いまや日本人のストレスを一身に浴びた血塗れとげぬき地蔵とさえ言ってもいい「けものフレンズ2」のスタッフが参考にしたと(俺の脳内では)される「ウィザーズコンプレックス」というヘルジャパンエロゲの決定版を生み出したどみるが、ウィザコンの反省を踏まえ送り出したのが、このどみる最高傑作とさえ言っていい「はぴねす2」である。前作のオマージュどころか、共通ルートでは前作のヒロイン配置やシナリオ構造を6割型コピーするという「前作もそんな感じだったようなデジャブ感」を連想させつつ、個別ルートではそれを踏まえつつ全く新しい物語を生み出しながらも、それでいてどこか温泉まんじゅうのようなむかしのエロゲの暖かい雰囲気を醸し出す。グランドが実質ハーレムなのに3Pがひとつしか無かったり、あまりそれを生かせてなかったりと多少の弱点はあるものの、まさに昔を振り返りながら、令和の新しいイチャラブエロゲを提示した傑作なのだ。
・総CG枚数(差分無し)81枚 総回想数枠20回
・キャラ別CG(エロCG)&回想数
花恋 17枚(8) 4回
璃乃 16枚(7) 4回
楓子 16枚(7) 4回
熾月 18枚(8) 4回
その他 14枚(8) 4回
(備考:その他にはトゥルーのヒロインの瑞月と真白のCGとエチがメイン。アフターを込みで言うと真白2、瑞月1 熾月&瑞月1)
・クリック数
簡単な説明:クリック数つーのは、既読スキップオン+テキスト速度ノーウェイト環境下で計った、ゲーム開始時から作品を終えるまで各シナリオ毎のクリックの合計回数のこと。以下そのメリットについて。
(1)初回プレイ時の「共通」+「個別」のシナリオの総容量が分かる
(2)2周目以降の、共通シナリオを除いた個別シナリオの総容量が分かる。
(ゆえに、一周目のヒロインルートはクリ数が多く、二周目以降はたぶん半減するが、一周目の「個別ルート」が他よりも長いというわけではないので注意)
(3)エロテキストのクリ数と。それを含んだ全シナリオのクリ数を比較すれば、両者の割合もある程度はわかる。
(4)テキスト速度の環境さえ同じなら、プレイ時間と違ってユーザーによる計測誤差は少ない。
といった四点が指標として役に立つとバッチャが言っていたような気がしないでもない。
(5)BCは主人公とヒロインが恋人になる前までのクリック数で、ACは恋人になったあとのクリック数ね。
「その恋人になった「まえ/あと」ってどう定義するの?というのはなかなかにむずかしい話であるが、大抵のエロゲには告白CGなるものがありますからそこを基準にします
そういうCGがなかったり、なんかズルズルだらしない感じでずっこんばっこんなシナリオの場合は、まぁ僕がテキトーに判断しますが、その場合は「?AC6992」みたいに?をつけまつ。
そういや「誰とも付き合わないシナリオ」っていうのもあらわな。そう言う場合は特にACとかBCとかは書きません。
・各ヒロインシナリオのクリック数
1周目 花恋 「13445」 BC6544 AC6901
2周目 楓子 「8073」 BC3875 AC4198
3周目 璃乃 「8473」 BC3266 AC5207
4周目 熾月 「78961」 BC4332 AC3554
5週目グランド 「6772」
(備考:初回の花恋はルート固定。クリア後に基本エチシーンのアフターがありますが、それらのクリ数はヒロインルートに合計してカウントされています)
・各キャラのHシーンのクリック数
花恋 1:452 2:346 3:335 4:311
璃乃 1:412 2:357 3:326 4:369
楓子 1:441 2:371 3:379 4:363
熾月 1:472 2:356 3:368 4:344
グランド 1:531 2:511 3:436 4:427
(備考:グランドの1は瑞月エチで2は3P、3、4は真白とのエチです)
☆作品の大まかな評価。
簡単な説明:これはもうそのまんまですな。一応Z~SSSまでの評価基準が存在するらしいのですが、大抵はC~Aの間に収まっているようです。
「C」がだいたい「やってもやらなくても別にいいんじゃね」。「B」が「やればけっこう面白いんじゃね」。Aが「やってないヤツは人生つまないんじゃね」。
といったかんじになっております。あと「全体評価」っていうのは、その項目における「作品全体」から感じる何となく駄目だとかイイとかそういう評価です。
あと、これは当たり前すぎて却って説明しにくいものですけど、僕の定義による「シナリオ評価」ってヤツは「感動させなきゃダメ」とか「深いテーマが無きゃダメ」とか、
そういうヤツではなくて、基本的には「その作品が目指していると思われるものが、どれくらい達成されているか?」というような「完成度」評価に近いものかも知れません。
ですから、原理的には抜きゲであろうと萌えゲであろうとシナリオゲであろうとも、その作品が目指しているものが完成されていると判断すれば、シナリオ評価は高くなるって話です。
・シナリオ評価
花恋 A-
璃乃 A
楓子 B-
熾月 B+
グランド B
全体評価 B+
・イチャラブ評価
花恋 A
璃乃 A
楓子 B-
熾月 B+
グランド B
全体評価 A-
・エロ評価
花恋 A-
璃乃 B+
楓子 B
熾月 B+
グランド B-
全体評価 B
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(0)ういんどみるコンプレックスを無事脱却したはぴねす2」
っていうタイトルをつけてしまうと「ういんどみるコンプレックスとは何ぞや?」という疑問が弱くなってしまう嫌いはある。だってそれを「無事脱却した」のが今作の「はぴねす2」っていうのはわかるわけで、
その「ういんどみるコンプレックス」とやらが何であるかはよく分からないとしても、それは基本的にイクナイ事だというのは分かりそうなもんで、そんなものいちいち知りたくないよ!という人が大半であろう。
しかし、そこらへんを語らないで「このはぴねす2は、はぴねす1の素晴らしいリメイクだ!」と言ったところで、別に「はぴねす1」とかそもそも「どみる」とかよく知らないのが、今のエロゲオタの大半なわけだし、、
まぁそこらへんをじっくり語りそうな人間は、今や僕ぐらいだろうという自覚もあるので、それについて手短に説明させて頂こうとは思う。別にそんなの興味ねえ!っていう人は下の(1)まで飛んでくださいね。
まず、どみると言うメーカーは何ぞや!っていう話になると、ゼロ年代の頃には「萌え+エロの風力発電だぁ!」みたいな言葉が返ってきたわけであるが、流石にこれは今の時代には厳しい。
何故なら、今のエロゲはそんな「萌え+エロ」というのは、既に「言うまでもない当たり前の仕様」だからであり、これがゼロ年代前半にとっては貴重だったから、先のような説明が通っていたという時代背景の説明にもなる。
さて、そうなると「どみるらしさ」とは一体何だという話になってくるわけだが、形式的に言えば、僕はここで「どみるオアシス」と「普通のどみる」は違うんだよ?みたいなメーカーのブランド分けに訴えることもできる。
これはこれで、結構正しい部分もあるし、僕も後々この「ブランド分け」については説明するつもりではあるが、しかし一般的なエロゲオタからすると、この「ブランドわけ」が理解されているかどうかはかなり怪しくて、
じっさいのところ「どみるオアシス」と「普通のどみる」を分けて考えている人はどみるユーザーの中でもレアだろう。確かに「ゲンガーがこ~ちゃ氏なのがどみるオアシスだろ?」くらいのことは言えるかもしれないが、
作品内容にそこまで違いがあるのか?と言われたら、その違いを具体的に指摘できる人は少ないはずであり、これはこれで「ある意味」で正しい反応と言えるところが、どみるの辛いところではある。
とはいえ、先ずは「ユーザーの受容」ではなくて、客観的な「ブランドごとの作風の違い」から言ってみよう。いちおうWIKI風に客観的な歴史の説明から入ると、
「どみるオアシス」は06年の「はぴねす!りらっくす」から出来たブランドであって、それ以前の「どみる」作品は「オアシス」の名前は冠されていないが、
「魔法とHな関係」と「ちょっと素直にどんぶり」以外の作品は、基本的に「こ~ちゃ」氏を中心とした作品なので、一応ここでは「前オアシス」作品と呼ばせてもらおう。
先にも記述したように「どみる」と「どみるオアシス」の違いは、まず後者が「こ~ちゃ氏」を中心とした作品である、というのが公式的な説明になるわけだが、
それをもう少し補足すると「どみるオアシス」の作品には、ある種の「かなり緩い世界観の共有」とある種の「作風」と言ったものが共有しているところはある。
前者については「オアシス」という名の食堂や喫茶店を、各作品の登場人物が営んでいたり、また他作品と類似したような人物(今作で言えば、柊という名の光の魔法使いとか)が登場するといった具合であるが、
基本的にこれらは「軽いファンサービス」の程度であり、別にオアシス作品をやっていないと理解できないと類のものではない。
後者の「作風」の共通点については、此方は詳しくは後述するものの、基本的には「魔女」を中心とした「とある一族や世界」の年代記風の物語であって、
それなりに入り組んだ世界設定の中でのファンタジーが展開されていくということは出来るだろう。やや「シナリオゲ寄りの萌えゲー」というのが妥当な評価だとおもう。
これは「前オアシス」作品から共通した作風であって、ある意味で「異端」と言える「ウィザーズコンプレックス」も、少なくとも先の定義からは大きく外れるものではない。
さらに、この「オアシス」作品には非常に重要な「これが無くてはオアシス作品とはいえない!」ってものがあるのが、これは後述させて頂こう。
それでは「非オアシス」の「どみる」作品はどういう特徴があるのかと言うと…これは強いて言えば「非オアシス」的などみる作品である…としか言えないところが難しい。
まぁこれは歯切れの悪い表現ではあるのだが「オアシス」作品から、その各要素をそれぞれ強調したり、それを弱めたり、あるいはそれを部分的に他の要素に変えたりすると「非オアシスどみる」作品になる。
例えば「非オアシス」どみる作品のなかで、いちばん評価が高い「HHG」シリーズは、どみる作品の魔法バトルをよりトリッキーにした感じだし、
ある意味で一番ネタになっている「前後ぉぉん♪(元ネタが分からない人は分からないままで良いです)」に関しては、どみる作品の「変態エロ」っぽさをより強調してあんな感じになってしまったわけだし、
「アンラッキーリバース」に至っては、殆ど魔法や魔女設定以外は「オアシスどみる」っぽさはなかったりするわけで、ここらへんが「どみるオアシス」と「どみる」の違いが認識されにくい理由である。
「非オアシスどみる」には作品によって色々と違うものの「どみるっぽさ」は残っているので、それをワザワザと「これは非オアシスだから」と認識または言語化する人は少なくなってしまうというわけですな。
さて、以上の何が「ういんどみるコンプレックスを引き起こすのか?」っていう話になるわけだが、これには二つの理由がある。まず一点目は「非オアシスどみる」だけで説明が付くお話であるのだが、
このように「作品ごとにどみるらしさが微妙に異なる」というのは、それ自体では「一概に悪い」とは言えるわけではないのだが「どみるらしさ」という「評価軸」が不安定化していくという問題がある。
ここでやや細かい話をさせて頂くが、僕はここでは「評価軸が不安定化する」と言ってるだけで「作品としてどみるらしさが不安定化」すると「この時点では言っていない」(後々そうなるというフリであるが。
そして、この評価軸が不安定化するというのは、別に「悪いケース」だけ述べているわけではない。例えば「HHGがどみるらしい良い作品だ」と言われた場合には「その時点における評価」は寧ろポジティブなモノだろう。
但し「HHGがどみるらしい」と言われた場合は、HHGとは違うような「どみる作品」はどうなるのか?という問題が出てくる。まぁオタと言うのは基本的にいい加減なので少しくらいなら「どみるらしい」と適当に纏められるだろう。
しかしオタクって一応は人間なので、何事も「○○らしい」で纏めるには限界が出てくるわけだ。それが「ウィザーズコンプレックス」の悲劇となってういんどみるに襲い掛かる。
このウィザーズコンプレックスと言う作品については、僕も良くツイッターでネタにしているくらい「良い作品だと思わなければ非常に楽しめる異能ゲー」なのだが、まぁその点についてはここでは特にネタにしない。
今回の文脈で重要なところは、この「ウィザーズコンプレックス」という作品が、先に挙げた「オアシス作品にとっていちばん重要なモノ」を徹底的に破壊しながらも、
「オアシス」作品の表面的なストーリーラインである「魔女を中心とした一族や世界の物語」だけは、どみる作品のなかででもディープに追及しまくってしまったという事である。
まぁその結果が、どみるファンにとっては「かなりドン引き」な結果に終わった(別にファンじゃなくても普通にドン引きな作品ではあるのが)のは言うまでもなく、
この作品以降、どみるの作品評価が「割とパッとしていない」のは衆目の一致するところであって、これが僕の言わんとする「ういんどみるコンプレックス」の大まかな意味合いだ。
つまり「非オアシスどみる」が「色んなどみるらしさ」を生み出すのはそれはそれでまぁ良いとしても、その「どみるらしさ」の意味合いが不安定した結果、メーカーまでもがよりにも寄って「オアシスどみる」までも、
「どみるにとって一番大切などみるらしさ」を毀損させた結果、それが「どみるらしさ」というミームそのものに対する信頼性を低下させていく過程を「どみるコンプレックス」ということが出来るだろう。
こういう「メーカーらしさ」というのは、そのメーカーが「特に大きな失敗をしていない」時には、それが例えどんなに曖昧模糊とした概念であったとしても、特に問題視されないのだが、
そうした「メーカーらしさ」の意味の増大は、やがてその「メーカーらしさを破壊するような作品」にまで意味範囲が広がり、それがウィザーズコンプレックスまで複雑拡大化してしまうと、、
まるでバブルが弾けたようにメーカーの「らしさ」は崩壊していく。意味の曖昧dsと多重化はやがて意味のインフレを呼び、それは一時的な多幸感をもたらすが、最後は意味そのものが虚無化するけもフレ2を召喚し地獄ターン・
こうなってしまうと、今までは「どみるらしさ」という言葉で表現されていた、それ自体はかなり意味範囲が広い言葉も、その流通価値は低下する。その意味範囲が広い言葉が流通していた所以は、
それは各ユーザーの共感可能性によって担保されていたというよりも「そのどみるらしいっていう言葉を使っても、それは悪い意味には解釈されないだろう」という安心感故にその言葉は広く用いられていたわけだが、
一旦それが作品として「最もどみるらしくない」方向に「どみるらしさ」が使われてしまったら、まぁもちろんその責はメーカーにあるわけだが、今まで自分たちがテキトーに使っていた「どみるらしさ」とは何だろう?という話になってしまう。
「コンプレックス」と言う用語には、別に劣等コンプレックスを意味するところは本来は無いのだが、しかし複合概念がある種の劣等コンプレックスを引き起こすようなことはあって、複合概念はしばしば「自己矛盾や自己破壊」を
引き起こす対立するような概念をもたらし、更にその矛盾や対立に気付かないまま、自らそれを招いてしまうようなところはある。そうなったらウィザコンのアイリスのように永遠と自虐を続けるしかないわけだ。
まぁ、今回の話は最初のタイトルから「どみるういんどみるコンプレックスを無事脱却したはぴねす2」とあるので、べつだん暗いお話をしたところで、それはちっとも暗くなれないのが、書き手としては詰まらないわけで、
此処はとっととテンプレの如く話を先に進ませた方が良いだろう。さて、どみるはどのようにして今作によって「どみるコンプレックス」から無事に脱出することができたのだろうか?
