ErogameScape -エロゲー批評空間-

マルセルさんの妹スパイラルの長文感想

ユーザー
マルセル
ゲーム
妹スパイラル
ブランド
まかろんソフト
得点
87
参照数
2329

一言コメント

「シナリオはイマイチだけど妹属性が好きな人にはお奨めの作品」であるが然しこの作品のシナリオはサイコーである。まずそれを順接的に言えば、傑作ロリシナリオが犇めく今年においても凜火のロリ妹っぷりは、お兄ちゃんに無自覚におしっこしーしーさせてぇと誘惑してくるほどの破壊力を保持しており、もはやギャグに等しいツンデレ妹キャラ霞空も今年で一番笑える駄忠犬妹っぷりを披露してくれるだろうが、それを逆説的に言えば、妹スマイルが義妹的テーマを用いた作品であり、妹スタイルが実妹的テーマを用いた作品であるとするならば、この妹スパイラルはエロゲならではの「可能世界妹」に照準を合わせている。複数の個別シナリオの別世界を無理矢理ひとつの世界に次元融合させ、その別世界での記憶や能力を持たない兄とそれらを持つ妹との恋愛物語から、いろんな夢を見続けるようにして、兄妹関係の新たなイチャラブ可能性を描く異次元規模の傑作なのだっ!

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

・総CG枚数(差分無し)91枚 総回想数43枠

・キャラ別CG(エロCG)&回想数

凜火  17枚 (13) 8回
水那  17枚(14) 8回 
霞空 17枚(14) 8回 
睦土美 17枚(13) 9回
千風悠 17枚(13) 8回
その他 6枚 (4) 2回

(備考:それぞれのエロ回数欄の数は10だけど、上の数は水増し登録しているものを除いたもの。その他はココロ全身フェラとハーレムオマケエチ)

☆クリック数

簡単な説明:クリック数つーのは、既読スキップオン+テキスト速度ノーウェイト環境下で計った、ゲーム開始時から作品を終えるまで各シナリオ毎のクリックの合計回数のこと。

(1)初回プレイ時の「共通」+「個別」のシナリオの総容量が分かる
(2)2周目以降の、共通シナリオを除いた個別シナリオの総容量が分かる。

(ゆえに、一周目のヒロインルートはクリ数が多く、二周目以降はたぶん半減するが、一周目の「個別ルート」が他よりも長いというわけではないので注意)

(3)エロテキストのクリ数と。それを含んだ全シナリオのクリ数を比較すれば、両者の割合もある程度はわかる。
(4)テキスト速度の環境さえ同じなら、プレイ時間と違ってユーザーによる計測誤差は少ない。

といった四点が指標として役に立つとバッチャが言っていたような気がしないでもない。

(5)BCは主人公とヒロインが恋人になる前までのクリック数で、ACは恋人になったあとのクリック数ね。
「その恋人になった「まえ/あと」ってどう定義するの?というのはなかなかにむずかしい話であるが、大抵のエロゲには告白CGなるものがありますからそこを基準にします
そういうCGがなかったり、なんかズルズルだらしない感じでずっこんばっこんなシナリオの場合は、まぁ僕がテキトーに判断しますが、その場合は「?AC6992」みたいに?をつけまつ。
そういや「誰とも付き合わないシナリオ」っていうのもあらわな。そう言う場合は特にACとかBCとかは書きません。

1周目 凜火  「21133」 (共通ルート込み)BC12556 AC8577
2周目 水那  「6346」  BC1325 AC5021
3周目 霞空  「10986」 ?BC6658 AC4328
4周目 睦土美 「9412」  BC1654 AC7758
5周目 千風悠 「9474」 BC1632 AC7842

(備考:クリアのオマケシナリオでココロ全身フェラエチと、ハーレムシナリオが解放されますが、基本的に500クリックぐらいの短めのシナリオです)

・各キャラのHシーンのクリック数

凜火   1:543 2:268 3:193 4:153 5:271 6:289 7:238 8:174 
水那   1:451 2:331 3:156 4:201 5:251 6:139 7:199 8:221 9:192
睦土美  1:531 2:289 3:508 4:165 5:482 6:221 7:198 8:225 
霞空   1:524 2:332 3:421 4:402 5:355 6:156 7:182 8:203 
千風悠  1:443 2:381 3:234 4:292 5:162 6:345 7:275 8:187 



