ErogameScape -エロゲー批評空間-

conceitedpeopleさんのCROSS†CHANNELの長文感想

ユーザー
conceitedpeople
ゲーム
CROSS†CHANNEL
ブランド
FlyingShine
得点
100
参照数
1573

一言コメント

窒息しそうな現代社会における延命装置

長文感想

批評と言うくらいだから、エロゲーという物を一つの作品として要素に分解し、なるたけ主観を排した客観的な分析のもと、語るべきである。
従って、年間200本以上産出する、粗製濫造のこの業界において、シナリオ、BGM、作画が標準に近いレベルにあり、ゲームの起動・プレイに耐えられている時点で、60点は付けるのが妥当であろう。単に自分の嗜好に合わなかったから、期待が裏切られたからといって、感情的に0点にしたり、その作品に明らかな不備があっても個人的な思いやりのもと100点をつけたりすることは、緻密な統計データのもと、エロゲーマー達を熱く迎え入れんとする「エロゲー批評空間」の存在理念を歪めてしまう害悪である。
私は最初、そのように考えていた。しかし、空間内を彷徨っていると、批評と言えない短絡的な採点があまりに多く横溢しているのに気づく。そこで考えた。自分が思い入れのある作品に対し、細かな不備を無視して満点をつけたとしても、その作品を嫌う者が直情的に0点をつけるのであれば、バランスが取れ、結果として適正な値に近づくのではないか、と。
だから僕はこの作品に、100点をつけよう。あまりに思い入れの深い作品だから。

孤独を持て余していた時期、脆弱な自己は強圧的な外界に晒されて歪み、自分とそれを取り巻く社会・世界を、斜めから眺めて貶めることに腐心していた。そうしなければ、外界に溶け込めない惨めな自己の安寧を図れなかったから。そんな時期に、この作品に触れた。
田中ロミオの強烈な自我、諧謔的なユーモア、強固な魂から冷徹に絞り出した力強い言葉の波。それらは僕の心の静脈をとおり、全身の細胞を攪乱させ、脳内を快いトリップへと導いた。自分と同じ魂に触れたことの安堵。歪な心の慰撫。それから僕は、醜い現実から逃れてトリップの世界に居続けようとする麻薬常習者のように、ライターの言葉をかき集め、依存し続けた。
 初めてプレイした時は「言葉のチョイスが面白いなあ」と思うくらいで、エンディング後も大した感慨がわかず「よくわからんが、こんなもんか」というのが率直な感想であった。何の苦もなく虚構から現実生活へと戻り、3日も経てば忘れてるだろうという印象だった。しかし、心の片隅に異物が入り込んでいる感覚。日常のふとした狭間に、この作品の断片が、ライターのセリフ回しやBGMがフラッシュバックし、どんどん心の内側から表面を侵食してきて、あの作品をもう一度プレイしなければいけないという強迫観念に襲われた。そして2回目のプレイ。完全に心を奪われた。一回目は何でもなかった文章のところどころにフォーカスが当てられて、その内奥に潜むライターの思念のようなものが、その意味が、深く僕の精神を慰撫した。それから時期を置いて周回を重ねた。プレイするごとにライターの意図した構成の緻密さ、細部に仕掛けられた言葉のトリックに気が付き、興奮し、2回目よりも3回目、3回目よりも4回目が楽しめた。こんな作品はなかなか無いだろう。
この作品がイノセントティーンに与える危険な点は「脆弱な自己を孤高な人格と置き換えて自己満足し、外界へ溶け込もうとする意欲や努力を滅殺し、孤独な自己を確立してしまう」ことにある。かくいう私も、人生にとって重要な青春の時期を、孤独を常態化して斜めから社会を眺める時期に貶めてしまった。この作品に触れなければ、その孤独に耐えられる程の自己規定をできなかったであろう。しかしそこに陥穽があった。才能があればいい、何かを残し、不特定多数の者を感化しえる何かを持ってさえいれば。ライターの謳う孤独は、持てる者のみが耽溺を許される性質の、貴族の嗜み。凡庸な僕は、時期が来れば一般の社会へと溶け込んでいかざるを得ない。さもなくば、待っているのは何の虚飾も無く、死だ。一時の逃避。魂の休息を得たら、すぐにそこから飛び立つべきであった。
・・・初回プレイから6年が経った。今プレイしてみてもあの時ほどの感慨は湧かない。もう縮まることのない距離がある。あの時ほど心が脆弱では無く、社会にも一定の居場所を持ち、安定してしまっているから。これが大人になるということだろう。しかし、退屈な日常の中で、心のどこかに郷愁を感じている。
かつての、弱くはあったが純粋な気持ちに、二度と同化しえない彼岸の君に、別れの言葉と共に感傷的な願いを込めて

また、来週