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merunoniaさんのハルカの国 ~明治越冬編~の長文感想

ユーザー
merunonia
ゲーム
ハルカの国 ~明治越冬編~
ブランド
Studio・Hommage(スタジオ・おま~じゅ)
得点
88
参照数
43

一言コメント

人々が冬を超え、春が来るのを耐え忍び生きる物語。ただその物語がどうしてここまで美しいのか。厳しい冬の中、ほのかな暖かさが垣間見える原風景の美しさと、人が耐え忍び生き抜く冬に垣間見える心の美しさと責務を描き切った、今回も素晴らしい作品でした。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

『ハヤ。冬がくるぞ。恐ろしい冬が』


※備忘録のための感想。最初からネタバレ全開の感想です。

ハルカの国 ~明治越冬編~ 
みすずの国、キリンの国、雪子の国と続いて、私にとって4作品目の国シリーズでした。
前回の雪子の国が刺さりに刺さって、プレイ後しばらく呆然としておりましたが、うってかわってのハルカの国。

結論から言えば、今作もまた違った素晴らしい余韻の残る作品でした。
里の風景『あったかもしれない日本の原風景』の描写は美しく、そこで描かれる冬の厳しさはあまりに過酷。残酷。悲しく。辛い。
ただそれでも、その中でほのかに宿る暖かさや嬉しさを糧に人は生きる事が出来るのだと。その『喜び』という純粋な心の姿が、この国で生きる人の心の美しさであると、教えてくれたのが、私にとっての今作品でした。

同時に、カサネの話は、この里で幼子から終えるまで生きてきた一生が、時の流れの厚みを感じさせてくれるものでもありました。
それは雪子の国の四季を通じて描かれた時の厚みを思い起こさせるものでもありました。

そのどちらもが、余韻が残るもので、とても面白かったです。



〇以下は、忘れないように
時系列順に印象的な部分の感想(メモ)です。


①ユキカゼがハルカと出会うまで。
全く作品の前情報を知らなかったので、明治維新まで時代が戻るのがとても驚きでした。
ただ作品自体には、そこまで天狗要素だったり、化けの設定等は詳しく説明されないため、ここら辺の時代の流れは、続編で明かされていくのかなと思いつつ。

序盤はユキカゼ視点から始まるわけですが、まぁ~~~~~ちょろ可愛かったですね。(´・ω・`)とした顔のなんと似合うことか。
剣こそが自分にとって唯一誇れるものであるユキカゼの反応がちょろかわいいこと。
序盤の悪漢を倒したときの「ふへへ(やっぱり私は強いなぁ!)」と顔を緩ませたり、ハルカの恐ろしい噂を聞いた時の『自分が唯一自分でいられるための【強さ】が他人に取られるわけにはいかない』とする反応であったり。
その一つ一つの反応が、どこか未熟ながらも憎めない愛らしさがあって、最初から愛着が持てるキャラでした。
(だからこそ、今後ハルカと出会ってからの師弟のような関係がまたお似合いで良いんですよね……)

その後、山奥の村について、ハルカに出会ってからがもう一気にこの作品が面白くなる瞬間でした。
まずハルカの姿を見てからがもう、なんていうか感慨深い。
実質出会うのはみすずの国以来でしたが、時が流れてもどこか幼子のような部分が垣間見える笑顔だったり、それでも毅然、達観としてるような表情を見せたり、ハルカさんらしさはそのままですごい嬉しかった記憶です。
キリンの国では名前だけ、雪子の国では雅子が見せてくれた写真でしか登場しなかったこともあって、生き生きとしたユキカゼとの掛け合いが楽しくて仕方ありませんでした。

②ユキカゼとハルカの里での暮らし~冬ごもりの準備まで
話は作品に戻って。
ユキカゼがハルカに正々堂々と勝負をしようとして、大方予想通りコテンパンにされて。その後は、恩を仇で返す姿にキレたハルカがユキカゼに、里の手伝いを命じて、からはじまるユキカゼとハルカの村の暮らしでした。

