①周防聖を本当に捨てたのは誰だったのか。 ②某ヒロインとEND2の関連性について。
vita版購入記念ということでまずはこちらの長文感想から。
今作のレビューは大体が
・桜井たくみのキャラ付けについて
・ありすショック
・END2の解釈
この辺に集中しておられるので、私はちょっとその辺とはズレたところを中心に語っていきたいなと思います。
あ、いややっぱりEND2の話もしたい。最後にしよう。その方がスムーズにvita版の感想へと話を繋げられそうな気がする。
ただそうなると自然と桜井たくみというかジャバウォック王の思考回路についても触れざるを得なくなるという。
結局似たり寄ったりか…。
さて、今作で私が一番気に入ったヒロインは崑崙ちゃんなのですが、私が彼女について語れることというのはそう多くありません。
だってあざとさの塊なんですよ彼女。存在自体が卑怯なんですよ。クールビューティを何処まで弄り倒せるかという実験の犠牲者みたいな感じなんですよ。
彼女の魅力について語るのは自身をクリムゾンのヒロインに堕とすのと同義です。悔しいけど感じちゃった話なんてしたくありません。ビクンビクン。
なのでひねくれ者の私はあえて皆が口を揃えてクソだクソだと語っているルートの話をします。
周防聖ルートの話をします。
聖ルート、まあ間違いなく新島さん以外のライターが手掛けた内容なのでしょう。
たくみ君(このルートの彼にジャバウォック成分は殆ど残っていないのでそう呼びます)のキャラが違い過ぎるため一目瞭然なのですが、
ただでさえその人物像が賛否両論(大分否寄り)な主人公ですし、キャラ変の方向性によってはむしろ賞賛もあり得たのではないでしょうか。
あれほど一部の人からキモいキモいと叩かれまくっているジャバウォック王よりも、
そこら辺に転がっている無個性主人公の一人と化した桜井たくみ君の方こそ批判されるという現象はちょっと面白いものがありますね。
前者を叩いている層と後者を叩いている層はまた別なのかもしれませんが。こうして今の良い子ちゃん主人公量産体制に繋がっていくんだなあ…。
閑話休題。
本当に別人になってしまったのは聖ちゃんの方なんです。前回レビューした移植版プリンセスラバーの綾乃ちゃんの真逆みたいな感じになってます。
上っ面の個性だけ残して中身がそっくり別人になったパターン。ただでさえ幼稚になったたくみ君が更に下に見るような精神性へと落ちた結果、
聖ルートの主人公とヒロインは中学生と小学生、いや下手をすれば幼稚園児になりました。
すぐに怒鳴って手出すのやめてくれないかなあこのルートのたくみ君。!使い過ぎでうるさいんですよね。読んでて疲れます。
で、そんなたくみ君から何度もどやされるような人間なのだから、必然的に聖ちゃんという娘もしょうもない娘になります。
そもそも、ジャバウォック王と周防聖の恋愛というのはどう考えても
臭い臭い言って拒絶し続ける聖に王がいつもの調子で粉かけ続けて無理矢理落とす以外にないでしょうに、
その片割れの王が受け身ヘタレ系どもりクソ野郎と化した時点で聖の方も破綻させないとシナリオ作れない訳です。聖の方から歩み寄ることを強いられた訳です。
その結果が『いい匂い』と化したたくみ君なのでしょう。王が臭い息吐きかけて聖がひえーと苦しんでいたあの感じ、
あれの延長こそが聖ルートに求められていた内容の筈なのですが、それが描かれることはついぞありませんでした。残念無念。
そんなわけで恋愛面は完全な期待外れに終わった聖ルートですが、ではシナリオの方はどうだったのか。
実は捨て子だったことが発覚する聖ちゃん。ゴミ溜めに埋もれていたのが原初の記憶で、
そこから施設に拾われ親の迎えを待ち続けるも全然来てくれなかったので電波受信しちゃって今の人格が完成する。
中々に壮絶な過去の筈です。にも関わらずプレイヤーから聞こえてくるのは『茶番』『どうでもいい』という厳しい意見。
というのも、捨てられたというのは聖ちゃんの勘違いで、実際は色々あって統失になっちゃったママンがうっかり聖ちゃんを置き去りにしちゃって
その後暫く入院してて迎えに行けなかったとかいうああ…そう…みたいなオチだからです。
親に愛されていないと思い込んでいたけど本当は愛されてました系シナリオ。なるほど、確かにありがちです。
