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残響さんのきみはね 彼女と彼女の恋する1ヶ月の長文感想

ユーザー
残響
ゲーム
きみはね 彼女と彼女の恋する1ヶ月
ブランド
BaseSon Light
得点
87
参照数
1867

一言コメント

百合ゲー……正統派百合……! ハレルヤ……! 無数の百合的ファンクションに悶えながら、隠された構造の押し付けがましくなく、それでいて硬派な作品作りに敬服あるのみだ。飛び道具に頼らず、安易な道を選ばず、ただひたすらに、百合の王道を貫いたこの作品こそがニルヴァーナなのだ。まどまぎやゆゆゆやゆゆ式や東方パチュマリとかの二番煎じに汲々としているモノはこの傑作に道を空けよ! なお、最後にものすごいメッセージ爆弾が投下されるのもこの作品であるっ

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

・はじめに――百合ゲー情勢概略


 百合……それは……砂糖とスパイスと素敵な何かでできている……!!
 百合……それは甘やかな世界、少女の美しき世界。触れたら折れそうだけど、意外にしたたかな世界……。

 yes、わたし、残響めは、百合者、百合クラスタであります。レビューあげてる数こそ少ないものの(2015年2月現在で百合ゲーレビュー1本)、アトラク=ナクアで百合童貞(!)の純血の血潮を散らしてから、マリみてを通過し、藤枝雅氏に傾倒し、さまざまな二次創作百合を通過し、いま、ここに居るのです。

 そのような者からしてみたら、この「きみはね」なる百合ゲーは、断固としていおう、すばらしい作品であった、と!

 本作は、恋姫夢想でおなじみ、Basesonのサブブランド、BasesonLightから放たれた、気骨ある正当派百合の作品です。

 さて、百合ゲーを巡る情勢について、ざっとの概観を示しておきましょう。
 百合ゲーは、基本的に、商業エロゲの分野において、劣勢です。マイナーです。負け組です。

「ケーッ!チンポぶちこまないと、エロゲはエロゲ足り得ないのかいっ!」
とわめきたくなりますが、現実はそうなのです。
いくらゆっりゆりゆら大事件!と世間が歌っていたとしても、このような「女の子と女の子が、恋慕を通じて肌を重ねて、思いを重ねる」百合エロゲ、レズゲーというものが、マイノリティであるという事実。
東方とかで百合文化が花開いて……は、一応いるのですが。コミック百合姫が百合文化を推進している、のですが。
それでも、百合エロゲはマイナー。

なので、新規で百合ゲーというものが、なかなかでない、というのが事実。
年に一作、良作がでればいいほう、という、ヘテロエロゲ情勢からしたら信じられない始末! 

しかしである。このスタッフたちはやってくれた。
この百合ゲー厳しきご時世に、このような良作をこの年始から繰り出してきてくれるのだからっ! これで二月末に、アトリエかぐや「ユリキラー」がきても安心だっ! あんな劇薬っ!(ちなみにわたしは、なにを思ったか、これ予約しております……なんでだ?)



・百合物語を最大限に保障するゲーム設定


ではまず、ゲームのあらましから。
まず、今更ですが、この作品の舞台と人物、設定について概観すれば、

・全寮制の女学園
・主人公三人たちはルームメイト
・そこに寮長(寮母)さんであるイケメン麗人画家が加わる(これで人物は以上!)

という狭い空間、狭い人間模様でありながら、

・物語は、倫×陽菜、陽菜×文、文×倫、と、カプ順列組み合わせ掛け算を網羅した、固定カップリングで進む

という、百合ゲーにおいて「まさに正統派百合よ!」と叫びたくなる作りであるのです。
取りこぼされるカプはない。
百合において……いや、百合エロゲにおいてこれは重要なところです。
しばしばある百合ゲームのアンチにたつ人々は、「このカプがないやん!」と語調を強めて弾劾するのです。
まあそれはごもっともで、百合のたのしみは、カプの掛け算をいかに楽しむか、でありますから。ある一つのキャラで、一つのカプだけが特権的に扱われるのは、その「王道カプ」がお好きなひとはたまりませんが、そうでないマイナー属性のひと(マイナーカプに心奪われてしまったひと)にとっては、いささか「ちょっとなー」と思うものであるからして。

