人と幽霊の共存はできるか。それをこの作品では手を変え品を変え、問いの形を変えて読み手に問いかける。各ルートで一度示された要素が幾度もリフレインされ、読み手にデジャブと共に、郷愁めいた切なさを思わせる。最後に提示される作品側からの答えも含め、この作品は間違いなく名作です。
・はじめに
全体的に長い上に、わざわざ言うまでもないことを長ったらしくくどく書いております。言われなくてもわかるという点が多いことはご諒解ください。どちらかと言えば、これは自分への備忘録的ものを、敢えて恥じらいもなく全世界へ公開した、という面が強いです。そのため、文体も「である」体と敬体が混じったものである。
・総評
Cabbitから出ている御厨みくり作品の中では、おそらく最も明るい作品なのではないかと思う(ただしそれはあくまでも表面のみを見てのもので、この作品にダークな面がないということを意味しない)。
それが現れているのが、舞台となる学園。翠の海にしろ箱庭ロジックにしろ、舞台となっているのは人工的に作られた楽園であり箱庭であり、そこには陰に陽に多くの人々の決して明るいとは言えない思惑が介在して出来た場所である。それに対して、今回舞台となる学園は、幽霊と人との交流を目的としてつくられた場所であり、出来たばかりの学園であるというのも、他の作品とは雰囲気を違える要因だろう。
予め言いたいことを先取りして述べるなら、本作と他二作は次のように対比できる。すなわち本作は全体が明るく・温かく・優しい光に包まれている一方、その所々で影となる部分が照らし出され、這い出してくる構図になっているのに対し、他二作は暗く・冷たく・息苦しい場所で光を目指す構図、である。
しかしその一方で、共通点とも言い得るものはある。三作とも舞台となる場所が人工的に作られた場所ということだ。そもそも現実にしろ物語にしろあらゆる舞台は人工的だということではない。翠の海の館にしろ、箱庭ロジックの街にしろ、本作の学園にしろ、それを建てた者・管理する者によって外界と内界を区切るという明確な意図が介在している。ここからは容赦なく関連作のネタバレをしていくため、注意を。
翠の海でいえば、それは外に存在していては困る居住者たちを飼い殺しにする(あるいはそれでもそこを楽園とする)ため。箱庭ロジックでいえば、文字通り社会実験の一環として(あるいは特定人物への療法として)。本作もその例に漏れず、幽霊が見える人のため、幽霊と人との共存のための学園は、言わずもがな見えるひと・見えないひとを区切り、前者を隔離する場所である。もちろん、この共通点はそう見える類のものでしかない。後に見るように、本作の学園管理者たちの意図は、他2作のそれに比べれば、はるかに真っ当な上、ある意味人間的である。
この物語は、真夏にも拘わらず真冬に着るような服装で佇むまつりとの出会いから始まる。五感もなく普通の人々からは見えない、けれど見えている人からすれば、食事や睡眠をしないだけで普通の人間と全く変わらないのがこの作品の幽霊である。物語の始めは、まつりを中心に主人公、友人の一樹、奏奈とが交流を深めていく話である。テキストや話の内容も十分読ませるものであり、ここでは幽霊も人も余り変わらないのでは、という印象が示される。教師の長嶺の授業のシーンは、まさにこの作品の提示するテーマの一つといえる。この学園にいる幽霊は皆人を傷つけるものではなく、わかり会えない存在でもない。
しかしこの段階で既に、そうした温かいテーマの裏面が示されている。人と幽霊の違いを知る故にその行き着く先を警戒する雛菊、元から他者と交流することが不得手な雪花、主人公の事情を知ることはない杏。4人で買い物に行くシーンで、下着店に行く奏奈とまつりへ一緒に一樹がついていく下りはギャグに見える一方、直後に一樹が何故ついていったのかが明かされ、幽霊が見える人間と見えない人間の違い(幽霊と会話しているところが他者からは見えない)が突きつけられる。まつりと二人きりになるな・させるなと言う一樹。生身の体と思考や感情を司る脳がなく、疲労もなく、睡眠も取らないことから人間で言う切り替えができない幽霊は、思い詰めれば危険なことが起きる可能性があると指摘する下野先生。
実際、作中では主人公たちのまつりへの気遣いとそれへの悩み・微妙な距離感が随所に描かれる。特に、花鎮めの祭りの際主人公と奏奈を誘うも忙しさゆえ断らざるを得ない二人(奏ルート)や、GWで皆が実家に帰るつもりな中帰る場所のないまつりのシーン(共通ルート)。
花鎮めの祭りの後、雛菊が言う、物事は多面的であり、一つの面から見れば一見ただの楽しいだけのイベントでも、そうでない所からは深い意味を持った大変なイベントかもしれない、という台詞は、この作品全体に響く台詞でしょう。
個人的にこの作品は、御厨みくり作品の中で一番バランスが良く、シナリオのレベルも高いものだと思うし、管見の限り世間的な評価もそういうものだと把握しております。個別のシナリオについては、後に詳述しますが、ここではその要因について作品全体的なところから若干考えてみます。
まず翠の海や箱庭ロジックでは主に母親的な存在が明確に存在していて尚且それへのアンビバレントな想いが感じられる一方、父親的な存在は正面には出てこなかったし、出てきたとしても母親と同じく「親」の負の面の象徴的な扱いとしてだったと思われます。しかしこの作品では、それでも一般的に見れば出番は少ないものの大人の男性としての長嶺が登場し、それだけでなく長嶺・下野両先生、理事長の蘭子は(繰り返しになりますが全体的に出番が少なく、更に彼らも完璧ではないという問題はあるものの)、一貫して理解力のある大人として描かれています。これは先に翠の海と箱庭ロジックをプレイしていたこともあって、特に印象に残った点です。どちらかと言えば、抑圧の象徴としての親と対決するというのは人にとって、逃れられない重みのようなものですし、作品のテーマ自体をかなり重くしてしまいます。ただプレイすると分かる通り、彼らはそもそも出番自体少なく、比較的出てくる下野も決して万能ではありません。しかしながら、翠の海や箱庭ロジックの大人が大体、有能・権力者・抑圧者・人生で乗り越えるべき障害として扱われていたのに対し、本作では決して万能ではないものの、理解力がある・優しい・後進を導く・彼ら自身も時には1人の人間として恋し悩んでいたりする(グランドルート参照)といった形に描かれているのは、明確な違いとして指摘できるでしょう。