加えて、聖ちゃんの母親も上の事実が明らかになるちょっと前くらいに顔見せしちゃうので、
母親の申し訳なさそうな態度と聖ちゃんの幼さ丸出しな意固地対応が合わさってオチが早々に透けて見えてしまうのも
プレイヤーが冷めてしまった原因かもしれませんね。どうせ誤解なんだろ、どうせ和解すんだろ、みたいな。
個人的には不覚にも「マリソルです」を良い台詞というか良いシーンだと感じてしまったので割と茶番肯定派な私なのですが、
そこまでのめり込めなかった人達の気持ちも分からないでもないです。肝心の聞き手が上で酷評したたくみ君だからというせいもあるかもしれませんね。
彼が聖ちゃんの生い立ち話を信じてなかったとか言い出した時は流石に目が点になりました。ジャバウォック王よりもよっぽどドス黒い精神持ってますよこの男。
聖ちゃんから最後に食らった台詞が「あなたもくさいですっ! 私の敵ですっ!!」なのも残当という感じです。
本当にこれ言われたっきりいなくなりますからねたくみ君。物語が終わったのではいさよなら。こんなとこだけジャバウォックの鑑。
さて、聖ルートにおける桜井たくみと周防聖のキャラ変問題について散々語ってきましたが、一体全体どうしてこんな事態が起こってしまったのでしょうか。
ライターが違うから、の一言で片付けてしまうのは簡単です。ですが今回はとあるルートの話を反例として挙げたいと思います。
梢あけみ先生ルート。このルートはサブライターの条智涼介さんが手がけられたそうですが、かなり頑張って新島ジャバ&梢先生に寄せて書いていると思います。
私のような素人ではエロテキストで見分けることが精一杯でした。新島夕のエロは抜けない。これは最早常識。
とにかく、聖ルートを残る三人のどなたが手がけられたのかは知りませんが、
新島夕でなくてもジャバウォック王を物語ることは不可能ではないということです。
加えて今回、新島さんは『企画・監督』としてもスタッフに名を連ねています。監督、つまり総纏め役です。当然各ルートの文章にも目を通した筈です。
そして新島さんは口を出すことが出来た筈なのです。なんだこの主人公は! 百回書き直せ! と。
或いは最初から、この主人公はこういうキャラだからこういう感じに書いてねと指示を出すことも。
にも拘わらず、聖ルートはあの形で世に送り出されてしまいました。聖ルートは新島夕の手を離れ、担当ライターの好き勝手に描かれてしまいました。
そろそろ私が何を言いたいのか分かってきたのではないでしょうか。一言感想の時点でバレてるかもしれませんが、改めて考えてみましょう。
周防聖を本当に捨てたのは誰だったのか。
私はその問いに、新島夕でしょうと答えます。
――――――――――――――――――――物語の読み方はそれぞれだわ――――――――――――――――――――
メタ的要素があちらこちらに見受けられる今作とはいえ、流石にこれは意図されたものではないでしょう。
ですがこの解釈が頭に浮かんで以降、聖ルートにおける彼女の訴えに今までになかった力が宿ったことは事実です。
設定が設定でなくなったといいますか、より切実になったといいますか、とにかくそう感じられるようになったのです。
たとえばこの一連の台詞ですが、
『赤子よ。そんなに母が恋しいのですか。しかしあなたをあんなところに置いていった両親ですよ。そんな者のことを、何故恋しがるのです』
『そんな者のことは忘れなさい。あなたには神という親がいます』
『今の苦しみを試練として受け入れ、神の愛を受け止めるのです』
『そうすればあなたは救われ、天使として生まれ変わるのです……私がそうだったように!』
母=新島夕 神=聖ルートライター あんなところ(ゴミ溜め)/今の苦しみ/試練=聖ルート(大暴言) 天使=聖ルートの聖人格
こんな感じで読み替えてみると今までとは一味違う聖ルートを楽しむことが出来ます。
聖ちゃんも単なる別ライターに弄り回された残念な子から本当に親に捨てられて頭おかしくなった可哀想な子として愛することが出来るようになります。
『だったらなんですか! 実の母親と一緒にいない私が、かわいそうとでも言うつもりですか!! 愚かしい考え方です!』
『私にはちゃんと、神という素晴らしい母親がいるのです。あんな人、必要ありませんっ!』