そこの点を、見事にきみはねは解消したのです、このような「順列組み合わせ総当り!」なシステムにすることにより。
さらに素晴らしいのは、それが掛け算の実験だけにとどまらず、そのどれもに素晴らしい骨太で、意味のある物語を入れたところ。

結局のところ、カプとは、カプの裏にある「物語」をいかに楽しむか、が醍醐味であり、カプそのもののコンセプトを達成しないところに、百合物語の愉悦はない。
端的に例を示せば、やはり「姉妹(スール)」カプは、「おねえさま……」という妹側の恋慕があり、尊敬があり、崇拝がある。その基本コンセプトからズラすのもいっこうに構いませんが、「おねえさま……」的恋慕を無視するところに、やはり「姉妹」カプの醍醐味はない、というのは、誰もが認めるところでしょう。マリ見てでいったら、祐巳が祥子さまにこの手の恋慕を抱いていない、という前提をもし持つとしたら、誰もが「ドスコイ!」とちゃぶ台をひっくり返したくなるでしょうっ!

そう、きみはねは、三種のカプを描きながら、三人の「へえ……こんな面もあるんだ」という、人物をも描いているっ!
もちろんたしかに、「へえ……こんな面もあるんだ」というのは、カプごとによって、攻と受の立場が違ったふうに描かれるということでもある。
たとえば、倫という黒髪クールビューティキャラでいえば、彼女は陽菜との√でいえば完全に攻めになりタチとしてリードするが、文との√でいえば、ヘタレ攻風味をかもし出しながら、それが失敗して結局は受キャラになる。

さっきから専門用語ばっかり使っていて、このレビュー通じるかどうか心配になってきたが、しかし百合ゲーとは、そもそも茨の道なのだ……とじぶんを納得させることにする。第一きみはねの長文感想これだけの文量あるのを読もうとするひとが、百合に興味ないとは考えられんし。

では具体的に、本作の各カップリング(カプ)について、子細を検討しましょう。
なお、順番は、当方がプレイした順番です。


・倫×陽菜

ツンデレ同士の恋……というのが基本コンセプト。
初手からムズかしい恋模様?
いやいや何を仰る、これは超王道デスヨ!

あ、ちなみに、倫が掛け算の最初にきて、陽菜が掛け算の後ろにくる、というのは、倫が攻で陽菜が受であるという証左ですから……という解説は不要かな、やっぱ

さて、クールビューティである倫と、元気いっぱい少女である陽菜、先に転んだのはどちらか、というと、陽菜なのですな。

それまで、文も交えた三者が日常を過ごしていって、ふとしたときに、倫と陽菜が二人きりになる。そこで、倫の身体の柔らかさを確かめようと、陽菜が屈伸前屈運動をもちかけます。

まずもってこの時点でヘテロエロゲとは違うね!
野郎主人公とエロゲヒロインとが日常で絡み合うというシーンは普通にあるだろうが、お互いがスキンシップでもって(この場合だったら屈伸するほうの身体をささえる密着感)距離を縮める、というのは、ヘテロエロゲだったら「……なにあんた、勃起してんの!?」となってしまうフラグびんびん物語ジャナイディスカー!

それが、天使……じゃなかった、女の子どうしのからみだったら、自然にスキンシップがなされるのです。ハレルヤ!
だがこのきみはねはここで収まるシロモノかっ! 
意外なほど(なんてったって読書少女の)倫の身体が柔らかいことで、「どーして?」と疑問がる陽菜。そして、バレエをやってた、と語り始める倫。

