分自身の命には何の意味がないのではないか。ただ意味もなく存在しているだけではないか。
それを『意味がある』振りをして、無いかもしれないことから目を逸らす。
それでもあるはずだと信じて、怖くても挑むしかなかったその姿。
そのあられのない自分自身の姿を吐露する清々しさが、なぜかとても綺麗に映ります。
しかし、それだけで終わらないのが、ユキカゼの生きてきた過去でした。
ユキカゼは一人の時間だけではなくて、ハルカとの過ごした1年がある。
それが、この後のもう一つの胸中で明かされるのがあぁもう好きでたまりません。
──────────────────
その苦しさが、終わるのだ。
剣を構えたまま、剣を握ったまま、終われる。
それが嬉しかった。
ただ──。
『ハヤ』
その嬉しさの向こうに。もう一つの景色があって。
一緒に行きたかった。置いて行かれたくなかった。
連れていって欲しかった。
一緒に。一緒に……。
叫びそうになるあの方の名前を、私は嚙みつぶした。
──────────────────
満開の桜。もう一度御仁と春を迎えたいとする情景がここまで美しくて。
涙を流すユキカゼ。そしてハヤと呼ぶ声。ユキカゼとハルカが隣で並んで歩く後ろ姿。
ここのシーンとBGMで自分は泣いてしまいました。
ユキカゼにとっては、剣だけではなくて、それ以上に心にハルカの隣に並びたいとした思いがあったのだと。ユキカゼにとってハルカが大きくて必要な存在であったと同じように、ハルカにとっても隣で歩くように大きな存在でいたかったと。
ハルカの隣こそが、今のユキカゼの居場所になっていたのだと。
けれど、もしハルカの名前を叫んでしまったら、それはまたハルカの強さを求めてしまう。自分に何もないことを証明してしまう。
だから、最初から最後まで、名前を出さず、ただ剣とともに終える。
ユキカゼのもう一つの本当の想いが露わになるこのシーンがもう
言葉にならないほど胸が熱くて震えました。
そして、本当の最期と思われたところでのハルカの登場。
勝ってしまうハルカの圧倒的さ。(もちろんユキカゼの今までがあってですが)
ハルカ
「ハヤからだ。受け取れ」
ユキカゼが用意した庭(罠)で最後の決着をつけるハルカ。
ユキカゼは結果的には負けて、ハルカが結局は勝ったのかもしれない。
ユキカゼは勝てなかったのかもしれない。
ただそれでも、最初から最後までユキカゼによって成し遂げられたようなこの猪との決戦が本当に熱かった。
(4)猪との決戦後。帰り。蛭の墓より。
ユキカゼの印象的なシーンと言えば、蛭の墓のお話は外せません。
──────────────────
(死んだ蛭(ヒル)に対して)
ユキカゼ
「御仁。これは食べられますかね」
(中略)
ユキカゼ(泣きながら)
「ですが、せめて。せめて心が痛まなければあんまりじゃないですか。
明日の糧にもなれず、誰の役にも立てず。
ただ邪魔とされて死んでいったのじゃ、あんまり寂しいじゃないですか。
殺した者の心が僅かでも痛まなければ、やりきれませんよ」
「何もなくて、ただ居なくなったのじゃ、一体、何のために──」
「意味が。意味が欲しい……!
命に、意味が……!」
追い出された者たち。小さい者たち。
醜い者たち。殺されたものたち。
それが、私に見えた。
負けてしまったものたち全てが、もう一人の私に思えた。
だから、何か欲しかった。
負けてしまっても、死んでしまっても、殺されてしまっても。
何かが、欲しい。何も与えられないのかと思うと、悔しくて堪らなかった。
敗北すれば終わり。強くなければ意味はないと、決めたのは自分であったはずなのに。
それが悔しかった。私は負けたのだ。最後は御仁に助けられて終わった。
そのことに、感謝も口に出来ない私が生き残っている。
そんな私が、浅ましくも意味を求めていた。
過去の自分に否定された、生き残りの意味を求めていた。
この期に及んで、まだ何かを求めていた。私は、勝てなかった。
──────────────────
ユキカゼのこの作品で明かされる想いの集大成だと思います。
蛭の何も意味もないように死んでいく姿を、自分と重ねてのシーンでした。
全ての生きている者に意味があって欲しい。そうでなければ、自分自身も同じように意味のない者だと自覚してしまうから。
自分には過去に信じていた意味はないのだと自覚しながら、それでも意味があるはずなのだと生きる。
意味を求めるしかなく、その矛盾を抱えたまま生きるのだと。
そうしたユキカゼの姿がとても純朴でした。
ただその後のハルカの返しが、またどこかハルカさんらしさ全開でしたね。
──────────────────
ハルカ
「考えてみれば、生きるなんてことは狡いものだ。
(中略)
大体、生き延びたことを努力の差、工夫の差、力の差のように言って、偉ぶる奴がいるが、本当にそうだろうか?