そうして、ういんどみるが「らしさ」の曖昧複雑さの故に失ってしまった、昔の「どみる」らしさとは何だったのか? ういうんどみるの「はぴねす2」はこのような前日譚から始まり見事に桜の花びらを散らせていくのであった…
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(1)「嫌ならレジストすることねっ!」
まぁこういう「前作やった奴にしかわからない小ネタ」をオタは云々するのが好きなので、そういう人が「前作をやっていなくても大丈夫!」と言ったところで、全く説得力は無いわけだが、まずはその問題から切り込もう。
手始めにこの「2」がどのような意味合いの「2」なのか、確認しておくと、手短に言うなら「前作を思い出させるような描写や展開が散りばめられている、オマージュ的な2」と言うのが妥当な表現だろうか。
「前作の世界観や、前作の物語の続き」といった要素は、前者に関しては「ほんの少し」はあるものの、それが今作の本筋に与える影響はないし、後者にしても前者をよほど深読みしない限り、
「前作をやっていなければ分からない」ってところは存在しないから、この作品は前作をやっていない人でも楽しめますよ…といったところで、そうは問屋が卸さないわけですな。ここらへんについて、少し触れておこうか。
まず最初に明確にしておくと、今作に限って言えば、それは「作品」の問題でもないし「広報」の問題でもなくて(メーカーの広報は前述の文脈をきちんとアナウンスしている)どちらかという客側の言説の問題である。
これは僕みたいな「感想を書く側」の問題でもあるし、それを「読む側」の相互作用問題ではあるんだが、まず僕みたいな「感想を書く側」の人間は、この手の続編が「前作をやっていない人間でも楽しめる」作品であったとしても、
前作をやっている人間なら人間ほどに「前作との関係性文脈」について語りたがる癖はある。とはいっても、これは別に「衒学趣味」とかそういう問題ではなく、単にその人が「前作の関係性文脈」でその作品を楽しんだ以上は、
少なくとも「主観的な感想を書く」というのを感想の規範すると限りにおいて、別に彼に罪があるわけでもない。んでこれは読み手にしても同罪っていうか同じであって、その手の「前作との関係性文脈で楽しめた」人のレビューを、
「前作をやっていない人が読む」と「なんだ、結局この作品は前作をやっていないと楽しめないじゃないか?」って言うことになるわけですね。それは別に僕が先のように断っていてもそう読む人は多いだろう。
主観的な感想って言うのは、少なくともこういう弱点は存在する。
とはいえ、じゃあここで「客観的に前作との繋がりを云々をシカトすればいいか?」っていうのも中々に難しい。だってこれははぴねす「2」なんだから、その「2」たる所以を語らないのは、
まぁ自分が「1」を未プレイな人間だとしたら、それはそれで「語れないから語る必要はない」とは思うんだが、1を知っている人間が「2」たる所以について「敢えて沈黙する」っていうのも、それはそれで不自然でしょうよ。
んでも、その両方を雑に実行しようとすると「この作品は前作をやっていなくても楽しめるんだけど、俺が楽しめたのは前作との繋がり部分だぜぇ」みたいなダブルスタンダートな感想になってしまうわけで、
そこを丁寧に避けようとすると、ある程度は人は大人になって冷静沈着に文章を書かなくてはいけないわけだが、果たしてエロゲと言うのはそういう冷静沈着にやるべきなのか…という色々と厄介でマンドクせーってなってくるのだが…
これがですねー。この「はぴねす2」と「はぴねす1」の最大の相違点をまず最初に指摘しておくと、この「2」はエライ「大人な」作品なんですよね。
それは別に作品内容が「大人」っていうよりも、作品内容とか作品構造とかをかなり丁寧に「はぴねす1」の「良いところ」と「悪いところ」をきちんと明確化して、
1つの作品に落とし込んでるところが「大人だなぁ」っていう気はするんですよね。まぁこれは「はぴねす1」っていう作品がある以上は、
続編と言うアプローチをとる以上は、当たり前な話なんですが、こういう当たり前のことが出来ていない続編って多いじゃないですか。僕は見ていないけど「けもフレ2」とかさー。
なので、僕がこの「2」を楽しめたというか、感心させられたところは「細かい小ネタがどうこう」っていう話よりも「続編としての丁寧さ」ってところがメインなんですよね。
もちろん、そういう側面については、別に「1をやっていない」人には分からないだろうし「続編としての丁寧さ」を知らなくても、この作品は普通に楽しめるとは思うんですが、
もしもそういう「エロゲのシリーズ続編」について、色々と考えたいようなマニアックな人(っていうか、別にそんなのは普通の人だって良く言う話ではあるんですけどね)であれば、
前作をやったうえで、この「2」をやれば「エロゲにおけるシリーズ続編」について、色々と啓発を得ることが出来るかもしれませんねと。別にそんなの知りたくねえっていう人ならスルーしても良いけどね。
さて、その「続編として丁寧さ」っていうのは、もちろんそれはいたるところに存在するわけですが、未プレイ人にも比較的に理解しやすいところを重点的に語るとするならば、
それは作中のストーリーラインに関連して言うと大きく分けて、二つの側面に分けられることができる。
①:「前作と同じようなイベントの流れが発生するような、前半から中盤部分(体験版部分)」
②:「①」ほど厳密では無いものの、はぴねす1時代のエロゲ(以下「ゼロ年代エロゲ」と略す)のような面影を残しているような個別ルート部分
まず、①の部分については言えば、基本的に前作をプレイした人が「前作を物凄く意識している」というのは、主にこの部分を指しているように思われるし、
逆に言うと、前作を未プレイな人間は、この部分が「全く分からず」に「どこが前作を踏襲しているのか?普通のエロゲに見える」ように思われる。
これをきちんと実現できているって言うのは、結構凄い事だとは僕は思うんだが、まぁ前作を未プレイの人の為にザックリ説明しておくと「はぴねす1」の共通ルート部分(体験版部分)は…
>センターヒロインの春姫が子供の頃に住んでいた街にバレンタイン前に帰ってくる→春姫は子供の頃に憧れていた男の子にもしかしたら会えるかもしれないとチョコを隠し持っている→
そこで主人公と出会う→主人公が「子供の頃に憧れていた男の子」のような勇ましい行動をする→春姫は「主人公が憧れの男の子かもしれないという期待を込めてチョコを渡す」→
次の日に謎の事件によって校庭が沈没している→
といった感じなのだが、はぴねす2も「細かい部分を除いて」大まかなプロットだけを語ると、これはもう「途中までは」コピペで済んでしまう。
>センターヒロインの花恋が子供の頃に住んでいた街にバレンタイン前に帰ってくる→花恋は子供の頃に憧れていた男の子にもしかしたら会えるかもしれないとチョコを隠し持っている→
そこで主人公と出会う→主人公が「子供の頃に憧れていた男の子」のような勇ましい行動をする→花恋は「主人公が憧れの男の子かもしれないという期待を込めてチョコを渡す」→
こういった部分は、特に前半から中盤に掛けては枚挙に暇がない。上のように単純に「プロットをそのまま踏襲している」場合もあるし、僕が最初に挙げた「嫌ならレジストすることねっ!」のように、
前作なら「春姫=花恋」役が言っていた「結構アレ」な台詞を、今回では似たような台詞を「春姫=花恋」ではなくて、全く別のヒロインに言われるような「前作を少しズラす」ような展開もある。
まぁこういうのは、普通だったら「小ネタ」とみるべきだし、確かに物語内容的には「前作を踏襲しているなぁ」以上の意味合いは特に無いんだが、その「小ネタ」の数が余りに多くて、
それが前作未プレイの人にとっては「何処が小ネタなのか良く分からないほどに、前作を踏襲していないような普通の物語に見えてしまう」ようなところがこの作品の凄いところだろう。
このような「前作を踏襲してる(逆に言うと、前作を踏襲しているだけ)」のプロットの何が良いのかと言うと、まず前作をプレイしている人にとっては、それがパロディ的な「小ネタ」発見の楽しみに終わるだけではなく、
ある種の「デジャブ」的な懐かしさを想起させるからだ。それは「これと似たようなプロットを自分は知っている」みたいな発見ではなくて「自分が同じ作品系列のプロットを体験していた」当時のプレイ記憶を呼び起こさせる。
別の言い方をすると「小ネタのパロディ」というのはあくまで「点の想起」なのだ。「ここの部分はここを参照しているんだな」という、強いて言えばジャンル知的な好奇心を刺激する。
しかしこの作品のような「前作の流れを思い出させるようなプロット」というのは「線の想起」だと言えて、それは「一連の流れが似ている」という緩やかな発見認識を持続させ「はぴねす」のプレイ経験を少しずつ手繰り寄せていく。
この塩梅が今作は実に素晴らしいのだ。過度にパロディ的になるとそれは「懐かしい」という感情よりも「知的文脈的な」刺激になってしまうし、かといって、過度の前作を「厳密に踏襲させて」作品関連性の文脈ネットワークを作り上げると、
それはそれで「前作をプレイしていない」人にはわけわかんない作品になるし「前作をプレイしている」人間も「前作やり直した方が良いかなぁ」という緊張が生じる。ノスタルジーというのはあんがいコントロールするのが難しいのだ。
もちろん、この作品はそんなノスタルジーを的確にコントロールしている。それはもう厳密には先ほど引用した「ゲームのプロローグ部分」から顕著で「はぴねす」1では、
>春姫は「主人公が憧れの男の子かもしれないという期待を込めてチョコを渡す
だった部分が、
>恋花は「主人公が憧れの男の子かもしれないという期待を込めてチョコを渡す→次の日に謎の事件によって校庭が沈没している→
というところまでは同じプロットを踏みながらも、その同じ日に、
>花恋が主人公に「もしかして貴方は思い出の男の子ではありませんか?」と告白して、主人公がそれに対して曖昧な記憶ながらもそうだと答える。
という風に、もしかしたら「ここから新しい」前作とは「全く異なった」物語が始まるのではないか?と期待させてくれて、そうした「新しさ」を感じれば感じるほどに昔の記憶は寧ろ強く想起されていくんですよね。
全てが昔のままだったら、それは今と昔の違いを認識することは出来なくて、そこに「新しいモノ」が加わることで、僕らはやっと「むかし」を認識することが出来るんだから。
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(2)「このなかに思い出デブの幼馴染はいますか?」
因みにこれは「はぴねす1」又は「2」のパロディタイトルでも何でもないし、特に作中の人物がいう台詞でも無くて、まぁ性根が腐ってるマルセルちゃんが言いそうな台詞だと思ってくださいな。。
さてはて、体験版の部分で「花恋ちゃんの思い出の男の子が主人公だ」とわかってしまったわけですが、これは「はぴねす1」を知っているユーザーにとっては「そ、そうきたかぁ!」って感じにもなるし、
