ErogameScape -エロゲー批評空間-

merunoniaさんの終末の過ごし方 DVDの長文感想

ユーザー
merunonia
ゲーム
終末の過ごし方 DVD
ブランド
アボガドパワーズ
得点
87
参照数
446

一言コメント

物語の彼らにとって、終末を迎える世界は、いつも過ごす『日常』の残滓でしかなく、同時に彼らにとっては週末であり、だからこそ世界が終わる中でも彼らは当たり前のように過ごしていく そんな彼らの空気と時間と最期の終末を緩やかに浸れる、そんな雰囲気ゲーでした。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

――次の週末に人類は滅亡だ。

ブランド『アボガドパワーズ』より1999年4月に発売された
『終末の過ごし方』

前半にネタバレなし概要
後半にネタバレあり感想

下記 公式サイト、作中より引用(一部省略)あらすじ

>>>>>>>
――次の週末に人類は滅亡だ。
国家非常事態宣言が発令されてから7週間が過ぎた。
交通機関はほとんどが死んだ。
飛行機も電車も、新幹線も、一部の例外を除いてすべてがその機能を停止した。
各都市部で暴動。海外の状況は航空機、船舶、電話回線が途絶で直接の対話不能。──終末宣言がされた世界──

残された一週間

こうして学校に集まっているのは 
生徒や教師達 侵入者
生き方、もしくは死に方が不器用な人間ばかりなのだ

そうでなければわざわざこんなつまらない日常に戻ってくる必要がない
家族や恋人や…孤独ではない死を選べばいい
もう少し有意に感じられる…終末を選べばいいのだ

それができないからこそ、少しでも孤独を忘れられるかもしれない『学校』
というかつての日常にしがみついているのだ
>>>>>>>


この物語は、終末が確定された世界、残り一週間を過ごす、学生、養護教諭、侵入者、
男女三組が織り成す小さな物語。

終末が確定されているからといって、その運命ために動く物語ではありません。
その運命に立ち向かう物語でもない。世界の謎に迫る物語でもない。
ループものでもなく、残り少ない時間の中で何か偉大なことを成し遂げる物語でもない。
その世界に絶望することはなく、希望を抱いて生きるのではなく、
ただその先も続きそうだという思いを抱きつつ、世界が死ぬ実感を得られることもなく
彼らの中の日常を過ごす。

ただそこにあるのは、非日常のなかにある、彼らの日常。

学校に出席し、授業を受ける香織。
日常の日課のように、図書館で本を読む緑。
屋上で空を眺めるいろはと歌奈。
部活で過ごすように、グランドを走り続ける千絵子。
食パンを買い求める重久。
保健室を根城に開業医を続ける養護教諭の留希に助手の多弘
そして、内部の孤独を求め学校へ登校する知裕。

ただそこにあるのは、終末の過ごし方。
彼らにとって
『目の前の危機から目をそらし、かつての日常にしがみつく』(公式サイトより引用)
逃避なのかもしれない。

そんな彼らが終末に何を思い、二人でどう過ごしていくのか。
静かに死ぬ世界で迎える小さな物語を、ただひっそりと見守る物語です。
淡い水彩画風景に、郷愁を漂わせるBGM、そして口数少なくただ彼らの胸中を言葉にしていく会話は、どこか緩やかに終末に向かいながらも、儚さが染み渡るものでした。

はっきり言えば、それ以上の感動もそれ以上の感銘もなく、ただ余韻と寂寥感が残るだけ。
しかしだからこそ得られる余韻がそこにあり、雰囲気に浸れる、まさしく雰囲気ゲーであったと思います。

ただただその世界を過ごしていく彼ら彼女らの姿が、なぜか不思議と心地よい。
言葉にうまく表すことができないが、そのような染み渡るエロゲです。

>>>>>>>>>>>>>
知裕「――ねぇシゲさん」
重久「ん?」
知裕が慎重に言った。
知裕「確実に死ぬって判っていながらそれに対して何もしないのは…自殺になると思う?」
重久が、機関銃のように正確にパンを放り込んでいた手を止めた。
眩しそうに目を細め、知裕を見つめる。
重久「今の…オレたちか?」
(公式サイトより引用)
>>>>>>>>>>>>

