すべてを理解しようとするならに膨大な時間を要しますが、重厚な世界設定にそぐわない受動的な表現ゆえ、本質は考察せずとも感覚的に理解可能。無理に考えずとも、周回しなくても、妙は十分堪能できる作品です。「考察」「周回」の単語に及び腰になっている方。心配無用です。ぜひMYTHを手に取り、開いてください。そして物語の果てに見えたものを「思って」ください。(長文前半はネタバレなし)
規則的で合理的な、影のない世界に生きる田辺命人はある日、寄り道をした結果影を
持つ少女とすれ違う。気になり追いかけたことで異世界への扉をくぐることに。向かった
先にあったものは、実態のない影だけが生活する村だった。
一日が終わると急に場面転換。「違世界」なる物語が始まり、モノクロの世界に常識の
欠けた人物達と「僕」によるトンデモ世界が繰り広げられます。序盤はこの二つの視点を
交互に進めていくことになります。
本作を読み進めるスタイルは基本的に群像劇と考えていただいて差し支えありません。
以後も世界は増えていき、最終的には複数の世界をぶつ切りで見せ続ける形となります。
まぁぶっちゃけてしまうと意味不明な展開も大量に流れ込んできますが、その辺は頭の
隅に置いといて読み進めてしまうのがよろしいかと。
一応サポートアイテムとして各視点の人物相関図と一部の出来事を書き記した「ノート」が
用意されているので、混乱したり引っ掛かりを覚えたら随時確認していくといいでしょう。
加えてシーンごとのバックジャンプ機能も用意されているので、見返したくなったらすぐに
確認できるのもありがたいですね。
逆に自らメモを用意して読み解きながら進むのは、私としてはあまりオススメできません。
というかそうして1周目で全てが把握できるなら、ここまで難関考察ゲーとして名を馳せて
いないわけで。記憶に留めて、その時点で考えるだけ考えて、無理そうなら再び留め置いて
先に進んでしまったほうが建設的です。
また物語の後半は流れ込んでくる情報量が更に膨大になるため、一気に読み進めない
方が良いでしょう。頭がパンクしそうになったらその日はウィンドウを閉じて、翌日
以降に再開した方が理解しやすいはずです。幸いプレイ時間は15時間ほどと長くはない
ので、焦らず読み進めてみてください。
そんなこんなで最後にたどり着いても、おそらくすべての点は線で繋がらないはずです。
しかし作品テーマは世界にあまねく通底していて、繋がらなくとも想像力で補うことは
できるはず。わからない部分は「なんかこうなった」で済ませてしまっていいと思います。
そこはひとまず、重要な部分ではないので。
実際それで感覚的に理解が及ぶほど、本質だけは受動的に伝えてくれます。初プレイは
まずそこへ気持ちを至らせる事ができるか否かで、評価は大きく変わってくること
でしょう。仔細が理解できなかったからと本筋をもまとめて拒んでしまうと、消化不良の
まま読み終えてしまう可能性があります。
なのでまずは無理せずできる範囲で考えて読み進めて、作品通してのテーマを
受け止めてください。もし仔細を詳らかにしたいのであればその後がいいでしょう。
本質を深く理解するというより道中を明確に肉付ける行為ですが、『MYTH』をより
深く受け止めたい方はぜひ挑戦を。健闘を祈ります。
なんか考察自体を否定してるようになっちゃいましたが「考えなくていいからやれ!」
といいたくなる程にテーマの訴えが鮮やかだったのですよ。兎角謎だらけで設定と世界
だけをひたすら追い求める内容です。どうしても登場人物の個々へ思いを寄せるのを
忘れがちになります。
それが最後の最後で、それまで心に燻っていたものを作用点として一斉にひっくり
返るんです。入れ込み辛かったキャラ達のこれまで全てが、一気に色付き鮮やかに
様変わるその瞬間はぜひ見ていただきたい。本作のプレイを検討されているような
方には特に、1周だけでいいので目を通していただきたいのです。
仔細な考察や複数周回は不要とはいえ、やはり情報量は多くて全ては理解できないし、
テーマすらも受動的とはいえ全く考えずに受け止められるほど優しくはありません。
ですがノベルゲープレイヤーであれば誰だって受け止められる事柄ですし、またそれは
今後の物語への寄り添い方にも大なり小なり変化が生じるものです。
まずは、プレイを。そして物語の果てにあるものへ「思い」を寄せてください。
以下ネタバレ所感。考察要素はほとんどありません。そして未プレイの方は
閲覧せず戻り、他の方の感想または考察を参考にしてください。
またウグイスカグラのエロゲ『紙の上の魔法使い』の構成的なネタバレにも及びます
ので、そちらにもどうぞご注意ください。
元々キャラの自我や創造物の擁護を主題とした作品は、製作者の目的が透けて見えて
あまり好みではありませんでした。それぞれへの愛情よりも、ギミックとしての
妙や守りたいもののためにキャラや物語が踏み台にされているような気がしまして。
この手の作品多くははまず、作中人物達がさも人間であるかのように振舞います。
そうやってキャラクター達に愛着が湧いた所で「この世界は現実ではない」と断じる