そこらへんをよく知らない人でも、これはちょっと意外な展開だろう。まぁもちろん、ここには「曖昧な記憶ながら」っていうキーはあるし、ボイスをきちんと聞けば「あ、これミスリードじゃんw」って分かるのだが、
そのミスリード部分を前提にしたところで、これは「単なる主人公の勘違い」であって「ヒロイン側の勘違い」ではないことはわかるから、花恋ちゃんの言っていること事態には「大きな間違い」ではない…
つまり「思い出の男の子」それ自体の認識は「大きく間違ってはいない」という事は、この時点で分かるわけだ。
さて、これがどういう意味で意外な展開なのか。まずは「前作をやっていない」人から見ると、最初に「思い出の男の子は主人公かもしれない?」っていうネタを振っておいて、
その開始10分後くらいに「あ、やっぱそうでした。ラッキー♪」なんーてやるのは、端的に言って意味が分からんでしょ?どうしてそのネタを振ったの?っていう疑問は出てくるわけですね。
まぁこれについてはおいおい語るとしても、今度は「はぴねす1」をプレイ済みの人間の読みからすると「思い出の男の子が最終的に分かってしまうなんて春姫シナリオじゃない!」ってなるわけですな。
「はぴねす1」の春姫シナリオっていうのは、これがまぁ今考えると「何が面白いのか良く分かんない感じ」のシナリオでして、このゼロ年代前半のエロゲって今やると「えっと、その何が面白いの?」って感じのものが多いわけですが、
特に「萌えゲ」のそれに関しては「シナリオゲ」以上にその「時代だから受けた感」が強いんですよね。別にこれはそのシナリオが劣っている、みたいな単純な話ではなくて、そもエンタメっていうのは結構時代の影響を受けやすいんで。
それでも、この春姫シナリオの構造を説明するならば、基本的に春姫ちゃんは「思い出の男の子は誰?」っていう思いでを個別ルートまで引っ張るんわけだ。んでその途中に「嫌ならレジストすることねっ!」っていう、
これもまぁゼロ年代エロゲでしか味わえないような「超思い込みの激しい春姫ちゃんっていうヒロインを強烈に印象付ける」イベントがあったりしながらも、未だに思い出の男の子が見つからないままに話は進んでいって、
春姫ちゃんはだんだん主人公の事が好きになり始めてしまって、けど主人公が思い出の男の子がどうかは分からないまま…まぁ、今さら昔のエロゲのネタバレに配慮することはないんですが、曖昧にボカした感じに言うと、
>「あなたが思い出の男の子になってくれなきゃ嫌だぁ…」
って感じのある意味で超我儘な春姫ちゃんの清楚ビッチ感をバリバリに出しまくるシナリオなんですよね。で、こういうのって今のエロゲだったら普通はなんかフォローするじゃない。
あとで主人公が実は「思い出の男の子だった」ってことがあとで明らかになるとか。でも、このシナリオはそういうフォローが一切抜きで、ナチュラルエゴイストの春姫ちゃん可愛いなぁ可愛いなぁで糸冬
実は、これはある意味で「ういんどみる」のセンターヒロインの伝統と言えるようなところがあって、どみるのセンターはお嬢様で心優しくて皆の事を大切に思っているような正義正統派ヒロインなんだけども、
そこに「ヒロインの性格が問題ある」というよりも、何か物語的な展開や設定で「でもコイツ、自分の見える範囲で正しいだけじゃね?」みたいなツッコミ感を匂わせているようなところはあって、
(ちなみにそれをディープに追及しまったのが、ウィザコンのアイリスシナリオであるが…)
たぶんこれは「ゲンガー」のこ~ちゃさんがそういうヒロインが好きなんだ!っていうヨタ話は兎も角として、ええ、もちろん僕もどみるのナチュラル清楚エゴイストお嬢様ヒロインは大好物ですよ!
って、別にそういう話をしているじゃなくて、その春姫ちゃんシナリオの何が「良い」というか、その「良さ」をどのように作っているのか?っていう話ですわね。
まぁこのお話はわりと構造自体は単純で、基本的には「思い出の男の子はだれ?」っていうミステリーによってユーザーを誘導しながら、なかなかその答えを出さない「焦らし」戦法を用いつつ、
その「思い出の男の子」と「目の前の主人公」という葛藤チョイスの中で苦しむ春姫ちゃんを可愛く描写しながら、最終的には、
>「あなたが思い出の男の子になってくれなきゃ嫌だぁ…」
っていうような泣き言セリフを春姫ちゃんに吐かせて、よっしゃ俺がそんな春姫ちゃんのエゴ可愛いさを受け止めてやるぜ!っていうふうにエロゲオタを篭絡させんとする清楚ビッチ大作戦シナリオなわけですよ!
いやぁ、いま考えると本当にゼロ年代のエロゲっていうのはロクなもんじゃないですねぇ。昔のエロゲは良かった!なんて言っている奴は単なる人格破綻者じゃないのか?とマジ思いますけど、
このレビューを書くために「はぴねす1」を再プレイしてみたら、やっぱりこの春姫ちゃんシナリオは良かったですねえ。このヒロインをギリギリまで貶めてまで読者の心を動かそうとする鬼畜純愛シナリオも偶にはいいモンだ。
さて、なんだか物凄い回り道をしているような気がするんですが、まぁすんごい回り道をするのは璃乃ルートなんですがっていうネタバレをブッコいて誤魔化して頂くとしても、
つまり、春姫ルートは「結局最後まで思い出の男の子は分からない」に対して、この「花恋ルート」はまぁこれは体験版時点で半ば分かっていることですが「主人公が思い出の男の子だとわかる」わけです。
これは春姫ルートを知っている人間からすると「え?それで春姫を次ぐヒロインになれるんですか?ゆいにゃんの声が相変わらずエロいからそれでいいんですかっ?!」って感じだし、
別に1とかよく知らん人でも「このシナリオは何をやろうとするの?」っていう話になるじゃないですか。で、それに対する答えって言うのが…実は先の春姫シナリオの紹介の中で既にネタバレしているんですね!
ってまぁ、思わせぶりな答えはこれぐらいにして、きちんと地道な分析をすると、まずこのシナリオの「思い出の男の子を最初に振りつつ、しかしそいつをすぐに解決させる」っていうのは、
二つの戦略的なプロットがあるわけですね。一つはさっき少し触れたように、これは実は「ちょっとしたミスリード」があって、その「ミスリード」によって、実は「花恋ルート」と見せかけて、
このお話は璃乃ルートに分岐しているっていう仕掛けはあるんですが、とはいえ、これは「花恋ルート」としては、実はあまり関係ないんですよね。その「ミスリード」部分は個別ルート直前に潰れるので。
じゃあ、花恋ルートにおけるその「ここが思いでの男のハウスね!」戦略のもう一つの機能性とはなにか…それはイチャラブじゃあぁぁぁぁ!
あ、いやこれ別に冗談じゃなくてわりとそのまんまマジですね。ついでに、さっきからポロポロ言っているし、最初のデーター評価ところでこの花恋ルートのイチャラブ評価が「A]っていう時点で、
このシナリオが基本的にイチャラブシナリオだってことはわかるし、実際に個別ルート入ってからすぐに告白して恋人になってしまうわけですけど、そこらへんのお話は、いまさっき僕が言ったお話と微妙に違うん。
何故なら、そういう「個別ルートに入ってすぐ恋人になる」っていうのは、確かにイチャラブシナリオではあるけれども、それ自体は直接的に「思い出の男の子はだれ?」プロットと繋がるわけではなくて、
そこは先にも言ったように「一時期的に封印される」んですよね。じゃあ、その「思い出の男の子がだれ?」っていうプロットが、どういうイチャラブに繋がるのかって言うと、
それは「まだ告白していないのに、もう半ば告白しているのと同然感」っていう「告白前のイチャラブ感」に繋がるわけですよ。まぁこれは逆に言うと璃乃の敗北ヒロイン人生描写にも繋がるわけですがそれは後でね♪
これはどういうことかって言うと、花恋ちゃんは主人公と出会ってすぐに「思い出の男の子はあなただったんですね」とわかっているわけだし、基本的に主人公と相性はいいわけじゃないですか。
もちろん、そこで「あなたが思い出の男の子だったんですね。じゃあここでもっとセックスする!」って言うことにはならないし、そこで恋人関係になれるわけではないけど、
「二人とも実は昔に好きあっていて」なおかつ「今の時点でも二人の相性はなんか良さげ」っていうのは、もう「半ば特別な関係かもしれない」ってことをお互いに意識するわけじゃないですか。
もうね、ここらへんの描写が凄いイチャラブ的に最高すぎてぶっちゃけ体験版の時点でもう勝ちは決まっていたようなもんですわ。
この「お互いに初対面の初々しさや戸惑い」を残しながらも、だけど二人はもう「昔好きあっていた特別な関係だと知っている」ことから、自然な好意がお互いの間に発生するみたいなイチャラブ感。
確かにこの花恋ちゃんを「初回固定ヒロイン」にしたのは、固定ヒロインルート反対派の自分もその判断は認めざるをえない。。
だって、この娘を「攻略しない」っていうのは、物語上において、かなり不自然なんですわ。それくらいのこの共通ルートで主人公と花恋ちゃんはラブラブ状態になっていて、
まさにその描写が璃乃ちゃんを「ああ、璃乃ちゃんも花恋ちゃんみたいに振舞っておけばなぁ」っていう敗北ヒロインとしての「格」を直実に高めていくわけですね。これ、春姫ルートよりもある意味でタチ悪いよなぁ…
この花恋ルートって、基本的には「疎遠幼馴染ルート」に見せかけて、実はその疎遠幼馴染みっぷりは「璃乃ルート」で猛烈に負け犬ヒロインとして描写されているわけで、
お話としては「再開幼馴染ヒロインシナリオ」の亜種なんですよね。確かにそこで途中に「思い出の男の子は主人公ではなかった?」っていうのを、ここは体験版で分かるネタバレ範囲なのでバラすと、
「ヒロインの思い出の男の子は主人公だが、主人公の思い出の女の子は花恋ではない」って言うふうに微妙に変えるところはあるんですけど、これって思いっきり話を単純化しちゃうと、
「昔、主人公の事が好きだった女の子と、そのヒロインを助けた男の子が再開した」っていうシンプルな関係性を「物語の初めに、その告白を前倒し」にすることで、
「主人公の事を昔から好きだった女の子が、今はもっと主人公の事を好きになっていますが、なまじ思い出の人だっていう関係性があるために恋人関係には発展しない寸止めイチャラブ描写」を続けていくっていう構図になるわけで、
この「思い出の男の子だから気になる」っていうヒロインとの特別な関係性と「思い出の男の子以上に今の主人公が好き」っていう、この二つをラブラブを躊躇いながら主人公にぶつけてくる花恋ちゃんは恋人以前でもう強すぎて強すぎて…
まぁ一々それを記述するのも野暮ちんな感じではありますが、これはこれで、もう個別ルート直前において、ある意味で「春姫ルート」の韻を踏んでいるわけですね。
実際に春姫ルートの約6~7割くらいは、ここらへんの春姫ちゃんの葛藤とメインプロットの「Happiness projec ver2」の魔法騒動を絡ませた展開で進んで行くんですけど、
この花恋ルートにおいては、そこらへんはもう既に体験版部分と個別ルートの前半部分で解決しているどころか、そういう昔のエロゲだったら「ヒロインの心の葛藤」みたいな展開ですら
こっちは既に個別ルートに入る前から「思いでの男の子と思い手の女の子がイイ感じになっている」ようなイチャラブ描写を漂わせている。
それじゃあ、いったいその「あと」はいったいなにをやるんでしょうか?
