前半は絶賛したくなるほど大好きだが、後半から読み進めるのが辛くなってきたため、評価が難しいゲーム
一言感想で書いた通り、本作に対して評者はいわば「前半は神、後半はうーん……」な立場だ。以下では、まず評価点(評者の好きな所)を述べた後、余り好きではない点(乗り切れなかった所)を語りたい。それは同時に、なぜそうなってしまったのかを評者なりに考えてみることなのだが、予め告白すると評者の好みや勝手な作品に対する先入観というものに支配されている面があることは否めない。
なお動作についてだが、評者は本作をWin8.1(64bit)環境でプレイしたが頻繁にカクつくことがあった。
さて、本作の特徴として、まず第一に触れるべきは、OPムービーだろう。美麗である。特にサビに入る辺りの魔女の装いを纏った神代アリスが箒を携え、天空へと駆け抜けるシーン。飛行機や列車といった現代文明の象徴と共に空を駆け抜けバレルロールまでし、落としたスマホ目掛け水面まで全速力の急降下――。以上の下りは、評者がフィクションに対して求めている浪漫や夢の一つの現われである、と言っても過言ではない。
もっとも評者はまずこのOPムービーを見て、本作に興味を持った。そのため、OPムービーと実際の作品のストーリーやキャラクターとの間に、相当程度の違和感や断絶を懐きもした。それは、特にヒロインのキャラクター性やヒロイン間の関係性に当てはまる。具体的には、桜とほたるの性格、実際の作品内における桜とほたる、ほたるとアリスの関係はOPムービーから評者が受けたイメージとはかなり異なっていた。
次に具体的な本作のストーリーについて語ろう。評者は、本作の冒頭が大好きだ。物語の冒頭で、時系列上最も後のの話を持ってきて回想から始まり、曰く有りげな魔女との語らいに胸が踊った。神社にいる不思議な雰囲気と得体のしれなさを持つ親しみやすそうな巫女さん、その後に出会うは箒に跨るまさしくおとぎ話から飛び出してきたような魔女で、その魔女さんは実は箒に乗れなかったり、とてつもなく長い時間を生きている存在らしく相手をからかう――。おまけに親しみやすさと可愛さ、滑稽さの裏には、どこかズレた危うさがありそうだ。
そんな展開が、美しいスチルや演出で描かれていて、この瞬間、評者は本作に惚れた。それくらい綺麗だと思ったし、魅了された。
その後の展開も魅力的だった。再開した一歳上のお姉さんの桜は、日頃の行動やかわいい女の子を見ると暴走する所からヘンな人に見せかけて、その裏にはアイドル活動や女優としての活動にひたむきな面を覗かせる。再開した日の海辺のシーンは、本心に見せかけた演技に見せかけて……?とテキストのみならず、スチルや背景演出で読み手に想像させる。
神社で会った不思議な巫女さんの紅葉は、日中は友達100人つくる賑やかし系キャラで、実はそんざいに扱われると喜ぶドMだけど、時折もう一つの一面を覗かせる。素直に告白すると、これらの演出は、人間の多面的な姿だとか何処に本心があるのか分からないようなキャラが大好きな自分に刺さるものであった。
ヒロインだけでなく、その周りの人々も魅力的だった。桜が出演する映画監督と主人公の母が酒を飲むシーン、陰に陽に桜に期待をかけつつ、「なぜその演技ではダメなのか」と問いかけることで決して妥協せずに後進を育てようとするシーン、それでいて自分にはできない方面のアプローチを主人公へそれとなく頼む……。
学園の料理人の上川。なんだかんだミスコンにも「ネタ枠」として出てくれて、それでいて真面目に取り組む。新入生歓迎会の前日にまで残っている生徒たちのために朝食を作ってくれてたりする。
さて新入生歓迎会の話が出たので、その話に移ろう。このエピソードは、青春の日々の素晴らしさや美しさが詰め込まれていて、だからこそ好きなシーンがたくさんあった。
例えば、東西コンビの片方、東野はどちらかと言えばギャグよりの人間だ。けれども彼は歓迎会前日は最後まで残り、翌朝まで泊まり込んでいた。それを早く来た主人公が見つけ、上川の用意した朝食を共に食べに行く……。ここまで主人公が色々と駆けずり回っていたのを知っているからこそ、東野が見えない所で働いていたことが強調され、それを大人としての上川が暖かく労う。引き受けた役割や責任をなんだかんだとやり遂げ、最後までやり抜く。そんなとき、そこにいる人たちしか分からない連帯感や秘密を共有しているような感覚を抱く。まさしく青春だなぁ、と思った。
例えば、東西コンビのもう片方、西園。東野を見返したいと本気で思い勝ちたいと思うからこそ、神代アリスとの実力差に一度は諦めかける。それを見て魔法ではなく人間らしく行動する主人公の尽力で、神代アリスとのピアノ/ヴァイオリン・セッションでの参加が実現する。練習を重ねた末、最後にはミスコン一位になってしまう。やる気はあるけど実力では叶わない、そんな誰かのことを見捨てずに助ける人がいて、助けた誰かにとって最高の結末が待っている。