それはまるで『師匠と弟子』の関係性がとても小気味よくて楽しいんですよね。
剣しか知らないユキカゼが初めて農作物を作ったり。料理をしたり。
その度にハルカが叱って、ユキカゼが言い返すような二人の問答がお似合いで本当に楽しい。
でもこうした掛け合いの中で、どこかハルカがユキカゼに師匠のように教えるような優しさがまたずるいんですよね。
例えば、布を縫うシーン。
──────────────────
ハルカ
「自分の手元ばかり見ているから気づかない。
手慣れた者の動作を観察し、そこから得ていく。
何事においてもそうだぞ」
「自分の手元ばかり見ずに、顔を上げて視野を広く持つのだ、ハヤ」
──────────────────
こうして里の暮らしの中で、関係性が深まっていくハルカとユキカゼの姿が見ていて飽きませんでした。

同時に、里の暮らしの描写がまた良いんですよね。
岩手弁で話す村人たちとの会話。
「おすずかに」
「おもさげね」
だったりの言葉が頭に残り続けます。
田舎ならではでありながら、ハルカがいるからこその調和のとれた暖かみのある田舎風景が残っていると言いましょうか。
そうした深い村の中で、生きる人々とハルカの関係性がまた暖かい。
何度も「おもさげね」と繰り返す里の人々とハルカの関係性がとても印象的です。
また、子どもたちの楽しそうな姿。特に梅とユキカゼの暖かい関係性に何度和んだことか。(この時はすでに梅のことが大好きだったため、最後の梅とカサネのお話にはもう涙腺が崩壊してしまいました)

その後の、冬ごもりの準備のために、ハルカからユキカゼに物資の買い付けをお願いする下りも好きだったりします。
人質に取られていた待望の刀も返してもらい。町に降りた後は、村では食べることのできない油の乗った秋刀魚を喰らい。(これがまたなんて美味しそうなんだろうってほおばるのがまた良いんですよね)
このまま春まで町に居残り続けることもできる。無理に戻る必要もない。
ただそれでも、ユキカゼの中に残るあの里での日常から離れることはできなくて。
結局は戻ってしまう。
ユキカゼが、苦労や辛さを懐かしむほどあの村に馴染んでしまったのだと分かるちょっとしたこのエピソードが好きです。



〇冬ごもり~正月まで
──────────────────
ユキカゼ
「想像するに、なかなか厳しい日々なのでしょうな、ここでのことは」
ハルカ
「そうだ。この国の冬は、厳しい」
「毎年な……この季節が嫌で、嫌で。こうして塩物で満たされた土間の匂いを嗅ぐと堪らなかった」
「冬は重くて、苦しくて……寂しくて。辛かった」
──────────────────
【越冬二匹】より

なんでもこなせるハルカからの、まさかの弱音の言葉。
冬ごもりの場所に着いた時の、最初の二人の掛け合いでした。
この会話からはじまる冬ごもりが、まさか、まさかこれほどの物だったとは。
読み始めた時の想像を絶する描写の数々でした。

下ろしても下ろしても終わらない雪落とし。
いつまでも止まない闇の中での吹雪。
何度見ても全く進まない時計。
自分で耳を引っ張り、痛みがないと狂うほどの無。
足首を折るほどに握ることで保つ正気。
眠くないのに眠らないと狂う1日のリズム。
あまりに無すぎて、森の恐怖による鼓動ですら甘美と思うほどの無。
化けであるがゆえに森に呼ばれる現象。
考えすらまとまらない夜の闇の吹雪。

よもや冬ごもりでここまで過酷な描写があるとは。
予想を超える表現に、全く予想も思いもしませんでした。


しかし、ここまで壮絶な絶望があるゆえに。
ほのかに垣間見える希望の暖かさが本当に美しいものでした。

極寒の吹雪から戻ってきた後に食べる、涙が出るほどの御粥の温かさ。
食べれば食べるほど、ユキカゼの目から溢れる涙が本当に純真で。

吹雪の中で入る、熱々の雪見風呂。音も無く振り続ける雪に溢れる涙。
そしてこの時の雪見風呂に入るハルカの無邪気の笑顔が本当に美しくて。

そしてこの雪こもり編をまさに表現したのが
以下の文章で大好きです。
──────────────────
この国において。
すべては冬から発していた。
家屋の普請も、人の営みも、願い、恐れ、悲しみ、嬉しさ、全ては冬より発した。
(中略)
雪中の風呂。
わずかなものを工夫する食事の楽しみも、そう。
里においては春を乞う言葉の多様さ。
来春を祝う祭りの数。
あらゆる術と。いくつもの恐怖と。
恐怖に勝る春への願いによって。どうにかこうにか、乗り切る。
這々の体で越えていく。
それがこの国の冬なのだった。
──────────────────