これがまた、春姫シナリオを知っている人には、春姫シナリオと言うか、春姫というヒロインに対するイイ感じの批評には見えるし、
まぁ別にそんな前作とか知らない人であったとしても、恋愛シナリオとイチャラブシナリオがいい塩梅で混ざり合ってる良シナリオなんですよね
>花恋「……わたし、結構思いつめるタイプみたいで…何年も、1人で一条君のことを思い続けて…」
これ自体は別になんてこともない普通の台詞なんだけども、春姫シナリオを知っているプレイヤーからすると「凄い!この娘はきちんと自覚あるんだなw」とか少し笑ってしまうわけですよ。
春姫ちゃんは別にそこらへんを気にしていないと言ったら誇張にはなるんだけど、少なくとも本人はそういう「自分の思い込みに自己嫌悪するような」ところは殆どなかったわけ。
でも、花恋ちゃんはそこらへんを微妙に気にしているんで、個別ルートに入った直後に色々あってすぐに恋人になったとしても、
すぐさまにこの「思い出の男の子葛藤」が解決されたわけでははない……だけれども、ここから先はある意味で春姫ヒロインを受け続いているところもあるんだなこれが。
どういうところか。確かに、この花恋ちゃんは前作の春姫と違って、それなりに内省的なところも強いんだけれども、
まぁこれは多少ネタバレになるのでボカしておくけど「個別ルートに入って色々あってすぐに恋人になった」っていう時点で、内省的うんぬんとはちょっと矛盾するじゃないですか。
そう、この花恋ちゃんが春姫と共通しているのはまさしく
「言っていることと、やっていることが、微妙に食い違っているというか、内省的なのか積極的なのか良く分からないような可愛さ」
なんですよ。春姫シナリオの場合は、まぁライターにどこまでそういう意図があったのか、それとも単に描写不足だったのかは判別付かないんですけど、
僕がさっき言ったような「内省的な描写」はあんまし無いので、いっけん優等生ヒロインに見えながらも、実は自分勝手な思い込みが激しい春姫ちゃんは清楚ビッチで良いなぁと言う感がする。
んで、この花恋ちゃんはそういう内省的な描写をそれなりに提示しながら、恋人になったとはいえ、そこはそれ最初のうちは余りベタベタなイチャラブ描写はせずに微笑ましいやり取りをしながらも、
これまたとあるネタバレ的展開で、しかもイチャラブ描写とは関係なさそうな「Happiness projec ver2」繋がりで、花恋ちゃんは自分の裸の背中を始めて主人公にいきなり見せちゃったりする。
もう、ここらへんの「内気に見えながら、内省的に見えながらも、実は自分の意図を超えた形で物凄い積極的だったり」するっていうようなヒロインのコアの部分はまさに春姫と同じだったりするわけだ。
春姫の場合は「少ない言葉と描写」でそれを匂わせるのに対して、花恋ちゃんの場合は「たくさんの言葉と描写から微妙にズレる行動」でそれを匂わせる。いやぁどっちも悪質な清楚ビッチ萌えですねえぇ。最高じゃん!
実はこれ、ある意味では個別ルートに入る前の「既にお互いが思い出の相手だと解っているプレ恋人状態」の描写でも、似たような所はあるんだけども、
こういう相手の好意は既にわかっているのに、だけど実際に相手がその好意を「どういう行為や言葉で表すかはまだよくわからないような」あいだがらが凄く良いんですよね。
お互いに好きだとか言い合うイチャラブ描写も良いんですけど、それだとその時点でその好意の言葉は一瞬でその場で消えて、だからまた同じような言葉を次々に生み出して行くわけですが、
こういう花恋ちゃんのような薄いヴェールを被ったような好意の発露やその言葉は、その言葉や行動の奥に「もっと何かが」あるような気がして、こちらはそれに誘惑されるような感じがナイス清楚ビッチなんですよ!
もちろん、こういうヒロインに対してCVのゆいにゃんがはまり役であるのは言うまでもなく、まさか10数年ぶりに「はぴねす1」と同じようなヒロインボイスに興奮するとは夢にも思いませんでした。
このシナリオがそういう清楚ビッチ萌えにとって良いのは、基本的に「きちんとした恋愛シナリオ」の王道を踏んでいるからこそ、そういう清楚ビッチっぷりがちらちらと見え隠れるところが非常にいいわけじゃん。
個別の初っ端から恋人になるとは言っても、主人公も、そして花恋ちゃんも基本的には奥手なので、いきなりエッチに進んだりはしないし、主人公もヒロインもその手のことを余り全面に出さずに、
最初のうちには携帯でおはようのメッセージを送り合ったりとか、全くエロゲであることを意識させような健全な恋愛が描かれながらも、さっき記述したような「露骨ではないエロかもしれない」イベントを入れながら…
>「触れて……ください……一条くんのすきなところを、一条くんの思うように……」
とか、これも「エロを意識させない」イベントで、こういう「エッチにもとれる」ような台詞を絶妙なバランスで入れてくるんですよね。このドキドキ感が本当によかった。
これって「エッチを長く引き伸ばしているから良い」とかそういうお話でもなく、または「リアリティ云々」っていう話でもなく、更には「ちょいエロイベントが欲しい」って話でもなく、強いて言えばメタ的な作劇エロで、
エロゲーだから基本的にヒロインとのエッチがあることは前提にしつつも、ヒロインの行動や台詞が「どこまでエロに繋がっているか繋がっていないか」とユーザーサイドがアレコレ期待しながら読み進めていくのがとても愉しい。
かといってそれを余りにも露骨にやると「射精我慢」シナリオみたいになってしまうんですけど、この花恋ちゃんシナリオは態が基本的に真面目だからこそ、さっきのような清楚ビッチ感覚がさらに強まるわけですな。
まぁそういう悪質な清楚ビッチ萌えっていうのは、僕の性癖ストライクゾーンだから僕がそれなりに誇張評価しているところはあるので、此処はもう少しだけ客観モードにレンズを引いて語るならば、
この花恋シナリオのイチャラブ描写が良いのは、ある意味でこれは昔のゼロ年代くらいのエロゲっぽい特徴ではあるんですが、まずは当たり障りのない言い方をすると台詞の雰囲気が適度に上品なのよ。。
別にこれが物凄い良い台詞だとか、そういうことを言いたいわけではないけど、
>「待っているあいだは、一条くんのことをずっと考えられていますから」
みたいな、こういう「ちょっと丁寧でほんの少しだけ温かい言葉」が毎日のさり気ない描写のなかにちょくちょく挟まれてくる。
んで、これをもっと乱暴な言い方をすると、これは別にこの作品の主人公が「無個性主人公だ」という批判を展開するわけではないんですが、
単純に言って「ヒロインの台詞量」が主人公の台詞量に対してかなりの割合で多かったりする。べつにこれも会話が成立していないという批判ではないんだが、
キレのいい主人公とヒロインの台詞のやりとりを目指しているテキストではなくて、ヒロインの語りに対して、主人公がさらにヒロインの話を引き出すようなテキスト構成になっている。
まぁ別にここで、おそらくこのルートを担当している元長さんを引き合いに出すつもりはないし、たぶん元長さんの方も別に今作で作家性がどうこうって言われたくはないとは思うんだけども、
こういうヒロインの語りに対して、主人公がそのキャラとしての存在を積極的に前に出ることがなく、ユーザーがそのヒロインの語りに耳を傾けるような作りはまさにゼロ年代のエロゲを思い出させるんですよね。
主人公が積極的に前に出ない云々ついては、シナリオ的な説明がきちんとあるし、璃乃ルートはまさにそこらへんを語っているシナリオではあるんですが、
そういうシナリオ的なテーマやら展開とは別に、こういう「ヒロインの語りかけモードが強い」テキスト構成っていうのは、やや強引な比喩になりますけど
音楽としていうなら癒し系音楽みたいな安定感があるんですよね。まずヒロインの語りが多いっていう事は、まぁその台詞の内容にもよって多少は異なるかもしれませんが、
主人公の台詞によってヒロインの語りのモードが途中で変化せずに、あるモードでの音声が一定程度が続くじゃないですか。声のトーンが頻繁に切り替わらない。
良く昔のエロゲが「睡眠エロゲ」とは言われていたのは、シナリオの内容が退屈だから以前の話で、こういうヒロインの長めの台詞が続くことの強いて言えば音楽的な安定脱力感があったりする。
それに加えて今作はカレンダー方式で、ごく一部を除いて一日ごとに物語が進んで行くのも、先のような安定脱力感をぶかぶかにしていく。
お話としてはこのシナリオ、序盤の「思い出の男の子話」から後半の展開にかけてそれなりに「引っ張り」はあるお話だし、
花恋ちゃんも時々は突拍子もないことをやってくるし、最初から恋人になったとしても、主人公とヒロインが奥手なので次の展開に進むまでのドキドキ感は多少なりともあるんですけども、
プレイ時の全体的な印象というのは、非常に落ち着いた気分になれる恋愛イチャラブシナリオなんですよね。
もちろん、それはシナリオの作り自体が、例えば後半のシナリオなんて「強くなるためにもっとイチャラブしろ」と師匠キャラが言ったりするので、半ばシナリオの意図通りではあるんだけども、
もう半分はシナリオの展開と言うよりも、シナリオの展開も含めたような作中の雰囲気や言葉の柔らかさもあると思う。
そういう意味では今作は、実は「はぴねす1」というよりも処女作の「結い橋」に戻ったさえいえる原点回帰作品なのかもしれ知れない。
シナリオ構造としては、先にも言ったように個別ルートの初っ端から恋人になるし、個別の最初から最後までイチャラブ描写が続いているし、
まぁこれは詳しくは後述しますけど、中盤から後半にかけて「Happiness projec ver2」」が絡む展開とは言え、それも「はぴねす1」ほどにはシリアス展開にならないので、
作品のシナリオ構造それ自体は「昔のはぴねす時代」のまったく違うのに、作中のイチャラブテキストから受ける印象はどこかゼロ年代のエロゲのような穏やかさがある…
なーんて、初回プレイ時には思ったもんですが、璃乃シナリオはこの花恋シナリオとは全く別の意味で予想の付かない「2」になっているんだなこれが。
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(3)「今じゃ言えない秘密じゃないけど、出来ることなら言いたくないよ」
本当は「話すコトバはとってもポジティヴ 思う脳ミソ ホントはネガティヴ」っていうタイトルにしようかなとおもったんですが、
こっちの方が「別に引用ネタだとは特に思われない自然な感じ」がしていいかなぁとは思いまして。今話しても仕方ないし、でも言いたくて仕方ないし♪っていうのが引用ネタのだいたいの動機であるんですけどね
とはいっても、璃乃ルートのシナリオの大半を占めるのは「特に動機や理由がない」っていうテーマというか、それ自体がテーマになりにくいモノであったりするんですが。
「職業に貴賤はない」という言葉を真面目に信じるかどうかはさて置くとしても、作品のテーマ性みたいなものについては明らかに貴賤というのはあるじゃないですか。
それはそれを「テーマ性」と呼ぶべきなのか?っていうレベルのプレ価値判断のレベルで行われているわけで合って、例えばエロ助的な好みで言えば、
「トロッコ問題」みたいな「テーマ性」はそれは「人間にとって重要な問題を突き付けるテーマ性」だとか矢鱈に言われるわけですよね。
もちろん、それが本当に「一般的な人間にとって重要なのか?」っていう話は別問題で、普通の人は「命の選択の優先順位を突き付けられる」なんてことはほぼ無いとは思うし、
超マジレスすれば、この30年間もGDPがマイナスからゼロ付近をウロウロしている日本にとって、その手のトレードオフ問題は本当に重要なのか?っていう緊縮経済批判論だって世界中では盛んなわけですが、
所謂フィクションの「テーマ性」という奴は、その手の些末な現実からは乖離した形で、奇妙に「現実にとって本質的な問題だ」というような印象を与える作劇に対してそう名付けられる。
実のところ、今回のこの作品の「Happiness projec ver2」に関しては、この「トロッコ問題」的なテーマが多少は関わってくるんですが、そこらへんについては後回しにするとして、
この「トロッコ問題」というのは、本来はある種の「思考実験」なんですよね。この「思考実験」っていうのは、本来は哲学的なシミュレーションを目的としていて、
「トロッコ問題」のその目的としては、普通の生活をしていたら特に関わることはないけれども、一部の現実においては必要になってくるトレードオフの関係について考えさせようとする。
http://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2019/03/23/123116
