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KO_SHIN_RYOさんの最終痴漢電車3の長文感想

ユーザー
KO_SHIN_RYO
ゲーム
最終痴漢電車3
ブランド
アトリエかぐや
得点
80
参照数
1786

一言コメント

痴漢・鷹取迅は、いかにして英雄にまで上り詰めたか。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

 痴漢を美化することでウケを狙う作品は過去にもあった。そして本作では、痴漢が美化される作品雰囲気に説得力を持たせるための壮大な哲学と世界観が用意されている。

◆痴漢の哲学

 鷹取迅は自らをアウトサイダーと呼ぶ。社会の規範の内部では満足できず、故に安全な枠組みから外に出て、快楽を求め冒険する者。それこそが痴漢である。一時の劣情に押し負けて痴漢を試み、捕まるような愚者はただの凡人だ。痴漢の境地にたどり着くことなどできやしない。

 痴漢とは、する者とされる者、二者間で執り行われる快楽の宴。故に痴漢をする相手に対しても、それ相応の資質を求める。まっとうな社会では癒せない欲望や渇きを互いに満たしあえる、異端の臭いをまとう“牝”だ。迅は日々、そのような女性を探す。

 そのような作品コンセプト故に、本作における痴漢は男性が自分の快楽が為に女性の身体を嬲る一方的な略奪ではなく、男女が共に高め合うプレイとして描写される。

 本作タイトルである「最終痴漢電車」の実態も同様。調教済みの女性を“ゲスト”として招き、多数の痴漢が誇る技と男根でもって快楽を共有する宴。男性がよってたかって女性を嬲る絵面ではあるが、そのプレイ内容は「輪姦」よりも「乱交」と表記した方がしっくりくるだろう。


 奪うものではなく、共有するもの。そこに承認があり、男女が非凡に――アウトサイダーに生きるのであれば。どうして痴漢が社会的悪事と括られることができよう。
 自らの才能を鍛え、世間に満足しきれない“牝”を開花させる――迅が行う痴漢という行為は、利己的なものであることは間違いないが、しかし利他的なものでもあるのだ。
 上辺だけを見て単純な正義を掲げる者は、決して鷹取迅の境地にまで達することなどできやしない。何故なら彼の欲望は、以上の哲学に裏打ちされた、確かな正義なのだから。





◆『最終痴漢電車3』の世界

 痴漢たちは世間から隠れたところで群れをなし、それぞれの痴漢が、それぞれの痴漢のために行動できるように情報網を持つ。そこには一つの巨大なコミュニティが形成されている。それは呼びかければ電車内で人の壁を作り、路線のダイヤを乱すことすらできる。

 そのコミュニティは性的欲望の渦により形成されたもの。性的快楽第一で、富や名誉に興味などない。それ故に迅も働くことなく、ただひたすらに日々を痴漢とその下準備に費やしている。それこそが、彼にとっての天職なのだ。

 そんな痴漢にも(すでに世間そのものが敵ともいえるが)明確な敵が現れる。その名は“レイブン”。痴漢取締り専門の鉄道警備隊であり、痴漢とくれば容赦なく――それこそ暴力をも辞さず――捕える。捕らわれた痴漢は“矯正プログラム”にかけられ、痴漢のスキルをはく奪される。そうして痴漢の殲滅を掲げ、まさしく市民にとっての英雄となる。

 レイブンの登場に痴漢たちはおびえ、その手は尻にも届かなくなる。暴力でもって、彼らは職を奪われたのだ。

 そこに現れたのが鷹取迅だった。彼は一度レイブンに捕らわれ、“悪魔の手”としてのスキルをはく奪されてしまった。それにも怯まず彼は痴漢の世界へと戻り、数々の上玉を最終痴漢電車のゲストとして招き入れた。

 そうして彼は多数の痴漢にとっての期待の星となり、同時に最終痴漢電車のゲストという形でコミュニティに財をもたらした。

 コミュニティとネットワークの存在は、彼の活躍を痴漢たちに広める。そして、誰かが呼び始めた。悪魔の手は、英雄であると。





 今日も最終痴漢電車は廻る。アウトサイダーたちの、快楽の叫びを響かせながら――。





※痴漢は『尊厳を無視した許されざる行為』であり、『心の貧しい男がする』、『卑劣な犯罪』です。真似しないようにしましょう。