むろん、抑圧的な親や大人といった要素がないことがこの作品の評価を高くしたと言いたいのではなく、この作品では親との対決と克服ではなく、やや非現実的な人と幽霊の関わりをテーマに選んだことで、却ってとっつきやすく、より明るめで読み手に説得力を与えることも可能になったのだと思います。
ただ主人公の親が存在はするものの出ないこともあり、そういった要素が多分にそういう偶発的に出てこなかっただけ、という可能性もありますが。
また上記の重いテーマ(親との対決)だけでなく、それ以外でもシリアスで剣呑な空気が流れることもあり、登場人物が裏面を出してくることも多い翠の海や箱庭ロジックと、この作品は明確に異なります。翠の海ならそういう重い雰囲気や重いテーマを灰奈や子どもたち、主人公の味方である優希らが、箱庭ロジックなら少々ズレた方向ではあるものの、ある意味一本筋が通った霧架と瑚子が中和してくれていました。それに対してこの作品は、何度も述べたように初めからそういう作品ではない。閉鎖的な舞台ではなく、(他2作と比べれば)開かれた舞台の元、幽霊と人との関わりがテーマとされている。序盤から出番の多い、まつりと奏奈がそこまで尖ったキャラではないということもあるのですが、他の2作品が比較的暗い・重い・裏のある雰囲気の中で清涼剤や緩衝材的なキャラを出してきたのだとすれば、この作品は初めから明るく・穏やかな雰囲気が流れ、けれどもその方向性と必ずしも合致しない考えや、これからへの懸念が示されるという形になっている。いわばそれが初期の雛菊であり、雪花であり、杏なのでしょう。
翠の海にしろ箱庭ロジックにしろ、後ろ暗い目的の下つくられた人工的な舞台に住む主人公らが、希望を見出していくという方向であるのに対し、本作はそうではない。ある意味、陰惨な舞台だからこそ、当事者たちに寄り添われているとも言えるし、良くも悪くも当事者たちの絆あるいは柵というものは伝わる。しかし、意地の悪い見方をすると、傷の舐めあい、ストックホルム症候群だとか共依存の亜種とも言える。
また翠の海にしろ箱庭ロジックにしろ、言い方は悪いが扱いきれなかった所、消化不良な所がどうしても感じられた一方、この作品はよく話がまとまっていると思う。
ただしそれはこの作品において、翠の海や箱庭ロジックにおいても存在していた問題が消えている・克服されていることを意味しません。
具体的に言えば、それは全体的にどこかあっさりめに進む箇所が散見される、という御厨みくり作品のクセのようなものが今回もある、ということです。特に今作で言えば、各ヒロインとの仲を深めていく花鎮めの祭りの準備期間ががそれに当たります。ほぼすべてのルートに共通する問題として、気がついたらヒロインが主人公に惚れて、お互い恋仲になったという印象が相変わらずあります(繰り返しになりますが、こういった傾向は翠の海にもとりわけ箱庭ロジックにもあった傾向であり、基本的に御厨氏は付き合う前よりも、付き合った後の方が比重を置く方なのでしょう)。むろん各ルートごとの本題やテーマがある故、という側面もあるとは思いますが、そこは残念です。でも御厨作品は、もっと主人公のキャラクター性や発言を練って、細かい描写を増やして、各ヒロインルートが後+1~2時間くらいになる程度、付き合う前~後の話とヒロインの心の揺れ動きとかを描写すれば間違いなく誰もが気に入る名作になると思うんですが、これは贔屓目ですかねぇ。そう思うくらい、今回の作品もそういった点がありましたが、一々言及するとただでさえ長い文章がますます長くなるので余程のものを除いては原則触れておりません(でもその一方、そういった要素が特に今回の作品では、プレイヤーに対して後から「これはこういうことなのか?」と考えさせる働きもあったのかなぁと思ったりしますし、文章が増えるといい感じの塩梅が崩れるのでは、と勝手な懸念を抱いたり)。
特に雛菊ルートは、竜笛の練習と本番に至るまでが非常にあっさりしているせいで、読み手の雛菊に対する印象も余り良くならず、雛菊が主人公を意識し始める描写とかもないため、上記の傾向が著しいです。
ただ元から主人公との関係性が強い杏、共に下野先生を手伝う奏奈の場合は、仲が良い/良くなる過程というものに、他ほど違和感はなかったです(欲を言えば、彼女らの場合も、もう少し描写をと思いました)。
あるいは個別ルートになると出てこなくなるメインキャラも多いです。例えば、全体的に雪花は他ルートでは出てこなくなり(多分雛菊ルートのアレ的に、中途半端に関わるのはダメだと考えられたのが理由かと)、奏奈ルートでは杏。杏ルートなら雛菊といった具合に。サブキャラはある程度は仕方ありませんが、理事長の蘭子・長嶺、下野の両先生・クラスメイトの由梨らが全体的に出番が少ないだけでなく(下野先生と由梨は多少出番が多めですが)、杏ルートでは本来かなり重要な役回りなはずの桐野かすみもいつの間にかフェードアウトしてしまいます(雪花ルートでは逆に、フェードアウトしたと思ったら普通に生存していました。逆になぜ?と思った一方、終わり際には出てこない、これもなぜ?)。
また主人公も比較的、いつもの御厨作品の主人公と言えるでしょう。例えるのが難しいですが、基本内省的で平均点がかなり高い黙ってててもモテるタイプ。特に作中で奏奈によく言われる通り、草食系。個人的には、余り気にならずむしろこれくらいでいいかくらいなのですが、気になる人は注意を。
個別ルートの感想前に、印象に残っていることをいくつか。まずこの作品における幽霊の設定。つまり、未練を残した幽霊はそのことを忘れている。それを思い出し、叶え、満足したら消える。そして、幽霊は各々の力にもよるが、基本的に人やモノには触れず、触れても温度や感覚は感じない。まつりルートでは、中庭の樹の下で彼女が泣くシーンがある。そこでは、幽霊は涙を流しても落ちることはない、と語られる。人と幽霊の違いはこの作品で幾度も語られるが、これは特にここで書いておきたいくらい、印象に残った。
またこの作品では、根幹テーマの「人と幽霊が関わり共存すること」を各ルートで掘り下げ、時にはそれらへの懐疑がつきつけられる。奏奈ルートでは「別れと残された人」、雛菊ルートでは「幽霊が見える人間から見た幽霊が見えることの意味」、杏ルートでは「幽霊が見えない人から見た、幽霊が見える人の危なさ」、雪花ルートでは根本的な疑問である「人と幽霊が分かり合うことは本当にできるのか? そしてそれは幸福なのか?」が突きつけられます。それらを踏まえて昇華する形に位置づけられているのが、まつりルートです(最も、後で詳しく述べるように雪花ルートは、この作品の結論であるまつりルートそのものへのアンチテーゼの側面が強いです)。