人には厳しすぎる冬の絶望、痛み、悲しみ。
それらがあるからこそ、春の暖かさの嬉しさを知ることが出来る。
それらがあるからこそ、その中でのほのかな希望や嬉しさを知ることができる。
正月や春を迎える嬉しさを知ることが出来る。
その営みの美しさを実際に描写したこの冬ごもり編が、とても好きでした。



〇冬ごもりの終わり~正月まで
──────────────────
ハルカ
「もうしばらく辛抱するのだ」
ユキカゼ
「しばらくすれば、何があります?」
ハルカ
「年が明けて、正月がくる」
「迎春の祝いは楽しいものだぞ。
皆で車座になってな、白い米だけの飯で、御馳走を食べてな。酒を飲んで」
──────────────────

壮絶な冬を耐え忍んだ後に迎えた描写は、待ちに待った正月への描写でした。
それは、ユキカゼにとってはとても希望に満ち溢れたもので。
また里の人間ともう一度繋がることが出来る大切な物で。
この時のユキカゼの嬉しそうな描写がまたたまらなく好きなんですよね。
特に一番好きなのが、ユキカゼが「正月までの日にちを教えるための、村人の鳴らす鐘の音」を聞く時のシーン。

──────────────────
ユキカゼ
「正月の招きに我々が遅れることがあれば、向こうが迷惑するのですから。
そういうことがないよう、真剣に聞かねばなりませんよ。
それに里の者が我々を思い、届けよと願い鳴らすものです。
そういう心を片手間に聞くものではありません」
──────────────────

いやほんと、あのユキカゼが……。
ただハルカの強さに嫉妬して挑んでいた姿から、里の人との営みを共にして、このセリフが自然と出た時にはもう感慨深くて感慨深くて。
その姿に感心するような仕草のハルカの反応まで本当に好きです。
(ただしその後、早く正月が来ないかとワクワクするユキカゼに、ハルカが叱るところまでがセットで、二人らしくて本当に好きすぎます……)
さらなるユキカゼの名シーンはこの後でした。

ただし、ここですんなり正月を里で一緒に迎えられるだろうとワクワクしたところですんなり行かないのがこのお話。
それは、雪籠りで何度も何度も二人を苦しめた、止まない猛吹雪でした。

ハルカは大人で聡明なので、この猛吹雪では無理だと決断する。
この状態で里にもし強硬で降りたりしても、《めぐり番(カサネの家)》がもてなしで大変苦労してしまう。自分達の吹雪の対策すらできず、苦しい経済状況の中、さらに自分達が苦しめてしまう。
しかし、それでも諦めては駄目だ!とするユキカゼの必死な叫びがまた名シーンでした。

──────────────────
ユキカゼ
「そうです。生きる喜びの心というものがあるのですよ。
それは、やっぱり、何にも増して大切な物ですよ。
どうしたって、願うものです。たとえ愚かであっても、やっぱり願うものです……!」
(中略)
ユキカゼ
「確かに。確かに私の心は愚かな我が儘でしょう。
楽しみを取り上げられたくないという、稚拙な、そればかりかもしれません。
ですがね、それだって、やはり、心ですよ!
御仁の立派な知恵や利口さに、さっさと取り上げられていいものではないはずです!
だって、私は、その心で生きてきたのですから。
楽しみたいという心でここまで来たのです。
それを取り上げられたら、とても生きてやいけませんよ。」
ユキカゼ
「死んでしまいます、喜びがなければっ……!」
──────────────────
──────────────────
ユキカゼ
「それにこの情というのは……つまり心は、愚かですけれど、本物ですよ」
「里の者も、恐らく私も、御仁から見れば愚かでしょう」
「しかしですね、大切なのは愚かしさですよ」
「情であったり、心であったり、そういうものが本物なのです」
「賢さや利口は、つまるところ、道具で、心を叶えるためのものでしかありません」
「だってそうでしょう?
それを叶えたくて、叶えば嬉しくて、我々は生きているのですから」
「自分だけ賢いつもりでいてはいけません。
あんまり賢さが過ぎると、御自身の心というものが割をくって、損がありますよ」
──────────────────