今ならDLで2000円ほどでプレイ可能な今作品。いかがでしょうか。
気になった方は、軍魔氏が作成されたMADもあるため、こちらも見てみるかもいいかもしれません。
(MADほどこう印象は違うのだけど、一度もしよろしければ)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm32433557

ありがとうございました。











以下ネタバレあり 記憶の備忘録のために引用、所感を残したい。
ほとんど引用です。


 ○終末と週末
 この物語は上記でも語ったが、物語の主人公が如く、英雄がごとく、何かを成し遂げる物語ではなかった。ただ、そこにあるが如く、まるで週末のように過ごす彼らの姿が印象的であった。
 
 もし「一ヶ月後に世界が滅びます」と宣言されたら、どのようになるだろうか。
 作中の世界では、暴動が起き、パニック状態になる世界がラジオから描かれていた。
 呆然とし、認められず、今しかできないことをしようと躍起になる人も多く現れると思う。
 
 同時に、滅びるという実情が自分に関係してこない(生活に強く影響を与えない)のならば、それはまるで他人事のように思えてしまうのではないか。
 少し現実世界の話をするならば、例えば、2018年現在、日本の空の上ではミサイルが通過していたりする。もしかしたら、日本が滅びる、大打撃を受ける未来だってありえるのかもしれない。
 しかし、そのような実際に起こった現実でさえ、どこか他人事で、外の世界のような話に思えてしまう。実際に思ってしまっている。
 物語中の彼らにとっても、この終末宣言は同じだったのではないかと思う。
 
 『全然平和に見えるのにね』(香織)
 『このまま週があければいいのにな』(知裕)

 終末の日のテキストより以下引用。長文です。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
終末の過ごし方
──オレたちは…いつも泣いていたんだと思う。
生まれたその瞬間から…生きているこの瞬間も…
そして死んで、ここではない暗い何処かへ落ちてゆく時も、
オレたちは泣いているんだと思う。

血の涙を流していたんだと思う。
生きる意味と、死ぬ意味の両者に大きな差異の無いことに気がついたから。

オレ達の上に降りてくる終焉は、果たして罪深いのか、慈悲深いのか。
…それとも深くさえなく浅いのか。

幸せは、心の中にある。
誰かがそう言った。
犬には犬の、豚には豚の真実がある。
誰かがそう言った。
人生に意味を見出す事は、その人にとってとても幸せな事だと思う。
それがたとえビックリするほど脆いものであっても、
オレたちはそれを守っていきてきたし、時にはそれを守って死んできたのだから。

『わかっている事』は『わかってない事』とかわらないんだ。
少しだけ、分かる気がする。
昔『ゾンビ』という映画を見た。
ある時、突然死者たちが蘇り生者を襲い始める。
そんな大昔のホラー映画。
その映画のなかで、ゾンビたちは巨大なデパートを徘徊し続けるのだ。

生きていた頃の幽かな記憶故。
生きていた時の生活習慣故、死者たちはデパートを目指す。
そこに、日常があったから。

オレ達はその死者だったのだと、思う。
かつて、ヒトは死を忌みそれを回避すべく、再生の墓陵をつくったという。
ピラミッド。
かつて、ヒトはより高きを目指し頂上を極めんと高い高い建物をつくったという。
バベルの塔。

