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amaginoboruさんのハルカの国 ~明治決別編~の長文感想

ユーザー
amaginoboru
ゲーム
ハルカの国 ~明治決別編~
ブランド
Studio・Hommage(スタジオ・おま~じゅ)
得点
94
参照数
89

一言コメント

強者と弱者、狩る者と狩られる者、国と国から追われる者の情景から見えるのは、死と生に意味を求める、ひいては国の定義を問う物語。従来作品と同じくヒューマンドラマに重きを置いた作風ですが、本作を読了したことでタイトル末尾に必ず「~の国」とつく本シリーズが何を語ってきたのか、その片鱗が垣間見えた気がします。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

シリーズ前作に当たる越冬編は、極限状況下で生きる人達の喜びと苦しみを温かくも
容赦なく書き通したヒューマンドラマでした。その作風は本作でも変わることなく、
前作で宙ぶらりんのまま終わってしまったユキカゼの剣に対する想い、ひいては彼女の
生き方と薩摩男児の生き様が、やはり優しくも容赦なく書き綴られていました。

五木の「貴方は、貴方自身に敗北した」という言葉から始まるユキカゼの自分探し。
剣の道に生きると虚勢を張りながらも、その志が薄れてしまっていることを自覚し、
ハルカの前を行くことで生き方の正当性を証明しようとするも、能力差から
敵うことはなく。それでも負けたくない、負けたら終わりと意地を張る日々。

猪討伐の作戦を自ら立案し、全てをなげうって猪と戦うも力及ばず、
最後にはやはりハルカに助けられて。自身の生き方が間違っていないことを
証明できなかった。負けてしまった。

しかし負けたからこそ理解できたものもあって、それが猪が死の間際まで張っていた
意地に対する斟酌であり、蛭を殺した後に食べられないか検討したことであり、
生きる意味を失ってしまったことであり。

そんなユキカゼの常に先を行くように見えるハルカもまた、時には迷いを見せます。
例えば「猪が最後まで抱いていた感情を暴くべきではない」とユキカゼに遮られた時。
「無理に正論を通せば相手は窮してしまう」とユキカゼに諭された時。それでも
理屈を通そうとして、婉曲ながらもその心無さをユキカゼに指摘された時。
ハルカが「私は冷たい女ではない」と云い放った時。

岩手の国を追いやられたハルカもまた、ユキカゼと生活を共にしたことで、
これまで自分が正しいと信じて疑わなかった自らの振る舞い、引いては生き方に
対し疑問を抱いてたように思います。

ユキカゼもハルカも、そして五木も、自分がどこかで間違えていることは
わかっている。けれど自己の芯とする部分はそれでも譲れなくて、でもその芯の
部分を正しくは理解できていなくて、多数の人から否定されてしまうと揺らいで
しまう、そんな自分にとっては絶対な、しかし脆い芯を抱えて生きています。

けれど他の人にとってはその生き方に意味はなくて、でも自分自身は
意味が無いとは思いたくない。生きた意味を見出したくなる。何かが欲しい。
そんな感情が溢れたことでユキカゼは、ユキカゼは蛭の死骸を見て泣いたのでしょう。
意味も見いだせず死んでいったモノ達に、負けてしまい全てを喪ってしまった
自分を重ねて、そのあまりにも残酷な現実を見て。

でも生きていく以上、他者の芯と自らの芯が衝突することは必ずあります。
勝負します。負けたものはその全てを喪い終わり、勝ったものは相手の芯を奪って
生き続けることを、やはり余儀なくされます。それは人を食い続けた猪であり、
その猪を斃したユキカゼ達であり、多くの死体の上に成り立つ国という存在であり。

そんなユキカゼを見て、ハルカは彼女らしくユキカゼの抱いた感情を理屈で
まとめようとして、しかし他の2人から完全な同意は得られず膨れていました。
ユキカゼは自らの芯を完膚なきまでに叩き壊され、しかしハルカとの旅を続ける
ことで生きる意味を探し続けます。