以下、各ルートを振り返りつつそれに対する雑感を。都合上、共通ルート扱いのシーンについても言及することがあります。
攻略順:奏奈→雛菊→杏→雪花→まつり
ルート評価順(シナリオの評価):雪花>まつり>奏奈>>杏>>>雛菊
キャラ評価順:奏奈、雪花>まつり、杏>雛菊
※雛菊ルートに関しては、個人的な好みと印象故、かなり厳し目な評価となっております。ご注意を。
※※内容的にもまつりは絶対最後にすべきでしょう。
※※※シナリオ評価の詳細は、雪花、まつり、奏奈ルートいずれも非常にレベルが高く読ませる内容。杏ルートはやや消化不良だが並程度ではある。雛菊は正直微妙だった。
・奏奈
その性格から、共通・他キャラのルートでも主に清涼剤として、時にはキャラクター同士を媒介する緩衝材として、時には意思の強さを見せることで、ある意味最も目立ち活躍するキャラクター。瞳の中に星(ダイヤ型)が出る感激の表情がお気に入り。ただ彼女自身のルートでは他では出てこない負の面が現れてきます。普段はそこまでこういったキャラに惹かれないのだが、今作ではとても惹かれた。というより前作翠の海でも、灰奈が一番好きなので、たぶん御厨みくりの書くこういうキャラがツボなんでしょうね。
転機となるのは、桐野かすみが悪霊となり消えるシーン。多くを持っている奏奈を妬むまま消えていくかすみ。残された主人公と奏奈は帰省もせず残る選択をするほど、その消失を引きずり続ける。その一方で、別れはいつか訪れるものであり、一度死んでそれでもまた誰かにその死を悲しんでもらえるのは幸福である、と言う由梨が対比されます。
奏奈のキャラクターとしては、長年下の弟妹の世話を焼いてきて、周りから頼られ続けてきた一方、部屋等は弟妹と共用で自分の時間や居場所がなく、息苦しさを覚えることもあったという面がある。主人公と恋人になってからは反動からか寂しがり屋かつやや独占的なところを多く見せるようになります。
話のテーマとしては、親しい人に置いていかれ、それを引きずる奏奈。その帰結として、「たられば」ばかりを考え周りが見えなくなる奏奈でしょうか。思いつめると周りが見えなくなるというのが随所で強調されているように見えます。しかも他ルートでは、ふつうに帰省したことで、親戚の死をある程度昇華できたと思われるのに対し、このルートは帰省しない=恋人を得たことが余計彼女の後悔の念が苛まれる。
最終的には、ルートの始めにもあった、まつりが感じる寂しさがそのままリフレインし、やがては奏奈の周りへの拒絶に至ります。これから何かある度に、「まつりちゃんへ報告しないとダメ?」と言うシーンは、ゾクゾクする。その後、自分には覚悟が足りなかったと思いつめる下りまでを含めて、読んでいて脱帽しました。健気で明るい子の心が、蟻の一穴から崩れていき、泥沼にゆっくりと沈んでいき、やがては極端な思考に知らず知らず陥り、気がつくともう本人にはどうしようもない。正直読み手としては、読んでて精神的な高揚を感じました。
思うに、奏奈は他人への気遣いをするときはそうではないのですが、自分自身のことが関わると何かを主体的に選ぶというよりは、流れに身を任せる面や肝心な選択を誰かの助言やアドバイスに求める傾向が強いのでしょう。学園に来たのも祖母の後押しであり、学園から離れようとするのも、雛菊の言葉の意図せぬ結果であるように。BadEndではこれからどうするのか・どうしたいのかさえ、主人公に委ねてしまった結果、潰れてしまいます。でも、これは栞いわく「堅実な最後」なのですよね。無論、これもこの作品の裏面なのでしょう。
GoodENDの方では、本人が何をしたいのか・どうしたいのかを考え始め、自分の意志や欲求を主張するようになります。
終盤また主人公・奏・まつり一樹の4人で遊びに行くようになる、というのがこのルートの全てでしょう。ここを見るに、結局は奏奈の心持ち次第であり、後にエンディングで語られるように支えてくれる人がいるか、ということなのでしょう(実際、一樹やまつりは奏奈のことを度々気にかける描写があります)。
最後の方で、かつて由梨が述べた言葉が、形を変えて今度は蘭子により語られます。新たに、生きることへの讃歌が付け加えられているのは、直接は奏奈へ向けた言葉なのだと思いますが、この作品の根底に流れるものでもあるのでしょう。
個人の好みを言えば、個別ルートがあってこそ普段の彼女がより一層引き立つのだと思いますし、個別ルートで見せる精神的に崩れていく過程が本当に、ああこういう感じで病んでく人いそうと思わされました。個別ルート以外でも、奏奈と主人公との会話が一番安定感あって、落ち着いた感じがします。
気持ちの悪いことを敢えて言うならば。明るくて、気遣いに溢れていて、けれど芯の強い彼女の心がボロボロに崩れていって、決壊していくのを見れたのは、とてもとても高揚するものでした。清らかで気高い心が粉々に砕けたことで、そして彼女が自らの意思で立ち直るという選択を取るが故に、奏奈の心がいかに美しいものであるかが、私には理解できます。容易に折れないからこそ、それを丁寧に砕いていく様に悦を憶えますし、それを一つ一つ取り分け、愛であるように組み上げていく様に、身震いをします。そうして再び我々の前に現れたものは、より一層の輝きを放つのです。
もしこの作品で最も非現実的・物語的なものを選べと言われたならば、私は迷うことなく奏奈の心を選ぶでしょう。それくらい彼女の在り様は、人間的なのですから。人間そのものであるがゆえに、奏奈の心は非現実的・物語的なのです。
・雛菊
共通ルートだと最初と途中では態度が変わっているように見える人。おそらく素はまつりルート終盤とか、グランドルートあたりの性格なのでしょうが、共通と個別ルートはそうではなくやや微妙です。最初からグランドルートあたりの性格のほうが良かった気がします。
タイトル画面にもあるキービジュアルからは、まつり・奏奈と並ぶ重要人物に思えるのだが、正直シナリオの中身が釣り合っておらず、むしろ話の内容及び質的には雛菊よりも杏か雪花の方が適切な気がしました。無論、ルートの最後で雛菊が見出した浄霊という方法は、(学園にいる幽霊とは異なる)普通の幽霊を救うという形で、幽霊と関わることを選ぶ方法です。その点は奏奈とは対照的なのはものです。だからグランドルートラストでもキービジュアルでも、まつり・奏奈・雛菊の3人なのだ、というのはわかるんですけれどね。
