この作品が世に出、評価されることが、尋常ではない。現象としてのクロス。
このゲームが少なからず支持されているということは、この作品世界のテーマに需要があるという証明で、つまるところ、敢えて語らなければならない状況に、僕らが置かれているのではなかろうか、と。
作品世界の群青色は、こちら側の世界が(ユーザーが)群青色でないと成立し得ないと僕は思います。
これを純然たるフィクション、エンタテイメントとして楽しむことが出来る人の想像力、単純に尊敬できます。自分はあまりにもメッセージ性が強く感じられて、(メタ多すぎだし)泣きも笑えもしませんでした。(嘘です。笑いました。)
人として在る上で、ただ生きるという意思、他人の世界とクロスする必然。道理です。が、これって恐ろしく根源的なことです。傲慢な言い方ですが、デフォです。「家族計画」や「君望」のテーマてのは、これを含みつつ、尚高次にあるものです。
スタートラインに立てない人々。
このゲームの登場人物にはそんな印象を受けました。精神異常者、社会不適応者(というのは象徴で、結局ミニマムサイズの「普通人」)たちが、人の世界に戻るまでの過程をダイナミック、かつ欺瞞覚悟のシナリオで書ききったシナリオライターの筆力については今更褒めちぎる必要もないですが、何か釈然としないのです。彼らに共感し、感動するのはどうにも不遜ではないか、自分にとってもリスク高すぎないかと。
太一の辿り着いた結論、くどいようですが正しいです。ただ、逆にこれがないと死んでしまいますよ? 家族に恵まれないとか、恋人がいないとかいうレベルの話でなく、ホントに最低限生きる上での保証ですよ? だからこそ大事だとも思いますが、意識的にしろ、無意識的にしろ、人の大前提としてあるべきものです。敢えて確認しなければならないほど、我々のそれは、あやふやになってしまっているのでしょうか。
(自分も含めて)世の中そこまで群青色なのか、と軽くショックを覚えました。この作品が為したことは小さくないと思います。功罪込みで。作品そのものではなく、現象として考えさせられたエロゲ-は初めてです。クロスするということ、チャンネルが合うということ、その試みは成功したのではないでしょうか。
また来週。