自分でいられないならば、死ねばいい
男2人の友情物語。キリンという鞍馬の天狗たちに迫害され、追放された少年と、圭介(本名ではないが、むしろ彼は『圭介』である自分こそを好きになれたと思うので、圭介で統一します)という、白峰から出奔し、人間の国の元についた天狗嫌いの男の、心と心を通わせた熱い、人生を賭けた友情物語。
大げさではなく、本当に圭介はキリンとの友情のために命を賭けます。ボロボロになって、半死人のようになりながらも、それでもキリンを信じ、立ち上がっていきます。格好いい。こういう男は本当に格好いい。好いた女性のために命を張れる男もむろん素敵ですが、私の心の琴線に触れるのは、むしろ友情のために命を賭けられるほうなので。これはただの性分ですね。
ネタバレ全開で書きますが、圭介は本来四国の白峰という土地の慶樹という名の天狗で、紆余曲折あり白峯を離れ、人間の国に降りて行きました。その細かい描写は作中ではないのですが、圭介がキリンのことを「もう一人の自分」という表現を用いていたり、幼馴染の少女がいたこと、そして寅彦のような下衆な人間を何よりも嫌っていることから鑑みるに、彼は「天狗の仕来り」によって辛酸を舐めさせられた過去があったのでしょう。そして、なにも出来なかった弱い自分と、天狗の国という仕組みをなにより憎んだ。彼が作中でキリンに叫んだ「自分でいられないくらいなら死ねばいい」という言葉には、かつて「自分の心を殺してしまうような過去があった」ということであり、そんな自分に対して向けられた言葉だったのでしょう。この言葉は本当に胸を打ちました。
そんな彼に人間の国が与えた任務は、言うなれば工作員、エージェントです。キリンという少年は、父親であるイカズチ丸の行いによって、鞍馬の天狗、もしかしたら愛宕の天狗たちにもかもしれませんが、蛇蝎のように疎まれています。そして天狗の歴史の中でも類を見ない力を誇ったイカズチ丸の才能を、そのまま受け継いだのがキリン、まさにその名の通りの麒麟児というわけです。日本政府の目的は国内にある自治領の天狗の国の解体であり、そのための手段の一つとして、キリンに目をつけた。圭介はそのキリンの監視訳として送られた存在であったわけです。
出会いは仕組まれたものだった。関係の始まりは意図されたものだった。しかしだからといって、キリンと圭介の間に育まれた絆は、仕組まれたものでもまして偽物では断じてありません。その証明と言っていいのが、今回の話と言っていいでしょう。最後の山犬の化けと対峙したときに圭介が言ったことがこそが彼の本音で、彼がキリンと一緒に危険を冒して鞍馬に潜入した理由は、『キリンと一緒に冒険したかった。2人でわくわくすることをしたかった』という、たったそれだけの理由だったのですから。政府からの任務は名目にすぎない、嘘と真実は全くの反対で、彼は政府にはスパイとしての任務を果たしているように報告しながら、本当にただ友達のキリンのやりたいことをさせてやりたかっただけ、本当にそれだけ。ああ、これは心に来る。
キリンと圭介。共にもう帰る場所をもたない2人。どこにいっても邪魔者扱いされ、余所者にしかならない。だから抗った。互いになにも持ってなかった男達に、唯一できた「友達」。だから互を誰よりも誇り、キリンに勝てない相手なんかいないと圭介は豪語し、圭介に出来ない事はないと誇らしげに語るキリン。『俺とお前で出来ないことなんかない』と拳を付き合わせる男たちの、なんと清々しく格好良いことでしょうか。
と、ここまでが最初にプレイしての感想ですが、さらにシリーズを読みすすめて行ったあとにもう一度キリンの国をやり直すと、また違ったものが見えてきます。
「キリンの国」の16年後の話である「雪子の国」では、すでに天狗の国は解体され、愛宕などは地名すら残されていない有様となっています。つまり、圭介が尖兵となって動いていた政府の「天狗解体計画」は成功したのです。圭介が憎み、キリンを迫害していた天狗の国という機構は、この世から無くなりました。つまり、キリンを縛っていたものは価値のないものへと暴落し、全ては過去へと封じられました。「みすずの国」では美鈴たち「人間上がり」を小馬鹿にしていた天狗たちは、15年後には人間の世界で雁字搦めのルールで拘束されながら、天狗として生きることを許されなくなりました。日本といいう土地に、もう天狗がいていい場所はどこにもなくなったのです。圭介の怒りが成就し、キリンが解放されたことについては喜ばしいことですが、その弊害については次作の「雪子の国」で語られます。
また、「ハルカの国」で語られることも、すでにキリンの国で何度か語られています。例えばキリンの父であるイカズチ丸。これは、ハルカの国ではたしか狗賓が密かに進行していた「雷神鬼」であったはず。それも、鞍馬ではなく愛宕の狗賓のはずです。その名前をなぜ、鞍馬の天狗であろうキリンの父が持ったのでしょうか。それとも本当の名は別に有り、忌名として「イカズチ丸」と呼ばわれたのでしょうか。なんとなく、ハルカが関わっているように思うんですよね……
そして気になるのは綾野郷の長であるヒデウミさん。鞍馬の下衆野郎たちが「余所者」「新参者」と言っていたように、どうやら鞍馬天狗の名門出身ではない模様。階級意識と特権への執着だけは人一倍高い天狗社会において、異例中の異例のようですが、彼の出自はどこなのか。なぜキリンやイカズチ丸のことを知っているのか。彼が言った「ハル」とは誰のことなのか、なぜ彼は沖縄の第7収容所にいたのか。などなど彼についても気になることが多すぎますが、なんとなく彼もハルカとユキカゼの関係者だと思うんですよね…… ハルカの国のこれから出る予定の5作目、6作目の昭和編は、2人が母となる青年が登場するとのことなので、この青年がイカズチ丸かヒデウミさんのどちらかだと睨んでいます。また、なぜイカズチ丸が天狗の国に反旗を翻したのかの理由も、実は日本政府の天狗解体計画を遅延させるために、白虎と手を組んでの行動だったようです。つまりは人間たちから天狗の国を守るためだったというのに、そのイカズチ丸の子供を呪いを掛け、追放するようでは、もう天狗の国に未来はありませんね。滅ぶべくして滅んだのでしょう。ハルカが「100年後には影も形もない。50年後も妖しい。だが出来るだけ遅延させ、その間に身の振り方を考えさせよう」と試行錯誤していましたが、天狗の傲慢さは最後まで直らなかったようです。変化を拒絶したものは、その変化に飲み込まれ、すべてを失くしたということですね。
とまあ、シリーズをやればやるほど味が深い「キリンの国」。「ハルカの国」が全部出たあとまたやり直せば、新しい発見が出てきそうで、まだまだ楽しめそうだから底知れない。