人間ってすごい。
人間性の根本は他を排撃することである、と聞いたことがある。
なるほど、太一を見ていると納得できそうだ。
彼は他人を攻撃することで自我を(自分という存在を)認識している。そうすることでしか認識できないと言ったほうが正しいか。
しかしそれは実社会においてはタブーで、むろん太一も糾弾され群青の一員となってしまった。
ここまでなら、たぶん現実にあるだろう。
幼少のころに虐待を受けた子供が中、高と成長し非行に走る、などはよく聞く話だ。
しかし、太一は人間ならざる心を持ちながら、人間(ここでは他者)を想い、実世界に還した。
もちろん、そこには自分が原因であるという自責や自分にしかできないという義務感もあっただろう。
だが彼はそういう他に起因する受動的な感情などは歯牙にもかけない。少なくとも物語の序中盤ではそうだった。
セクハラ然り、またループした世界での逸脱行動然り。
ではその一種の成長とも、あるいは変質とも呼べる彼の変化はなんだろうか?
私はCROSS†CHANNELの主題のひとつはそこにあると感じた。
まず前提に焦点を当ててみる。
太一が人格破綻者になった原因は作中で言うとおり、新川豊にあるだろう。
年端もいかない子供に性的倒錯な行動をすればそれはトラウマになり心を殺してしまうだろう。
(私見だが、幼少に男―それも変態の―を相手にしてしまったという事実が、太一の異常なセクハラ癖を生み出してしまったのではないだろうか)
時間が傷を癒すなどと生易しいことはおそらくありえない。
かといって、そのトラウマの原因を憎悪もできない。憎悪を糧にするにはまだ幼すぎた。
彼はそのまま成長し、社会から弾かれ、群青という檻に入れられる。霧の言葉を借りれば「獣」だから、檻に入れられて当然だ。
そうして物語は紡がれる。
ここまでで、太一のどこに非があった?たしかに彼は人を殺した。それも一人や二人ではない。だが、それは正当防衛といえるだろう。すなわち彼は「生き抜いた」のだ。
そこで結論に至った。生きていれば、生きてさえいれば、何かが変わる、と。
そここそ放送における「生きてください」のメッセージにつながっている。
人間らしさには多種多様な形態がある。
自分は生きていたい。ずっと死にたくない。
自分は痛みに、鋭さに敏感だ。怖いものは壊せばいい。
自分は嘘が嫌いだ。他人を信用できない。
自分は好きな人のそばにいたい。だれにも渡したくない。
自分は逃げたくない。姉のように逃げたくない。
自分は友に傷を負わせた。それでも友でありたい。
こう思うことが罪なのか。
だれもが心に傷を負い、それを補いながら生きていく。これは人間らしさの極致における友愛行動に他ならない。
そして
自分は人間ではない。でも人間でありたい。
おそらく太一は『人間から最も離れているが故に、最も人間であろうとした』のだと思う。
人間とは関係の連鎖である。A君の友達はBさんの親戚でその兄のCさんはDさんの・・・が巡り巡ってまた自分に帰ってくる。
畢竟、社会とは関係の結束であり、同時に、関係の隔絶した世界は人間がいるべき世界ではないのだ。人間は人間と関わり続けければならない。交差し続けなければならない。
むろん、閉じ込められている人間が少し人間とは違ったとしても。
そういうことを太一はループする世界で学んだのではないだろうか。
親友だから、とかの贔屓目なしに、生きるべき命は生きるべきだと。
一週間というあまりにも(一生と比べると)短い刹那でそういう人間の輝きを、可能性を見たのではないだろうか。
そうしてたどりついた。
人ならざる自分は、人を食べてしまうかもしれない。それが親友や好きな子であっても。なら、彼らといるこの世界は心地がいいけど、何度も、何十度も、何千度も繰り返していたいけど、還そう、と。
そして彼は初めて人間を知覚し、人間としての自覚を持ち、そして人間として生き抜いたのだと思う。
もう一つの主題は、七香にある。
七香が太一を抱きしめるシーンは作中に何度もあった。
そのたびに意味深なセリフを残す。
「楽しいって思えるなら、いいじゃん」
「弱いままでも、いいんだよ」
「ごめんね、これだけしか残してあげられなくて」
すべてが母親の象徴という伏線だと言い切ってしまうのは簡単だ。
だが本当にそうだろうか?
これまでの話を踏まえると見えてくるものがある。
「楽しいって思える」モノ、それは部活であり、仲間や女の子との時間。
「弱いまま」の自分、それは狂気に任せて人を食べてしまう太一。ループ世界なら何度やろうが問題ない。
「これだけ」、それはこの世界そのもの母親から愛する息子に送るささやかな世界。だれも太一を傷つけない平和な世界。
つまりはあの人類滅亡世界は太一の母、七香のものとしても解釈できる。
そして、太一がその世界を否定した時に、七香は自分の世界が間違っていたと気づき、太一に謝罪する。「ごめんね」。
※尚、これを立証するものは何もないので妄想として受け取ってもかまいませんw
数々の関係が交差(クロス)し、太一は自分を知り、人間を知った。
今日もどこかで太一の放送はだれかに向けて発信されているだろう。
総評:S 音楽:S シナリオ:S キャラ:S 笑い:S