そして五木は蛭の墓を、小さき墓を見て、意味も見いだせず負けてしまった、
死んでしまった者達を想って、その死体の上に成り立つ国のために生きた自分の芯を
想って、官に包囲されるハルカとユキカゼを逃がします。
国のために生きた自分を肯定するため、小さき墓に心を痛める2人の化けを逃がす
ことで、自分が生きてきた意味を見出します。

その他にも、父親を猪に殺されたことで人生の方向転換を余儀なくされた早乙女。
死ぬとわかっていても、古手を取り返そうと来た道を戻り殺される人夫。
五木に斬り殺された酒井の番兵。ユキカゼ達が道中で食べてきた生き物達。
この物語だけでも様々な勝負がなされ、奪い喪う様相が呈されていました。
そもそも、ユキカゼが五木に負けて剣を奪われ喪うところから始まる作品です。

強き者も弱き者も、狩る者も狩られる者も、国も国から追われる者も
自身のために勝負し、勝って奪い、負けては喪って死に、そうやって小さき墓を
作り続けて生きていることを、改めて自覚した3人の物語。それが本作の語る
一面でありました。



そしてもう1つ、本シリーズの考える国の意義についても、その見解の一部が
初めて開かれました。
まずシリーズのうち、『雪子の国』までの作品は天狗の国と人間の国を様々な
角度から描写していますが、そのフォーカスは常に登場人物達を捉えていました。
(雪子の国のみ、国に関して終盤で触れていましたが)

次に『ハルカの国』ですが、前作である越冬編と本作は、生や生きる意味を
奪われる人物にスポットを当てている点において、作品テーマが共通しています。

ただし越冬編において人から奪うのは自然。カサネが人生を奪われるのは、生きて
きただけで他に意味を見出せなかったのは、ハルカがカサネの人生を奪うのは、
カサネの生きる環境が過酷で、働けない者を養い続ける余裕がないがためです。
生き物が勝負をするのは同じ生き物ではなく、自然天変に属する存在でした。

本作も越冬編と同じく、人が奪われ喪い、生きる意味を考える物語です。
しかし今回、生き物から奪うのは同じ生き物。生き物が生きるために生き物と勝負し、
奪って喪う物語です。

そして本作は国を生き物と同じ存在として、生き物の群れを1つの生き物として
扱っています。その証左が、国と生き物の勝負を書き、作中人物達もまた国と生き物を
同じものとして捉えている点です。

猪と猪を捨てた人間、日本政府内部の天狗抗戦派と穏健派、五木と官、化けと
日本国。組織と組織、生き物と組織の勝負を、生き物と生き物の勝負と同じ土俵に
あるものとして表現しています。

今回、決別編の最後では五木の考える国について描写がありました。
国とは何か。誰も見たことがない国たる幻想を夢見て、国を作る過程で人の命が
燃えた。国は、燃え続ける命に照らされる影法師であると。国が無数に積み上げて
きた小さき墓の生み出した炎によって国は在り続けるのだと。

思えば本シリーズの登場人物は、常に国から迫害を受けた、国に奪われた人達に
スポットを当てていました。

日本から天狗の国に追いやられた美鈴。鞍馬から追い出されたキリン。
日本で生かされるも常に監視され、人間と天狗の国双方から厄介者扱いされる雪子。
そんな雪子のために、日本社会の中心と決別を計るハルト。
日本国の思惑により、住み親しんだ岩手の集落から引きずり出されるハルカ。
政府の思惑により人身御供にされかける五木。そして政敵とみなされるユキカゼ。

生き物が幸福になれる環境を夢見て作られた国。その国から勝負され喪う人や天狗、
化けの物語が『国』シリーズです。なぜ本シリーズが『~の国』と銘打たれているのか、
決別編を読むことで初めて、その理由の一端に触れることができたような気がします。