とはいっても、これはあくまでも「哲学的目的としてのトロッコ問題」であって、一般的なフィクションにおける「トロッコ問題」っていうのは、やや趣が異なるわけですよね。
前者はどちらかと言うと、その目的としては価値中立的でそこから「色んな命題に対して思考発展する」ことを目的としているわけですが、フィクションの場合は、これがまた厄介なことに、
一応は「思考実験」という名目を作品上では挙げるし、まぁ評者もそんな偉そうなことを言い募るわけですが、フィクションの実態としてはとてもそうとは思えないわけです。
だって仮に、フィクションの「思考実験」が哲学の「思考実験」と同じだとしたら、僕らはわざわざフィクションにおける「思考実験的な作品」を読む必要は無いわけだし、
この「トロッコ問題」的なフィクションが大好きな、ハッキリ言って「馬鹿な人たち」はそれこそ「世の中の絶対真理はトレードオフだぁ」みたいに「命題にはまり込む」人はそれなりに多いわけですよね。
まぁ別に今作は元長ゲーではないので、別にフィクションと哲学の違いみたいな話を本格的に検討はしませんけれど、建前上は一応はこういう事が出来るかもしれない。
つまり、哲学は「思考の実験」であるが、フィクションは「人生の実験」ではあると。でも、これもやっぱり建前論臭いんですよね。「実験」なんていうのは実態からすると余所余所しくて、
そういう「実験としての」建前論を挙げつつも、現実としてはフィクションの時間を「生きる」と言った方が良いかもしれない。ここで少しこの「Happiness projec ver2」に引っかけるとするならば、
>「いや、これが大げさじゃないのは、魔法使いならわかるはずだな。魔法とは、自らの望む世界を選び取る実践なんだから」
っていう話になる。まぁこれは単純にこの作品世界の設定で言えば、この作品における魔法っていうのは、何らかのマナとか何とかエネルギーを操作して「魔法事象」を引き起こすものではなくて、
現実における「複数の可能性」の中から、特定の可能世界における事象をこの現実世界に発生させるのが魔法だよっていう話をしているわけですが、僕らとフィクションの関係って言うのもそれに近いかもしれない。
つまり先の「哲学的な思考実験」というのは、あくまでそれ自体は「可能性の提示や発見」であって、それを別に「人生」という言葉に変えたところで、その可能性の外部性はあまり変わらないんだけども、
フィクションの場合は、その「様々な可能性を任意に選びとる」ようなところがある。言葉を変えるなら「あれもあるしこれもある」だけではなく「あれもあるしこれもある中から作中時間においてこれを選ぶ」って言う話になる。
まぁこの「これを選ぶ」がふだん言われないのは、この「これを選ぶ」を基準って言うのが、個人的な恣意性に寄るところが近いし、しかも「作中時間においてだけそれを選ぶ」っていうのはちょっと狡い感じはするからでしょうね。
そうして、そこで作中において選択される可能性は、総じてヒッチコックが言うように、
>「ドラマとは退屈な部分をカットした人生である」-
を選び取る人が多くて、そこでバカっぽい人は「退屈な部分をカットしたフィクションこそ人生とか世界の本質が現れている」とか勘違いして、トロッコ問題的なフィクションを矢鱈に褒めたたえるわけですな。
ある種のテーマ性がフィクションにおいて殊更に称揚されて、またある種のテーマ性が「テーマ性」と認識されない理由も基本的にはそこにあって、
まず多くの人にとって現実的で些末なテーマ性というのは、それをこの作品的に言えば「魔法として現実世界に選び取る」理由があんましないわけです。そんなものは「現実世界」にあり触れていると思っているので。
でも、ここから先が厄介な話になって、人は現実世界において自分が全く関係ないものには「興味は浮かばない」ですよね。例えば「タコの心身問題」というのは人間意外の意識を考えるうえで非常に重要ですが、
べつだん普通の人はタコの意識がどうなろうと知ったことはないじゃないですか。だから、普通の人はフィクションに対して、いっけん自分の現実の些細な問題とは関係なさそうに見えるのに、
然して、皆さんの大好きな言葉で言うところの「本質的なレベルでは関係のある」お話を、それをあくまで「複数の可能性の中から」魔法として選び取る、といった複数の段取りを踏んでから虚構のテーマ性効能を消費していく。
さて、ここまで長ったらしい枕話をしたからには、そこは「この璃乃ルート」はそういう「現実の些末な日常描写を中心とする退屈なシナリオ」みたいなお約束展開を期待したいところではあるんですけど、
これは半分正解で半分間違いなんですよね。
「現実の些末な日常描写を中心」とするっていうところはだいたいOKで、このシナリオでは後半の一部を除いて魔法ファンタジー的な展開もないし、
また「Happiness projec ver2」に関係する事柄も、このシナリオでは殆ど言っていいほど関わらない。実際グランドでもそういう位置づけのシナリオだとヒロイン自らが言っているほどじゃ。
とはいえ、それが「退屈なシナリオ」であったり、または単に「現実の些細な日常描写を中心としているだけ」というのは基本的に間違っているんですよね。
どちらかと言えば、これは初回ルートロックの「花恋」シナリオをやったユーザーからすると、この璃乃ルートは「次に絶対にやりたくなる}シナリオではあるし、
少なくともルートに入る前には「結構ドキドキワクワクさせられるシナリオなんじゃないかな?」とは思わせてくれるわけだ。そのドキドキワクワク感は微妙な感じで裏切られることになるんだけども。
ここらへん、本当は結構なネタバレシナリオなんで、僕としてもあまりネタバレはしたくは無いんだけども、まぁ体験版で公開されている部分ではあるし、
そこらへんを抽象的に語ってしまうと、このシナリオの良さを上手く伝えることは難しいので、ここはアッサリとネタバレしてしまうと、前の花恋シナリオで語ったように、
この璃乃ルートはあらゆるレベルで「花恋シナリオ」とペアの構造になっていて、それはヒロインの性格から、その性格を反映したシナリオ構造まで鏡映しになっているんですよね。
まぁそこらへんはルート前には良く分からないんだけど、少なくともルート前であっても、この璃乃シナリオが花恋シナリオから「絶妙なところで分岐している」のはよくわかる。
具体的にそこらへんのプロットについて語るならば、まず花恋ルートは「思い出の男の子が主人公かも知れない」というシナリオ展開が合って、
そこから主人公も「思い出の女の子」を思い出していくんだけど、実はこれはミスリードというか「きちんとボイスを聞いていれば分かる」トリックが合って、
実は「主人公の思い出の女の子は花恋ちゃんではなかった」というのが共通ルートの時点で明らかになるわけですね(それでは花恋の思い出の男の子は?に関しては本編やってください)。
んで更に言うと、その主人公の思い出の女の子が璃乃であることも、何となく匂わせるような描写があるし、さっきのトリック部分のボイスを聞けば正体はほぼ確定みたいなもので、
つまり共通ルートにおいて、璃乃は「思い出NTR状態」でありながら、主人公と花恋ちゃんの恋を応援するという非常に負け組ちっくヒロインとしてエロゲオタの共感をそそるわけですよ。
まぁ僕としては昔から「そんな負け組ヒロインのことを全く気にせずに主人公とイチャラブしまくる」ような清楚ビッチの花恋ちゃんの方が大好きなんですけどね!
だから、だいたい璃乃ルートに入る前の「花恋と璃乃ルートに分岐する共通ルート」に関しては、まぁ読者がどこまで「先のトリック」に気付くかどうかは分からないにしても、
さっきに書いたような「人間関係や心理描写のドラマツルギー」は存在するし、それが「璃乃ルート」まで突入する強力な原動力になっており、そういう意味では「退屈な日常シナリオ」ではないのだが…
しかしですねぇ。これがルートに突入した後は、これがもうドラマツルギー要素ゼロといったら言い過ぎだけど、共通ルートまでの切迫感が殆ど消えるんだよね。
完全にネタバレはされないとはいっても、入ってすぐくらいのところで、もう殆ど完璧な形で「璃乃が主人公の思い出の女の子」だっていうことはわかるし、
さらには花恋との恋愛の道も絶たれてしまうので「花恋との恋愛にドギマギする璃乃」っていう、共通ルートでの三角関係プロットはまぁここで消滅してしまうし、
花恋ルートと違ってその「三角関係」の衝動から、一気に恋人へとランクアップするような勢いもなく、えーっと、璃乃さんは「これまで通り」の学園生活を続けようとするんですかぁ?
そう、この「璃乃ルート」のメイン展開は、この「璃乃」ちゃんの「往生際の悪さ」を延々とオチし続けるヘタレ璃乃ちんの観察絵日記ルートなのだぁ!
しかもね。この璃乃ちゃんは、
>「一条(主人公ね)にそれを伝えて、そのあと……あたしがどうしたいのかが」
>「今はもう……別に一条とは仲悪いいわけじゃないし、言っても…仕方がないかなって」
みたいなことを言って、それでずっと強情を張っているなら、それはそれでゼロ年代の「強情なツンデレヒロイン」になれるんだけども、あんなことを言っておいて、主人公とあっていい雰囲気になれば…
>「でも、そっかぁ…あたしの気持なんかが、一条に届くこともあるのね」
なんていうふうに、自分が主人公のことを思って、あれこせ世話を焼いていることを「本当は気付いてほしい」っていうことをさり気なく伝えてきちゃうわけですよ。
んでも、さっきいったように、璃乃には別に「主人公に今さらそれを伝える」理由っていうのが特にないし、今は今で主人公と仲良くなっているから…っていう言い訳が立ってしまって、
それはそのままその通りに「特にファンタジー展開もない学園生活エロゲ」は、文化祭を目指しながら「どこかで往生際の悪い璃乃」を晒し物にしつつも平凡な日常が進んでいく…
だからこれは「心理描写にすぐれたシナリオ」と言うにはちょっと違うんですよね。そこまでして「何か特別な心理」を描こうとしているわけじゃなくて「心理とか目的とか人間の意思」以前の、
「やろうかなぁ。どうしようかなぁ。それをやるのは怖いなぁ。だからこのままでもいいかぁ。でもなぁ」っていう「逡巡」と「現状維持」の行ったり来たりのどっちつかずをちまちまと描き出していく。
だけど、この璃乃って言うヒロインは、先の通りに「別にそこまでして維持を張ってる」わけではないんですよね。だって主人公に「思い出の女の子と告白しない」理由っていうのは、
「ただ何となくタイミングが悪い」とか「今の主人公も好きだからぁ」っていうチンケな理由でしかないわけですよ。だから主人公が個別ルートの中盤前後くらいに「もしかして、璃乃が思い出の女の子なのか?」と聴いてきたら…
>「つ、辛かったなんて言ってないでしょ!?し…(主人公のことを)心配してただけよ……」
と思わず本音しか言ってくれない璃乃ちゃんは可愛すぎて今すぐその場でセックスしたくなるんだけども、でも、その時点では「まだ思い出の女の子」とわかっただけだから、
そこで「二人の関係性が変わるわけはないし」っていう言い訳を璃乃ちゃんはまだ続けようとはするんですよね。うんまぁだいたい22時間くらいはね……
>「あたしのパートナーになって!」
>「……はっ!?、ちょ、あの……ね、ホントにホントに魔王仕合神事のパートーナーだからね」
>「ね、別にそうじゃないパートナーになって欲しいなんて、そ……そんなつもりじゃないんだからね、ほ……ほんとよ!?」
うんまぁこれは本人は「嘘をついているつもり」は無いんですよね。いやいや皮肉とか冗談とかではなくて、これは本当に璃乃ちゃんは嘘をついてるつもりは無いし、
これってマジで「ツンデレ」的な意味で嘘を言っているわけではないということが、後半のネタバレ展開によって「結果的に嘘をついてしまった」ってことが発覚するわけでなんですけど、
この時点では「ツンデレ的な嘘を言っているように見えてしまう」っていうふうに見えてしまうっていうのが意外な伏線でして、さらにそのまただいたい20時間後くらいには、
>「あんたの事が…好きだったから……」
>「好きな相手のことだもん!すぐに気づくわよ!
>「あ、これは昔の話だからね!今のあんたは全然違うから!」
っていう風に「今までの関係はずっと変わらないんだからね!」っていう言い訳ゲームをまだまだこの期に及んで続けながらも、もう実質的に告白に近い台詞をぶっ放してくれるわけですよ。
ええ、もちろん、主人公は璃乃ちゃんの好意にはあまり気付いていないですよ。だって建前的には、二人は「単に小さい頃のお話を璃乃の家でしていた」だけですからね。なっ、なんて健全な関係なんだ!