『私は天使として、神から溢れんばかりの愛を一身に受けて育ったのです!! ちゃんと愛されているんですっ!!!』
個別ライターに素晴らしいシナリオを書いてもらったので新島夕なんていらないと訴える聖ちゃん。け…健気な…。
『あなたのお母さんは……今どこにいるのでしょう』
『こんなにかわいいくまちゃんを置いていくなんて、酷い母親ですね』
『ああ、いいんですよ。何ひとつ、案ずることはありません。そんな悲しい顔をしないで』
『そのときは、私とたくみが、あなたを育てますからね。
天使のパパとママが、あなたを愛情いっぱいに育てるのです』
『誰もあなたを捨ててなんていません。あなたは天使に拾われただけなのですから』
『ね?』
おお……もう……(やりきれない思いで瞼を覆う私)
茶番と呼ばれた聖ルートの台詞の一つに一つにまるで魂が宿ったようではありませんか。決して報われない魂なのですが。
私の好きな人が私を好きじゃない。けーこちゃんが、崑崙が、そしてアリスが抱えてきた情念の紡ぎ手がここにまた一人みたいな。
そして聖ちゃんがこういう存在になったことで、桜井たくみ君のキャラ崩壊にも意味が生まれてきます。
母という言葉を新島夕ではなくジャバウォック王に、そして今度は神をこのルートの桜井たくみ君に置き換えてみましょう。
聖ちゃんもまた自分のルートの桜井たくみ君がジャバウォック王とは別人であることを自覚しており、
それでも彼に愛されているから満足なんですみたいな。そう自分に言い聞かせているようには思えないでしょうか。
こっちの解釈は聖ちゃん自身にルートそのものを茶番だと認識させていく感じですね。
vita版での追加イベントを見るとあながち的外れとも言えなくなってしまうのがなんとも…。
> ずっと聖を守る。
> ずっとずっと、聖を守り続ける。
> そう誓いたかった。
> でも、どうしたらそれができるだろう。
> どうしたら、ずっと、聖に悲しい思いをさせずにいられるんだろう。
> どうしたら――
それにしても、こんなこと考えた次の朝に
>聖「もし、この子の両親が、ずっと現れなかったら…………」
>聖「私たちが、この子のパパとママになりませんか?」
>たくみ「……聖……」
> そんな簡単なことじゃない。
> 今だって、学園から特例として任されているだけで……。
> なんてこと、聖に言っても、聞きはしないのだろう。
>たくみ「……いいよ。きっとそうしよう」
> だから、無責任ながら、そんな安請け合いをする。
> 本当のパパとママになってみる。
> そんな物語もありじゃないかと思った。
> きっと、叶わない物語なのだから。
とかさらっとやっちゃうたくみ君のナチュラル畜生っぷりには参ってしまいますね。
本当にいちいち真似しなくていいところだけジャバウォック感に溢れてるのすごいと思います。八方美人で~調子良いこと言って~♪
一応この後真剣に聖ちゃんの未来について悩むシーンが挟まるんですが、
『きっと、叶わない物語なのだから。』の破壊力が強過ぎて後から取ってつけた感半端ないです。一生懸命やったフリして~あ~き~ら~めて~……
ついついテキストを追いかけている最中に思ってしまったので脱線してしまいましたが、聖ルートについての話はこれくらいにしておきましょう。
というわけで、いよいよEND2の話をします。プレイヤーの誰もが茫然とさせられたアリスエンドの話です。
恥ずかしながら私、初プレイ時はこの結末から何のメッセージも受け取ることが出来ませんでした。
ただただ困惑だけを抱えながらなんだこの無駄に良い曲は…とヒステリアに耳を傾けていた自分がいたことを憶えています。
当時の私が綴ったあまりにもこっ恥ずかしいプレイ日記が残っておりますのでそれを晒してみましょう(黒歴史を恐れない男)
>物語が一番良いところで終わるなんて嘘だ
>本当に一番良いところで終わるのなら魔女こいにっきは短編小説で終わっているべきだった
>タイトルはさしずめ性悪王子と小リスのシンデレラとかそんな感じ
>一体この話の何処が一番良いところで終わったのか誰か教えてくれよマジで
>新島さんを王だと思っていた
>私は新島さんの物語に惹かれて付いていく従者の一人だった
>王様が楽園に連れて行ってくれるって信じていたんだ
>王は嘘吐きだ!!