そしてバレエのポーズを「いまでもやれるかな……お、できる」という感じでとってみる倫。光につつまれたその姿……天使……
見惚れる陽菜ちゃんでありましたとさ。

――良しッッ! この一連のシークエンスでもって恋に落ちるという繊細なる描写、良しっっ!
「非日常性において見る、彼女のムカシ」と
「非日常性において見る、自分の恋心」
が見事に組み合わさって、ドキドキする陽菜の恋心ねえ!
倫がジャージというのがいささか気勢がそがれるかもしれんが、逆説的にそれが「バレエの練習」のリアリティを想起させなくもないっ! 第一彼女のジャージからはいい百合的かほりがただよってきて、ファブリーズなんてオヨビジャネーヨ!(だんだん何いってるのかわかんなくなってきたぞ)

ここにおいて、陽菜は倫のことを「天使」と形容します。
でも倫は、自分の天使性を、まるで自覚していません。まして、自分のこのバレエ=天使、というのに、引け目を感じていさえもする。

彼女(倫)は、バレエをやってれば、親に認められる、かまってもらえる、という思いでバレエを続けていましたが、それを続けていても認められない、かまってもらえない、という結論に達して、失意をちょっと抱いて、終わりにしてしまった過去を持っています。

「え、そんなんでバレエやめるの? 弱いww」
という奴は、彼女のクールビューティだという相貌をもう一度思い返してください。
彼女はいつも洒脱でありながら、知的でありながら、弱さというものを押し殺して(時にユーモアさえつかって)いた少女です。
いつも、求めていたのは、家族。認めてくれるひと。「自分を見てくれているひと」

それがどうですか……このシーンのあと、とあることで、
陽菜「あたしが見ているからな……」
という独白を受けた倫の胸のときめきといったら!

陽菜にとっては倫はあこがれとして、この時点での恋慕を抱きます。
彼女がこぼした「倫はあたしの自慢なんだからな……」はまったくの真実。
その真実性が、倫を打つ。
この小さな少女は、自分を理解してくれている、と。まして「あたしが見ているからな……」というのは、イコールで「ずっと見てるからな」という誓いなのです。
そりゃあ、倫のほうも陽菜に惚れるのに、コンマ以下の時間がかかるとでもいうのですか?否、しないね! 百合LOVEずっきゅん!

さてさてそこから百合LOVE超特急は進んでいきます。
なんてったっても、倫がキスしようとして、キスしきれなくて、そこからツンデレ同士は、ちょっとぎくしゃくするのですが、その理由っちゅうのが、

文「キスしてくれなかったから(陽菜は)怒ったんですよ!」

とルームメイトに指摘される始末だ! そこから告白だ! あーはいはいごちそうさまですよっ!
ここで、文という第三者の存在を指摘しときたいのですが、彼女を無視した格好では、この物語は進みません。彼女を緩衝材にもしません。
信頼できる親友として、見事にサポートする存在、それが文です。この構図は(文×倫ではちょっとだけ違いますが)大体において、「メインカプと信頼できる第三者」の図になっていて、それが非常に心地よい。ああ、少女の美しい友情バンザイ!

ときに、付き合って、レズセクースしたあとの二人の関係性は、陽菜が「犬ちっく」になるというものでした。

これも百合の関係性として王道よ!

陽菜はモロに「あたし倫の犬になりたい」ともらします。
それまでの「常識人少女」だった陽菜が、堕天した! 堕ちた! これが恋というものよ! ましてや使われる言葉が「犬」!そして倫もそのかわいさ(なんだこのかわいい生き物……)にほだされるのです。
だいたいにおいて、元気系少女を受けにするには、百合表現においてある程度のギミックが必要になります。受けが攻めよりアグレッシヴになってはいけないのは当然ですが、かといって、すぐさまオシトヤカになっても、これはこれで違う。「それまでの元気は嘘だったんかい!」って具合になりますからね。そう、コトはパブリックイメージをいかに守りつつ、いかに逸脱するか。
「ツッコミ元気少女!」の陽菜がどのような転換を果たし、それを描くか。そこがこの陽菜受百合では見所ですが……やってくれましたよ、陽菜自らによる「犬」宣言! わたしを犬にさして、いやさせてください私はあなたの犬になりたいのですから! 
細かいところをいうと、陽菜の外見はショートの小柄少女。これでツンデレ、だと、普通は猫の感じになるのですが、どうもポンコツなとこが目立つ陽菜。それでいて甘えたがり……なるほど、潜在的に犬ポテンシャル、ワンコポテンシャルを秘めているといえますが、しかし「犬になりたい」の破壊力はでかかった。