雛菊は作品の中で違う物の見方を提示したりとなくてはならない人物なのですが、個人的には(特に態度を軟化させるまでは)非常に苦手なキャラクター。このルートは最初、主人公が少々優柔不断でウジウジしているのと、雛菊が一々突き放した言い方をするため、そこは余り面白く感じられませんでした。
ルート自体のテーマは、(悪く言えば)孤高を気取る雛菊に、歩み寄るという話でしょうか。実際、後に学園の中なら自分は普通でいられるかもしれない、とつぶやくシーンがあります。しかしながら、繰り返しのように中盤態度を軟化させるまでは辛いキャラです。例えば物語の始まりでは幽霊と人とは共存できないという主張をしていた雛菊だが、描写を見る限り、普通の人々(幽霊が見えるからその点では普通ではないのかもしれないが)にも中々歩み寄ろうとしないのはどうなのかなぁ、と。
霊感があることで家族から白眼視され、芸能活動は自分の居場所をつくるというのが彼女の行動原理ですが、幽霊を敵対視するというのはまぁ分からなくはありません。ただそれはそれとして、自分と同じく霊感のある人達にすら突き放した言い方をするのは、よくわからない(クラス以外ではいわゆる猫を被っていますが、正直絶対本性バレてそうで、破綻しているような)。上記の家族から白眼視されていることを話す下りで、霊感ゆえに傷ついている経験が他の人にもあるのかも云々と言いますが、彼女自身の普段の言動がアレなので、読み手としては要するにそれだと雛菊って結局ただの嫌なヤツなのでは……?と思ってしまいました。後々の方で自分から壁をつくっていたと雛菊自身が言うので、ライターの意図的な描写なのでしょうが……。
話の中で資料室に閉じ込められる雛菊が描かれるが、この下りももう少し描写や説明が欲しい。後の描写も踏まえれば、元々内面が幼いところがあり、かなり打たれ弱かったということで脳内補完できなくはありませんが。
それと物語の序盤から雛菊が主張していた、幽霊と人とがわかり合うことはできないというものも、後景に退いてしまい、余り掘り下げられなかったように見えます。むしろこのことは他のルートで解決されているような気もします。このルートでも居場所をつくるという話は出てきて、エンディング間際にその話がまた出て、その時に雛菊の中で昇華されていたことが語られはするのですが、この点が掘り下げられなかったのは正直残念としか言いようがありません。最終的に浄霊師になるというところはいいのですが、元々の分かり会えないという姿勢が、桐野かすみの最期を見て考えを変える、そして恋人が出来てという事情があってこうなったのかなぁ、と頗る読み手の脳内補完に頼ってしまっています。この点は低めの評価をせざるを得ません。
それはそれとして、告白前後やデートの頃から、雛菊がポンコツ化し、一気に精神年齢が下がると共に、強気に出られると弱くなる面が出てくるため、このあたりになると可愛さが出てくる(この辺り、御厨作品で見たことあるな、とデジャブを感じました。特にクレーンゲームで景品が取れず「うー、うー」言う辺り)。ついでに言えば告白からのキスからの初体験で、最終的に怖気づいてその場では止めるというのは、中々見ない展開なので(変な意味ではなく)面白かった。というよりこのルートは、生理ネタといい昔の写真の話といい、そういうので笑わせにかかっている。
ところで雛菊ルートは、序盤で雪花に関わる選択肢をすることで、BADENDに変わります。いわゆる雪花ヤンデレルートなのですが、こちらも正直描写が足りない気がします。仲良くしようと言ってしばらく雪花を放置した主人公が大体悪いのですが、ヤンデレになるきっかけはあってもヤンデレへ至る過程が足りない。ただそれでも、自らの存在を消してでも雛菊に虚実ないまぜな記憶を植え付ける手法と、その結果、幽霊どころか人と関わることすら嫌になる雛菊という結末は悪くないです。過程は不十分ですが。
というか雪花ルートのGood Endでの雪花と雛菊の会話、雛菊自身による最初の頃の発言への謝罪と釈明があるのを見ると、どうして雛菊のルートでこういうことをやらなかったと思います。本当に惜しい。
まとめると、共通ルートと個別の始めのキャラクターと、本来の雛菊の性格の描写(特にまつりルートやグランドルート)に自分はかなりの乖離があると思ってしまいました。無論一個人の意見であり、多分に好みが反映されたものですが。
このルートの癒やしは、お姉ちゃんに任せなさい、と主人公の恋路を度々応援してくれる奏奈。
・杏
健気で献身的な妹だが、そもそも出番自体相当少ない人。シナリオの質は決して悪くないのに、グランドルートでも出番がない。
このルートは、まつりが花鎮めの手伝いをする一方、主人公は手伝いの機会を逃します。そのため花鎮めの祭りは本当にあっさりで終わります。
杏はこの作品の中では主人公とは別の学園に通っているため、部外者として位置づけられます。他のルートで出てこないのが残念ですが、当然自身のルートではその分出番が多めです。ここでは、主人公が普段どう過ごしているのか辺りがなんとなく把握することができます(でもそれはそれとして杏が他ルートでフェードアウトするのは……)。そして、このルートでは主人公が幽霊のいる学園に通っていること、主人公に幽霊が見えることが杏にバレることで話が動き出します(個人的にこの下りそしてこの問題は最近の作品なら共通ルートに入れて解決を図るものかもしれないなぁと感じました)
このルートのテーマは、幽霊が見えない人(杏)との関わりでしょうか。ぶっちゃけ雛菊ルートよりこちらの方で、幽霊と人と関わり合うことが本当に幸せなのか、人と幽霊が関わることの是非、が問われます。後述のように、幼い少女の霊に突き落とされる下りがあるため、余計雛菊ルートの存在意義が……。
読み手は作品の始めから、主人公が幽霊を見えないことが他人に理解されない苦しみ、普通の人のように見える幽霊や同じく幽霊の見える人と関わる姿を見ているため、主人公の考えはわかります。しかし他者から見れば、主人公はある意味変な幻覚や妄想を見ているようにも受け取れますし、ましてや杏の立場からすれば主人公を非難するのは、十分納得できます。