(中略)
やはり、この差は投げた賽の目よ。どれだけ必死になってみても、最後は運よ。
それだけのことなのにな、自分達を優等のように思い込む。正しかったのだと言い張る。話を善悪にすり替える。
それで堪らない話になるのだ。あまりにも救われない話になる。
いつかは皆、等しく敗北していくというのに、勝っているうちに調子にのるから、悲惨になる。
生きている者は狡い。生きていることに理由をくっつけるから狡い。
それでも、意味なり、理由なり、どうしても欲しい。それはわかる。
己が生きて、相手が死んだ正当性を欲しがるのが命なればな。
だから、もう命という根本がどうも狡く出来ているらしい。
それなのにな。そういうものをいかにも尊く、それだけが正しいようにして、生きることを偉ぶる。そこに、お前は命の傲慢さを感じ、何様だと腹がたった。
そうではないか?」
ユキカゼ
「いえ、たぶん違うと思います」
「わたしのはそんな入り組んだ話ではないと思います」
(ん?でも、そういうことでもあるのか?)
──────────────────
バッサリと違うと言い切るユキカゼ(と言いつつ似たところもある)の答えに少し笑ってしまいましたが、ここのハルカさんはとても現実的だと感じます。
生きること自体は、運が良かったかどうかだけ。そこに善悪はない。
けれど、生きる意味を見出そうとしてしまう仕組みがどうしてもあって。
その意味を見出す全てが正しくて、生きている方が正しいという在り方に異議を唱えたいのではないかという話でしょうか。
ユキカゼが、ただ自分自身に生きる意味があってほしいという答え対して、ハルカは生きる者全てに視野を広げて、生きている意味がないものは正しくないとするこの仕組みに腹が立つのでは、という考え方の違いが本当にハルカさんらしい。
これもきっと、この時代では異例の長生きであり、人が次の人へとつなぐ歴史のような背景を持つ人間ではなく、一つの個体として生きてきたハルカさんだからこそなのかもしれないと思いつつ。
話は変わりますが、ハルカのシーンとして今作で登場した、父を亡くしたことで結婚する機会を逃した百姓の娘に対して「(猪を退治した後)呪いをといてやれよ」と言ったシーンであったり、また猪から案内人と逃げる際に、荷物を取りにいこうとした案内人を「なぜ行くのか」としたシーン等が、ハルカさんのシーンとして印象的です。
その中でも特に、五木を見捨てようとするユキカゼの問いに対して、「違う!!」、「私は冷たい女じゃないよ」とするなど、まだまだ明かされないハルカの心の奥底が、今作で少し見えたように感じます。
国シリーズでは、過去から現在の描かれ方による移ろい、また他人から見れば小さなものかもしれないけれど、それでも本人が本人でいるためには必要な矜持の在り方の描かれ方等がとても美しいものですが、そうした中での異例の存在である、悠久を生きる『ハルカ』という存在がどういう姿をもたらすのか。これもこの国シリーズの楽しみの一つだと改めて思いました。
話がハルカの話に飛んでしまいましたが、今作ではユキカゼが自分自身の生きる意味を問うお話として没入する魅力がありました。
ただそれも、『ハルカとユキカゼが過ごした1年』という関係性があっての描かれ方なのがなによりも好みでした。
ただの相性の良さだけじゃない。ユキカゼにとってはハルカが枷のような存在だったかもしれない。しかしそれ以上にハルカは大切な存在なのだとわかるような今作の描かれ方が何よりも好みで面白かったです。
最後、命の意味があってほしいと願うように、蛭のお墓が描かれる、小さなお墓で終えるのがとてもこう感慨深いです。
②五木の最後の姿と。最後の国の在り方と。過去作品を通して。
前半が猪とユキカゼのお話なら、後半は五木のお話でした。
最後まで読み終えた今、五木さんには土下座をして謝罪したいです……。
正直、最後のシーンまで、実は五木さんは裏切るのではないかと疑っていました。
特に、最後のユキカゼが、五木を信じて酒田まで向かったにもかかわらず、抜き身の刀を持った五木さんを見つけるシーンでは、あぁ~~~~とユキカゼと一緒に絶望したのを覚えています。(その後のシーンで手のひらをくるっくるしたわけですが)
