人が消滅する奇病の大流行は大切な誰かとの旅の始まり、あるいは再開の契機でした。こんな作品と出逢う為に僕は今日もノベルゲームに触れています。
……なんて書き始めた長文感想ですが、やや下へスクロールするとかなり似た文面の一言感想が見られました。考えることは同じというやつですね。
全てを描き切る良さと描き切らない良さ、それらは甲乙付け難く思いますが、少なくとも『冬のポラリス』において、ヒエロニムスだった者とツバキだった者のツーショットで物語を締めたことはこれ以上ない余韻ある幕引きであったと私は考えます。あれ以上は知りたいけれど描かなくていい。野暮ってもので。
殺せることも殺せないことも、忘れてほしいのも、忘れないでほしいのも、忘れたくないのも。全部等しく愛なのだと感じます。
『それまでの"生"を引き継ごうとする行為は、どこか気の毒にも思えた。
……過去を大切にする事と、過去に囚われてしまう事。
その違いを決めることが出来るのは、他の誰でもない、本人だけなのかも知れないけど……』
ヒエロニムスではない彼の述べたことです。同じ身体に宿る意識でもやはりスタート地点からして別人なのでしょう。数百の年月を生きた不死者とイマイチ自覚していない一般サラリーマンですから、後者はまだ軽々しく綺麗な言葉を並べられる。
ヒエロニムスは自らに寄り添うツバキの在り方を因循の類いと捉え、彼女に"自由"を齎すべく刃を向けました。独りよがりに本人の「決める権利」を無視した、しかし愛故の行動です。
ツバキの彼に対する想いは中々依存めいていますが、本人がそれでいいのならそのまま判断を委ねていいんじゃねというのが正直な私の気持ちです。200年連れ添った相手なのです。他の誰でもない唯一愛する貴方なのです。そばに居させてやってくれよ、ヒエロニムスと。
そうしてツバキを手放し、互いに一人となることを選んだヒエロニムスですら、結局は遠い未来、後悔の中で海原へ手紙をやっていたのですから未練がましく人間くささプンプンです。まぁ瓶を投げたのはヒエロニムスではなく日本サラリーマンの方かもしれませんし、また別の人格かもしれませんが。
愛してるのメッセージすらオリジナル文字に込めやがるくらいですし、ほとほと素直じゃないヤロウです。ツンツン淡々として見えるからこそ、隠したがりだからこその彼なのですが。
そんな具合に二人へと感情移入するばかりでしたから、僕はこの作品を冷静に見れていません。感想を認めている時点で冷静でないのはいつものことですが、平時より一層乱されました。
ツバキのことを「大切」と記したことがバレて、照れ臭さから彼女の役割を捲し立てて誤魔化そうとするヒエロニムスが好きです。
彼に寄り添った日々を大事に大事に書き連ねるツバキが好きです。囁くような声の中に何通りもの感情を込める彼女を愛おしく思います。冬の話をする時、声音に少し苛立ちを乗せているのが面白いです。
夫婦のようで親子のようで友人のようで、飼い主とペット、奴隷と所有者のようで。そのどれでもなく言葉にし難い数百年の関係を築いた彼と彼女が好ましい。二人の別離と再会の旅路が、この想いを余計に掻き立てます。
こんな物語が読みたくて、僕は今日もノベルゲームをプレイしています。その中で出会った数々の作品との思い出を忘れたくなくて、批評空間という星の間へ感想を綴っています。批評空間という大海へ手慰みのお手紙ビンを投げています。
願わくば、また出会えるようにと。そんな気持ちです。