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gggrrrさんのハルカの国 ~明治越冬編~の長文感想

ユーザー
gggrrr
ゲーム
ハルカの国 ~明治越冬編~
ブランド
Studio・Hommage(スタジオ・おま~じゅ)
得点
98
参照数
62

一言コメント

冬に圧倒される。死というものを想う。命の意味を抱ける幸福を思う。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

自分も北国出身ですが、それでも豪雪地帯ではないので、東北の冬の雪深さは分かりません。冬の身を斬るような冷気を感じたことは多いですが「覆い尽くす」という冬を体験したことはありませんでしたので、その自然の恐ろしさに、大きさに圧倒されます。

これまでのシリーズではすでに時代が平成を越え、完全に人間の世界になっています。「みすずの国」ではまだあった愛宕という天狗の国も、「雪子の国」では重機が山肌を削る、どこにでもある人間の国の一地方になっています。当然「化け」という妖怪のような存在ももはや書物の中の存在になって久しく、数少ない化けの登場キャラが2作品をまたいで登場したホオズキと、今回のタイトル主である愛宕の次郎坊、賢狼と讃えられたハルカでした。

ハルカ自身は「みすずの国」で僅かですが登場しています。また、「雪子の国」のお婆さんの思い出話にも出ていましたし、「キリンの国」の天狗たちの話の中にも登場していましたので、朧気ではありますが、どんな立場のどんな人物なのかの象は、掴めてはいるのです。愛宕の偉い立場であり、多くの人物の師の立場を取ってきた大人物、という印象をシリーズの読者は持つことが出来ています。

今回の話、シリーズは過去が舞台となり、如何にして、どのような経緯でハルカが愛宕の次郎坊という立場に至ったか。そこにどんな道程があったのか、どのような人間模様があったのかを語る話になっております。

主人公、というより主観役であるユキカゼは若い狐の化け。「剣」というものを己の存在意義として見出した彼女は、剣とはすなわち強さであり、強さは自分のものである、という拙いながらも誇りを抱き、自己の存在証明としていました。そこに同じ狐の化けであるおトラに半ばけしかけられるような形で「賢狼ハルカ」の噂を聞き及び、ハルカに挑み、強さは自分のものであると証明するために旅たつことから、すべてが始まります。

思えば面白ものです。すでに時代と場所をまたいで様々な人間たちを描いてきたこの「国シリーズ」の最初の最初が、「自分より強いなんて気に食わない」という幼稚とも言える負けん気から始まったというのだから。

そうして、ハルカとユキカゼことハヤの話が始まります。雪深い土地の冬に「ユキカゼ」などと呼べば身が冷えるという理由で、ハルカはユキカゼをハヤと呼びます。雪国にとってはどれほど春というものが待ちどうしいのかが伝わります。

聡明で識見深くどっしりと構えているハルカと、とにかく感情でひた走るハヤ。まるで姉妹のような、親子のよな、師弟のような二人の冬越し、ハヤにとっては無論初めての越冬であり、同時にハルカにとっても初めての誰かが一緒にいる越冬。彼女がいる山深い狼谷という場所で、江戸時代から繋がる土着の信仰によって、ハルカは生き神のような存在であり、実際彼女はその尊敬を受けるだけの知性と力を持っていました。そのため、土地の人々にとってハルカはその名の通りに遥かに上にいる存在であり、自分たちとは根本からして違う有難い存在です。そんな生き方をこの土地で数十年続けてきたハルカに、初めてぶつかって来たのがハヤであり、とにかくハヤはハルカと対等でいたい、おいていかれたくないというがむしゃらな意地で、むき出しの心でハルカにぶつかっていきます。そのハヤの拙いが激しいまっすぐな心が、これまで生きてきた中でなかった新鮮さを伴い、ハルカの中で大きく響く存在となっていきます。

二人の出会いの物語、ハルカとハヤの始まりであり、長く続く「国シリーズ」の始まり、私はとても大好きです。

また、二人の物語とは別に、私が心に響いたのは北国人々の生き様であり、死生観。貧しい土地ゆえ、余分さはない、皆が精一杯で、多くを抱えられない。だから年老いて働けなくなったものは、その命を山に返す。その役割を担うものこそハルカであり、だからこそ里のものたちに敬愛される。
自分の死を時を自分で決め、そこに至るための心の整理をつける。ここの生きたものはそういう最期を向けるという慣習のもと、ゆっくりと一歩ずつ自分の死と向き合っていく、毎年来る冬の度に死を想う。自らの死へと歩んでいく。命の果てというものを心に描く。だから心安らかに死んでいける。自分の死に意味を持たせられる。それはすなわち自分の人生に意味を持たせられたということ。厳しく、辛く、そしてなんと素晴らしいことだろうか。「自分はこう生きて、こう死んだ」と胸に抱いて死んでいけることのなんと尊いことだろう。
 
 いつくるとも分からない死に怯えることなく、しっかりと若い頃から死というものを意識していく。その準備をする。それはきっと今の時代の人々が忘れて久しいこと。でも、本当は人間がもっとも大事に、それこそ一番重く考えなければいけない、自分の最期。それを眩しく思った。

私はどうやって死にたいだろうか。最後の姿はどう在りたいのだろうか、考えてみようと、考えなければならないと、そう思える、思うことを思い出させてくれる話。