ただこの時の絶望するユキカゼを慰めるハルカの言葉がとても好きです。
──────────────────
ハルカ
「いいんだ、いいんだ。
愚かでいいんだ。
賢さなんてな、良くないぞ。ちっとも温かくなくてな、面白くなくてな。
やはり所詮道具だと思うよ。
道具がいくら立派でも仕方のないことだと思うよ。
ほら、食べろ食べろ」
「お前がいいんだ。お前が本物なんだ。
お前の心が本物だよ。食べろ、食べろ」
──────────────────
この言葉は、何よりもハルカがユキカゼと1年過ごしてきたからこその言葉だと思うのです。いつもユキカゼの隣で『愚か』というような心の在り方を見てきたからこそ。人の心こそ『愚か』が必要なのだと、ユキカゼから学んだハルカだからこその言葉だと思うと、このやり取りが本当に暖かくてとても好きです。
同時に、裏切られたユキカゼの自分の居場所が、あの猪のように無くなってしまったと嘆く姿が本当に辛くて。だからこそ五木が本当は裏切ってなかったと知った時がもうもうすっごい嬉しくて同時に謝りたくてすごい感じになっていました。
こうした五木さんですが、彼の描写の描かれ方も本当ににくい。
最後の最後で、五木さんという彼の姿、五木にとってユキカゼやハルカがどのように映っていたのかがわかる描かれ方がもう。
以下、最後のユキカゼ・ハルカと五木、最後の別れより。
──────────────────
五木
「来られたら参るなとも思いましたがね……やっぱり、来たと知った時は嬉しかった」
「姉様方の元に帰ればね、喜ぶだろうと思って。
嬉しさで笑うだろうと思いまして。そうしてみたい気持ちがぐらぐらっと湧いてね。来ましたよ、ここに」
「いいもんだ。帰ってきたことを喜ばれる。
本当にいいもんです」
五木
「嬉しかった。姉様に会えて。俺に会いに来てくれて、信じてくれて。
俺を信じてくれた。嬉しかった」
──────────────────
ハルカ・ユキカゼと別れた後、一人の五木、回想より。
──────────────────
ハルカ
「おお、帰ったか」
ユキカゼ
「お帰り」
並んで月を見上げた。
雨の中、腹を空かせた。
誰かと一緒に居るのだと、久しぶりに思えた。
誰かの中に自分が居るのだと、久しぶりに思えた。
三人で蛭の墓をつくった。猪の首を背負い、歩いた。
二人から距離が出来たところ。
五木は泣いた。
──────────────────
ぶっきらぼうの様に見えて、けれどどこかに子どものような幼さも垣間見えるようなところが、中盤までの五木の魅力でした。
そんな五木が、心の奥底では、ハルカとユキカゼの間に自分の居場所を感じていたことが本当に嬉しくて。幻のようにいなくなってしまった母と娘の過去と、それでも幸せに生きていける国にしたいと行動した政府には裏切られて。
そうして自分の帰る場所がなくなってしまった五木にとって、二人との出会いがどれだけ幸せなものだったのか。嬉しい邂逅だったのか。
この最後で理解できるような構図が本当ににくい。ずるいです。
そして、最後の最後。五木の最後の振る舞い。生き様。
心の叫びがもう本当にずるすぎました。最高すぎました。
──────────────────
五木
「クセラシかごっ、語るな。(生意気なことを語るな)
語りで首がとれっがか。あごで国を語りやんな。
かかってきやい。
おいが、まっこと薩摩拵えっち国、見せもっそ」
国とは。国とは、何だったか。
望み。求め。羨んだ。
国とは、何だったのか。
国を、作ろうと。幸福になれる国を作ろうと、努めた。
国に。見たこともない、国たるものに。
触れることも叶わなかった、国たるものに。
誰もが夢を見た。その巨大な幻想のなかで。
人の心は、命は、燃えた。
今なお、これからも、未来永劫、燃え続ける。
ならば、国とは。国とは、その炎に照らされた影法師。
孤独な、それぞれの、影だったのかもしれない。
五木は遂に、自分が追い求めてきた者の正体を突き止めた気持ちがした。
五木
「小さき墓が、この国にはある。
おはんらには見つくっこっ出来ぬ墓が、この国にはあるのだ!」
