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HARIBOさんのハルカの国 ~明治越冬編~の長文感想

ユーザー
HARIBO
ゲーム
ハルカの国 ~明治越冬編~
ブランド
Studio・Hommage(スタジオ・おま~じゅ)
得点
90
参照数
65

一言コメント

物語に大きな動きは無く、一見して「地味」。 しかし真に迫った自然の厳しさの描写と、酸いも甘いも余さず彫りこまれた登場人物により作り上げられた世界は「滋味」にあふれていた。 雪子の国とは違う味付けだが、これもまた傑作というしかない。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

冒頭はともかくとして、物語のメイン、ハルカと出会ってからの「越冬」については内容は地味なものでした。ですが真に迫った自然の厳しさの描写と、酸いも甘いも余さず彫りこまれた登場人物により作り上げられた世界は「滋味」にあふれていました。


雪子の国で進んだ時代は一気に巻き戻り、これまでの国シリーズと共通するのはハルカの存在ぐらいのものでしょうか。
みすずの国で初めて見た超然、紳士のような(雌狼にいうのもアレかと思いますが)立ち振る舞いとは違う、野性味あふれたふるまいには一瞬驚きましたが100年以上前ならさもありなん。むしろ諧謔を愛し、時に憤り感情をあらわにする様子こそが彼女の本来なのかもしれませんね。

ハルカが守る山間の村は特産があるわけではなく、注力して書かれる越冬光景にしても当時の日本ではそこまで珍しいものではないと思います。毎年毎年、その日その日を朴訥に過ごす、激動の時代で目まぐるしく変化を続ける政府中央とは対照的ですが、私はこれが本作というか国シリーズの妙だと思うのです。
わかりやすく、物語の題材にできるようなドラマティックな出来事は都会に多いもの、しかし田舎に出来事がまったくないわけではなく、それはほんの小さな喜怒哀楽かもしれませんが、そこに住まう人々にとってのリアルは確かにあるのです。
それを脚色して広げることをせずに、深く深く心の内をえぐりこむようにして、丁寧に丁寧に描写しているのは本当に素晴らしい。



〇ユキカゼとハルカ


ユキカゼは寄る辺をあまり持っていません、生まれ故郷から居を移すことにさしたる葛藤もなく、下賜されるモノと天秤にかけるほどに軽いのです。
新居にもそこまで腰を落ち着けず、ハルカの噂を聞けば北へ旅立つその様子は「心の赴くままに動いてこそ」と本人が告げたこととまさに一致します。ハルカと比較して幼く思慮に欠ける印象の彼女ですが、なかなか確たる信念を見せてくれるのです。

そしてハルカはこれと対照的ですね。
村人に望まれて生まれ、頼られて存在している。

たぶん、いろいろな感情があるのだと思います。政府へ士官の意思があるとは思いませんが、もしかしたらそういう気持ちがあるのかもしれません。村の外に出てみたかったのかもしれません。
役目に没頭するのなら先代のように雪山の家で1年を過ごすべきなのかもしれませんが、そうしないのはひとつ、彼女の甘えでもあるのでしょう。
もしかしたらキリンの国の彼女のように「ここが嫌い」なのかもしれません。
でも、いまこの村に住まう時点ではそれは押しとどめなければならないものでしょう。そして感情を押しとどめようとするそれはすなわち理性であり知性。

「賢さや利口さは、つまるところ、道具で、心を叶えるためのものでしかありません」

ユキカゼの言ですが、この賢さは心を叶えると同時に、心を抑える道具でもあるのでしょう。

ユキカゼはこの村でさまざまな価値観に触れ、ハルカの代わりに、みんなの代わりに涙を流していました。
彼女のそれは非常にわかりやすいものでしたが、それはハルカにもあったはず。敵であるはずの官の狐をわざわざ懐に入れ、共に置いたのは期待があったからだと思うのです、辛い越冬を共にしてくれる仲間が欲しい、頼る村人ではない同じ立ち位置の化けの仲間が欲しい、etcetc……。

