「俺の為に作られたゲーム」だった。感謝するぜ『プロナント・シンフォニー』と出会えたこれまでの全てに!!!
「過剰さ」こそ芸術の本質だ( https://www.seijo.ac.jp/pdf/graduate/gslit/azur/09/0905.pdf )なんて、今まで幾万もの唇が語ったクリシェであろうけれど、本作には紛れもない「過剰さ」が宿っている。
『プロナント・シンフォニー』ではなくその次回作についてのものではあるが、作者の開発ブログから引用する。
> 1年半ぶりの進捗報告&プレイ動画
>
> ご無沙汰しております。
> 大変長らく更新せず、消息不明状態でいて申し訳ありません。
> (中略)
> 更新してなかった間もずーーーーーーーーーーーっと作業してたので、
> 全然サボってたわけではありません。
> (中略)
> 作業してたなら生存報告の一つくらいしろや!と言われると
> その通りなのですが、
> 「今日ここを修正したら、明日には良いものが作れるに違いない。
> 今回の修正で、自分が納得できるものになったら
> その内容でブログを更新しよう」
> と毎度思って思って思って、結局
> 「イマイチだな……もう少し修正しないと……いやこれ全部没か????」
> というローテションを1000回くらい繰り返してたので、
> 何も更新するものがなかったんです。
> (中略)
> いや…タイムリープもので何度やり直しても
> 失敗のループから抜け出せず精神がすり減って狂っていく主人公、
> あれに近い心境だったと思います。
https://ci-en.dlsite.com/creator/5866/article
「タイムリープもの」という言い回しに私は『タイムパラドックスゴーストライター』という作品を想起した( https://realsound.jp/book/2020/11/post-650185.html )。他者を惹き付ける輝かしいものを何一つ持たない漫画家が、時間停止した世界で気が狂うほどの長期間、たった一人の読者の為に漫画を描き続けるという、ある意味で創作者の理想が描かれた打ち切り漫画だが……これは閑話休題。
ただ一つの理想の線のために幾千もの線を引く漫画家、ただ一つの理想のことばのために幾万ものことばを紡ぐ小説家のように、『プロナント・シンフォニー』の作者は理想のイベントの為に幾千万ものコマンドを打ち込んだはずだ。
その果てに産まれた作品のインパクトは、5年経った今も私の心をかき鳴らし続けている。
これほど素晴らしいことが他にどれほどあるだろう?
これは決して批判ではないのだが、商業エロゲの制作現場は一般に、上述した価値観と真逆の世界に思える。
限られたコストで何十時間ものプレイ時間を確保するため、原画家は1枚辺り数千円、ライターは1kb辺りうん百円で報酬が支払われる。このような環境においては、極めて良心的な絵師やライターでさえ「たった一つの○○のために過剰な手間と時間を注ぎ込む」ことが殆ど不可能であろう。もちろん月姫リメイクなど例外的な作品もあった。だがそのような贅沢が許されるのは、経済的に成功した1つまみの人間が殆どであろう。
だから『プロナント・シンフォニー』のような作品は本当に貴重なのだと思う。
このような作品に出会え、感動できた自分は幸せだ。
前置きが長くなった。作品の中身の評価に入る。
本作のゲーム性は大まかに、肯定的かつ慣用句としてのハックアンドスラッシュ( https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%8F%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%A9 )なRPGに分類される。
ダンジョンを探索し、敵を倒し、財宝やスキルを手に入れて強化し、更に強い敵を攻略する――その繰り返しの快楽を極限まで突き詰めた『プロナント・シンフォニー』は、ゲームを操作する指が止まらないプレイ体験を実現している。
この中毒性の秘訣はおそらく、情報の出し方やイベント配置の巧みさだろう。
例えばパーティの平均レベルが3の時に「推奨レベル12の敵と戦います。勝てばアイテムが手に入ります」なんてイベントを見つけたら……まあ挑戦したくなるものだ。