しかし欲を言えばこのルート開示される情報のいくつかは、作品の根幹に関わる問題なため、杏ルート以外できれば共通ルートでも出してほしかったとは思います。例えば主人公と杏が歩み寄った後の第一歩として、まつり・奏奈・一樹を紹介するという流れになること。その後、主人公が昔交通事故に遭ったという話、その事故のきっかけが当時の幽霊の友達(かれん)によるものであること、杏と出かけた時出会った幽霊のひめに突き落とされたことです。初見は面食らいましたが、本来の幽霊とはこういう存在なのだと気づいてからは納得しました。普通の幽霊は生者に害を与える場合がある(=学園にいる幽霊のほうが例外的)、ということの例証ですね。
ただこの点は、幽霊と同じ学園に通っている人々とそうでない人との関わり、普通のそして作品世界では本来の幽霊の無邪気だけれど人間にとっては害のある行為、まつりに出会う前の人と関わることを恐れる面を持つ主人公、己が幽霊を見えることにより生じる不安や将来に怯える主人公、といった作品の根幹ないしはテーマと話の展開の上で重要な要素があるため、この点を最初から明示して話に組み込んでも良かった気がします。
目を覚ました主人公に何があったか問い、何も言わない主人公に対して、杏が教えてくれないのに信用してほしいなんて無理だ、と言う下りは強く印象に残っています。どうして自分(杏)に届かないもの、見えないものにあなた(主人公)は手を伸ばすのか。そう問い詰めるシーンは、この作品の表のテーマ(人と幽霊の関わり)の裏に間違いなく存在する問いかけとも言えるでしょう。
最終的な答えは、とてもシンプルだけれども、そこへ至るのは並大抵のものではありません。杏は主人公が自分の力を役に立たせることができる道を選ぼうとすること(文章から判断すれば、長嶺先生に相談したりして、超常現象等の研究職に行きたい)を尊重し応援します。その一方、自らを大切にして、自らを大切に思っている人間がいることを忘れないで欲しい、と願います。大切な人と離れたくはないという思いと抱くかもしれない未練故に杏自身も幽霊になった人への理解をし始めていきます。
(ところでこの作品では日付や時間が進むとアバンタイトルが出てくるのですが、杏のエンディングではそれがなく、画面左上に数年後となっている箇所があるのは何故なのか)
・雪花
杏と同じくそもそも出番自体相当少ない人。幽霊をテーマにした作品なのに、攻略ヒロインに幽霊は過半数を占めていないじゃないか、と侮るなかれ。彼女は相当のポテンシャルを持っているだけに本当に勿体無い。どうせならシステムボイスも普通仕様と病み仕様両方が欲しかった。BadEnd・GoodEnd共にシナリオの質は今作で1、2を争うレベルなのに、グランドルートでも言及されない。
ところでこのルートはいつの間にか、主人公が雪花を下の名前で呼び始めます。多分、GW明けにまつりのことを呼び捨てにした件で自分も下の名前で呼ぶことを強要したのだと思います。でも雪花も主人公を名字で呼んだり、名前で呼んだりとバラバラなときがあります。
この作品に出てくる幽霊は基本的に皆、明るかったり人当たりが良かったりする人物が多いのですが、雪花は逆に幽霊も含めた他者と関わることを怖れているキャラクターです。体もなく、世界に何も残せず普通は誰にも見えない「空気」のような存在なのに、何かを考え求めている自分がいるというのは異質である、というのは雪花を象徴する台詞です。他の幽霊も自分と同じ「空気」と思って学園に来たが、そうではなかったというのが、彼女の内面を伺わせます。しかしながらそういう性格であり力が弱くモノに触れたり動かせたりできない彼女が、(後述する精神面での不均衡も含めて)ある意味一番幽霊らしい幽霊でもあります。
雛菊ルートではいきなり病んだ印象が強いですが、こちらでは奏奈に挨拶を返せなくなったことを申し訳なく思ったり、他人を気遣ったり、と彼女の人の良さも示された上で、おみくじの対人運が良くなかったという(一般的な人の感覚からすれば)些細なことから、奏奈への態度を悪化させ、主人公以外に構わなくなるという、彼女の精神の不安定さが示されます。声優の方の演技力もあって、主人公とそれ以外の話題のときの声のトーンの違いが、そのことをよく引き立てます。
敢えてテーマについて言えば、前半では相手のことを考えない一方的な信頼・愛情でしょうか。彼女の口から語られる、常に裏切られたり喧嘩したりする可能性がある皆と仲良くするよりも、何があっても絶対に信じられる一人だけがいればいい、といういわば愛の哲学にそれがよく表れています。当然、他ならぬ主人公と読み手の多くが気がつくように、そこにあるのは雪花から主人公への一方的な信頼あるいは一方通行で(酷な言い方をすれば)身勝手な愛情でしかなく、主人公がどう思うかは雪花自身のそうであって欲しいという願望にすぎません。共通ルートで下野先生から言われた、幽霊が何かを深く思い込んだとき、にまさしく該当します。
しかしここで言う「一方的」という見方自体、主人公の視点に依っている面があるのも事実。雪花自身、ある種この作品の影の部分の象徴的な面もあります。また彼女がそうなる思考をする理由も納得できますし、そもそもこの作品における本来の幽霊とは彼女をもっと酷くしたような存在であって、作中的にはそんな彼女でも強力な方なのです。まさしく雪花が求めたものは、自分への絶対的な味方であり、それを必要とするほど彼女の内面は繊細かつ普通の人と同じだったのですから。
それはそれとして、家で疲れた休んでいる時にチャイムが鳴って、「彼女」はチャイムを押せないはずと主人公が慌てるシーンが好きです。そこで一樹から励まされて、主人公がこれでうまくいくかなぁと思った後、病んだ表情で映る雪花も好きです。一樹の後をつけて主人公の家を把握する、幽霊らしくいつの間にか部屋にいる、と。ヤンデレらしさと幽霊らしさハイブリッドを遺憾なく発揮していきます。
雪花が現在のようになってしまったのは、生前のクラスメイトからのいじめ(主に無視でしょうか)によるものです。「夢」の中でそれが明かされると共に、主人公の精神を少しずつ誘導していきます(例えば主犯格を、まつりの姿にしたり、いじめに何だかんだ従う人を奏奈にしたり。おそらくこれは各キャラの負の面の象徴でもあるのでしょうか?)。あるいは夢の中でいじめの舞台であるのがそのまま学園であることから、幽霊と人との共存の場である学園すら雪花にとっては取るに足らないものであり、憎む対象となっていることの現れかもしれません(というか屋上でファーストキスと言っていたのに、主人公の部屋でもファーストキスと言っているのはたぶんどちらかが間違いですよね)。