そんな尻尾ふりふりワンコが一番嫌うものはなんでしょう?
疎遠になること。そっちのけにされること、です。
もうネタをばらしますが、倫が祥子さんのバイト(絵のモデル)をして、ちょっとふたりの時間がとれなくなります。
それをワンコは勘違いして「倫はあたしのこと嫌いになったんだーーーーーー!」と勘違いする、まさにこれも百合ラヴ超特急! どこまで王道にもだえさせれば気が済むんだBasesonLight!

もちろん倫が……飼い主が、このかわいいワンコを嫌いになるはずがない。
バイトをしたのも、陽菜にクリスマスプレゼントを贈るため。
そして贈ったのが、なんと首輪型チョーカーというのですから、ああ、もう、アイロニカル、メタフォリカル、コケティッシュ、ラヴラヴラブラブラブ!
「あたしの犬になりなさい」
であると同時に、
「……あたしの嫁になりなさい、これ結婚「首輪」!」
とでもイワンばかりの素直になれない系デレデレが素晴らしいっ!

いわばこの√は「現実に見出した天使」という「天使解釈」の√ですな。


・陽菜×文

陽菜は文の母性、女らしさ(若妻らしさ)をうらやましがる。
文は陽菜の天性の子供っぽさ、陽性の明るさをうらやましがる。
ふたりは、お互いに足りないところをうらやましがる……

ああ!
まさにこれも百合の王道!
足りないところを補い合う、恋慕しあうという! これぞかけがえのなさ。

そして、まずこの話は「あまり、かわいいと意識されなかった陽菜」というところからきっかけを作っていきます。
ボーイッシュな陽菜は、いわゆる女らしい文に比べて、「かわいい」と言われ慣れなかったわけです。
でも、文にとっては、陽菜は元気でまぶしい。そこは、自分に対してナチュラルに一定の自信がない、引っ込みじあん的要素を持つ文の性質(ネイチャー)にとっては、もとめてもなかなか手に入れられないものです。

自分にないものを持つ人に必ずひとは引き寄せられるか……?
まあこの図式も単純化してますが、基本的に百合(と限定する)は、この手のモチーフを使います。
カプを成立させるうえにおいて、コンプレックスを下敷きにする、という。

しかし……だな。
そんないじましい二人。カプを進展させていく、初々しいふたり。
こりゃお互いもう天使ダナ!
いわばお互いの天使性を寿ぐ、という共通項でもって、ふたりの恋は進んでいきます。なんといじましく、初々しい!

そして、カプの攻受ですが……恋人確定の付近にいたるまで、どっちかがモロにリードする、という図式にはなっていませんでした。
しかし……
陽菜と文、とあることから、この恋愛関係はどちらがより「お姫様」か、ということを話し合います。
ここで、「文のほうがお姫様」と陽菜は言いますが、文だって譲れません。なんていったって、陽菜も天使なのですから。陽菜だってお姫様だろう、と。
もちろんこの「お姫様」、対峙する「王子様」は、攻と受の隠喩です。
ふたりは譲りあいます……お互いのお姫様性=天使性を、まぶしく思っているわけですから。

ところめが、爆弾が……百合の奇跡がここで起こるわけです。
ワードを引用します。


陽菜「いいよ、お姫様の役は文ちゃんにあげる。 お姫様とずっと一緒にいられるなら、あたし王子様になる」


……この瞬間の百合的超新星爆発は、もうゲームをプレイしてくれ、としかいえません。

だってですよ。
陽菜が王子様になったほうが、物事はスムーズにいく、とプレイヤー/傍観者は思うわけです。従来百合において、しばしばそのような消極的な「しょうがないから私が攻になる」的な処理がなされるパターンというのも、まあありはしました。ですが、それは、所詮物語上のギミックです。本来受け要素が強いキャラを無理に攻に回して物語を展開していくのは、先に述べたような「コンセプトの達成」が見受けられないから、結局は潰えるものになります。