というわけで、かつての私の中で魔女こいにっきというのはクソゲーカテゴリにぶち込まれて終わっていた訳です。
その後崑崙ちゃんの可愛さを思い出して崑崙ちゃんルートだけ再プレイして萌えゲーとしての再評価に至り、
エロスケを本格利用するようになって感想欄でようやくアリスエンドに隠されたメッセージ性に気付き(遅過ぎる)、
『vita版やれば今作のもやもやが晴れるよ』という感想にまんまと踊らされてドラゴンキャラバン購入して今に至ると。
そんなペラペラユーザーの分際で発売から5年経った今更になって実はこれはこうだったんじゃないかと一人燃え上がることの滑稽さよ。
『愛してました!』にノリきれなくてイマイチ置いていかれたまま終わってしまった感のあるはつゆきさくらも今やったら違う感想が抱けるだろうか…。
閑話休題。
アリスエンドに至るための鍵、アリスが見落とした『あっちゃん』という呼称は、聖ルートの中に隠されています。
新島夕は自身が担当した共通部分やありす、崑崙、時計坂姉妹などではなく、別ライターが手がけた聖ルートの中に物語の核心に触れるヒントを忍ばせた訳です。
さて、私が唱えた『周防聖を捨てた者=新島夕説』を抜きにしても、聖ルートの内容というのは
『愛する者に捨てられた少女が自分の世界に閉じ籠もり、駄々を捏ねる子供だと批難されながらも、愛する者を糾弾する話』でした。
他者を『臭い』と断じ、ガスマスクを被り信仰に逃げ込んだ聖と、いつでも自室に籠もって本を読んでいたと言われるアリス。
桜井たくみは周防聖を駄々っ子と言い、ジャバウォック王はアリスを子供だと言います。そんな男たちを二人のアリスは責め立てます。
あ、いえ男たちと言いましたが桜井たくみ君の方は本格的に責められる前に逃げ出したので被害担当艦は聖ちゃんママの方でした。まあとにかく。
新島夕が、そして藤田崑崙が周防聖の物語にアリスへの道を繋げた理由。それは『魔女こいにっき』に綴られたヒロイン達の中で、
周防聖が最もアリス・ローザリアに近しい存在だったからなのではないかと私は思っています。
逆に言えば、それこそアリスが『あっちゃん』の呼称を見逃してしまった理由にも繋がるのではないかとか思ったり。
アリスはおそらく聖ちゃんの物語だけは殆ど読み返さなかったのではないでしょうか。自分と重なる部分が多過ぎて。
ジャバウォック王も別人と化してますしね。或いはその別人化にこそ耐えかねて読み返すことをギブアップしたのか…これは流石に穿ち過ぎか。
で、当時の私の心を無にした結末部分。巷じゃ散々ヒロインを食い散らかしてきたジャバウォック=エロゲプレイヤーに昔の女が復讐してきたみたいな
何処のニトロプラスのクソゲーだよみたいな解釈がなされている箇所ですが、
初プレイ時そういった考察にすら気持ちが至らなかった私にどうこう言う資格もなく。
なのでまた例の如くちょっとズレたところに言及してみたいと思います。それは、
『何故ジャバウォックはアリスの復讐を受け入れたのか?』ということです。
なんか一方的にアリスに断罪されたみたいな風潮ありますが、一応最終的にはジャバウォックがアリスを許したみたいな流れになっているはずなんです。
オートで進んでいくため引用しづらいジャバウォック王渾身のポエムを思い出してみましょう。
>「今は、もう、お前を愛することができない。その代わりに……」
>「この痛みを、歯車の悲鳴を愛そう」
>「だから語るが良い」
>「それがありえないものだとしても」
>「叶わぬものだとしても」
>「いいじゃないか」
>「お前はつたないながら、語り始めた」
>「人に語られるだけじゃなくて、自ら、語り始めたんだ」
>「存分にそれをすればいい」
>「世界にこうあれと、願えば良い」
>「やがて物語は竜として」
>「天 を ふ る わ す 咆 哮 を あ げ る だ ろ う 」
ドゥルードゥードゥドゥルードゥードゥドゥルドゥルドゥルードゥードゥドゥルドゥードゥードゥ
『お前を愛することはできない』と、最初に王は断っています。王にとって愛するということは物語を紡ぐことであり、
『アリスをヒロインにした物語を書くことは俺には出来ない』と言っている訳です。
ここでのジャバウォックは一体誰なのか? 私はまたしても『新島夕』だと考えています。
おいおい自分がヒロインに罵られて磔にされる話書くとかどんなマゾ豚だよとか思われるかもしれませんが
