人類にとっての進化とは何か?
ストーリー的には『散りゆく者への子守唄』が第1部、『偽りの仮面』、『二人の白皇』が第2部となる。第1部、第2部共に表のストーリーは村、小國といった大國からみれば吹けば飛ぶような集団においてハクオロが圧政からの革命を為すため、ハクが親友オシュトルの遺言にして最後の願いを実現するために大國に抗う軍記物語がメインストーリーとなる。しかし本作の一番の魅力は軍記物語が表とするならば裏のストーリーとも言える「急激な進化、進歩の是非」を問うテーマに大きく依る。
『うたわれるもの』の時代は古代、創世記、本編と分けることができる。加えて作中には願いを叶えることを喜びとする一方でその願いにふさわしい代償を与える大いなる者、ウィツァルネミテア及びウィツァルネミテアの力を応用した仮面、蟲が人に急速な進化を促すことに留意して本シリーズに一貫したテーマを語ろう。
①作中における古代とは神話、御伽噺にうたわれるもの、オンカミヤムカイがまだ生きていた頃までを指す。当時の人間はほとんどの技術体系を急激に進歩させた一方で環境破壊を気にすることなく、自分たちは温室で育っていった。これにより進んだ環境汚染と人類全体の免疫の低下によって地表はだんだんと人間が住める環境で無くなってしまった。もう数百年は地球の汚染が元には戻らないところまで来てしまった人類は自らの体を強化し、汚染に対抗できる肉体を手に入れられるよう研究を進めた。しかし、皮肉なことにほとんどの分野で革新的な進歩を果たした人類は自らの肉体の変革という分野だけは一向に研究が実践段階まで進まなかった。そんな中、彼らは『散りゆく者への子守唄』で語られるようにミズシマがアイスマンを逃すまで、彼を素体として傲慢な人類が行ったあらゆる非人道的実験やアイスマンの強制身柄拘束時のミコト殺害及びアイスマンがムツミの真実を知ったことによって彼の中のウィツァルネミテアを人類は呼び覚ましてしまった。それは当時の人類、特に研究者の願いであった「人類の進化」を次々と叶えてしまった。その代償は姿と知性。これにより旧人類はタタリへと変貌して死ねない体を手に入れた代わりにそれ以外の全てを失い、ウィツァルネミテアを滅ぼすためにムツミが人類の叡智の結晶であるアマテラスを暴走させて地上を焼き払い、地下の研究施設の防備を貫通し、そこからデコイたちが地上へ抜け出し、繁殖していった。
以上が『うたわれるもの』における人類の末路であるが、この末路への破滅の道のりは現実において人類が歩もうとした、あるいは現在進行形で歩みつつある道のりの符号する点がいくつか存在する。例えばコバルト爆弾だ。この爆弾は核爆弾の一種で爆発すると放射性同位体コバルト60を大量に周囲に放出する目的で作られた爆弾だ。投下後数十年間は人が足を踏み入れただけで放射能汚染が危険域まで達するだけでなく、コバルト60が大気にのって地球全土へと汚染するというものだ。この脅威ゆえにこれを発見したレオ・ラシードによって「終末兵器」と呼ばれ、絶対に作らないよう核開発制限の呼びかけがされたほどだ。ちなみにこの呼びかけは1950年にされた。なんと実践的な核爆弾が開発されてからたった10年以内にだ。長崎、広島で落とされてからほんの数年。わずかその期間で一都市の一部の汚染から世界中を放射能汚染してしまえる終末兵器が発見されたのだ。現在までコバルト爆弾は世界中のどこでも使用されていないが、それは運が良かっただけだと思うのは私だけだろうか。もしコバルト爆弾が考案されたのが戦時下であり、核制限、禁止条約が結ばれておらず、開発国が戦時下であったら…
②『うたわれるもの』においては急速な開発とそれに対応しきれなかった人間の精神の軋轢により滅亡を招いた。『散りゆく者への子守唄』のディーのセリフに次のようなものがある。「お前は民に『農』を、『工』を、そして『戦』を教えた。それらは本来数百年かけて人間が学ぶべきものをお前はほんの短時間で授けてしまった。その結果何人の人間が死んだ?」これは望む者に対して進化の仮面を与え、身体能力を向上させる代わりに彼らを非人間にしたディーへハクオロが非難した時のディーの反論だ。加えて『偽りの仮面』では創世記において最初、デコイは純粋無垢であったが、ハクオロがトゥスクルの民にしたのと同じようにミトが後にヤマトとなる地域に住んでいたデコイに様々な知恵を授けたことによって純真さを失い、強欲になり、戦争という概念を急速に発達させ、ミトの知識を巡り戦争まで勃発して大量のデコイが死んだ。これをミトはその傲慢な精神まで魂に似ることが絶望だと表現した。『うたわれるもの』において、人類の進んだ知識で(比較的)無知なデコイが大量に死んだ事件は別の人間、別の地域においても発生してしまっている。