それと今回の陽菜の宣言がどう違うかというと、
彼女は自分の王子様性を自覚することのあまりないままなんです(だいたい、王子様は狙って「なる」もんじゃないですしね、百合的にいったら)
しかし恋人・文がどのようにすれば、一番輝いて、お互いの関係に大輪の花を咲かせるか、と考えたら、自分が王子様のロールを引き受けたほうが、彼女がすごく輝くことになる、と直感的に思考を働かせたのです。イマニュエル・カントやアインシュタインもかくやという直感統合論理展開だぜ!
この思考は、文を寿ぐと同時に、自分の恋慕も一番善き形で達成できるもの、と、計算なしの確信によって導き出されたもの。
物語(プロット、ストーリー)が強引に、陽菜をカプの「攻」となることを強制させたのではない。陽菜というキャラ自身が、ナチュラルに王子様を、攻を選んで、幸福になったのです。
これは百合という物語……文化にとって一大事件です。
物語、作者が動かすのではなく、キャラが自然に、自分の立ち位置を決めたということ。この「キャラが生きている」感覚はどうだ!
わたしがこのゲームを傑作だと寿ぐ理由のひとつがここにあります。ええ。

さて、クリスマスに至るにあたって、ふたり(王子様とお姫様)は逢瀬を重ね、愛を深めていきます。

倫×陽菜√にひきつづき、クリスマスはホワイト(雪ふりしきる)です。
まさに、ここにおいて、二人は結婚します……倫による宣誓の言葉を、二人は受けます。ああ、先に述べた「カプと、信頼できる親友」の図式はここでも! この物語はカプ物語でありながら、三人の物語である……まさに「ガールズ」ラヴ!

まあ最後は祥子さんがネタ的に乱入してかっさらっていきますが、コトはもう決着はついた! あとはもう泣き笑いさっ!

んで、エピローグの「プレゼントで偶然にも二人同じ靴を選ぶ」というのは、わたしはこれを「二人は、結局はお互いの天使性に惚れたのだ」と解釈します。
お互いの天使性……それは、陽菜は「陽性の魅力」、文は「女らしさの魅力」と、様相を異にしていますが、結局はどっちも天使やん! というメタファーなのではないか、と。

いわばこの√は「二人とも天使」という「天使解釈」の√ですな。


・文×倫

ここからぐっとアダルティになってくぜ。百合……それは、少女の煌きを描きながら、同時に大人(乙女)へなっていく少女たちの一瞬を切り取るものなのでもあるからして。

この√は、それまでぽわぽわ丁寧語系だった文が、「This is 誘い受け」となる驚愕の√であります……。

まずもって、このルートはいささか「陰」の要素を含んでいます。
それは、陽菜に隠れてする恋、というモチーフだからです。

別に陽菜のことが、文と倫は嫌いになったわけではありません!
ただ、なんとなく話しずらい。
陽菜の元気一直線にして、恋愛ベタ……とくに百合関係の耐性がない(女の子同士ってちょっと……)、ということから、二人はなかなか陽菜に言い出せないのです、お互いの恋を。

それが、陽菜に隠れて恋しあう、陽菜の目を盗んで逢瀬を重ねる、という図式になります。
これもまた百合の王道……「隠恋慕(かくれんぼ)」ですよ! 

このテーマ処理には苦心したことと思います。
なんてったっても、障害のある恋は燃えるものですが、しかしスムージーな恋ではない。障害を目立たせれば目立たせるほど、恋愛の道に、ところどころ茨が落ちる。

再三いいますが、陽菜は敵ではないです。
ですが、この√のふたり……文と倫は、その「かくれんぼ」的な逢瀬でもって、燃え上がるのです。いわば共犯関係といいますか。

そこにおいて覚醒するのが、文の「誘い受け」性です。
誘い受けとは何か。
定義を引用しますと

―― 漫画 などに登場する キャラクター や、とりわけ 同人 の世界で 18禁 な内容を含むものに登場するキャラには 受け、攻め と云った大きく2つに分類出来る性格がつきものですが、この性格を、精神的な部分と肉体的な部分とに分け、“精神的には攻めだけれど肉体的には受けである” といった設定を、「誘い受け」 と云います。