そして──
それらを造る力も無いオレ達は、こうして細々としたかつての『日常』の残滓
によるしかないのだ。

ヒトの『技術』はとても進歩してきたけれど──
心は変らない。
わかっているようで…オレ達は自分たちについてあまりに何も知らない。

──今日、人類は滅亡する。
正確な時間は、わからない。
ただ、今日という日が落ちる前にそれは来ると聞いている。

やはり、まだ本当の意味での実感は無い。
その前に、このとりとめのない小さな物語は幕を閉じようと思う。
真実がもっとも苛烈である。
誰かが言っていた。

これから、オレ達はその苛烈さを味わうことになるだろう。

でも──二人だから、何とかなるとおもう。

ごきげんよう、さようなら。

──良い終末を。

>>>>>>>>>>>>>

このフレーズには、この作品の全てが込められていると思う。
彼ら彼女らの人にとって、
世界が死ぬという事実は、『わかっている事』のようで『わからない事』と同じで。
ただ目の前にある事実があるだけで、本当に事象に対する自分自身の感情を理解できず。
世界に大きな『何か』を残せない彼ら彼女らは、
かつて過ごしてきた『日常の残滓』によることしかできず。
同時に、その非日常で過ごす『日常』の中で、世界が終わる1週間前に恋をする。

それはまるで、日常の『週末』を過ごすが如く。
そして彼ら彼女たちは当たり前のように過ごし、終末を迎える。

この世界に希望を抱いて欲しい、人間の素晴らしさを説く、というお話ではない。
生きていくって素晴らしいことだという話でもない。
もちろん最期の1週間だからこそ、後悔のしない選択をした話の部分もあったが。
それは大きなことではなく、全てただ目の前の明日を過ごすように彼らは生きていた。
まるで、週明けがまた待っているように。

誰もが等しく終末を迎える世界、なぜかリアルに感じてしまうこの世界観に思えるのは私だけだろうか。
泣き叫ぶこともできず、ただ日常にしがみつき、ただし同時にしがみつくという思考で行動しているのではない。
そうせざるを得ない、そうするしかない、そういった意識を持っているわけではなく、無意識に過ごしていく彼ら彼女ら。
ただそこに悲観しているわけでも希望を抱いているわけでもない。
それが、彼らの終末の過ごし方だったのだと思う。

だからこそ、彼らにはより近い何かを感じ、なぜか彼ら彼女らの姿を見ていて心地よい。
それが彼らの終末の過ごし方であり、共感してしまう雰囲気部分の根源だったのだと思う。

>>>>>>>>
知裕「確実に死ぬって判っていながらそれに対して何もしないのは…自殺になると
思う?」


 ○重久「…逃げちまえば自殺さ。終末を『救い』だと思っちまえば、それは自殺と
変わらない。お前は…逃げてるワケじゃないだろ?」
人間は死に救いを見出すと、もっともっと深い穴を掘る
耐えられるだけ。わかっているってのは気休めにしかならない
わかっている事はわかってない事とかわらないんだ

死は待ってりゃ向こうから勝手にくるが、生きるにゃこっちが向かっていくしかない
だったら生きれるだけ生きたほうが得だろ?
>>>>>>>>>>


以下各登場人物の所感 ほとんど引用です。


○千絵子&重久
部活陸上娘&中年食パンコンビ

>>>>>>
無心に走ることで……考える事から逃げてる。
自分の中に穴を掘って、その中から逃げてる。

私に出来ることは他にはないの。 
…私には、陸上しかないの…。
 
走って、走って、走る。
楽しいことなんて何も無い。
痛くて、辛くて、苦しくて…
でも、走らずにはいられないの。
それが、私にできる唯一の事だから(千絵子)
長年で染み付いた強迫観念
姉のおさがり
親までもが 全てが姉に劣る
(家を継ぐ長女を産んだことで役目を終えた母親から愛情を得ることはなかった)
自分には何も無いという思考を基本に、全てに期待しない生き方
(中略)
優しい声。最初は大嫌いだった筈の声。
だがその声が…認めてくれた。
自分を…自分の価値を認めてくれた。
だから…走った。

