これは面白い試みですね。発想の勝利です。ナツメちゃんはどこへ向かうのか……。
『ひとり』と『ふたり』両方プレイ済みです。
【クオリア】
人間が感じる“感覚”そのもののこと。たとえば、赤い色を見て知覚する“赤いという感じ”そのもののこと。
怪我をしたときに感じる“痛いという感じ”そのもののこと。
その“感じ”は本人にしか分かりえない。他人がその“感じ”を共有することはできない。
(インターネットからの情報のまとめ)
――つまり、人間は、他人の“痛み”を完全に共有することはできない。
人と人は、完全には分かり合えない。
しかし、それでも、理解しようとする――。
これが、「クオリア」の名前の由来であり、「クロスクオリア」の隠されたテーマなのではないでしょうか。
価値観も生活スタイルも異なる二人の女の子たちの同棲生活の結末。
“左右の世界”は面白い試みでした。
なるほど、あえて読みにくい“縦書き”を採用したのは、“左右の世界”の実装のためだったのでしょうね。
ただ、現時点では、“左右の世界”のギミックが物語において有効に機能しているかどうかは分かりませんね。
単に、あり得たもう一つの世界――バッドルートを垣間見るという意味以上のものになるのかどうか。
そこは、続編での解決に期待ですね。
本作の唐突な終わり方については、すでに言い尽くされていると思われますので、あえて私からは申しません。
一言だけ述べるなら、もう少し他に終わらせ方はなかったのかな、ということだけですね。
『ひとり』と『ふたり』のどちらか一つを選ぶと言われたら、私は迷わず『ひとり』の方をお勧めしますね。
キャラクターが非常に好みだというのでなければ。
ちなみに、エロについては、『ふたり』の方が10倍くらいエロかったですね。
※※※ここから先は、『ひとり』のネタバレも含めた妄想になります。※※※
※※※ここから先は、『ひとり』のネタバレも含めた妄想になります。※※※
『ひとり』のラストで、花梨ちゃんが吸血鬼(のような存在)であることが明かされました。
「ミッドナイトウォーカー」もその伏線でしょうね。
そして、『ふたり』の冒頭で、傷を負い記憶喪失になっていたギンザ。
「平和ボケ」という単語を口にする彼女は非常に用心深く、戦闘に従事する者であったと推測される。
すなわち、“ヴァンパイア・ハンター”など。
花梨に対して非常に敵対心を持っていたのは、それが理由ではないか。
――『終わりのクオリア』では、記憶を取り戻したヴァンパイア・ハンターのギンザと、吸血鬼の花梨が壮絶な殺し合いを繰り広げる。
それを止めようとするナツメと真希理。
親友だった彼女たちも否応なく戦いに巻き込まれていく――。
つまり、次回作はバトル物です!(爆)
でも、そうならないといいなと思っております。
なぜなら、J-MENT氏の真骨頂は、“女の子二人が仲良くなり、別れるとか別れないとか、繊細で緊張感のある心理描写”であると思っているからです。
次回作でも、“女の子二人の何気ない、繊細で緊張感のある日常風景”をたっぷりと描くべきだと思われます。
それこそが、『クロスクオリア』の唯一にして最大の武器であると、私は考えております。