『ありすちゃんは笑顔でひどいことしてくれそうだからペットにされたい』とか語ってる人がドMの変態でない筈がないので問題ありません。
つまりアリスエンドというのはジャバウォック王とありすちゃんをくっつけて『魔女こいにっき』という作品を終わらせようとしている新島さんに
『私のルートないじゃん!!!!!』とアリスちゃんがストップかけた話、みたいな。
で、アリスちゃんは最悪自分のルートでなくても『魔女こいにっき』という作品自体が続いていけばそれで満足だったわけです。
美衣や聖、ありすに自分を重ねることで。ところがジャバウォック王=新島夕は『魔女こいにっき』を終わらせて次の作品を書き始めようという。
ふざけんな! 一生魔女こいにっき書いてろよ! というのがアリスちゃんのスタンスです。うーんこの厄介ファンボーイ。
どうも『プレイヤーvsヒロイン』の構図にされがちなジャバウォック王とアリスちゃんの対立構造ですが、
私の中では『クリエイターvsユーザー』ということになっています。カウントダウンボイス? ありゃユーザー相手に用意されたコンテンツですから
アリスちゃんが台詞用意するとしたらああいうものになるでしょう。いや、そういったメッセージが作品に一切込められてなかったとまでは言いませんが、
少なくともその構図だとこの最後のやり取りが成立しないので一旦脇に置いておきます。
ユーザーの期待とクリエイターの思惑のズレ。作中において、とあるヒロインがこんなことを語っていました。
『その監督が撮りたいのは結局さ、恋愛ドラマなんだよ。ただ、ただ恋愛だったの』
『それが、へたに権威のある賞を受賞しちゃったから、妙な社会派のレッテルを貼られちゃってさ』
『その筋のファンからは、やれ、歴史認識が浅いとか批判されてるけど、あれは、そこじゃない』
『バベルとブゼルの、単純な、ボーイミーツガールなんだよね』
『ねぇ、そう思わない?』
『それを勘違いしたスポンサーが、三角形のモスドラゴンとか任せちゃうでしょう。そりゃぁ、双方にとっていいことなんてないよね』
さて、皆様は加藤恋という少女を憶えておられるでしょうか。
ジャバウォックの生贄その1とかチュートリアルとかそういう認識の方が殆どかもしれません。正直その役割は美衣の方が相応し…失言。
ありすちゃんの生活圏外に位置していたため再登場することなく消えて行った少女のルートには、
掘り起こされないことを逆手にとってこれでもかというくらいの伏線がぶち込まれています。
なんかありすちゃん=老婆をほぼバラすような台詞もあったような気がしたんですが見当たらず。vita版限定台詞か…?
『映画は好きだけど、ずっと見てると、寂しいよね』
『気に入ったものは、何度も何度も見てしまう。どうかこれの続編が出てくれないかと思うんだけど……』
『結局出ることはないんだよね』
『たまに出たとしても、スタッフが変わっていて、全然別物になっていたりする』
『寂しいよね』
『私達が思ってるほど、作り手は、作品のことを愛してないのかな。うんざりしてしまってるのかなって思うと、寂しいんだ』
家庭環境に問題を抱え、逃げるように夜の街へと繰り出し、映画という『物語』に没頭する恋ちゃん。
彼女もまた、魔女こいにっきに綴られるべくして綴られた『アリス』の一人だったのでしょう。
彼女の語る言葉はアリスの願望を大分マイルドにしたような感じで、アリスの理想の投影みたいなところがありますね。
vita版の〇〇ちゃんの役割は恋ちゃんでも良かったんじゃないかなあとか思ったりして。新規キャラ用意しないとアピールにならないから仕方ないのか…。
『悲しそうに見ている……っていうのは、罪悪感の表れもあるんじゃないのかなぁ』
『要するに、どこに逃げたって……自分に嘘をつくことはできないってことよね』
『彼は永遠の世界を望んで逃げ出した。けれど結局、自分の潜在意識に根付いた、罪悪感からは逃れられなかった』
この辺の台詞もEND2のジャバウォック王と重なります。なんか一種の答え合わせをしているような気分になりますね。
という訳で、END2ラストの王に納得するための一文が発掘されたのでこちらをご覧下さい。
『夢を語るなら、どうしてもそれがほしくて、それになれない自分なんて想像できないくらいで』
『人が好きなら、その人の気持ちが得られない自分なんて想像できないくらいで』
『そういう物語でないと、俺は好かないんだ』
『もっと、心からそれを願う心があってほしい』