例えば、映画撮影中であるにも拘らず、苦難を承知でミスコン出場を決めた桜。神代アリスから魔法が必要ない子と言われた彼女だが、映画での役作りに悩みつつも、他のミスコン参加者に対しても助力を惜しまない。撮影現場でも学園でも懸命に練習する姿を見せる。もう十分ではないか? 主人公含め我々はそう思うも、彼女にとっては不十分。本気でやっているのだと、妥協していないのだと、そう分かるからこそ、ミスコン参加を取りやめようと悩んだことが伝わる。やりたいことに真摯であるからこそ妥協できない。
例えば、主人公はそんな桜を見て、他の参加者のときには頼るまいと決めたアリスの魔法に頼る。それは彼女のことを好きだから。だから恥ずかしさとか諸々を捨て去り、変身魔法で女性になってまで桜の負担を軽くしようとする。前日にはみんなの所を廻って、記念に残す写真撮影をした。夜の学園で桜と踊り、告白の返事を貰った。そこまでしたのに、魔法の代償として奪われた一番幸せな記憶は、まさしくほたるのマジックショー、紅葉の神楽舞、西園とアリスのセッション、そして桜と主人公のお芝居が行われたミスコンの時間だった。
好きな人のためだとか引き受けた役目とか諸々の理由はあれど、誰よりも尽力したことの成果を自分自身では体験できず覚えていない。これほど辛いことはない。それまでの歓迎会に向かう日々が、想い人との日々でもあり、学園の仲間との青春の日々でもあり、大人たちもその傍らで若者の努力を見ていた。
美麗な演出と決して主張しすぎない塩梅の良い言葉で彩られた眩い青春の日々に魅せられつつ、その集大成がなくなってしまったことへの切なさを覚え、けれど最後の最後でここまでが「長い長いプロローグ」と明かされた瞬間、思わず脱帽した。長い人生からすれば、ほんの一瞬の青春の陰にちょっぴりの魔法があったお話。素直に綺麗な話だったと思った。「長い長いプロローグ」の続きをもっと見てみたいと思った。
とそんな思いを懐いた評者は、今後もこのような感動が待っていると期待し続きを読み進めていた。しかし、ほたるシナリオは意に反し、ライターが書きたかったであろうテーマがよく分からなかった。三角関係を書きたいのか、顔も知らない誰かのために自分の幸福な記憶を差し出す天使が人間に戻る話を書きたいのか、擬似的な母親(作中で明かされるように正体は、魔法で変身した神代アリス)からの自立を持ってほたるの成長を描きたかったのか、魔法の代償と人間の幸福についてを描きたかったのか。おそらくその全てを書きたかったのであろう。そのため話が間延びし、その合間合間にほたるによる主人公への「愛情表現」が入ることで益々冗長となり、テーマが散逸し結局何が主題だったのかよく分からないまま、ほたるが幸せになるという結末の物語ができあがった。
もとより異論反論は成り立つことは重々承知である。具体的には、それは単にお前の好みではないか、と。正直それがないかと言われると否めない。白状すると元来評者は、ほたるのようなキャラクターが苦手であり、この手のキャラがヒロインとして出てくると、どれもこれもストーリーの展開って、既視感を感じるなぁという偏見を抱いている。特に、本作のほたるの場合、上述の思いを通常以上に抱いたことも事実である。率直に言えば、読み手である私は第三者として、ほたるが一々主人公のことを罵倒しているのを見て、ドン引きしていたのである。おまけに主人公も内心引いてたりする下りが少なくないため、余計にそれが強まる。
付け加えれば、評者のキャラクターに対する好みが、本作で言えば神代アリスや夕月紅葉であることも事実である。もっと言うと、ほたるルートではほたるよりも、律の方が人間的魅力もヒロインとしての魅力も遥かに上に思えた。剣道に直向きだけど、恋愛にはほんの少しだけおどおどしてしまう。けど好きな相手に自分の気持ちを表現することは厭わないし、面と向かって好きだと言える。携帯がないから文通で気持ちを表現する。魅力的ではないか。そんな律と上川が実は兄妹であることが発覚してから、最終的には二人の前向きなこれからを思わせる展開が好きなのだ。
更に言うなら、本作は東野と上川と二人もいい男キャラがいて、いい男・かっこいい男が好きな自分にはそこもツボだった。普段は胡散臭い儲け話とか賭け事に関わっていそうな詐欺師だけど、与えられた仕事や責任には真摯に果たす男。料理に直向きで、自分の料理を誰かが食べてくれるのが嬉しくて、頼みごとには二つ返事で応えてくれて、妹が幸せになることは一番と思いつつも恋愛は当人の問題と口を出さない大人。
以上で明らかな通り、身も蓋もない言い方をすれば、本レビューは上記のような偏見と思い込みの下、勝手に期待して勝手に幻滅したことを語っているだけの駄文に過ぎない面がある。ここまでお読みいただいた方には、その点には謝意を表したい。ただ併せて上記で述べたように、評者が本作の演出に魅せられたこと、桜ルートには心動かされたことも改めて強調しておきたい。
最後になるが、本作のラストは続編の存在を思わせるものであった。神代アリスの言う「無理矢理のハッピーエンド」がどのような結末に至るのか。本作では狂言回しの神代アリス、賑やかし役だけど曰く有りげな夕月紅葉関連、そして本作の冒頭のシーン……。事実上、これらに答えが出される機会が絶えたことは残念である。