髪を軽く切り、トレードマークだった髪しばりを外した彼女の姿がいた。
パン、焼いてきたよ…。
>>>>>>>

千絵子にとって、陸上の走ることだけが、彼女が認められた唯一の存在意義であり。
だから、彼女は終末の世界でも走り続ける、それが彼女の全てだから。
同時に認めてくれたかつての過去の存在は……実は重久だったというのはご都合主義でしょうか。
ただ、その終末の世界で認めてくれる存在にであった彼女は、二人は
きっと孤独ではない良い終末を過ごしたのだと思う。

○多弘&留希
学生&養護教諭 コンビ
多弘にとって、この終末という日常は
『死の前に誰もが平等』であり、そのおかげでカップルになれた二人。
なので、ある意味日常を過ごす2組とは少し違ったと思う。


 『オレ、センセーの事、真剣に好きです』
 『残り、キミと過ごしてみるのも悪くないと思うから』

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
自分はこの少年を利用しているだけではないのか。
寂しさを…淋しさを…サビシサを、自分と比べれば
まだ若い少年の温もりでごまかしているだけではないのだろうか?
…多分、それは当たっている。
だが、その一方でこんな状況にある自分に驚いている留希もいた。

そう、世界は恐らく明日に終わる。
自分の陳腐な失恋の痛手など、人類と共に消し飛ぶだけだ。
ならば…。
最終ラウンド、ジャブやフックばかりだった恋愛に、
一発ストレートをぶち込んでみるのは有効なのかもしれない。
別れた男よりも、自分の胸を痛ませるこの少年───
いや、男に。

「せっかくの週末、楽しみましょ?」
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

最後の最後で、二人も、良い終末を過ごせたのではないでしょうか。


○香織ルート
主人公の元カノ、自然消滅。
孤独とは無縁のはずの彼女が、まるで日常のように教室で授業を受ける。
『他には居場所がないから』
彼女は真面目ヒロインでした。

>>>>>>>>>>>
私……?
私はここにしか居場所がないから…。
多分、幸せじゃないのかな…
みんな私の事を真面目だっていうけど、私は真面目なんかじゃないわ。
他にどうしていいかわからないだけ。
自虐的に笑う
 ──最後には、自分がいい子じゃなきゃ落ち着かない…。
そんなつまらない人間になってたの
だから多分、自分が真面目だって確認をするためだけに、学校には来てるの。
ロボットと変らない。こんなの…幸せなんかじゃない…
>>>>>>>>>>>

>>>>>>>>>>>
いつも、なにかに怯えてる。
でも何に怯えてるのかは、自分でもわかってない
怯える事に慣れすぎてて、そうじゃない状態が自分で信じられない。
自分が誰かを好きになったり、自分が誰かに好かれたり、そんな状態が信じられない。
私と同じ。

お互いを気づかいすぎた。
もしくは、自分が傷つきたくない一心で臆病にすぎた パーソナルスペース。
お互いを傷つけあわずに済む、人が他人と接するための限界の接近半径
>>>>>>>>>>>


>>>>>>>>
いつから諦めることに慣れたんだろう。
諦めさえしなければ、何処へだってこの脚で行ける。

これから死ぬ人間、これから死ぬ世界、これから来る終末。
まだ諦めないのか?
まだ疾走れるのか?
まだ…生きるのか?
 
本日ただ今この瞬間から歩けなくなってもオレは困らない。
困るのは…それでオレが香織に追いつけなくなること。
4年前に言うべきだった言葉を、伝えられなくなること。
…それさえ伝えられれば、後はどうでも構わない。
>>>>>>>>

>>>>>>>>
過去を仮定で話しても無駄な事はわかっている。
重要なのはこれから、だ。
たとえ先の無い未来でも…過去よりは。
言えなければ変われない。
例えそれが…明日滅びる世界でも。
変わるんだ。──死ぬ為に…。