そうして過ごした二人の時間はハルカの心にも影響を与えたはずで、例えば吹雪の中で正月に里に降りる局面、もしも彼女が一人なら諦めていたでしょう。心の中では降りたくても理性で抑えて。他にも小さなやり取りのひとつひとつにお互いの影響を感じる描写は実に緻密で素晴らしい。
「化けとは狭くなっていく生き物」と作中で定義されていましたが、それは事実として、わずかなりともそこに一石を投じる悪あがきが実に愛おしいのですよね。

ちなみに、なかば強引にユキカゼを引き込んではいましたが、もしもユキカゼが拒絶したらそのまま見送っていたのだろうなぁと個人的には思うのです。
その時はわずかな笑みを浮かべて見送るのでしょう。

ただ、その笑顔の裏では、ハルカ御自身の心が割を食って、損をしているのかもしれませんね。



〇雪と村について


住環境の向上によりそれなりに暖かく、娯楽もある現代の冬と比べようもないほどの圧倒的・暴力的な冬の描写には圧巻というほかありませんでした。終わりのない、同じことの繰り返しに心がすりきれていく心理描写は本当に見事。
ハルカとユキカゼの、狂いそうになれば叫び暴れ、時に相撲を取って気を紛らわせる様子。年末を楽しみにウザったいほど指折り日を数える様。

流石にここまでのものは想像するべくもない領域ですが、個人的に雪には少し思い入れがあります。雪山登山をしているときに吹雪が止み無風の時があるのですが、この時降り積もった雪は音を吸収し、自分の物音も何もかも消し去ってしまい恐ろしいほどに無音の空間となるのです。
まるで世界に自分一人になってしまったような錯覚、短時間ですので流石に耐えられるのですが、これが何日も続けば精神に異常を来たしそうなものです。

そして、この雪の描写は過去作と共通・比較するところも多くあると感じました。

雪子の国では、降り付ける雪と同時に荒々しい日本海を描写していました。吹雪き、押し寄せる波は拒絶であり頑固おやじのようであると私は思いましたが、本作のそれは真逆です。
いくら恨み節を言っても何も響かない、むしろすべて飲み込んでいく静寂と暴雪は気力をも飲み込み同一化を図るようで。異なる価値観をを認めず、自分の意見への同調を強いる母親のように思えました。

このような中で自己を確立するのは難しいのですよね、一人より二人、二人より多人数でなければ自我があいまいになっていく。だから村というコミュニティには維持しなければならないマンパワーがいるのです、もちろんこのような精神的な面だけではなく、食料や住居などの物質的な面もあるのですが。

キリンの国、綾野郷で冬になり大人が山から下りてきて越冬をしてたのがそれですね。
綾野郷では一年の中で活動的な「夏」にフォーカスして描写し、やってくる「冬」は匂わせるにとどめていましたが、そのアンサーが本作の越冬なのだと私は思います。
キリンの圭介のように外部の人間でなければこの環境の過酷さは実感できないため、ハルカの国ではその役目をユキカゼに宛がっているわけですが、もう一歩進んで村を管理する立ち位置に彼女を置いているのがまたうまい。
共に体験して、飯を食って、泣いてというだけではなく。自分ではどうにもならないしきたり、梅が泣いてもカサネを連れ去らねばならない。

「オラは幸福だった」と自分の人生を受け入れているカサネを見て、それでも「怖い」と死ぬことに、いなくなることに、忘れられることに怯えるカサネを見送る。

普通、こういう行事ごとを観測する部外者はそれを自分にとっての異端と認識しつつ、納得をするものだと思います。
しかしユキカゼはハルカのそばについて、それを補佐する。傍観者でなく、観測者でなく、当事者でもない。



〇この時代と「化け」について


化けと人間とも距離感が近かった、最後の時代なのでしょう。
現代、というのもおかしな話ですが、みすず~雪子の時代で化けは珍しいものから絶滅危惧種レベルまでその存在を変えていました。ハルタのありようは特別で歪であり、普通の人間と化けが共に過ごす日常というものはおそらく無くなっているのでしょう。

本作の時代では、例えばユキカゼは神社の使い狐から政府の威信の根拠など、化けはこの社会の中で一定の役割を持っています。狐の威を借りる人間というのもなんだか皮肉なものですが。