もう正直これほどまでにいじらしい璃乃をみていると、コイツは主人公がずっと鈍感を貫き通して璃乃ちゃんオナニーイベントまで発展させるべきではないのか?と、もう延々と焦らしてほしいところではありますが…
しかし、そのだいたい23時間くらいに同じ璃乃ちゃんの家で
>「一条(主人公)が食べてみたいって言うなら、また……作ってあげても。いいけど……」
とはいえ、まぁそりゃもうゼロ年代の鈍感主人公が一世を風靡した時代じゃないですからねー、でもこの後の展開は非常にゼロ年代っぽくて、その時だけは「衝動のままに行動する主人公」っていうのをついに見せる。
こんなの「成功すること」が分かり切っているのに、もう璃乃ちゃんの気持ちなんてこちらはわかっているのに、このシーンが結構ドキドキしたのは、この璃乃ゲームは原理的にはその後のシーンで璃乃が言うように、
>「あんたが気付いていなかっただけで、あの頃のあたしたちは…そ、相思相愛……だったんだから」
っていうように永遠と無限後退ゲームを続けることが可能だし、さっきもいったように「それはそれでそういう璃乃も可愛いから」そこは璃乃と同じように、プレイヤーもその欺瞞的な関係を続けたくなるんですよね。
だから、この「璃乃」って言うヒロインは、実は杏璃ヒロインの二代目に見えて、そういう意味では「春姫」の二代目的なヒロインでもあるわけです。
花恋ちゃんは「思い出の男の子」に縛られながらも、そこは個別ルートの最初の方で、勇気を出して自分から主人公に告白して、しかもその後はその「思い出の男の子」から抜け出そうと色々頑張っている。
でも、この璃乃って言うヒロインは、このシーンにも見られるように「自分の力だけ」では、その「昔は好きだったんだから!」から抜け出すことがない超ヘタレヒロインなわけですし、
実はさっきも少し触れたように「自分の力だけでは過去から抜け出ることが出来ない」ということには、このシナリオの唯一のファンタジー展開のキーが隠されていることが、後半に明らかになっていくわけですが…
>「それで、我慢がどうにでもできなくなって、もういいや、全部預けて甘えちゃえ!ってなっちゃうんだもん」
>「こ……心の蛇口が緩んじゃったみたいに、好きー!って気持ちがあふれすぎちゃってるの……かな」
>「そ、そうよ。じゃぶじゃぶ溢れちゃってるんだからね。だ、だから…仕方ない……でしょ」
むろん暫くは「璃乃ちゃん調教日誌」というか「堕ちたツンデレ幼馴染の壊れたイチャラブ水道管」がクラシアンしていくわけですが、ここでようやっとこのシナリオは「日常描写中心シナリオ」の腰を上げて、
「魔法仕合大会の為に今から特訓よ」っていうファンタジーバトル展開になるように見せかけて、こんなのはイチャラブシナリオ中級者以上には「ははーん、これはバトル展開に見せかけた」っていうのは分かりますわな。
いや、別に普通に魔法の特訓とかはしますし、最後にライバル最強ティームとのバトル展開にきちんとなりますけど、そんなのは「恋人になったヒロイン達のイチャラブ絆を強める為の展開に過ぎない」のは当然の事ながら
このシナリオはその「あとはイチャラブ展開が続くだけだな!」ってところに、さらにそのイチャラブをブーストさせる、今までの伏線を踏まえながらも、ちょっと予想外ではあるものの、
しかし幼馴染シナリオの最強テンプレ魔法をここで一気に爆発させてくれる。いやぁ、こういうのがまさに「イチャラブ展開と萌えゲ的なシナリオ展開の理想的な融合」ってやつですね。
>「わたしはかずきと……そんな風にいっしょに魔法を使ってみたい」
まぁこのシナリオの唯一の弱点を言えば、そんなふうの状態での璃乃ちゃんとのエッチシーンが無いことぐらいですけど、もちろんそういう心理状態での璃乃ちゃんとはいっぱいエッチができますし、
そんなふうの璃乃ちゃんが願ったような、小さいころの小さな約束にずっと大人になっても留まったままで、花恋ちゃんとは違って、ずっと子供時代に甘えたまま大人になれるような夢の続きを
振り返ってみればこのシナリオの初めから終わりまでずっと璃乃と続けていたようなノスタルジーこそが、このシナリオの最大の魅力でしょう。そしてそのあとに、共通ルートでのこの璃乃のアドバイスを見直すのも一興じゃ。。
>「一つ目、謙虚は美徳じゃないってこと。自分他人に影響を与える存在なんだって認識しなさい」
もちろん、これはこのシナリオ上では半分くらいはアイロニー的に作用する。何故なら、このシナリオだけではなく、このシナリオ以外でも「自分の思いが主人公に伝わっていない」という謙虚…否「嘘」をついているのは璃乃だからだ。
しかし、この璃乃ちゃんの二つ目のアドバイスに関しては、あんがい璃乃は嘘をついていないのであって、
>「それから二つ目。自分の気持ちに向き合いなさい」
これは先ほどのアドバイスに比べると、こっちの方が璃乃には出来ていないように思えるのは事実だろう。璃乃がこのシナリオでやっていることは99%は、
「いま話してもしかたがないし、でも言いたくて仕方ないし」っていうことを主人公の前でやり続けて、主人公がその「仕方ないこと」を璃乃の気持ちにズルズルと蛇口をひねるというショーもない話である
だけど「自分の気持ちに向き合う」という行為は、実はこの璃乃シナリオのように、このショーもない話であったりする。
「自分の気持ち」というのは、特定の状況を除いて、なにか「特定のブレの無い気持ち」を意味するわけでは全くない。ドラマのように「自分の真実の気持ちが明らかになる」のはそのドラマがその真実の状況を用意してるに過ぎない。
この作品の物語には「小さいころの本当の隠された思い出」が存在し、その「隠された思い出」が今までの璃乃の行動や発言の「嘘」を真実の光によってその嘘の意味を暗幕の上に投射する。
それは確かに「今までの日常的なシナリオの意味のないような発言や行動」を「ドラマチックなイベント」によって、散文的なイベントにドラマツルギーとしての意味を与えていく。
でも、璃乃の「いま話しても仕方ないし、でも言いたくて仕方ないし」という戸惑いそれ自体は、その瞬間の感情としては別になんら嘘はついてないし、璃乃も、主人公自身もその「逡巡」にたいして向き合っていて、
自分たちエロゲオタたちも、そうした宙ぶらりんな璃乃に対して痛しかゆしの共感によって萌え転がったりしている。そこにドラマやらテーマを見出だすかは、あなたがその瞬間のリアルに向き合うかどうかにかかっていると思われるん。
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(4)「Happiness projec ver2」
さてそろそろ、この作品の共通メインプロットである「Happiness projec ver2」について語ってみよう。
その内容は追々語るとして、まずこの作品のルートにおいてそれが語られるのは、初回ルート(固定)の花恋ルートにおいて、その計画の「いま現在の全貌」が明らかになる。
ということは、それ以降の他のルートは、この「HP2」をユーザーが知っていることを前提に話が進んでいくわけですが、直接的に「HP2」に関わるシナリオと言うのは実は少なかったりする。
その多くは「HP2」を「巡るまわりの人たち」に関係するもので「HP2」に近い順から言うと、直接的にそれに関わっている神社の娘である「楓子」さんシナリオで、
次には「HP2」には深く関係しているように見えて、実はそれとは全く関係なかった熾月シナリオで、ええ、もちろん璃乃ちゃんは[HP2]には全く関係なくて主人公とイチャラブしていただけですね…
因みにこの「Happiness projec ver2」というからには、その前ヴァージョンの「Happiness projec ver1」が、前作の「はぴねす」の物語と何か関係がありそうに思えてくるが、
ここらへんは物語の中で、まぁ前作を知っている人なら明確に分かるように否定されている。前作の舞台の「瑞穂坂」は別のパワースポットであって、今作の作中の舞台とは関係ないし、
その「Happiness projec ver1」自体も、それがこの「はぴねす2」という作品世界の中で、実際に(はぴねす1とは別に)起こったことであると、その内容を含めてきちんと説明される。
なので、この「HP2」とか「HP」といった作品の物語は純粋に「はぴねす2」のもので、はぴねす1がどうこうっていうのは基本的に全く考える必要はないと、ここは明確に断言しておこう。
ただ、別にこれは「はぴねす1」のオマージュ的な何とかだ!みたいな話をするつもりは無いのだが、はぴねす1の「メインプロット展開」と比較するなら、
この「HP2」を巡る物語は、なんというか作中の時間で言うと「現在」を巡る物語ではあるんだが、その現在感が妙に稀薄であると言えるんだな。
ひとつには、この「HP2を主導しているのは、あくまで弥篝(みかがり)先生であって、最後のグランドを除けば、主人公たちは弥篝先生の補佐役として「プロジェクトの中心」となって動くわけではないんだよね。
そのプロジェクトは、まぁルートによって多少は進行度合いは違うけど、いつも「最後の10手」くらいのところで主人公たちが関わり始めるので、
「あるプロジェクトがリアルタイムで進行しているところに参加する」んじゃなくて、その「プロジェクトが何であったか、どういう人たちが関わっていたのか?」という「過去を知っていく」要素が強いばかりか、
その「HP2]の最終的な結論としての「グランド」ルートなんて、この作品のグランドルート以外の全てのルートそのものが「過去」になってしまうほどだ。
まぁいきなりグランドの話をするのもどうかと思うので、比較的に「現在の話が中心に成る」楓子さんルートの評価から「HP2」のお話をしてみましょうか。
この楓子さんルートは、シナリオ評価で言うとこの作品のなかでは一番低いんだけども、そこはそれ、この楓子さんシナリオが「HP2」の解説シナリオみたいなところはあって、
ある程度はそういう「作品のメインプロット解説」に背負わされてしまったところはある。そういうレベルできちんと機能しているんだけども。
まず「Happiness projec ver2」っていうのは、主人公たちの住む街の「魔力を引き出す」パワースポットが生み出す「災い」とか「呪い」といったものを無効化する計画である。
主人公たちの街には「選択」という魔法理念のパワースポットが存在し、それによって、この街には通常以上の「幸せ」が降り注いでいるのだが、
しかし世界には均衡を目指す仕組みが存在する為に、その均衡を超えた分の幸福を、パワースポットは「不幸」を発生させることによって、不幸と幸福のバランスを保とうとするってわけ。
まぁこのお話はもっと細かい話が沢山あるんだけど、そこらへんは実際にプレイしてもらうとして、大雑把に言うと先の仕組みから発生する「不幸の問題」を防ぐためにこの町では、
実は三回の計画が建てられていて、ひとつはネタバレ的な「神話時代の計画」で、その神話時代の計画が上手く行った後も残る不幸の問題を解決する為に生まれたのが10年前の「Happiness projec ver1」で、
そして今回の作中時間で計画が動いているのが「Happiness projec ver2」ではある。んで、楓子さんは、神話時代の計画からこの「災い」に対処する為に生まれた「神社の巫女さん」的な存在なわけね。
「HP1」それ自体の内幕については、初回ルート固定の花恋ルートで明らかになって、さらにはそこで「今回の計画」は成功しちゃうので「前のルートの失敗を今回のルートで」という形の連続性はなく、
この楓子さんルートでは、楓子さんの立場を通じて「主人公たちの住んでいる町と呪いや災い」の側面について物語ろうとしており、まぁ物語のオチも「街のみんなで呪いや災いを解決しよう」みたいな話になる。
でも、これがねぇ……いや、そのお話自体はそれなりにきちんと説明は出来ているし、別にお話自体に何か破綻があるわけでもなく、良いお話にはなっているとは思うんだけども、
それがヒロインルートとしては、どうにも「コミュニケーションスキルが抜群で飄々としているように見えて実は…」っていう楓子さんとの恋愛物語に対して「きちんと嵌り過ぎている」ところが、
さっきの「実は…」って言う部分を弱めてしまっているんだよな。別の言い方をすると、それこそシナリオ全体が「楓子さんのようにきちんと上手く回しすぎていて」楓子さんの実は…って部分のインパクトが弱くなってる。
これ、別にお話としては特に破綻が無いし、物語全体として「先の部分」を除いて特に説得力が弱いわけではない。「HP2」プロジェクトに参加している楓子さんだが、まぁ色々あって主人公もそれに加わることになり、
主人公は楓子さんと行動するにつれて、楓子さんにもっと協力したくなり、楓子さんも主人公を頼りだすようになって、今までひとりだけでHP2関連の物事を決めていた楓子さんは、もっと周りの人間とも相談するようになって、
それがやがて弥篝先生とは別のHP2を生み出して行く……うん、このように綺麗に纏められるシナリオではあって、ヒロインとの恋愛は「主人公を頼りだす」とかその辺にあるわけだが、ここが手際よく纏まり過ぎている。
まぁ流石に璃乃とか花恋ちゃんみたいな「拗れまくった」性格のヒロインと同じようにやれ!とはいわないけどねぇ……
そこを詳しく言うと、楓子さんの「飄々としながら物事を上手くこなしてしまう」っていうのが失敗するか、または「それが上手く行ったとしても、それが間違っている」ところの描写や展開がこのシナリオでは弱いのよ。
もちろん、主人公の楓子さんを思う言葉や行動によって、楓子さんは「考えを少しずつ変えていく」んだけども、それは本当にそのままの通りで、楓子さんの考えが「どの場面で決定的」に変わったのかの印象が弱くなる。
また楓子さんが、なかなか「感情を表に出さないヒロインだ」というキャラ造形も、これも本当にそのままの通り最初から最後までそれが変わらないのが難点なんだよな。
これは別に「考えていることが解からない」ってことではなくて、むしろ最初から最後まで「概ね主人公には嘘をついていない」ってことはよくわかるんだけども、その調子がずうっとあまり変わらないので、
何というか、楓子さんとより親しくなったとか、楓子さんが主人公の事を信頼したとか、主人公が楓子さんを理解したみたいな「恋愛関係の変化」っていうのが、このシナリオではかなり弱くしか感じられない。
最初から最後まで、主人公が適切に楓子さんにアドバイスや助言をして、頭がよくて機転も効く楓子さんが「主人公の言うことが尤もだ」と思って、問題解決を導き出しているような「恋愛抜きでも成立するじゃん」感が強まってしまう。
そりゃまぁ、花恋ちゃんとか璃乃とか、さらに言えばマイシスター熾月っていう、恋愛シナリオ的には「かなりネジくれた」ヒロインと比べられた楓子さんも気の毒だとは思いますけどね……
おそらくこれは、楓子さんの「腹のうちが読めない」とか「主人公を年上の立場で揶揄ったりする」みたいな描写をしているライターさんが、ある意味で楓子さんに優しすぎたのが原因だと思われる。
もっと璃乃ルートみたいに璃乃を突き放してヘタレに描いた方が……っていうのは言い過ぎたとしても、
共通ルートから楓子さんが「恋を自覚した」という個別の中ごろぐらいまで既に、楓子さんは別に主人公に普通に優しくしているし、普通に主人公の事を好きだっていうような描写を書いてしまっているんだよね。
だから楓子さんの揶揄いとか、主人公に対する接し方もユーザーにとっては「最初から暖かいもの」に感じてしまうが故に、逆に個別ルートに入って物語の進行とともに「仲良くなっている」感じがあまりしないんだと思う。