ことで、あるいは作中人物に「私は非現実の産物である」とカミングアウトさせる
ことで話を進める手法が大半です。
上記をシナリオギミックとして用いたのが『紙の上の魔法使い』です。萌え然とした
外見とキャラゲーライクな前半部分で登場人物たちに惹き付けておきながら、後半で彼ら
彼女らの多くを否定します。数多の設定でキャラを縛りヒロインごとに役割を与え。
ギミックを見せる手法としては見事でしたが、キャラは完全に踏み台にされていました。
『かみまほ』はシナリオのために意識して実行していたので(私的な好悪はあれど)
方法論としては肯けるものです。しかしキャラや物語への愛情を訴えた作品でこの
ような仕掛けを用いられてしまうと、どうしてもその主張に首肯することができません
でした。
比して『MYTH』は真逆の方法でアプローチをかけています。1周目の後半と早い時点で
「これは物語だ」と断じ、以降は読み手の目を常に設定へと誘導しています。ただしその
手法は登場人物たちを設定で縛るのではなく、謎や設定の釣瓶撃ちでもって視線を
命人やヒロイン方向へ逸らさないようコントロールするものでした。
キャラの感情は鮮明に書かれていますし、いかな絶望を受けても前に進もうとする
姿勢など「生きている」描写は常になされていました。ですが膨大な世界設定と謎の
数々、それらを読み解こうとするプレイヤーの意思が視線を向けさせないのです。
同時にプレイヤー側にも仮想と現実というバイアスがかかります。どこまでが仕組まれた
もので、どこまでがキャラ本人の声か判断がつかないものだからキャラを素直に受け止める
ことができない。信用して「仮想でしたー」と返されるのが怖くて入れ込むことができずに
物語は進んでいきます。
そうやって仮初めの生と個性の死を代わる代わる見せられて、現実と仮想の区別が
つかないまま彷徨い続けた先にあるのが「ANSWER EP3“RAGNAROK”」。ヴァーサーカーが
本当の自分を思い出し、2052年の半現実世界を認識したことで全てが収束します。
ここで一気に命人やヒロイン達、登場人物たち全てに愛着が湧きあがるんですよね。
まさにドバー!って感じで。今まで見てきた彼ら彼女らの行動は、全て生きてきた証
なんだなって。ここでの鳥肌は本当に凄かった。
(私の場合、正確には悧里と諒子(MYTH内)が光の世界に戻ってきたところで、でしたが。)
EP3に届くまでの間にも、MYTHは登場人物たちの葛藤や生きる姿勢を、徐々に明確な形へと
変えながら見せ続けていました。私がそれを最も意識したのが以下のシーン。
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『興奮、感動、楽しい、悲しい』
『辛い、涙を流す...喜怒哀楽...』
『それだけなんだ......』
『............僕が今、していることは......』
『.....記号じゃ表せないから......』
『だから、動いてる』
『...悪いか!!』
『この一瞬でも...僕は生を感じているんだ!』
MYTH(b) 16.「数パーセントの“結論”」
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自分が死んでいたのを目にした絶望。それでも生きようと足掻く命人には、たとえ彼が
誰であろうと、例え仮想の存在だとしても「生きている」と断言できるひた向きさと
魂の叫びを覚えました。
一方で個性の死も見せられました。こちらはオリジナルの『Aguni-運命の先-』でしか
見ることのできないBADEND2「未来」が印象的。生まれ落ちたと同時に首を落とされ、
カセットデッキをつけられカセットテープを回して生きる人々。確かに生きてはいます。
しかしそれは「生きている」とは到底いえないもの。個人としては完全に死んだ存在
でした。
生死を生物学的に判定することを否定し、感情に対する行動やリアクションで生を
感じさせるMYTH。仮想世界の彼ら彼女らは既に死亡しており、MYTHの廻す設定の中で
しか生きられない。しかしここまでを見て、果たして彼らの人間性を否定できるのか。
あるいは生きていても画一的な世界にしかいないヒトを生きているといえるのか。
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梓門『架空の人間だって生きてるです!』
ANSWER EP3“RAGNAROK”「ラグナロク」
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『MYTH』は私に、架空存在の生を肯定させてくれました。
『かみまほ』や他の作品と違い、まずは設定や世界を見せ続けることでキャラから目を
逸らさせ、一方で仮初めの生と事実上の死を交互に見せつける。しかし夢か現かは顕に
せず、感情移入はさせない。そうして蓄積した「生きた個性」を最後に開放・伝播する
ことで彼らの個性を受け入れさせる。結果、架空存在の生やキャラの自我を認めさせる。