 相手を受け入れる立場のキャラ (例えば女性) が、あまり乗り気でないキャラ (例えばその気がなかったり臆病であったりする男性) を様々挑発したり誘惑したり…と云った感じの時に使われる言葉でしょうか。 構ってちゃん的な、小悪魔要素も言葉の持つイメージにありそうです。
(「同人用語の基礎知識」より。http://www.paradisearmy.com/doujin/pasok3o.htm)

こと、きみはね文×倫√に即して考えると、文と倫のえちは次のようなシークエンスを踏みます。

1.倫がリードしようとする
2.しかしだんだんヘタレてくる
3.そこで文が妖絶に倫をリードしようとする
4.文、主導権を握る
5.倫「アーン」

こんな感じですね!
これは、また別の用語を出せば、攻受の「リバーシブル」(逆転。通称リバ)といえます。

わたしが前に書いた「その花びらにくちづけを わたしの王子様」の長文感想でも書きましたが、リバは、得てして単調になりがちな攻受一辺倒を解消する素晴らしい手法です。
いわばツンデレにおける「落差」と同じものがここにあります。

この文の誘い受けにして、リバは、百合の王道でありながら……しかし、この作品独自ともいえる「家庭的な少女の若妻感を下敷きにして、レズえちにおいて性的才能を開花させる」
という描写は、非常に「陰」である百合耽美であり、破壊力が高い。
倫をオルガンに伏せさせて、背後から秘部をいじる文の覚醒淫靡表情といったら! これまで彼女が見せなかった淫靡さに「ゾクッ……」ですよ。

しかもスパンキングまでします! 真っ白な倫たんのお尻を「パーン」!
もはや文ちゃんノリノリです。
それもそうだ、この章のタイトルは、「誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう」!ウディ・アレンの映画タイトルをこう引用するとは!

……と、ここまで書くとネタ√にしか見えないから困ったもんだ。
しかし、この√は本質は「陰」にある……
それを象徴するのが、クリスマス前の「雨」にある。これは他の√ではなかった。
つまり、雨が降る=二人の恋は完璧ではない、いささかの陰を含むものである、といおうか。

それでも、最後は素晴らしく大団円です。陽菜も「いや……別にいいじゃん?」的に結局は超スムージーに認めてくれて解決ですよ! ていうか陽菜、最初から否定してなかった……w

いわばこの√は「天使(文)の堕天」という「天使解釈」の√ですな。……この堕天、というの、次の√の伏線になってます。



・天使(グランド√)

さて、ここで話は一気に「語り手の事情」になります。

そもそもこの作品はいささかのギミックがありました。
なんか三人称が、おかしいのです。
例えば、

(陽菜がツッコミをいれた後)「ぐずりつっこみ、だ」

のように、地の文が「君ってこうなんだね」的な、「描写」にとどまらない、フシギな「感想」を述べるのです。
また、次のような表現もあります。

「苦しい笑顔で、ぐっ」

最後に苦し紛れにガッツポーズを出したときの描写なのですが、明らかに三人称にしては「主観」「感想」が盛り込まれすぎている。まるで誰かが覗き込んでいる、それが即ち三人称になっているかのような……

そう。
実は、この三人の恋模様は、とある存在によって見られていたのです。
それは、「天使」と呼ばれる超越存在によって。

天使とは、非干渉を貫く、非人間……超越存在。
天使とは、この世に干渉することのできない、超越存在にして、観測者。
天使とは……それゆえに、この世の「色」を見ることができない、観測者に「すぎない」。