この夢の世界で選択肢があり、エンディング分岐となります。片方は夢を現実と受け取り、雪花に取り込まれるもの。おそらく主人公は雪花の都合の良いように洗脳されている面もあるのでしょうが、前述の雪花の愛の哲学は叶えられたことになります。ただ個人的な印象としては、雪花本人もどこまでが自分の造り物でどこからがそうでないのかもう分からない節があるようにも見えますし、いつかこの造り物が壊れることを予感しているようにも見えます。杏ルートを踏まえると、現実世界で目覚めぬ主人公を前にする杏の心中は相当なものとなっていそうです。原因を知っててあの態度ならそれはもはや精神的に壊れる一歩手前な感じがあります。
もう一方のルートは、主人公が夢への違和感に気がつくことで事態を打開し始めます。きっかけがまつりの制服の胸のリボン(幽霊は黄色、普通の女子はピンク)の色の違いというのが細かい。こちらのルートについては、作中で語られた通りなので多くを述べる必要はありませんが、主人公が雪花の過去を知った上で彼女を受け入れる選択をし、彼女の本音「寂しかった」という言葉を引き出したことが最終的な解決に至ったのでしょう。雪花の精神が安定し、元々の彼女に戻ったことは、主人公のことを心配していた杏を見ての一言からも明らかでしょう。お互いもう一度友達から始め、クラスメイトともやり直す選択がされますが、ここで主人公が戻ったのだからそれでいい的な一樹と、すべてを聞かないと頷けない、と言う奏奈の対応の違いが印象的です。
一概にどちらが正しいとは言えませんが、ライターは雪花自身に自分の行いを直視させるという意味も込めて、二人の前ですべてを明らかにさせたのでしょう。雪花自身、すべてを話さなければ前に進めず、自ら何も知らなかった頃に戻ってしまうと語るのは、前作翠の海のみちるルートでもあった過去の己の行いから逃げない、という展開を彷彿させます。無論各ヒロインの行為を一概に比較することはできませんが、これはライターなりの主題のリフレイン・再言及なのでしょう。そう考えると箱庭ロジックでも似たような要素はあった気はします。では他にこの作品で雪花自身が己の罪についてどう考えたのかと言えば、残された家族のことを知る権利をなく、それは自らを殺した罪ゆえ、と語るところでしょう。
主人公の入院中や退院後の言動からも、雪花の元々の性格が控えめながらも明るい性格であったことが分かりますし、友人とよく笑う素直な性格と分かります。彼女が変わったことを示すのが、雛菊がモデルを務めた雑誌記事を奏奈と共に見て、その感想を本人に言うシーンです。昔生きていたとき見たのは雛菊がもっと小さいときで、大きくキレイになった彼女と共に学校に通えて良い、と言えるようになったことです。これに対する雛菊の返答と最初の頃の態度への謝罪も、彼女の成長を感じさせるものです(つくづく雛菊自身のルートの内容が悔やまれる……)。
そして、最終盤新たに示されるテーマこそ、幽霊と人間の恋愛は許されるか、という問いです。友人をつくることと恋愛をすることは違う、と言い切る雪花。夢の世界では普通の人間のような独占欲や肉欲はあったが、現実ではそういう感情はないと言うところは、人と幽霊の違いを明確に示していますし、またもう一度間違いを犯すかもしれない、それは「信じる」だけでは乗り越えられない、という重たい言葉が突きつけられます。その選択が、「恋」ではなく、「穏やかな感情」なのです。たとえいつかまた「ドロドロした黒い感情」が生じることがあるとしても、「2人でその後の道を」探すことを雪花はその場では選びました。しかし最期、彼女が選んだのは幸せを抱いたまま、消えることでした。
置かれた状況や犯した罪は異なりますが、少なくとも翠の海のグランドエンディング時では、為すべきことがまだ多くあり、未だ全員を救うことはできていない櫂(同作主人公)とみちるとは異なり、雪花は最期は穏やかで大切な人や友人に囲まれた日々を過ごすことができました。しかしそれでも生きていくことができた、みちるたちとは異なり、幽霊の雪花の結末は傍から見れば非常に切なく、読み手の心を抉っていきます。ところで御厨みくりさん、なぜどうしてここに至るまでのところをもっと描写してくれないのです。雪花ルートは本当に色々なところが描写が欲しい欲しいと思ったルートでした。なんだかんで皆「お前…消えるのか」が好きなんですから、それをじっくりねっとりやられても少なくとも私は悪く思いません。
敢えて踏み込んで言えば、直前まで語られた「2人のその後の道」を探すことが、少なくとも雪花ルートでの答えであり、この作品や翠の海でも示された罪との向き合い方にも合致する、と一見すると思えますが、雪花が消えるという方向へ向かったというのは、意味深です。これは書き手にとっても難しい選択だったのだと思いますし、最後の結末への是非は自分の中でも迷いますが、この結末には意味があるのだと感じます。雪花シナリオが特にラストにかけて秀逸なのは間違いありませんが、私が特にこの点を意味深と思ったのは、十分言語化出来ないのですが、ここで雪花が「2人のその後の道」を探すのではなく、再会を願って消えたというのは、まつりシナリオのエンディングで消えることを選んだまつりとは、たぶん180度異なる理由のゆえではないか、と思うためです。強い意志を持って消えることを選んだのがまつりならば、雪花はそれ以外に選択肢がなく、儚い望みに縋り付くしかなかったのだと思います。
以下は、多分に私の想像と推測も含みます。まず雪花が消えるまでの下りは完全に翠の海のみちるルートのグランドENDの流れです。罪を許され、これから生きていく2人が描かれていくはずの。しかし雪花は、この作品において色々な意味でアンチテーゼであり、例外が多く該当するキャラです。たしかに学園にいる時点で平均よりは強いけどまつりや蘭子、由梨に比べれば、弱い幽霊(おそらく、かすみも)。たくさんの信頼できる皆ではなく絶対に裏切らないと信頼できる一人が欲しいと願う。彼女のルートでの「ソラの花」とは、他とは異なり主人公から与えられるものではなく、消えるときの彼女自身から流れた涙、すなわち去りゆく者から残された者へ贈られたもの。いじめのシーンで彼女の机の上に置かれたのは、ある意味本来は定番ですが、この作品においては根幹に関わるモチーフである花瓶に入れられた「花」。彼女は他のルートでは基本的に認知すらされることはない。といったように思いつかないものも含めればまだまだあるでしょう。