「──週末さぁ…空いてる?」
>>>>>>>>

良い終末を二人ですごすために。
気持ちよく死ぬために。
彼女のルートの週末の過ごし方は、かつての過去をやりなおす、勇気の一歩でした。


○緑ルート
幼馴染ルート。
彼女にとっての日常を本を読むこと。

 >>>>>>>>>>>>
 ──苦しい事は知らなくてもいい。
終末に直面したとき、緑が選択した生き方がそれだった。
適当に好きなことをして過ごす。
恵まれすぎなくていい。
今まで平穏な生活+終末が気をそらしてくれる適度な書物
自分に最期まで嘘をつこうと決めた。
>>>>>>>>>>>>>

『ウソだって突き通せば、最期には真実になるでしょ』

彼女にとってのウソは、自分に対してのウソをついたまま過ごすことでした。
それは、知裕のことが本当は好きであり、そして読書が好きな理由は、かつて幼馴染で知裕と一緒にいたかったから。という事へのウソ。

>>>>>>>>
 ──考えたの。私。
最期の日まで、あと二日しかない…
だからちゃんと、素直にならなきゃ絶対後悔するって──

『二日間だけ……ちひろを頂戴……』

彼女のお話が一番純愛だと思った。
主人公が眠る図書館に、そっとキスをする緑さんの姿が儚くて。
一番切ない終末の過ごし方だった。でも最後の二日間で叶って良かったと思う。

 ○いろはルート
 屋上の女の子。心臓が悪い、ペースメーカーのヒロイン。
 世界がもうじき終わるので、心臓が悪くてもデメリットがない。
 セックスもできてしまう。
 彼女にとって終末は、心臓病を患う日常と同じもの。
 
>>>>>>>>>>>>>>>>
運動もダメ、寝不足もダメ、オナカを空かしてもダメ。
感情を高ぶらせることもダメ。
 ──まるで呼吸してる人形。

ただ、何が生きているって事なのか判らなくなったの
何もしなければ死ぬはずだった自分を、医学が生きながらえさせてくれた。
でも…最後にヒトは死ぬの。

じゃあなぜ皆は笑ってられるの?なぜ泣いたりできるの?
なぜ怒ったり悲しんだりできるのかな?
みんな、最後に死んじゃえば一緒なのに。
>>>>>>>>>>>>>>

>>>>>>>>>>>>>
でも、生きてる時は…一緒じゃないだろ?
陳腐なセリフだけど…結果じゃなくて、過程が大事なんだと思う。
結果は他人に見せる為のもので…過程は自分が確認する為のものだから(知裕)

過程…。でも過程がどうあれ最後は…(いろは)

でも大村には大村にしかできない『大村いろは』の人生があるだろ?
だったら『大村いろは』にしか出来ない死に方だってあるさ(知裕)

結果は一つだけど…方法はいくつもある・・・?(いろは)

さっきいっただろ?
なぜ皆は笑ってられるの?なぜ泣いたりできるの?
なぜ怒ったり悲しんだりできるの?と
それが答えだと思うよ。道は一本じゃないから迷うんだ。
でもゴールがあるから…泣いたり怒ったりしながら歩くんだ。(知裕)

大概は一人で。幸せな人なら…複数で。(いろは)

『じゃあ…耕野君は…歩いてくれる?…私と。』

>>>>>>>>>>>
『私が…君を守ってあげる。
 この残酷な世界の全てから、君の事を守るの。
 
 わたしがこの世界でする──最期の約束』
>>>>>>>>>>>

彼女ルートの終わり方が一番大好きです。ある意味一番生きる、死ぬための過程のお話だったと思います。
>>>>>>>>>>
ねぇ耕野君
んー?
もし、世界が終わらなかったら
んー
一緒にラーメン食べに行かん?
んー。オレ、そば
 ──うん
>>>>>>>>>>