③加えてウィツァルネミテアの力を利用した進化の仮面も破滅をもたらすものであった。人類が作り出したオリジナルのコピーの仮面の使用者は暴走、リミッターをつけた初代の4つの仮面の使用者と共に全員死亡。今代の仮面の人もヴライ、オシュトル、オシュトル(ハク)、ライコウ(コピーの仮面)が仮面の根源に近すぎた代償としてその体が塩になった。
一方でムネチカは作中で途中仮面が手元になく、ミカヅチは本気でハクオロとやり合う時にネコネやクオンの妨害に遭い、力の根源の中心に触れことなくエンディングを迎えたことでこの二人は生き残っている。=急激な進化を求めなかった二人は塩にならなかった。他にもノロイや進化の仮面なども同様に作中で体が消滅している。
以上の①傲慢な研究を繰り返した後、ウィツァルネミテアによる死なない体という急速な進化を望む人類の滅亡。②ミト、ハクオロらによる革命的な知識でもたらされた精神の成長がない、技術だけの進歩による大量殺人③仮面の者、進化の仮面、ノロイなどの者の塩化orデコイに戻れないまま死亡をまとめると本シリーズは一貫して「精神の進化を伴わない急速な進化、進歩には破滅が待ち受けている」と主張しているのだ。
そんな中、進化したニンゲンの中で一際目を惹くのは『二人の白皇』のマロロだ。
マロロは自らの意志、願いで進化を求めた訳ではなく、盟友ハクの死に大きなショックを受けていて「あの時(エンナカムイ逃亡)、自分はどうしてハク殿と一緒でなかったのか。どうしてハクを救うことはできなかったのか。」と後悔し、失意の淵にいる中でウォシス、ライコウに蟲をオシュトルがハクを騙し討ちしたという偽物の記憶と共に植え付けられたことによって進化してしまった。しかし度重なるハクの呼びかけにより、現実と偽りの記憶の衝突が生じた結果、蟲は仮面同様塩となって消えた。その後、オシュトルの正体がハクであることに気づき、偽皇女の強襲に対して衰弱したマロロが決死の覚悟で身代わりとなった。この時、結果としてマロロは死こそしたが、その死に様はハク、クオンが必死に呼びかける中でもとても穏やかで幸福に満ちていた。なぜならエンカカムイ逃亡で果たせなかった「ハクを救う、守る」という願いを進化の蟲なぞに頼らずとも自分の手で叶えることができたからだ。
上記の進化を遂げた者たちと対照的なのがライコウだ。ライコウは圧倒的なまでの技術進歩を成し遂げた人類の遺産を使い、デコイを庇護し続けてきた帝に対して頑なに帝に頼らないデコイだけにによる進歩を目指してきた。そのライコウの研究の最高傑作が大砲である。一度はシチーリヤの裏切りによってわざと暴発させられ、作中ではむしろ敵に大正門を通させると言う失敗に繋がった。ではウィツァルネミテアや仮面に頼らないデコイの進歩は否定されたのか?いいや違う。ライコウの死後、ウォシスによってノロイが生み出された時、ミカヅチはノロイ発生後、ヤマト首都の民を避難させる時、その大砲を使い、多くのノロイを吹き飛ばして避難させた。これはウィツァルネミテアによる急速な進化をデコイによる地道な進歩が上回った瞬間なのだ。
そして迎える最終決戦において、アイスマン計画の産物の本物の仮面により、ウィツァルネミテアと同等の存在となったウォシスと分割された仮面の力を引き出し尽くしたハクによる対消滅で幕は引いた。これは急速な進化を遂げた者同士による争いの果てには両者の滅亡という結果で終わるということだ。現実的考えるならば軍拡競争により、戦争相手国もろともあまりにも高すぎる技術力による殲滅力で両国滅びるといったところか。一方で作中ハクに恋し、多大な想いを寄せるクオンとオシュトルとして最も信頼を寄せていたアンジュはハクの仮面の代償としての消滅によって急速な進化の負の面を痛いほど理解した=精神の成長を遂げた。その両者が治めるヤマトとトゥスクルは恒久の平和をハク皇から学んだ精神の下誓い、成し遂げたのだ。先帝から賜った古代の産物による精神を伴わない技術の進化で成立していた先ヤマトでは不可能であり、先帝の死とともに瓦解した。しかし、女皇クオン、帝アンジュ共通の想い人ハクが急激な進化で体が消滅したことにより、急激な進化が細心の注意の熟慮をもって取り扱わなければ破滅をもたらすと心の奥底から理解している二人は先帝さえできなかった恒久平和を実現したのだ。