まさに類を見ない、素晴らしい表現方法でした。
そうして1周目が終われば、今度は仔細を肉付けするための周回と考察が待っています。
ですがそれはあくまで任意。キャラの自我を認めさせた時点で『MYTH』はその役割全てを
担ったといっていいでしょう。難関とわかっていても挑戦するか、物語の終着で満足するか。
それは掛け値なしに読み手の自由です。
ただし考察せずとも、その難解さは必須だったと考えます。いくら見せ方が秀逸だった
としても、MYTHの設定そのものが単純明快であればそこに創造物ゆえの単調さを
見出してしまい、キャラの生を認められないであろうことは想像に難くありません。
複雑難解で何人たりとも瞬時には理解できず、あるいは誰しもが理解できない代物
だからこそ、私達はMYTHとその創造物を同格の存在とみなすことができたのかなと。
この辺のバランスも本当に絶妙なんですよね。複雑難解なのにちょっと意識して読めば、
本筋だけはしっかり伝わる程度には調整されていて。独りよがりな難しさにならずに、
伝えたいことを伝えるために複雑にしている。これが処女作品とかぶっちゃけヤバすぎ
でしょう。後期作品で越えられるのだろうか?と要らぬ心配までしてしまいます。
以上「登場人物を愛しつつも架空存在の生を認めさせるノベルゲー」というのが私の
『MYTH』評なのですが、一点気になるのがMYTH創造主・市井諒子について。
彼女に関してだけは、ロキから語られる情報からと最後のシーンでしか捉えることが
できません。
つまり彼女に関しては考察しても想像の域を出ませんし、そもアースガルドにいた
ロキなどの上層管理者達、生が確認されているヒイロ(≒友里)などの生前もほとんど
わかりません。ですがヴァルキリーはこうも語っています。
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「本......具体的にはもっと技術的な媒体だろうけど。
それを通じて、MYTHの記録は永久に残る」
「...私たちにとっては、無為な日々」
「だけど......もしも、MYTHの存在に気付いてくれる......
新しい知的生命が『全ての現実』に発生したら――...?」
「彼、もしくは彼女は何を思うかしら?
......いえ、何を思うかは問題ではないわ......」
「知的生命は『思う』のよ。私たちみたいな架空について。
死滅してしまった人々について。
...本の中に存在する、全ての存在について」
「......みんなの墓に......意味は、ある」
「永久に繰り返す輪廻は......
きっと『全ての現実』も同じものだから」
ANSWER EP2“巡人”「メグル」
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『MYTH』を通じて『思う』、つまり考察・想像することを肯定しています。しかし
前述の通り、作中に市井諒子の情報はほとんどありません。大学2年で失踪し、訪印教に
入信し、幸せを求めてMYTHを開発したということぐらいです。
であれば、そこから論拠なしに『思う』のもまた、吝かではないと考えます。例えば
彼女の現実にあったであろう携帯電話ですが、MYTH2016年の電話シーンを見てみると
「PN35410659...FNヒイロ。」「照合......通話開始......FNネス。」なんて表記が
ある。これ見たとき「アグニの超力発動シーンと似ているな」って思ったんですよね。
他にも超力者がアグニを虐げる状況は、訪印教者が非賛同者を殺そうとしているのと
近しいし、東京とミタカミとともに首都らしきに本拠地を構えています。何より人々を
救おうとしているのが市井諒子と悧里で、共に人離れした力(科学力/超力)を持って
いて、2人とも義妹(綺姫/ヒイロ)がいるんです。ここまで似ていたら「アグニ世界の
元ネタ≒市井諒子のいた現実」と想像しても不思議ではありません。
ですがあくまで想像。考察ですらなく確定ではありません。ですがそうやって『思う』
のもまた自由です。そもそも、そんな七面倒な事柄じゃなくてもいいわけで。市井諒子が
どんな気持ちでMYTHを完成させたのかとか、田辺命人は存在しない創造された人物
なのにとても人間らしかったよねとか、そんな感想レベルのでもいいわけで。
作中人物のこと、そして『MYTH』のことを『思い』続けるなら、そこに意味はある。
彼ら彼女らがいたこと、成したことを『思う』なら意味はあるのだと。なれば今は
不確かな『MYTH』の事象も、わからないならわからないでいいんじゃないかなと。
本作は確かに難解な考察ゲーです。しかしわからなくとも、無理に周回せずとも、
考察せずとも、何がしかの形で『思え』れば、それで十分。考察・周回は確かに
作品をより深くできる楽しみの一つです。しかしそれはプレイヤーにマストでは
ありません。それこそ自由に受け止めれば良いのだと。
それが私の考える『MYTH』という作品です。『思い』続けたいと願える作品を
世に出していただき、ありがとうございました。