それは、あの壮絶な冬ごもりという厳しさの中で、何度も実感した喜びや嬉しさを涙を溢れさせながら体験したユキカゼだからこそだと思ってしまいます。
ハルカほど達観していない、純真で素直なユキカゼだからこそ出た言葉。
だからこそハルカの胸に響いただろう、むしろ一本取られたようなこのシーンがとても好きです。
達観したようで幼子の姿を見せるハルカと、純真で素直だからこそ憎めないユキカゼの二人の関係性だからこその掛け合いで、だからこそとてもお似合いだと改めて思います。
この言葉を後にハルカが気に入って、まるで自分の言葉で言うようになる所までセットですごい好きです。

そしてとうとう辿り着く、正月の里の人々の暖かな出迎え。
正月の宴。振る舞われる甘酒。箱膳の御馳走。
甘塩の鮭のほぐし。ニシンの昆布巻き。
童たちが迎えるカマクラの灯の暖かさ。
もう本当にここの宴の美味しそうなこと。
童たちの嬉しそうな姿が本当に可愛い事。

こういう祭りの描写本当に上手ですよね……。
キリンの国でもあった、労働の後の喜びの宴、働く女性達の宴の姿が本当に綺麗でかっこよかったけれど。
今作の冬の厳しさの間でほのかに迎える喜び、嬉しさの姿がもう本当に美しくて。綺麗でした。
特にカマクラで童たちが寄ってたかってハルカやユキカゼにもたれかかる絵が本当に微笑ましくて可愛くて。一番大好きな姿です。

そして正月が終わりまた戻る雪籠り。
この楽しかった時間から、またあの空間に戻らなければならない鬱屈さ。
それでも、ハルカを一人にはしておけないと、ハルカと一緒に戻ろうとするユキカゼの姿がもうすごい好きです。
その後の別れ。寂しげに手を振る梅の姿だったりね……ほんとね……可愛くて。可愛くて……。



〇カサネのお話(いとなみ)
ユキカゼが、この冬の厳しさに身体も心も慣れて来て。
辛い時の過ごし方も覚えて。
もはや剣を握るよりも里とこの冬と向き合う自分に自分らしさを覚えたところで迎えるお話。
それは、里で60歳を迎えるカサネとの物語でした。

まずこのお話の感想を書く前に、この里での風習を整理すると、
この里では、60歳より上の年齢で生きることはないと表現されました。
ようするに、昔の伝承でいう姨捨山のような習わしがあったのだと思います。
山奥の里、経済状況も芳しくなく、60歳も迎えれば働くこともできず喰らうだけの存在になってしまう。それは、里にとってより経済を困窮させるだけの存在になってしまう。
だから60歳を迎えたら、山奥にハルカに連れて行ってもらい、特別な薬を飲み、死ぬかつその後山の狼たちの食料となる。
それは、山の狼たちが次の春を迎えるための生きる糧となる。
この循環が、里の習わしでした。

書いていて思ったのが、一辺すれば残虐性とも捉えかねないこの風習を、ここまで綺麗に描き切ったのが素直にすごいと思います。
それも、この国シリーズでのハルカの存在、ハルカを信奉する里の人々とハルカとの関係性を丁寧に描き切ったからこそ、丁寧に包んだからこその描写で描き切るのがとても丁寧だと思いました。

物語の感想に戻りますが。
ここからは三度泣かされました。
一度目は、カサネとの別れのシーンの梅の姿。
二度目は、カサネが幼子の記憶を思い出す、ソリの姿。
三度めは、里と別れを告げる時の梅の姿。