色ってのは、まあ単純なはなし、そのままの意味で、世界のいろんな物の色が見えない。全部モノクロにしか見えない。……祥子が描く絵も、モノクロにしか。

そして祥子はなぜか、その干渉することのできない、天使という存在とコミュニケーションをとる。なぜか天使の秘密を知っている――

まあここ以上はネタバレになるので(いまさら!)控えますが、祥子がそんな天使(観測者)に対して言う言葉がふるっています。

「――翼、捨ててみない? そっちは退屈でしょ?」

傍観者である天使、その傍観という行為を、退屈、とばっさり。
そう、色が見えない、とは、天使自身、真の意味で感情を得ていない。
祥子からしたら、己の感情のままに生きることなく、人の感情を観測するだけの、退屈さでしかないのではないか。それを哀れんだか、かつての自分もそうだったからか……

天使はそもそも非接触が掟であり、存在意義であり。
観測を捨てて、生身の人間になる(堕天する)ことは、迷います。これがラスト√。グランド√。



ここで一気に、この観念的な√が最後にこの「きみはね」なるゲームにセットされた理由を考察します。

この「天使」=観測者、地の文
というものは、「我々百合クラスタ」そのものなのではないか、と。

百合クラスタ(百合者)の基本姿勢は、天使と同じ「傍観」……いや、天使が我々の比喩なのです。
我々は無数のカップリングを観測します。傍観します。いわゆるヘテロエロゲのように、主人公と己を同化(憑依)させません。
感情移入、というよりは、感情観測。それが百合者の生き様です。そのうえで、さまざまなるカップリングの順列組み合わせの掛け算を試します。萌えます。もだえます。
「それでいい」とするのが、百合者であります。観測者でいい、と。

そのような我々に対して、「翼、捨ててみない? そっちは退屈でしょ?」と呼びかけるこの祥子さん……というかシナリオライターそのものの声は、こちらに鮮烈に響きます。
なにせ、我々は「それでいい」と、感情を傍観・観測する立場を貫いてきたわけです。百合オタとして。
それを、そちらがわから、「実際に感情でもって生きてみない?」と呼びかけられるのは……。

まあこのメッセージは、ヘテロエロゲの主人公感情移入(憑依)システムこそがエロゲの正道である、ということを言ってはいないでしょう。まして百合エロゲのシステムそのものの否定に繋がるものではないと思います。
ですが、百合エロゲーマー……百合オタ、百合クラスタ、百合者の「観測態度」に対して、一石を投じたい意志というものを感じさせずにはいられませんでした……なんといってもこのゲームは

【百合ゲー】

なのですから!
百合ゲーにとって、百合にとって、カプ観測、というのは非常に重要なものだと、ここにいたるまで再三述べてきました。また、BasesonLightも、それを捨てよ、とは言っては無いでしょう。
ただ、それに囚われすぎていて、リアルの鮮烈なる感情体験までも捨てようとしている……そうするつもりはなくても、囚われ、観測者でいいと己を縛りつけようとする百合者……我々を、いささかなりとも、解き放ちたい、という思いが、どこかにあるのではないでしょうか。
なによりも、「同士」として……だって、これほどの百合ゲーを作るひとが、我ら百合クラスタの「同士」でないわけないじゃないですか……!
そのメッセージを受けるか受けないかは、個々人によるものでしょう。わたしは、このメッセージを受けても、やはりカプ観測を貫きたい立場です。
でも、考えさせられる問題提起でありました。最後の最後で百合ゲー言説空間メタ爆弾を落としていったよこの作品!

ともあれ。
このゲームに存在するのは、三人の天使たち。
そして、その三人を眼差し続けてきた、我々百合者。
その甘やかで、静謐な空間は、少女たちの一瞬を切り取ったものであります。しかしそこには、きっと続いていく「これから」もあり、彼女たちが過ごしてきた「これまで」もあります。短編エロゲですが……それだけの余韻を、深く静かに味あわせてくれるこの作品のフトコロを、褒め称えてこの感想を終わりにします。

最後ちょっとわけわかめな論述になりましたが、この長文をここまでお読みいただいて、ありがとうございます。
それでは、また別の長文感想でお会いしましょうお姉さま(別にお兄様でもいいけど)。この批評空間のどこかで。