その点で言えば、上の問題とも微妙にリンクするけども、この楓子さんシナリオでは「楓子さんと主人公の過去の関係」についての描写がかなり弱いのも気になったところだ。
楓子さんと主人公の関係は「昔からの許嫁」関係で、主人公サイドとしては「あまり気が乘らない」けど楓子さんとしては「既に主人公の事が冗談半分でもいえる」間柄なんだけども、
楓子さんが昔から主人公の事を好きになった理由っていうか、主人公と楓子さんの昔のエピソードっていうのが、本当に少ないのよね。これ、別に楓子さんが一方的にそれを覚えているっていう話でもよかったのだ。
つまり、楓子さんが前から主人公の事を好きだっていう話にするにしても、その「前から好きだったエピソード」を個別ルートに入ってからちょくちょく入れれば、
ユーザーとしては「楓子さんが実は主人公のこと」を「想像していた以上に好きだったんだ」っていう感慨がじわりじわりと湧いてくると思うのよね。まぁそれだと花恋ちゃんや璃乃とダブってしまう嫌いはあるんだが
あとは、このシナリオの弱点でいうと「街のひとたち」に相当するキャラクターが、この楓子さんルート限定のキャラクターっていうのも、これはもう少し何とかした方が良かったと思う。
別にあのキャラクターが悪いっていう話ではないし、立ち絵が無いから悪いっていう話でも何でもなくて、そのルートにしか登場しないっていうあたりの「機能が限定されている」感じがイクナイのだ。
こういうのは、まぁ六介みたいな男キャラを活躍させるのはウザイので駄目だとしても、こういう時こそ奈生たんを活躍というか、奈生たんの色んな活動を通じて通じて町の人々がどうこうネタに繋げたり、
或いは楓子さんと奈生たんがバンドなり音楽を語り合うみたいな展開にすべきで、そのシナリオ展開があくまで作品の「メインキャラクターたち」と繋がっているような描写をする必要があったと思う。
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(5)「俺たちのHappiness projecはもう終っていたんだ」
いやまぁ別にそういう酷いオチがあるわけじゃないし、基本的に伏線は(僕の見た限りでは)殆ど解決されますし、まぁ多少の不満はあるものの、基本的に投げっぱなしグランドエンドでもないし、
さらに言うと、この「俺たちのHappiness projecはもう終っていたんだ!」っていうタイトルは、寧ろ「好意的な」感想を示そうとしているんですよね。
物語の方向性としては普通に未来に向けて!のエンディングなんだけれども、その未来はやっとすべての今までの過去が終ったことから始まる…みたいな軽い寂寥感から始まる未来の物語っていう感じがいいんですよねぇ。
熾月ルートは結構不思議な構造を持ったシナリオで、この熾月ちゃんは共通ルートの始まりで「なんか悪役っぽい」というか、はぴねす1で言えば「伊吹」的な役割のヒロインに見えるんだけども、
他のルートのHP2が絡む場面では殆ど出番がないし、今回の「HP2が中心に成るシナリオなのにどこかおかしい?」っていう疑問をユーザーに抱かせてくる。
楓子さんルートでは多少なりともわかるけども、しかし「悪役ではない」ことはわかるくらいで、熾月ちゃんが何をやりたいのかまではわからないし、
この熾月ルートでも中盤ぐらいまでは「いや、兄さんにはそれが言えないんだ…」っていう感じで、その「謎」をまぁ引っ張ってくる。そしてその「謎」とは…
もうそんなことは「何もなかったんだ」よね。少なくとも結果的には。
いや、もちろん熾月ちゃんがやろうとしていたことが「全部無駄だった」とか、何かその行動が「全て裏目」に出るっていう話ではないんだこれは。
実際に熾月ちゃんがやろうとしたことが、この物語のまぁハッピーエンドにも繋がるし、主人公の恋愛にもその行動はきちんとリンクするので別に茶番っていうわけでもない。
また熾月ちゃんがその行為の中で「探し求めていたもの」っていうのも、実は物語の中盤から後半で「あっさり」と見つかってしまって、主人公がそれに心配するぐらいですから。
それが「見つかってしまった」ことそれ自体が、主人公と熾月ちゃんの中を決定的に変えることになって、それは実妹との恋愛シナリオとしては凄く良いんだけども、
そういう流れで実妹との恋愛関係に入ってしまうシナリオというのも、どこか「はぴねす1」時代のエロゲを思わせるところがあるんだよな。
それは「妹の事が好きで好きで仕方がない!}みたいな異性愛中心の恋愛欲望ではなくて、家族として「放っておけない」が先に来てしまうような寄る辺なさを感じさせる。
うん、あんまし抽象的なことをいうのもアレなんで、まぁ半分くらいはネタバレしておくと、熾月ちゃんが探しているのは、主人公と熾月ちゃんの母親が「亡くなった事件の真相」で、
これは主人公の母親がHappiness projec1に関わっていたことが少しずつ分かり始めて、このシナリオは主要プロットで言えば、そのHP2とHP1の歴史を語る機能性があるんだけども、
正直なはなし、この熾月ちゃんにとってみれば、HP2とかHP1の計画それ自体は本質的にはどうでもよくて、その本質的にはどうでもいいものを「求めることしか出来ない」熾月ちゃんっていうのが本質的なテーマ性であり
>母の残した痕跡を追う……それは、私の心の空洞にすっぽり収まったんだ
だから逆に言うと、熾月ちゃんにはいまのところ「それ」しかいない。亡くなった母さんと双子の瑞月ちゃんと主人公しか熾月ちゃんの頭の中には存在しなくて、
しかもその残した「痕跡」それ自体は、物語が進むにつれて「それはもうみつかってしまいそうになる」っていう、熾月ちゃんの存在意義が少しずつ消えていくようなセカイ系エロゲみたいな消滅感。
まぁ別にそういう展開は全く用意されていないけれども、なにかこの熾月ちゃんが、このままゼロ年代エロゲの消滅シナリオのように、ふとした瞬間に消えてしまうような不安定さをこのシナリオでは描写していて、
そしてそれはグランドルートの「真白」の正体に対する感覚的な伏線として機能することにもなっていく。
とはいっても、このシナリオは「泣きゲ」的なそれではなくて、基本的には「イチャラブシナリオ」系の流れだとは言った方が正しい。データー蘭でもその評価は高くして置いたし。
実のところ、この「イチャラブ系」のネタバレの方が、この作品では致命的で、そこをバラすと「イチャラブ」と「恋愛」のドキドキ感が弱まってしまうので、
まぁ曖昧な言い方に成ろうと「どんな状況になっても、主人公が妹の事を常に大切にして」そこをきちんと「熾月」にも伝えているって言うのが、兄妹のイチャラブ描写では重要なんだよね。
それは別に「すぐさま恋人になってイチャラブする」ってことを意味しないで「恋人になるかどうかは分からないけど、妹のことは物凄く大切にする」っていうようなお話で、
そしてその「恋人にならない状態で妹の事を大切にする」が「実妹を恋人にする」というか「恋人になることしかできない」に自然に繋がっていくこの穏やかな描写がとてもいいのよね。
これは他のルートシナリオにも繋がることなんだけども、このシナリオは他のシナリオ以上に「シナリオに自由意志」がある感じがとてもいい。まぁこれは「選択肢」とは別の話なんだけども、
このシナリオは熾月の先のような問題があるのに対して、いやだからこそなんだろうけども「シナリオ上にヒロインと主人公がおいてやらないといけないこと」っていうのが、実は殆ど無いんだよね。
HP1も過去の事だし、HP2も実質的には主人公も熾月も関与しないってことは早めにわかるので、主人公と熾月が未来において「このようなことをやらなきゃいけないから、物語はこう進む」という予測は成り立たずに、
物語はカレンダー形式の1日刻みによって遅々としつつ、自分の存在意義があやふやな熾月ちゃんと、自分をオナネタに使っている熾月ちゃんをどうしていいかわかんない主人公とのイチャラブ未満を語っていく。
少なくとも自分にとっては、こういうムードそれ自体が、このシナリオの魅力なんですよね。実妹と一緒に先が見えない未来をゆっくりと小さく声を掛け合いながら歩いていくような物語が好きな人にはお薦めですわ。
しかしこの熾月ルートには一つ弱点があって、それは「そのルートそのものの内容」っていうよりは、事前の「攻略ルート情報(回想枠)」によって、
もう片方の瑞月との3Pがあることが熾月ルート以前に判明してしまうんだよね。だから、熾月ルートの中で3Pがあるかどうかっていうところが非常に気になってしまうがあるし、
作中の中ではそれを匂わせてしまっている描写が結構多いうえに、さらにそれがある意味で「グランドルート」の瑞月の物語の「伏線」になってしまっているところもあるんだよね。
だから、それがお前がハーレム3Pスキーなのが悪いんだろう!と言われたら、それは7割方はその通りであるが、もう3割くらいは個別ヒロインルートをやるならやるで、
それに発展しそうな3Pとかの関係性をきっちりと潰すか、それとも「3Pルートしか作らないか」そのどちらかにして欲しかったのだ。
どうもこのシナリオの作りだと、別に熾月ルート全体はそこまで問題ないけど、グランドを見てしまうと、熾月ルートのあと瑞月ちゃんと熾月ちゃんの3Pルートに入らないのはおかしいだろ?という思いが強まってしまう。
んで、この「ハーレム」や「3P]との関係っていうのは、実は最後のグランドルートに大きく関わってくる問題で、このグランドルートでは「半分それに成功していて、半分はそれに失敗している」のよ。これが惜しいことに。
いやまぁこの時点で、グランドルートのネタを「ほぼネタバレ」しているに等しいのですが、まぁ肝心かなめの「魔法ハーレム」なところに関してはそうやってボカしておきますけど、
もうこれは「その設定自体」は思わず「最高じゃん!」と思ってしまったんですが、これがねぇ、実際の「そこの部分に関する描写」がちと弱いんだよね。
まぁエロ方面で言えば「実際にやれや」っていう話もあるし、さらに言えば、この「夢ハーレム」は実際に「最強の近親相姦ハーレム」をアフターも含めればやっているわけで、
どうにもエロも、まぁ仮に「夢ハーレム」オンリーであったとしても、そこらへんの嬉し恥ずかし戸惑いオナニーみたいな描写が弱いんですよね。
その「夢ハーレム」をあくまで「グランドの解決」の物語の為に使っている感があって、せっかくイチャラブエロゲとしては「美味しすぎる」ところを真面目な話にしか繋げていない感が残念なのじゃ。
さらに言うと、これはその「幸福と不幸のトレードオフの呪い」を打ち破る、これは別にネタバレしても「未プレイの人が見ても全く意味が分からない」と思うのでその呪文だけネタバレすると、
「過い」の魔法に関しても、もっとその「夢ハーレム」の「記憶」だけではなく「選択の過い」を全面に出した方が良かったんじゃないかと思う。
つまり、主人公の「夢ハーレム」による過剰な選択の増幅によって、まぁ別にそこで修羅場とかやる必要はないと思うけども、そこで不毛なハーレムバトルイチャラブをやらかすことで
その「過い」の世界は描写出来るっていうか、ここはネタバレすると、そのルートで既に瑞月と真白の両方に手を出しているわけだから、その選択の「小さな過い」じたいは幾らでも描写できるわけじゃない。
魔法による幸福の選択を増やすことそれ自体によって、トレードオフの呪いを解決するならば、そこから起こる「過い」それ自体をハーレムの形で色々と描写した方が、遥かにその説得力は増したとは思うんだよなぁ。
とはいっても、このグランドルート自体は、まず「幸福と不幸のトレードオフ」の解決方法としては悪くはないし、そこから「夢ハーレム」的な「物語の巻き戻し」をしようっていうのも、
この「はぴねす2」の隠れメインテーマである「記憶の蘇り」に準じていて悪くはない。はぴねす1を思い出させるような作りのはぴねす2であったり、
または璃乃と花恋のメインテーマが「昔の思い出」であったように、グランドルートは、ある意味ではグランドルートの「お約束」通りに、今までのルートをしみじみと思い返していく趣向があって、
それぞれのヒロインが最後のなシーンで、それぞれの「過い」をしずかに語りだすシーンはそれなりに心を動かされる。この未来の為に少し後ろ向きなトーンで大事なことを語るっていう雰囲気が実に良いのよね。
そして、最後のラスト付近のシーンも、それは恒例の感動的なシーンの文法に則ったようで、それはその感動をユーザーも主人公も理解できないうちに桜が消えていってしまうような儚さがとても印象に残る。
もちろん、最後の最後はやっぱりどみる的な安心感が保証される(っていうかアフターエチで前もってわかるしw)わけだが、別にその最終的なオチもさっきの儚さを消せはしない。
何十年の記憶と思い出が一瞬のうちによみがえって、そこで一瞬だけ奇跡のような再会を果たすものの、最低限の感謝の言葉だけ述べて桜の幽霊はちってオシマイ。悲しみをプレイヤーにも主人公にも植え付ける暇がない。
それでこの物語の「Happiness projec」は幕を閉じるわけで、物語としては普通にハッピーエンドなんだけども、感覚的には例え最後のオチが来たとしても、ちょっとした寂しさが胸に残るのよね。
それは別に物語的に「誰かを失った」からでもなくて、それは長きにわたる「Happiness projec」とこの「はぴねす2」という物語が終ってしまった寂しさであって、その最後にあのCGをもってきたのは実に適切だった。
ただ、正直にいうと、このそれなりに完成度の高い終わり方を見て、僕はちょっと現実の嫌なエンディングまで覚悟してしまった。この作品はさいきんのどみるにしては異常に出来が良くて、
それが恰も「最後の狂い咲き」を連想してしまったからだ。僕はこのゲームを3月の中旬に終わらせて、出来が良かったから早くレビューを書きたかったんだが、仕事とか父親の介護とか色々あった事情はあったとしても、
やっぱり一番大きな理由は「怖かった」んだとおもう。期待は失望を二乗する、というゼロ年代的な台詞を言いたくはなるが、自分が褒めた作品のレビューを書いた後に、ああいう事が起きてしまうショックは結構大きい。
だけれども、エロゲ業界はまだまだ自分に希望を残してくれていたようで…
>新元号「令和(れいわ)」が発表となりました。 平成生まれのういんどみるは、新たな時代「令和」に向けて、ういんどみるらしさを大切にした、驚きと喜び、
そして幸せをお届けできるような新作タイトルの開発を続けてまいります。【Nextタイトル開発中】
https://twitter.com/Windmill_Oasis/status/1112545854550794240
いやまぁツイッターの自分のアカウントで散々「ウィザコン」をネタにしている自分は、メーカーが潰れたとしても「お前が悲しむ権利はねえYO!」っていう感じなので、
ここであまり嬉しがるのも良くは無いんですけど、ただ「はぴねす2」という自分にとって、10数年前の色んなエロゲを思い出しながら、今のエロゲのように楽しむことが出来た素晴らしい思い出が、
少なくともこれを書いていま現在と、次のどみる新作が出るまでは、その思い出が暖かい春の陽だまりのような幸せな記憶として自分の胸に留まり続けてくれるというのは、こんなに幸せなことは無いんですよね。
少なくとも、この「はぴねす2」でどみるは自分なりの「平成のエロゲの総決算」を出来たと言える。果たして、そんなどみるの新作はまたウィザコンになってしまうのか?