一度目だけでも結構来たのに、何度も丁寧に描く、家族と幼子の描写に本当に弱い……。急所なんですよ……。涙腺ゆるゆるほろっほろでございました。

一度目のカサネと梅の別れ。
カサネは、梅に悲しい思いをさせないようにと、これからの別れを告げずに、ハルカと立ち去ろうとする。
──────────────────
カサネ
「梅っ子」
「おっぎぐなれ」
──────────────────
それでも、ハルカに背負われたカサネからの言葉に、全てを察した梅の姿が。
幼いながらに駆けだそうとして大人につかまってしまう姿が。
──────────────────

「やんだああああ!」
「やんだあああああああああ!」
──────────────────
それでも泣き叫ぶその童の姿が。
純真なその姿が本当に心が絞られるようで辛かったです。
梅のことが可愛くて仕方なかったから、余計にでした。

二度目は、カサネとのソリ。
里を離れ、カサネとユキカゼ、ハルカと過ごす生活は、カサネにとって『里で築いた人間関係や生き方』等の縛りから解放される自由な時間でした。
そこで語られる、ハルカとの最初の出会い。
ハルカにとっては、里の人間と初めて出会ったのがこのカサネでした。
そして次に語られるのは、『カサネが好きだったのがソリ遊び』だったということ。
最初にハルカに問われていた時は、カサネ本人すらソリが好きだったことを忘れていたのに、徐々に幼い頃の記憶を思い出していく。ここのカサネが徐々に原風景を思い出していくような描写がまた良いんですよね。
さらにその次にはハルカの提案で実際にソリで遊ぶ展開なんですけども、もうここからが本当に卑怯でした。

ソリに乗ったユキカゼとカサネの二人を楽しませようと、幼子のように力任せにソリを引くハルカ。
それを乱暴だ!と叫ぶユキカゼ。
そして案の定吹っ飛ぶソリの二人。
(何気にここで、二人を助けるため神通力をハルカ使ってましたね)
拗ねたように反省するハルカと、𠮟りつけるユキカゼ。
カサネ「あははははは」
この二人の姿に笑い転がるカサネの姿がもう。本当に。好きでした。

里では子を育て必死に生きてきたカサネ。
幼い頃の記憶を時にはしまい、あの頃のように楽しみたいと思っても、その後は激動のような人生で思い返すこともなかったこの想い。
カサネの印象は何度も「おもさげね」と呟く印象しかなかった。
その彼女が、幼い頃の原風景を、ハルカ、ユキカゼと一緒にソリで楽しむことでもう一度思い返すことができるこの出来事からの笑顔がもう何よりも綺麗で。
その後の、まるで童の頃にもどったようなカサネの姿の表現がもう卑怯すぎました。
童の姿に戻った描写で、ユキカゼとカサネがソリの縄を掴んで、何度もソリを楽しむ姿が卑怯すぎました。
──────────────────
カサネ
「しかし、こんたらことでいいのだろうか。
こんたら、わらすのようなごとして楽しんでいて。
オラ、もう、死んずまうづのに」
ハルカ
「最後くらい、自由なココロで思いだしてやればいい。
忘れたまま終えるのでは、幼き頃があまりに不憫だろう」
──────────────────

最後だからこそ、幼い頃の記憶からこの国で過ごしてきた原風景を思い返すような丁寧で暖かい描写が、何よりも心を打たれて仕方ありませんでした。
そして、それは、カサネの終わりゆく心をゆっくりと砕いていた暖かさでもありました。

それでも、迎えるカサネの最期の描写は心に来るものがありました。
最後に梅に謝る姿。それでも幸福だったとする姿。
童の姿に戻り、ハルカに泣きじゃくる姿。
ハルカに、最後まで見ていてほしいと願う姿。
そしてハルカの腕の中で眠る姿。

何よりもその後のハルカの仕草が印象的です。
カサネを置いてきた後の帰りでした。
ぎゅっと目をつむり、頬に手を当てる仕草。
それでも出てこない涙。
ユキカゼによって、化けは涙が流せるのだと知って安心したけれど。
それでも流れないハルカの涙。
そしてこの地に居残り続けるハルカ。
その隣にい続ける、涙を流すユキカゼの姿。