──────────────────
──────────────────
誰もがそうだったはずだ。誰もがきっと、醜かった。
何かを信じようとした。
血を流しながら、大地を汚し、しがみついた。
生きようと試みた。
自分の。自分の意味を探した。
孤独な影絵の中。
居場所を求めて、彷徨ったのだ。
──────────────────
五木の最後までの叫び、奢れる政府への叫びが熱すぎて。
心に来るものが大きくて。ここでもう結構来ました。
かつてあった過去の残滓。その者達が、幸福な国で生きるための国を作ろうとする狭義の心。
もっと賢く生きていくこともできたかもしれない。
ただそれでも己自身にある狭義の心に背くことはできない不器用な姿。
それこそが、『五木が五木である』ために必然の姿なのだと。
ユキカゼの意味を見出そうとした姿を見てきたからこその、その後のもう一人の男の姿が本当にずるい。
また五木の語る、国の在り方に触れるいったんの台詞がまた本当にずるい。
多くの生きとし生きるものが、最後まで意味を見出そうと、信じようと、幸福に生きようとしてきた、目には留まらないかもしれない小さき『墓』が国にはあるのだと。それは3人で作った蛭のお墓同様、目には留まらない、意味がもしかしたら無かったと見られてしまうものかもしれない、それでも積み重なる多くの小さな墓があるのだと。
それは確かに今までの作品でも少しずつありました。
雪子の国では、雪子は過去に囚われそれでも弔い、『いつか、この国で幸せにないりたい』とした姿に胸を打たれました。
キリンの国では、キリンと圭介の、自分が自分であるがために命をかける姿が、そこにはありました。
圭介がキリンに向けた言葉、
「……。死ねばいいんだ。
自分でいられないくらいなら、死んだほうがいいんだ!」
とする言葉は、キリンがキリンとしてあるために必要な矜持の言葉がありました。
みすずの国では、例え安易に逃げる道があったとしても、それを決めるのは自分自身だと、自分で意味を見出す姿がありました。
『できるかできないかは、私が決める。全部、私が決める』
他から見れば安易かもしれない、愚かな選択かもしれない、それでも自分で自分の選択に意味を見出そうとする姿は、まさに今作に一番近しい物があったと思います。
これらの、今まで見てきた『自分が自分として生きるため』の姿、譲れない意地・矜持、同時に、過去から今を幸せに生きようとするその姿と、そしてその一つ一つの生きてきた小さな『墓』の集大成の在り方が、この『国』として綿々と紡がれた姿なのかと思います。
もしかしたら作者さんの思惑とは見当違いかもしれません。
言葉にすると陳腐になってしまい拾いきれないのかもしれません。
けれど、私は、国シリーズのこれまでの数々の素晴らしい登場人物達の生き様、矜持に魅了されてしまい、だからこそ五木のこの最後の言葉が、だから私はこんなに国シリーズに魅了されて仕方ないのだと思えたこの言葉が、本当に心に刺さって仕方がありません。
③次回作への期待
最後の五木の台詞より。
──────────────────
走れ。走れ、姉様方よ。
その強靭な身体で。
美しき四肢で。
時代を超えて行けっ。
小さき理屈を突き破れ。
駆け抜けろ!
『走れっ』
──────────────────
時代が激変する動乱の中、走り駆け抜けろとした五木の言葉。
こうした次回の大正編、どうなるのか気になって仕方ありません。
特に、最後の『雪の字』と呼ばれる、ユキカゼ(?)の姿には、ほわぁ~~~~~~~~~!!!とびっくりしました。
あのすっととどっこい(失礼)なユキカゼが、こんなかっこよくなってしまって……
同時に、気になるのは、ハルカとユキカゼが一緒にいるだろうかという点。
二人のことが好きだから、どうか一緒に居て欲しいなぁと思いつつ。
また、大正時代ともなれば、剣よりも銃が役に立つ時代へ。
その中で、剣こそが強さとしたユキカゼはどのようになっていくのか。
変わっていくのか。
怖さもあり、それでも見てみたいとするわくわくさがあります。
今作も素晴らしい作品でした。
次回も楽しみです。
ありがとうございました。