そしてハルカに至ってはもはや神の域、「御犬様」という称号のもと、60歳を越えた村人を山へ誘い、死を司る犬へ引き渡す仲介役。
過酷な環境の村で労働力の割合を健全に保つためには、働けない老人は間引かなければならないのでしょう。老いた親を子供が山に捨てる、いわゆる姥捨山をモチーフとしているのは明白で、これを行うことはこの村のための義務です。
しかし、この義務と役割を、御犬様たるハルカに任せているのは何とも言えない気分になりました。肉親を見捨てることは抵抗があるでしょう、自分の手を汚すのは辛いでしょう、自分で死ぬのも怖いでしょう。誰かに任せたくなるものです、しかし任せきっていては何もできなくなる。ハルカが現れるまでは何とかなっていたはずなのに、甘えたせいでできなくなる。

少し思うのです、これはハルカという存在がもはやシステム・インフラのようでもあると。
家では介護ができないので民間業者や自治体にそれを任せることは、今の社会ではそう珍しくありませんし、否定するつもりもありません。逆に家での介護を否定するつもりもありませんが。
しかし慣れると、それに適応するように生活と社会は変化していきます。先に述べたように、前はできていたことができなくなる。

これを強く感じるのが村人の

「ハルカさまがいなぐなれば、オラたち、どうすて死んづまえばいい?」

の言葉。

残酷なことを言うのなら勝手に死ね、と思うところですが、システムインフラを享受した人間には酷でしょう。自分に当てはめてみても、介護施設に行かず、病院にもいかず、働くことも、動くこともできなくなっても行くべきところがないというのは辛い。

少し話がそれますが、人間の強さは社会性だという説があります。ルールを作り守らせることでコミュニティを維持し、外敵や環境から防護するということですね。
こうあってほしい、あるべきだという理想を描いて、現実に落とし込む。介護を含めて法律もそうですし、システムインフラもそうです。

ふと考えるのです、化けはどう生まれるのだったのかと。
雪子の国では「自然から生まれて自然に還る」ようなことを言っていたと記憶しています、では彼らのあり方を誰が定義しているのか。
私は、例えばそこに住まう村人だったり、誰かがその役割、存在を願ったからこそ生まれたのではないかと思うのです。
それは武力であったり、管理してくれる存在であったり、安らぎであったり。ただ役割ありきの存在は、ともすれば一種の奴隷のような位置づけ、心無きシステムインフラにもなりかねませんが、村人のハルカを慕う、気遣う気持ちは確かなもので、だからこそハルカも一個の自我を持った「神」としての立場を全うできるのでしょう。

「人は必要から生まれるのではありません、愛から生まれるのです」

ガンダムから引用した言葉です。

役割を期待されたとしても、それを担う一個人への愛は別なのだと私は思います。何よりハルカには自我があり、こうあろうと自分を定義することができた。
だからこそカサネを送った後にもハルカは消えることはなかったのだと。
迷いを重ねたままであれば、カサネがいなくなり、村を離れる時点で彼女は自分のアイデンティティを失い消えていたのかもしれません。自分の役目は終わりだと。

カサネのため、村人のため、この村にあろうとした。ユキカゼと接して異なる価値観に触れ「先」を想像した。
理由は何であれ、ハルカ自身がこの村にあろうとしたこと。そしてこれからの自分がどうあるべきか考えたということは、この村が「ハルカの国」であり、この先に彼女が心を落ち着けるところもまた「ハルカの国」であるということなのだと、私は思います。

あわせてカサネについて言及しますが、彼女が本当に幸福であったのかはわかりません。文脈だけを見れば不幸せにも映るかもしれません。この村から出ていかず、出て行けず人生に終止符を打った不自由さは令和の価値観からしてみれば窮屈でしょう。
しかし、それを不幸せと断じることは誰にもできないと思うのです、同じく幸せだと断じることも。
好きや嫌い、役割やしがらみ、そんないろんな感情と経験を内包してこそ彼女の人生は構成されていて、それでこそリアルがある。
だからこそ、良いものってわけじゃなくても、悪いものじゃなくてもそれが「カサネの国」なんじゃないかなと。