ハルカにとってカサネは初めての里の人間で、彼女がいなくなっても、ハルカはユキカゼと二人共に過ごしていくお似合いの二人なんだと分かるようなこの描写もとても感慨深いです。

三度目は最後の最後、里とのハルカ、ユキカゼの別れでした。
それは冬が終わり、春を迎えようとする間際のお話。
その時のユキカゼから梅に言い聞かせる言葉がもう本当に心が絞られました。
──────────────────
ユキカゼ
「梅。
悲しさはな、やはり、人の世の常であるから、仕方ないようだが。
美しいものが、あるから。
そういうものは、やはり、いいものだぞ!
ああ良かったと、本当の嬉しさがあるものだ……!
私はお前達に、そういものを、見せてもらった。
美しい国を、見せてもらったんだ
お前達に、助けられたんだっ」
「美しさはな、悲しさに負けることがない。
美しければ、嬉しさもあってな。
喜びの心を、どこまでもどこまでも明るくしてくれるものだから。
お前も、そいうものを、探していけっ。
あるぞ、この国には。お前のこれからにも、きっとあるっ。
涙のでるような美しいものが、きっといくつも、いくつも……!」
──────────────────

何度も思います。
ユキカゼが、この国で、厳しい冬を通じて、それでもほのかに見える暖かさ、嬉しさを何度も経験したから。
厳しい冬の中でも、迎える春・正月の宴の姿を見て、たくましく希望を胸に生きる里の人々を見てきたから。
その姿から、例えどれだけ悲しみが苦しみがあっても、嬉しさがあればこそ人は生きていける美しさがあるのだと、何度も教えてくれたからこその言葉が、ユキカゼから自然と出てくるのだと。この姿が本当に美しかった。
綺麗だった。

そして最後、里と別れた後に歩み出す二人の後ろ姿が本当にワクワクさせてくれます。ユキカゼもハルカも、どちらも里に金銭等全部あげちゃって、素寒貧。この先どうやって過ごすのかと、互いに罵り合う姿がもう愛らしくて、仕方ない。
この先も二人は互いを補いながらも、関係性を深めながら旅をしてくのだと思うこの最後がたまらなく好きです。



〇まとめみたいな最後
雪子の国では、現代を舞台にした物語でした。
そこでは、四季を通じた過去から現在、未来を通して、『過去は弔う』ものであり、『未来は選び切り捨てる』もので、切り捨て失う悲しみ以上に綺麗な嬉しさ、美しさがあるのだと。
作品を通じて『幸せに生きたい』とするその姿が最初から最後まで描かれた傑作でした。

かえって、今作、ハルカの国~明治越冬編~では、過去を舞台にしながらも、また違った国の美しさを描いてくれました。
『あったかもしれない日本の原風景』の描写は美しく、そこで描かれる冬の厳しさはあまりに過酷。残酷。悲しく。辛い。
ただそれでも、その中でほのかに宿る暖かさや嬉しさを糧に人は生きる事が出来るのだと。その『喜び』という純粋な心の姿が、この国で生きる人の心の美しさであると、教えてくれたのが、私にとっての今作品でした。

作品への描かれ方は、キリンの国に近いと思います。
あの祭りや宴の原風景の美しさ、知らない景色のはずなのに、ただそれでもどこか日本人だからこそ共感してしまうような美しさがそこにはありました。

ただ、作品に込められた想いは、むしろ雪子の国を共感させるものでした。
どれだけ、時の移り変わりに悲しみがあっても、過去に囚われるのではなく、ただその先にはきっと嬉しさもあるのだと今を幸せに生きたいと願った雪子の国。
どれだけ、悲しく辛い過酷な環境でも、それでも、きっとその中で輝くほのかな暖かさや嬉しさがあるとしたハルカの国~明治越冬編~。

その二つそれぞれで表した、国シリーズで描かれる美しさの余韻がたまらなく面白かったです。

ここから先、『愛宕のハルカ』と呼ばれるようになるまで、どのような物語があったのか。官から呼ばれたハルカはユキカゼと共にどのような姿を見せるのか。
どのような物語が語られていくのか。
まだこの先の続編が楽しみで仕方ありません。
以上です。
ありがとうございました。