そんな彼女は、翠の海でのマキナのように、主人公たちと適合できなかったのです。主人公が雪花を愛してくれたのは夢の中での幻覚・催眠あってのことで、現実では雪花自身もはや愛が与えられないと分かっているからこその、あの「恋」ではなく「穏やかな感情」なのではとすら思えます。最期の日々は、雪花にとって求めていたものとはズレていた面があったようにも見えます。だから永遠に続けることはできない。栞の花言葉に曰く、雪花に対応するスイセンは「自己愛/ エゴイズム/ 私の愛を受け止めて」(BAD)、そして最期の場面でも写っていたスノードロップは「希望/ 慰め/ あなたの死を願います」(GOOD)。まさにこの通りの話で、エゴイズムに浸り続けることも、自らの愛を受け止めてもらうこともできない雪花は、かといって愛する人の死を願うこともまたできないから、最期に至るまでの日々を慰めとして、それ以上の幸福を求めることを禁じ、それでもいつかの再会という本当に文字通りの希望を抱いて、自ら死んでいったのです。
おそらくこのシナリオは作品全体の裏の部分。幽霊と人とは共存できないのではないか、を示すことが目的という面もあるのでしょう。主人公が中盤雪花を拒絶するのもその印象を加速させますし、彼女が自身のルートでも緩やかな終わりか、定められた別れかしかなく、その他のルートでは存在さえほとんど認知されないというのは、間違いなくこの作品のネガの部分を象徴しているのでしょう。
踏み込んだ言い方をすれば、御厨みくり自身による、翠の海へのセルフ・アンチテーゼ。
・まつり
メインヒロインにして、賑やかし役。現実にいたら中々はた迷惑だが、シナリオ的には彼女のような人物がいないとダメという、まさにフィクションの申し子。しかし彼女の素はとても優しく健気な性格であると推察されます。二人きりのときは、黙ったままか時折電話をしているフリをして話し合うことを提案するように。隣にいるのに話すこともできない。けれども彼女はただ笑っている。そんな彼女自身が何を思い何を考えているのか、は主に彼女のルートで明らかになります。
このルートを一言で言うならば、これまでの各ルートで提示されたものの再提示・リフレイン・そしてそれらに対するこの作品の答えでしょう。
PCの使い方を教えることから提示され始める幽霊には何ができるか、という問い。誰かの役に立ちたい、幽霊の自分も何かを残したい、というまつりの願いと同時に、それを願って良いのかという思いがここで示されます。それに対して、まつりが変わっていき、距離感が変わることに複雑な思いを抱くのが主人公です。
奏奈と同じく転機となるのは、桐野かすみの件です。中庭の樹の下で、まつりが「私は悪くない」と言うのが好きな所です。そういう心情を言うヒロインは珍しい。まぁそれはともかく、この出来事をきっかけに、問われるのは幽霊と人とが関わること、幽霊が幸せになることが許されるのか、そして幽霊と人間の共存です。主人公が願ったのは、まつりという「一人の人間」が笑える場所をつくること。まつりが願ったのは、図らずも桐野かすみを消滅させてしまった自分をいつか許せるようになるほど、同じ過ちを繰り返さないように強くなることでした。そして二人が願ったのは、共に生きて、幸せになること。
告白に至るまでの流れと恋人としての日々はこの作品でも1、2を争うレベルの出来でしょう。しかしその一方、奏奈や一樹は友人だからこそ二人のこれからに心配しまう。実際その懸念はある程度あたっており、ほかならぬまつりが人前に二人で出ることを怖れています。それに対して、他人の目を気にしないと言う主人公。普通ならここは主人公の言うような方向性で話が進む可能性も高いですが、この作品は安易にそれを是としません。自分たちが楽しければそれで良い(=まつりと自分が笑えばそれで良い)と思う主人公に対し、自分のせいで主人公が奇異に思われ周りが笑っていないことを悲しむのが、まつりです。
話が動くのは、幽霊に襲われた雛菊が意識を失い、魂の抜けた雛菊の体にまつりが入り込んだときです。人間として相手の体温を感じ、触れ合うこと、感情の高ぶりで震える己の鼓動を思い出したまつりの心が揺らいでいき、生身の体への執着を始めます。
物語はここから分岐し、まず主人公が長嶺に相談したことをきっかけに、雛菊の体をまつりが使うことを止められるルートです(相談しなければ、待っているのは当然雛菊の体をまつりが乗っ取るルートです。この結末はある意味主人公にとって最もキツイものです。ただ学園入学の環境や妹の杏がいてくれることを思えば、まだ最悪ではないと思いたい)。
ここでは由梨がまつりは一人で考え込む性質だから誰かに話すよう諭します。それをきっかけにまつりは、奏奈に打ち明け、迷いを振り切ります。その後主軸となるのは、由梨とまつり、そして主人公とまつりの過去での繋がりです。現在とは異なるかなり捻くれた性格の生前のまつりと、その友達である幽霊の由梨。ここで印象的なのが、幼い主人公は子どものためまだ十分理解できない祖父の死よりも周りの友達の祖父母も死んだこと、これから友達と遊ぶことを無邪気にまつりに話し、まつりは自分ももうすぐ死ぬのだと叫ぶ寸前、由梨に止められます。いずれ来る死を割り切っていたはずなのに、仲良くなった少年の子どもながらの語り方から初めて己の死から目を逸していたことに気づくシーンです。これをきっかけに本当の意味で捻くれていくまつりに対し、由梨は善意を善意として受け取るよう叱りますが、まつりには拒絶されます。
幼い主人公と由梨がまつりの心残りだったことが明かされると共に、主人公が幽霊を見えるようになったのはまつりの「祈り」であったことが分かります。つまり元々のまつりの力が移ったということです。ここでまつりから問われたのは、自分が死んで悲しいか、でした。それに対して主人公が答えたのは、それでも出会えたのは運命だ、というものです。まつりに会えたからそれで良い、というものです。ですが、ここで問われていたのは、やはり、まつりが死んで悲しいか、なのです。