☆作品の大まかな評価。

簡単な説明:これはもうそのまんまですな。一応Z~SSSまでの評価基準が存在するらしいのですが、大抵はC~Aの間に収まっているようです。
「C」がだいたい「やってもやらなくても別にいいんじゃね」。「B」が「やればけっこう面白いんじゃね」。Aが「やってないヤツは人生つまないんじゃね」。
といったかんじになっております。あと「全体評価」っていうのは、その項目における「作品全体」から感じる何となく駄目だとかイイとかそういう評価です。
あと、これは当たり前すぎて却って説明しにくいものですけど、僕の定義による「シナリオ評価」ってヤツは「感動させなきゃダメ」とか「深いテーマが無きゃダメ」とか、
そういうヤツではなくて、基本的には「その作品が目指していると思われるものが、どれくらい達成されているか?」というような「完成度」評価に近いものかも知れません。
ですから、原理的には抜きゲであろうと萌えゲであろうとシナリオゲであろうとも、その作品が目指しているものが完成されていると判断すれば、シナリオ評価は高くなるって話です。

・シナリオ評価

凜火   A
水那   B
霞空   B+
睦土美  B
千風悠  A-
全体評価 A-
   
・エロ評価

凜火   B+
水那   B+
霞空   B+
睦土美  B
千風悠  B
全体評価 B

・イチャラブ評価

凜火   A
水那   B
霞空   B+
睦土美  B
千風悠  A-
全体評価 A-

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

☆シナリオについて

「胡蝶の夢」という言葉の意味ぐらいは誰でも知っていると思うけど、一応確認しておくと、


>夢の中で胡蝶(蝶のこと)としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話。


であり、これはいろいろな解釈がされているけれども、一般的には荘子の言わんとしていることと大して変わりはなく、要するにそれが夢だろうが現実だろうが論ずるのはナンセンスで、それぞれの世界で満足して生きればいいんじゃね?って話だ。
とはいっても、そのように形而上学的に「夢」の問題を無効化することはできても、現実の世界では「夢と現実」の区別がつかなくなるような瞬間もあるのは事実だ。
それは別に何かヤヴァイ病気やクスリをやったという話ではなくて、例えば「寝起き」の瞬間や半醒半睡のうたた寝の状態なんかは典型的にそうだろう。
なにか夢を見ていてそれで目が醒めたりすると、自分が此所にいるいままでの人生の物語が一瞬だけよくわからなくなるし、うたた寝の状態では夢と現実の世界が溶解し妹にフェラされる淫夢が膀胱におしっこが溜まっている勃起と綯い交ぜになる。
また別にフロイト云々を言うまでもなく、夢の材料は主に自分の現実世界によって調達されていて、これを更に突き詰めると「夢の記憶」というものだって「自分の現実世界の知覚の一つ」となるわけだから、
「夢の記憶の地積」が現実の知覚にも影響を与えてそれが更に「夢」にフィードバックされることもある。おそらくそれが「よく見る(似たような夢)」という奴の正体だろう。
その「よく見る夢」はそのような夢を何度も繰り返し見て、その夢を何度も繰り返しているなぁと現実でも何度も思いだしたり、その「夢に似た」現実を現実でもデジャブ的に再確認したりするので、ますますその存在は大きくなるハズ。

ぼくもエロゲをやっている期間に夢を見ることは結構おおい。それは別に作品が詰まらないから眠気を誘い夢を見ることが多いという話ではなく、まぁ寝る前にエロゲをやることが多いというのもあるし、
エロゲのエチシーンでヒロインとエッチしたあとは大抵ぐでーと軽い睡眠に襲われることも多いので、作品の内容とはあまり関係なく結果的に夢を多く見るような環境でエロゲをプレイしているというのが大きいだろう。
また、それとは別に、エロゲを連続でやっていると、夢を見ているときと同じように、別の世界に紛れ込んでああここは夢の世界なんだというような自覚を強く持ちながらも、同時にこれは確かに一つの現実なんだと思うような気分になる。
それは別にエロゲの世界がご都合主義的だからとか、自分の願望充足がどったらみたいな詰まらない話ではない。んなことを言ったら萌えアニメでも萌えラノベでも他ジャンルの作品でもそれは当て嵌まるのだから。
「エロゲならでは」と言える点は、やはり「マルチエンド」と言うよりも「別可能性分岐シナリオ」という特徴だろう。これについては、やたらに抽象的な量子なんたらの議論が方一方では存在する一方で、
実際にそのようなエロゲを連続でプレイしている人間にとって、複数のそれぞれに異なりながら、しかし元の現実(その作内での共通ルート)の特徴を基本的に備えている「微妙に異なる世界を往復している」感覚というのは、
「現実(エロゲで言えば共通ルート)」における「夢の知覚(エロゲで言えばそれぞれの個別ルート)」と非常に似通った感覚を持っているといえる。夢をシナリオに織り込んだエロゲが多いのも、その複数可能性世界との親和性からだろう。

