「終わらない依存」をテーマにメンヘラ女子のすみれの狂気を描いた作品。数時間で読み終わるのでちょっと辛いスナックを食べる感覚で楽しめた。
本作は奥手なレズビアンの主人公、すみれと彼女が一目惚れした明るく優しい先輩なずなとの百合を描く作品…と思いきや物語序盤から早々に露わになるすみれの独占欲、支配欲、承認欲求の暴走により8つある全てのエンディングがBAD ENDという構造となっている。それに加えて本作はどうやら男の入らない百合をセールスポイントにしていたらしいが、実際はすみれが過去に男に調教されていたらしい描写がなされており、STEAMのカスタマーレビューでは百合目的でプレイした方々の怒号が聞こえるなど一部の人々にはオススメできない作品に仕上がっている。しかしその「一部の人間」ではないプレイヤー視点で見ると短いながらも「終わらない依存」のテーマがまとまった作品となっている。ではそのテーマの内容を綴るとしよう。
<@すみすみ『おはよ〜』
@すみすみ『今日の朝はパンケーキ!甘すぎて二口くらいしか食べられなかった〜><』
@すみすみ『おい 暇な人間!お願いします暇です誰かと話したいです!』
@すみすみ『おともだち下さい!病みすぎておかしくなりそう……!』
すみれ「全然反応ないし。なんなの」
せっかく手首を切った画像まで上げたのになぁ。>
本作の開幕を告げるのは以上の文章である。まずプレイヤーを驚かせるのは一目見ただけで病んでると分かる投稿だろう。何度も自分に話しかけられるような投稿をした上、かまってもらいたくてリスカの画像まで上げる始末だ(直後に特殊メイクだと分かるが)。さらに1周目だと気が付きにくいかもしれないが朝の挨拶や食事の報告など高頻度でSNSにめり込んでいる点が異常である。別にこの手の投稿は珍しくとも何ともないが、すみれの場合はフォロワー、つまりこの情報を発信する相手が『先生』以外に存在しない。それでいて『先生』とのやりとりは敬語を使うのでこのこれらの投稿は『先生』に向けたものではない。つまりは誰も返事をしないような状況であるのに何度もリプ目的の投稿を続けるのだ。ここから見えるのはすみれのSNS依存の深さだ。後のChapter5ではなずながすみれのSNSアプリをこっそり覗くシーンがあるが、そこではすみれがなずなの目の前で削除したアカウント以外にも大量のアカウントで別々の投稿をしていることもSNS依存であることを強調している。この依存による人間としての弊害が見られるのがすみれの意思決定だ。本作は非常に珍しい選択肢の形式を採用しており、ほとんどの選択肢がすみれの唯一のフォロワーの『先生』としての選択肢を選ぶという構図になっている。通常のADVではプレイヤーが主人公、あるいは現在の視点となっている人物の取る行動を選択し、それがそのまま当該人物の行動に直結する。式で表すと
プレイヤーの決定=主人公、あるいは視点担当人物の決定
となる訳だ。しかし本作の選択肢は基本的にすみれが何をすべきか困った際に『先生』へ相談し、先生のアドバイス通りの行動を実行する。つまり
プレイヤーの決定=『先生』の決定→すみれの決定となる。
ここで注目すべきなのは事実上すみれの意志がすみれ自身の行動を制御していない点だ。簡潔に言えばすみれはどこの誰とも知れない『先生』の操り人形になっている。通常のADVでは主人公、あるいは視点担当人物がいくつかその場で行いたい、あるいは行うべき行動を挙げてその中から選択する。最終選択権はプレイヤーにあるとはいえ、あくまでその指針を決めるのはキャラクターである。一方で本作のすみれは『先生』からの返信に行動指針も選択権も両方委ねている。そしてその『先生』に従うまま破滅へと向かうBAD ENDが4つもあるのだ。自ら破滅へと進んでいるのに最後まで気が付かずに無批判、思考停止でSNSで知り合った名前も顔も知らない『先生』に従い行動する。まさに依存の一形態と言えるだろう。
その一方ですみれは一目惚れした憧れの先輩であるなずなと交流を深めていく。それがすみれの精神を安定させ、『先生』との交流以外のSNS利用の頻度は減っていてこれだけ見ればSNS依存からの脱却の良い兆候と言えるだろう。しかし、Chapter3においてすみれがなずなのペット宣言をした後日、他の友人との付き合いでなずながすみれからしばらく離れた時、すみれは非常に情緒不安定となり、ついにはその友人たちの輪から講義中になずなを連れ出して「放っておかれるのは……寂しいよ……ずっとずっと……我慢していたのに……お願いだから、私のそばにいてよ……ねぇ……」と心からの想いをぶちまける。その日からなずなを自宅に連れ込むことに成功し、幸福を噛み締めていたが、「幸せだからこそ辛くなる。この一瞬が崩れ去ってしまうのが何より私は怖い」と現在すみれは精神的になずなにとても依存している状態となってしまっている。それをなずなの母親によって一時的に奪われた時のすみれの感情は「死にたい」と「すみれを返して」というものだった