ここで悲しいと答えれば、生きていたかった人間として出会いたかったというまつりの言葉が返ってきます。しかし真の意味で、まつりが幸福になるその行き着く先は、当然まつりの消滅を意味します。主人公・まつり・奏奈・一樹の4人でいるときが一番楽しい、と語るシーンで明らかなように、これは雪花ルートで既に示された結末のリフレインでもあります。そこから先は、まつりによる各キャラへの遺言と言えるでしょう。覚悟を決め、去ることを告げ、いつかまた会うことを願うまつりに対して、主人公が言えることはただ、行かないで欲しいという言葉だけで、それに対してまつりは謝るだけ、というのがこの上なく残酷な形となっています。雪花ルートでは彼女の選択を受け入れ、いつかの再会すら願った主人公は、ここでは消えることは終わりであると断言し、まつりが生きることを懇願します。しかし、生きている人間と幽霊との超えられぬ壁がそれを阻みます。消えゆく者は強い意志で再会を望むのに対し、受け取る側の違いで受ける印象は真逆となります。しかし、長い月日を経てかつての少年から待ち望んだ言葉を告げられた時、彼女は間違いなく幸福でした。ですが残された者は、その喪失感を引きずり続けていきます。奏奈の話がここではオーバーラップしていきます。残された者のうち、由梨は世界と人々を見て生きていくことを選び、主人公もいつかの再会を願い、まつりに向けてソラの花を贈る。こうして物語の幕は降ろされます。でも最後の一枚絵はもっと良いのがなかったのだろうか。普通に茉莉(まつり)花のイラストとかでもいいでしょう。でも個人的にはこちらの終わり方の方が好きです。既に書いたように、雪花ルートの終わり方とは一見似ているようで過程も結末も主人公の受け取り方さえも真逆でしょう。
悲しかったかと問われたときに、そうではなく愛する人と出会えたことが嬉しかったと答えることで選ばれるのは、たとえ歪でも二人で生きていく未来です。ここでは二人で恋人してのルールを決め、折り合いをつけて、周りの人間(幽霊の見えない杏)との関わり方が模索されていくのが描かれます。何気に、幽霊が見せる夢の中であっても高望み(子どもをつくること)は止めようとする辺り、雪花ルートのBADエンドとは対照的な形となっております。
正直、別れか共に生きるかのいずれを正規のルートと見るかは人それぞれな感があって、比較不能でしょう。雪花ルートを踏まえれば、幽霊と人がいつか別れることが予定されているように見えますが、そちらの内容的には雪花の罪も関係していますし、何よりこの作品のテーマは人と幽霊の共存ですから、二人で生きていく方が本来の筋のようにも見えますし、グランドルートもこちらの続きです。ですが結局の所、それを決めるのは人それぞれの考えであって、それゆえにどちらの結末でも主人公は、まつりへソラの花を贈っているのでしょうし、制作側もどちらもGood Endとして正規ルート扱いとしているのだと思います。
・グランドルート(クリア後)
一樹と奏奈がリア充に辛辣なのが面白い。
理事長、長嶺、下野先生の出番が多め。
ここで理事長から語られる、幽霊である自分の存在が生者のことを縛り付けてしまったという台詞と、それでも母親と一緒にいたいと願う娘というシーンは、やはりこの作品の中で何度か出てきたテーマでもあります。去っていく者は残される者の幸福を願い、残される者は去りゆく者こそが必要と叫ぶ。ここには微妙だけれど埋めきれないスレ違いがあるように思えます。それに対して、まつりがおかしいと言い、共に歩めることで進める未来もあるはず、二人だから歩める未来もある、と訴えます。このまつりの言葉こそ、この作品で幾度も示された問いかけ、幽霊と人とは共存できるのか、に対する作者からの答えなのだと思います。幽霊がこの世に残した未練がなくなっても、次の目標を見つけて生きれば良い。それがこの作品で出された答えなのでしょう。
母親と娘の相互理解と、これからも続く未来は、間違いなく最も明るい結末です。それに象徴されるように、この作品が読み手の心に多くを訴えかけるものを持っていることは間違いないでしょう。
・おまけシナリオ
由梨の話。グランドルート後の最後にやることで感動を破壊しに行くか、先にやってグランドルートのいい話で締めるかは人それぞれ。
由梨といい理事長、下野・長嶺両先生らの出番がもっとあればよかったと悔やまれる。100年前から生きているキレイで素敵な大人の魅力ある由梨お姉さんをヒロインにしてください。
その他細かい点を。
・翠の海であったカード(タロット)システムのように、今作ではENDを振り返る栞システムがある。各キャラの名前にちなんだ花の話が語られている。こういう細かいところが素晴らしいし、花言葉とかに着目して、ストーリーを振り返ってみると、色々おもしろい。
・一樹:いいやつ。共通ルートでまつりと二人になるな・二人にするな、というところも好きですが他に挙げると。特にまつりと一緒に、各ルートで主人公とヒロインを冷やかしたりするところ。杏ルートで、(手伝いの機会を逃した)主人公と花鎮めの祭りを見るところ。雪花ルートで気を遣って、家に来てくれて励ますくだり。まつりルートで付き合い始めたての頃の主人公に、奏奈とは逆の理由で、大丈夫かと聞く下り。
・蘭子と下野先生:声が前作翠の海のみちる・いろはと同じで、なんとなく彼女らを彷彿させるようなしないようなギリギリのラインで、奏奈ルートで、蘭子が下野先生に色々お世話になったというのは、スタッフの遊び心なのでしょう。
・キャビットちゃん:ボイステスト。先に箱庭ロジックをやったので結構出番があるかと思ったが意外となかった。
・この作者、毎回無邪気で罪悪感の余りない幼女にエグいことさせているなぁと思っていますが、今回は杏ルートに出てくる、かれん(車に向けて突き飛ばす)とひめ(展望台から突き落とす)の二人の幼女幽霊が存在します。相変わらずエグイ。
・タイトルや登場人物の名前に有る通り、今作は花がモチーフとなっている。共通ルートでまつりと訪れる花畑やエンディングの締め、栞システムの花言葉にも登場するのだが、もっと全面的にモチーフとして出しても良かったと思う。
最後に一言感想でも述べたことを、もう一度。人と幽霊の共存はできるか。それをこの作品では手を変え品を変え、問の形を変えて読み手に問いかける。各ルートで一度示された要素が幾度もリフレインされ、読み手にデジャブと共に、郷愁めいた切なさを思わせる。最後に提示される作品側からの答えも含め、この作品は間違いなく名作です。