試しに一度戦って情報を集め(負けてもペナルティはない)戦略を組み立てると「あの武器があれば今のレベルでも勝てるかも」と思い浮かぶ。それを手に入れるためにあのスキルを手に入れなくては……といった具合に、プレイヤーは自発的に小目標を組み立て能動的にのめり込んでゆく――たぶん制作者にそう誘導されている。
思いがけず桁違いのボーナスが手に入ることもあって、「これがあればLv20の敵にも勝てるかも!?」という確変の喜びを味わうこともしばしばだ( https://pbs.twimg.com/media/FT99IZYVIAAkEvC?format=jpg&name=orig )。RPGに付きものの「同じ敵と何度も戦う」「一度探索した場所を再度探索する」ダルさは「祝福コイン」で極限まで抑えられているなど、細部までプレイヤーにストレスを溜めない配慮が行き届いており、拘り抜いた演出・豊富なマップのギミック・音楽の妙などとともに、3分に1回以上の頻度で展開される少女達とのイチャイチャ(時折えっちな)会話イベントは、R-18のRPGならではの楽しさだ。
私は低レベル攻略を好むプレイヤーだが(ラストエリクサーを序盤のボスで使うタイプ)、知り合いのレベ物信者もこのゲームにドハマリしていたので、多様なプレイスタイルに対応できる懐の深さがこの作品にはあるのだろう。
とはいえ――ここでこの作品唯一のダメ出しをするが――そうした「過剰さ」「豊かさ」「プレイスタイルの幅」といったものが、最終的には収束し閉じてゆくことに不満を覚えたプレイヤーもいたかもしれない。
どのようなプレイをしようと結局行き着く果ては同じであり、完全攻略したプレイヤーが選ぶ装備・スキル・戦術は殆ど同一のものになる。――確かにその戦術は姉妹の特徴をよく反映した「彼女達らしい」ものになっているが、そこにプレイヤーの選択が入り込む余白を残して欲しかったと思うのは贅沢すぎるだろうか?
ストーリーの観点からも同じことが言える。
> あなたは魔術で、どんな相手も操る事が出来ます。
> 秘密を暴くも、財を盗むも、体を貪るも自由。
> 仲間の少女の人生や貞操も、気分次第で操れてしまいます。
> 貴方自身の運命もまた、プロナントによって左右されます。
> 悪を成せば悪の、善を成せば善の――道筋に応じた結末が用意されます。
なんて宣伝文句に書いてあるので、いかにも膨大な分岐があるかのように思えるが、実際の本作はほぼ一本筋のゲームであり、プレイヤーの行動によるストーリーの変化は差分程度に留まっている。その差分を見ることで「こんな真相が隠されていたのか!」といった驚きがあるわけでもない。
客観的に評せば、本作の周回前提ゲーとしての面白みは追究の余地が残っていただろう。
が、主観的には、その一本筋のストーリーが味わい深く何度も見たいと思えたがゆえに、実際には殆ど不満が残らなかった。
前述した大量の会話(大半はたわいもない内容だ)を通じて、主人公は少女達と絆を深めながらダンジョンを降りてゆく。
もちろん少女達の好意は主人公の術によるもので、その絆は嘘である。
プレイヤーもイベントを重ねるごとに少女達を気に入ってゆくだろうが、もちろんその絆も現実には存在しない。
こうした皮肉めいた重ね合わせに象徴される、愛とか憎しみとかは全て錯覚ではないか? 泡沫のようなものではないか? だが人である以上それに乗って生きてゆくしかない……というようなある種の諦観が、一見分かりやすい少年漫画的燃えストーリーの底を通奏低音のように流れている。
とりわけ印象に残ったのがヒロイン達とのデートイベントだ。それはこの作品においてもっとも皮肉なイベントでもある。自分の思考や好悪すら弄んでいる男に向かって、ヒロインが自分の”素直な気持ち”をさらけ出すのだから。
それは美しく切なく描かれていた。また常時あれこれと忙しいゲーム性から解放されたプレイヤーが、空白の心でヒロインと向かい合える希有な時間だった。
どこか人生に疲れて見えるジュエリ。
ユリウスの内面を見透かしているようなセラフィナ。
明るい将来を語るものの、それを心から信じてはいないようなニーヴァ。
そして、無条件の信頼を寄せてくれるイリト。
主人公とヒロインはベンチに隣り合って座ると、何も話さず、ただ時間が過ぎていった。
こんな時間がいつまでも続けば良いと感じていた。
さあ、これで私はこの作品について語りたいことを語った。
読んでくれてありがとう。立ち止まってくれた貴方は、また貴方の人生を歩んでいってください。