<心が飢餓状態に陥っていた。昔なら耐えられたはずの孤独が、今は狂おしいほどつらい
@すみすみ『死にたい 助けて つらいよ、私の大事なものを返して』
@すみすみ『○す○す○す○す○す○す○す○すあのババァは絶対○す○す○す○す○す○す○す○す』(一応伏せ字にしておきます)>
また、Chapter5での「なずなのいない世界に意味はないもん」という発言から、SNS依存を脱却したと思った直後に今度はなずな無しだと生きられないような精神状態へと陥っている。つまりこの時点で依存の対象が
「SNS→なずな」
へと置き換わっているだけなのだ。
そしてChapter終盤以降から明らかになるのだが、すみれは物語開始前からドラッグ依存症であったことが判明する。具体的に何を服用しているのかは明らかになっていないが、振り返るとすみれには様々なドラッグの副作用と思われるものが散見される。例えば作中冒頭で見せた嘔吐に関して。ストレスに晒されて体調が悪くなるのは誰しもあることだが、見ず知らずの人に服を引っ張られたくらいで激しく嘔吐するのはいささか不自然だ。この嘔吐というのはドラッグの分野においては有毒混和物に対する生体防御として働くことが知られている。加えて、すみれは作中よく不安に駆られていたり、不眠症であったり、幻覚を見ていることが分かっている。これらの症状は覚醒剤の副作用として有名だ。なんとも気分の良くない伏線回収だが、これにより、すみれの依存の対象は
「ドラッグ(現在進行形)→SNS→なずな」
という変遷を経たことになる。
そしてChapter7でついにすみれはなずなのことを完全に自分のものにすることに成功した。だけど…以前まで感じられたなずなへの熱が、愛が、すみれの中にはない。
<すみれ「……おかしいよね。私だって、なずなさえいれば、それでいいはずなんだよ?」
──なのに満たされない
一度は消したSNSのアカウントも、なずなと出会う前より増えている…(中略)…何で私は救われないの……?心の底から幸せを感じられないの……?>
そしてBAD END7では以前あれほど望んでいたなずなとの性行為を終えても満たされず「ごめんね。演技するの疲れちゃった。でもさ、全然気持ちよくないんだもん」と言ってなずなをナイフで刺した。なずなと愛し合っても満足できない=依存対象としての役目を発揮できなくなると途端にゴミのように捨てたのだ。また、メインのENDでは気絶させたなずなを放り出して外を歩いていたら時に偶然ぶつかった女の子にまた一目惚れしてしまい、狙いを定める。
<顔も名前も知らない、普通の女の子だった。……ああ、この子だ。この子なら私を満たしてくれるかもらしれない。…(中略)…どうすれば仲良くなれるかはもう『学習済み』だ。このチャンスを逃す理由はない。……私、やっとわかったよ。なずなじゃなくても良かったんだ。私を満たしてくれる子なら、別にだれでも。>
つまりEndingまでのすみれの依存対象は
「ドラッグ(現在進行形)→SNS→なずな→SNS→2度目の一目惚れ相手」
と変化していった。すみれは常に自分を満足させてくれるものを渇望している。この比較対象としてはSNSを基準に考えるのが有効だろう。なずなに出会う前はSNS中毒だったが、なずなに夢中になっていた時はSNSの投稿は『先生』との交流だけだった。しかし、なずなに満足できなくなると再びSNSのアカウントを増やして大量の投稿をしている。ここまでプレイしたユーザーならすみれがEnding時点では偶然出会った「普通の女の子」にしばらくは夢中になるが、しばらく経ったらなずなの例のようになるのは明白だ。満足するというのは古語においては「飽く」という言葉で表現されるが、上手く言ったものだ。消費社会とも言われる現代において程度の差はあれ、すみれのような人は珍しくないだろう。すみれが心の底から満足できる日は来るのだろうか。そして現代人が決して移ろうことのない、絶対不変の幸福の源泉を見つけることができる日は来るのだろうか。なずなは自分が頼りにしていた家族を失ったことですみれの狂気に巻き込まれ、最終的には捨てられた。満足する≒飽きることなく人に幸福を与え続ける不朽の存在は何だ?この命題は人が一生かけて取り組むべきものなのかもしれない。それを本作では示すことが出来なかった。ボリュームの問題もあり、問いを提示するだけして解を明示することができなかったのが惜しい。しかし、問いの提示の仕方や演出は良く出来ていたので重厚壮大なシナリオが書けるライターが製作陣に加われば名作になれたかもしれない。