彼らの中では週明けもきっとあるかのような会話がたまらなく好き。

○歌奈 
元気っ子。突撃娘。かわいい。
まるで日常のように笑顔で過ごす女の子。 
ある意味、終末という世界観の中で、一番共感した女の子。
  

>>>>>>>>>>
本当はね、怖くてたまらないんです。
歌奈の好きな公園もケーキ屋さんも、お隣のポチくんも太郎ちゃんも。
おかあさんもおとうさんも、田舎のおじいちゃんもおばあちゃんも、
学校のみんなもいろはセンパイも…ちひろセンパイも…

屋上からは、いつもと同じ──終末が迫る以前と変わらぬ様な──風景が見える。
それらをバックに、彼女はいつもより小さく見える肩を震わせた。

 ──全部、なくなっちゃうんだ。
全部、消えちゃうんだって。
そう思うとどうしよう、どうしよう、どうしよう…
って同じこと、ぐるぐるぐるぐる…

でも。
怖くて、悲しくって、泣きたいのは歌奈だけじゃないんだって。
いろはセンパイも、ちひろセンパイも、
やっぱり泣きたいんだって、そう思うんです。

センパイも、世界中のみんなも…

 ──最後に泣いたのはいつの事だっただろう。
知裕はそんなことを考えながら、歌奈の言葉を聞いていた。


怖いよ。自分でもビックリするくらい。
俺も…毎日考える。全部ゼロになるんだって。
でもわからないんだ。答えが出ない。
なんで怖いのか。なんで悲しいのかさえ…(知裕)


歌奈もわからないです。
だけど…

怖いです…。
どうしよう、どうしよう、どうしよう…。
大好きな人も、物も、みんな、みんな無くなっちゃう…
歌奈…みんなが大好きです。
先輩も…。なのに。

俺も…怖いよ…



時々…疑問に思うよ。
感覚が麻痺してて実感がわかないんだ。
例えば歌奈ちゃんとだって…もうすぐお別れなのに
まだ逢えるような気もする。怖いけど…怖くない気もする(知裕)

でも…わからなくて当たり前だと思うです。
死にたくない。だから死ぬのは怖くて悲しい。
歌奈はばかだからそれでいいんだと思うんです。

大事なのは、何故死ぬかじゃなくって…どう死ぬかってことか(知裕)

彼女が泣いていたのは…自分が死ぬことにではなかった。
自分の…大好きなものが消えていく恐怖に怯えていただけだ。
彼女は強かった。

二人で星を見よう。
>>>>>>>>>>


終末への実感がわかない彼らの恐怖と、結末が一番現れてたルートだったと思う。
一番笑顔の彼女だからこそのお話だったと思う。
だからこそ笑顔で過ごす、彼女たちの終末はきっと日常と違ってて同じだったと思う。


 ○選ばれなかったヒロインの終末の過ごし方
 ノベルゲー、エロゲにおいて、主人公が選ばなかったヒロインの顛末を考えるのはタブーかもしれない。
 しかし、今作品においては、最後の終末の日に選ばれなかったヒロインのCGが用意されており、それぞれが流れた上で最後に選ばれたヒロインのCGとともに、終末の日を過ごす。

 そこで少し考えたのは、
 『選ばれなかったヒロインは終末を日常のように過ごすのか』
 答えは 過ごすのだと思う。

香織は当たり前のように言葉を交わることもなく授業に出て。
緑は当たり前のように図書館で本を読み続けながら、自分にウソをつき続け。
いろはは、自分の胸に当て、生きることについて考え続け。
歌奈はベッドの上で怖さに苛まれる。

彼らにとってはそれが非日常の上の日常であり、そしてどうすることもできず、学校へと登校する。
ただし、セリフを引用するならば、
『でも──二人ならなんとかなると思う』
主人公と恋人同士になることは、彼ら彼女らにとって死に方を変えるお話だったのだと思います。
だから同時に選ばれなかったことを考えると、無抵抗に過ごすしかなく、残酷だと思う。
そんなこと考えたらキリがないとも思う。

でもだからこそ、少し素敵なお話で、儚くて、私はこの作品が大好きです。

ごきげんよう、さようなら。
 ──良い終末を。

ありがとうございました。