そんな悪趣味めいた笑みを浮かべつつ、ういんどみるの新作を、それこそ「はぴねす」の次回作を待っていたころのように、新鮮な気持ちで期待できる良い作品を有難うございました。
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(☆)エロについて
ういんどみるの「萌え+エロ」うんぬんについては、最初のところに少しだけ触れたし、僕も偶にツイッターで書いてるから、再放送チックは避けたいところだが、
まぁここ数年でエロゲを始めた人にはよく知らんと思うので、手短に語っておくと、先ずはゼロ年代の最初の方のエロゲ業界に「萌えエロ」というムーブメントがあって、
ここからゼロ年代序盤から中盤の(当初は)「萌えゲ的な恋愛エロゲメーカー」が生まれて行った。まぁ今も続いているところで言うとHOOKとか紫とかねこねことか八月あたりだろうか。。
これらの「萌えエロ」のありようは、メーカーによって微妙は違うわけだが、まず一般的な共通点としては「エロシーンがヒロイン当たりだいたい3回以上ある」であるという点で、
これは別に今となっては「珍しいことではない」が「ゼロ年代以前」においては「純愛ゲはエロイッカイズツがデフォ」だったから、先のムーブメントが起こったという説明がまぁ一般的だろう。
と、なると、最近は「ヒロインのエロが3回以上ある」のは当たり前なので「萌え+エロ」みたいな話は殆ど必要ないし、事実このような評言をどみるに言う人も今は少ないのであるが、
とはいえ、昔のどみるにおいて「エッチシーンの回数」以上の「どみるっぽい萌え+エロ」という話もあったわけだ。まぁそれはネタで言えば「前後ぉぉぉん♪」なんですけど、
それはネタでしかないわけで、どみる作品としては、基本的にその一つの傾向を二つの方向性に分けて作品を作っていたんだよね。んでも、その片方は既に消えていて、
その片方の方向性って言うのが「魔法とHの関係」とか「ちょっと素直にどんぶり感情」っていう、所謂「和姦エロゲ路線」ってやつ。
これはどみるが初期の頃から拘っていた「3Pや親子近親相姦エッチ」とか「マニアックなフェチ的なエロ」をそのまま和姦抜きゲ的な方向性で実現したもの。
んで、それが消えたあとは、そうした「「3Pや親子近親相姦エッチ」みたいなものを、部分的に「いろんなどみる」作品で「生かす場合もある」し「それを無視する場合もある」っていう微妙な感じなっている。
こんかいのどみるのエロはどうなのかっていうと、既に「シナリオ評価」で語ったように、3Pエッチや、真のかーさん(意味深)エッチはあったりするんだけども、
それはシナリオ的には「微妙にアフター」よりな作りにはなっているので「エッチシーンオンリーとしては微妙に和姦萌えゲ」的なノリではあるが、
シナリオとしては「まだそこまでには行っていない」っていう、こまれた中途半端な感じが今作のグランドの弱点だっていうのは既に述べた。
これは「グランド以外」の部分に関しては「普通の恋愛エロゲのエロシーン」を踏襲しているので、そういう意味では妥当な処理なんだけども、
逆に言えば、せっかくきちんとエッチシーンでは3Pも、物語としては「夢ハーレム」ではあるし、複数のヒロインも手に付けているんだから、そういうエッチが多少はあっても良かったと思う。まぁここはFDに期待ですな。
さて、そうした「普通のエッチシーン」で言うと、まず今作は「花恋」ちゃんシナリオだけ、明らかにエロシーンのタッチが異なっており、それが良い効果を上げている
これはシナリオのところで少し触れたように、花恋ちゃんシナリオは「基本的には謙虚で推しが弱いヒロインなのに、なんか妙なところで積極的に出る」ヒロインの性格を書こうとしており、
エッチシーンの導入もヒロインや主人公が積極的に迫るような導入ではなくて、さらにエッチシーンのテキストも「基本は控え目なんだけど、妙なところで大胆」な花恋ちゃんを上手く描けている。
とはいっても、基本的にやっていることはそんなに「繊細な」手法をつかっているわけではくて、大まかに言うと「喘ぎ声」と「セリフ的なエッチボイス」の割合をだいたい半々にしているんだが、
このバランスが実に素晴らしい。僕は基本的に「喘ぎ声」が多いエッチシーンっていうのが苦手で、別に喘ぎ声それ自体を聞いて「萎える」わけではないし、喘ぎ声それ自体はそれなりに興奮するんだが、
なんというか「埋め草」的な「取りあえず喘ぎ声だけを聞かせておけばいいだろ」的エチテキストになると結構萎えるし、また自分が絶頂付近になっているときに「喘ぎ声」だけが続いたりすると、
そこで萎えて賢者モードになるわけではないし、結果的に搾乳されちゃうわけだけど、なんだか折角のイイところで微妙な感じのエロを出されたような「あんまし気持ちがよくないオナニー」になったりする。
まぁ別にここで、自分の詳しい官能受容について語るつもりは無いが、一応は客観的な批判として言うならば、少なくとも僕にとってその種の適当な「埋め草的な喘ぎ声」が多いエロテキストは、
そのエロテキストで、どういうエッチなエロモーションで射精させようとしているのか、その目的意識が弱くて、単に適当に喘ぎ声だけが描いていれば良いんじゃね?っていう感じがするから萎えるのだ。
んでも、この花恋ちゃんのエロテキストは、あくまで「あえぎ声」は「溜め」として機能していることが体感的に良く分かるんだよな。この溜めっていうのは、
例えばこういう
>「おっぱいでしたら……濡れてきちゃいました」
みたいな、それ自体は「ちょっとエッチな台詞」レベルのそれを言わせるときにも「いきなり」はそれを言わせないで、間に「あえぎ声」みたいな台詞をしつこくない程度においてから、さっきのような台詞を言わせる。
そうすることで、この花恋ちゃんが「エッチなことを感じていたけど、それを少しは我慢しようとしていて、でも快感に負けて言っちゃった」みたいな感じが出てくるんですよね。
またこういう「エッチな台詞」っていうのは、余りにも過剰に連発すると、少々滑稽な感じがしてくるんだけど、そこに喘ぎ声を「そのヒロインの性格に合わせた感じ(これが難しいのだが)」できちんと置くと、
>「さ、最後……和綺くんがイクときは……その…わたしの中で…わたしと一緒に、イッて欲しいんです…・・」
みたいな「ヒロインが恥ずかしながらもけなげに言うエッチな台詞」っていうのの、エロ破壊力がきちんと確保されるんですよね。こういう台詞はエッチの時に「いいまくっていたら」破壊力が無くなるし、
かといって、余りにもエロシーンのエロモーション構造を厳格に書いてしまうと、エッチシーンの抜きどころが限定されてしまって、それもそれで使いどころが難しいので、
そこはある程度は「喘ぎ声のあとにはちゃんとエッチな台詞が来る」っていうのに、ユーザーの「抜きどころ安心感」を確保したうえで、ヒロインのエッチ個性を描くようなエロテキストを描く
なんだか本来のどみるの「3Pやら親子丼えっち」みたいな「萌え+エロ」と比べたら、実に正統的な「萌え+エロ」の作りですけど、今回のどみるのエロに良かったのはこういうところですかねぇ。
あ、もちろん、花恋ちゃんのCGやエッチボイスは良いです。バッチグーです。10数年前の春姫とまったくそん色ないです。だからFDでもっとパイズリエッチをおながいします!
なにしろ僕はこの花恋ちゃんと発売されてから2か月の間に、少なくとも20回以上はエッチしているので、どうしても他のヒロインのエッチシーンの印象は薄まってしまうのですが、
もちろん、他のヒロインのエッチもきちんと水準以上のクオリティは維持されております。璃乃のデレデレ状態になった色々と締まりがなさすぎるエッチシーンも良いし、
楓子さんもエッチシーンの時だけ学校の部室で主人公を本気でエッチに誘うような大胆さが描かれていて好ましい。楓子さんにも花恋ちゃんと同じくパイズリあったしね。
シナリオ的なエロ展開で良かったのは、まぁこれは王道とも言えるんですが、熾月ちゃんの実妹オナニーとそれ以降の展開ですね。
そこから「熾月ちゃんが主人公をオナネタに使っている」ことをお互いに知ってしまっているので、このふとしたきっかけでエッチシーンが始まりそうな雰囲気もエロを漂わせていいし、
初めてのエッチを済ませた後も、この熾月ちゃんが積極的に「エロ妹」だということを描写しないし、無理してエッチに持ち込もうとしないんだけども、まぁそこはマッサージとか言い訳をつけて、
>「んっ……はぁっ、はぁ…ご、ご奉仕すれば……兄さんが、えっちしてくれると思って……んっ、だから……んうっ」
本当は物凄くエッチして欲しいんだけども、自分は物凄くその性欲を我慢して、必死に兄さんを「その気にさせよう」っていう熾月ちゃんがエロ可愛い過ぎて、熾月ちゃんとも10回くらいはエッチしましたね。
これ、こーちゃんさんのエロCGも凄く良くて、もちろん花恋ちゃんや楓子さんみたいなおっぱいヒロインのCGも素敵なんですが、熾月ちゃんのようなロリ体系の場合だと、
こ~ちゃんさんは引き気味にロリ女体の全体を綺麗に描き出してくれるんで、おっぱいが小さいとかそっちよりも、こう「スレンダー美少女」っぷりっていうのが本当に目に眼福なんですよね。
もちろん、熾月ちゃんの声優さんにも、わざわざ僕が言うまでもないほど実績のある人ではありますが、通常シーンのちょっといつも張り詰めた感じの声が、エッチシーンでそれが蕩けてゆくギャップが最高でして、
今作は全体的に「エロシーンそのもののエロさ」を追求するよりも、日常シーンとエロシーンのギャップを上品に際立たせるっていう、ゼロ年代の萌えエロの一面を強く打ち出した一作になっていたかなとは思います。
今後のどみるは、もちろんこの「はぴねす2」のFDは当然出していただくとしても、そうなると「非オアシス」どみるは何をやればいいか?っていう話になりそうですけど、
そうっすねー。あくまで僕の希望としては、せっかく今回のはぴねす2はかなり好評なんですから、ここは「優しい感じのイメージ」を大切にしながら、
ファンタジー系列は「オアシス」にしばらくは限定して、なんか優し目でほんの少しだけ切ない系の普通の学園モノを出してもらった方が、まぁ少なくとも自分は購入するんじゃないかと思いますわ。
そうじゃなかったから、いっそのこと「今回のグランドルート」みたいなハーレム道を極めてみるって言うのもアリですけどね!「でにけりフレンズコンプレックス2」なんてどうでしょうか!