『世界に反逆するくらいの覚悟がほしい』
アリスエンド終了後、オアシスへと辿り着いたヒロイン達の笑顔は血の涙を流すアリスとそれに寄りそう崑崙、そして血塗られた歯車によって塗り潰されます。
黒背景にアルファベット記載、そして男ボーカルによるハードロック調のテーマ曲というこれまでの作品印象に中指を立てるかのようなED。
それはまさしく、アリスによる『魔女こいにっき』への反逆でした。私が晒した初回プレイ時の反応ですが、
あれなんかまさにアリスちゃんの狙い通りの反応でしょう。完全に踊らされた訳です。
『魔女こいにっき』という作品を黒く塗り潰して台無しにするための結末がEND2だったのです。
で、そんなアリスちゃんのぶち上げたロックンロールな結末がジャバウォック王の琴線にクリティカルヒットしてしまったという訳ですね。
『あなたにそれほどの覚悟があるのなら世界はあなたにひざまずかなければならない』というやつです。
崑崙ちゃんとジャバウォック王は似た者同士なのかもしれませんね。最終的にアリスの傍に居続けたのがこの二人なのもむべなるかな。
ちなみに上記のジャバウォック王の語りは、『ま、はるか先の未来の話は置いておいて、今夜の話をしようか』という一言で〆られます。
はるか先の未来。完全にこの時からEND2に向けての種を撒いてた訳ですね。↓の恋ちゃんの台詞なんかもそうでしょう。
『じゃぁさ、結局、最初にでてきた魔女は……主人公にとってなんだったかって言う……』
魔女こいにっきという物語において、最初にでてきた魔女。最初にジャバウォック王に抱かれた少女、加藤恋。
『最後にでてきた魔女』についての論戦は散々繰り広げられてきましたが、彼女について触れられた感想というのはそう多くありません。
映画オタクから映画監督への転身。読み手から語り手への転身。どう見てもアリスちゃんです。本当にありがとうございました。
これほど露骨に暗示されてたにも関わらず忘れてしまうのですから人間の記憶力ってやつはアテになりませんね。
ちなみにここでvita版のアピールを一つしておきますと、vita版では恋ちゃんが撮影デートのときに私服を着てきます。
はっきり言って超かわいいです。他にも梢先生の〇〇姿とか崑崙ちゃんの〇〇姿とかカノンちゃんの〇〇とかわんさかありますので
Dragon×Caravanを…買え!!(ダイレクトマーケティング)
というわけで、長年の時を経てEND2に自分なりの理解を示すことが出来たのは良いのですが、
じゃあこの90点という点数は『END2サイコー! 新島先生一生ついていきます!』みたいな心理で付けたのかと聞かれたら、
そんな訳ねーだろ馬鹿じゃねえのお前と答えます。
END2はアリスちゃんが『魔女こいにっき』という作品にぶち撒けた全身全霊のうんこという話をしました。
で、私は『魔女こいにっき』という作品のファンな訳です。アリスちゃんの物語のファンではないんです。うんこに90点は付けられません。
一時は0点まで引き下げることも考えましたが(いつもの悪い癖)、
vita版になくPC版にしか存在しないものも確かにあるのでこっちを無価値とは断ぜられなかったため点数はひとまず据え置きとします。
梢先生の『ぽんぽこぽんのぽんぽん♪』が聞けるのはPC版だけ!(このアピールポイントが理解できる人とだけ友達になりたい)
そう、END2に至るまでの『魔女こいにっき』を愛しているのなら、決してEND2を肯定してはいけないんです。
にも拘わらず、ジャバウォック王はアリスを受け入れてしまいました。自らが語ってきた『魔女こいにっき』の物語を投げ捨てるように、
オアシスへとヒロイン達を置き去りにして、永遠に回り続ける歯車の一つとして潰される末路を選んでしまいました。
『魔女こいにっき』を黒く塗り潰そうとする、アリスの価値観に殉じる。
王のその決断は新たな竜と結びつき、終わったはずの物語に新たな火種を生むことになります。
そして、ジャバウォック王とありすちゃん達の恋物語を誰よりも愛した読み手の意思もまた、一人の少女に受け継がれることになります。
魔女こいにっき完結編、『灼熱の王子と小さな竜』。
vita版は単なる移植ではありません。これは紛れもない、『魔女こいにっき』のファンディスクであると言えましょう。
でもレビュー書く前からあんまり持ち上げすぎてd2bvsDEARDROPSの悲劇を繰り返すのも怖いので今は多くは語るまい。
とりあえず、つづく。