最後に語るのはウィツァルネミテアだ。ウィツァルネミテアは不死であると語られる。実際、人類の技術の結晶であったアマテラスを終末兵器として用いて、直撃させても殺すことはできなかった。つまりは未来永劫、"誰か"がウィツァルネミテアを引き受けなければならない。古代ではハクオロが望まぬ形でウィツァルネミテアを引き受け、人類絶滅(タタリ化)を引き起こしてしまい、その能力を人類全体の利益(幸福)のために使うことができなかった。そしてウィツァルネミテアの本能である願いを叶える=願いに比例する代償を強いることを恐れ、オンカミヤムカイの地下深くから出ず、エルルゥ以外の人間に会わないという方法でしかウィツァルネミテアの災害を撒き散らすことを防げなかった。しかし、『二人の白皇』において、「クオンを救う」という願いの代償に、ウィツァルネミテアを引き継いだハクは進化の仮面により、一度身体が消滅しており、誰よりも急激な進化の危険性を身をもって理解している=作中で最も精神の成長を遂げている。ウィツァルネミテアは人類でも解析しきることができず、願いによって進化を促すものであるからこれは物質的進化、進歩の最たるものである。これを作中で最も精神的進化を遂げたハクはウィツァルネミテアの他者の願いを叶えるという本能とどう向き合ったかというと、ハクオロに対してはハクオロに残るウィツァルネミテアの全てを自分に継承させることを代償に、ハクオロの『散りゆくものへの子守唄』からのハクオロの願いである皆と平穏に暮らすことを叶えた。つまり、願いだけでなく、願いの代償すら願いに沿うように叶えたのだ。これは今までのウィツァルネミテアではあり得ないことだ。例えば人類の不死という願いには知性と姿を代償にすることでそもそも人間ではなくなった。他には老人の若返りたいという願いには急速に若返らせて赤ん坊になってもまだ若返り、最終的には消滅するなどだ。これらは願いの本質、その願いの目的に絶対沿わない形でウィツァルネミテアは代償を支払わせていた。前者は健康な体で再び地上に戻りたい、後者は若い健康な肉体を取り戻したいといったものだ。一方でハクは代償すらも願いの目的に沿うようにしたのだ。これは進化の危険性を誰よりも理解している=精神的成長を遂げてその危険性さえも利益(当人たちの幸福)にしようとするハクだからこそできた願いの叶え方なのだ。
『うたわれるもの』はシリーズを通して物語が大きく動く時、必ずこの「急速な進歩とその代償」が付きまとう。ウィツァルネミテアや進化の仮面の契約などの進歩の代償で絶望し、失意のうち死、もしくは精神崩壊に陥った者(クーヤ、オンヴィタイカヤンなど)。進歩の代償に命を賭して抗う者(帝、ハクオロ)。進歩の代償を理解して尚、自らの命よりも崇高な己の信念、理想を貫く者(オシュトル、ヴライ)。進歩の代償によって大切な者を失っても、自らの心を奮い立たせ、前に進んだ者(クオン、アンジュ、エルルゥなど)。進歩の代償を与える者(ハク、ハクオロ、ディー)。代償を恩恵に変える者(ハク)。このように『うたわれるもの』では進歩とその代償を登場人物たちが様々な形で向き合っており、それぞれの信念、思考の対立や共存が素晴らしい物語を形成した。
我々も急速な進化とその代償、精神の精神の進化について考えるべきでは無いだろうか。ここ100年、世界大戦や冷戦期を経て急速に成長した技術に人間の精神は追いついているだろうか。暴走して古代の人類や仮面の者のようになるか、それともハクたちのようにそれを繁栄の礎とするか。それを左右するのはより向上した技術だけでなく、人間の心、精神、倫理観なのではないだろうか。