この作品の「別次元設定」もそうしたエロゲのアナロジーに準じたものと言いたくなる誘惑に駆られるものの、ほんの少し異なっているところが、この作品の独自の面白さを生んでいる。
まず共通ルート時点での設定としては、主人公と睦土美が存在する次元が一応現実の共通ルートで、そしてその現実の世界で主人公が夢でみる様々な世界とそれに対応する妹たちの世界が「異次元の個別ルート」だと言える。
普通のエロゲでは、全ての個別ルートを持つヒロインが共通ルートにおいては現実の世界に存在し、それから個別ルートに分岐することで(言い方によっては)それぞれの異次元世界に突入するが、この作品は最初から「異次元世界」にわかれている。
つまり、この作品の主人公は、睦土美がいる(いた)共通ルートの現実を生きながら、その現実の世界の夢の中で同時に複数の世界で複数の妹たちとそれぞれの「個別ルート」ともいえるし「日常」を過ごしていたわけだ。
そして、とある事件が起きて、現実の世界に、夢の中で一緒に過ごしていた妹たち言い換えると異次元世界の妹たちが侵入する。。
その異次元世界の妹たちは、自分たちの異次元世界での記憶つまり「異次元における兄との日常生活」を覚えているが、主人公はその異次元世界での記憶は、それこそ「夢の記憶」程度の朧気なものであり、
そんなディスコミュニケーションな日常が進むなか、これまたとある次元の事件が起きて、主人公がひとりの妹を選び、そして愛のパワーを溜める具体的にはセックスしないと世界崩壊するぞ!というひでぇ本編がまるわけだ。


ただ、こういう評価をするのは作品評価として些か微妙な感じはするものの、この作品でいちばん面白かったシナリオを上げろと言われたら、僕は「凜火」ルートか「千風悠」ルートかと暫く悩んだ挙げ句、
結局のところ「共通ルート」を上げるに違いない。まぁ先の「凜火」ルートにしても「千風悠」ルートにしても共通ルートの雰囲気が濃厚なルートであったし、この作品の共通ルートというのは、
他作品のように個別ルートと厳密に分けられるようなものでは無い。形式的に言えば、主人公が誰とセックスするか?の選択肢を決めた時点で、そこからそのヒロインとの個別ルートに入るわけだが、
しかし他作品のように「個別ルート」を選んだ直後から、有無を言わさず別の可能世界に入るのではなく、そのヒロインを選んだ直後から「選んだヒロインの別次元の影響が現実世界に強く出るように」なり、
そのヒロインとの恋愛と並行して「そのヒロインの別次元の影響に、元の現実が徐々に侵食されるような」日常描写が展開していく。そういう意味では「基本となる」共通ルートの日常生活が通奏低音になっている作品とも言える。

とはいえ、これまた普通の萌えゲ系エロゲのように、この作品には何か最初から妹が朝起こしに来て、幼馴染みが朝食を作って……というような、何か「安定した日常描写」が通奏低音になっているわけではない。
そもそも、現実世界の主人公とその妹の睦土美は幼少期の頃に別れており、基本的にそうした「安定した日常」を求めて物語が始まる以前まではガムばっており、ようやっと兄妹が再開する!と言う感動の再開から物語は始まると思ったら、
家にいたのは「現実世界と殆ど同じだが、超能力が使えるところだけ違う」サ○キック妹ライトニ×グ霞空であった、というような通奏低音の独特の揺らぎがこの作品の通奏低音ともいえなくもない(アーノンクールのバッハ演奏のような)。

だけど、この作品はべつだんそうしたディスコミュニケーションを欝シリアス的に描いた作品ではない。それはこの作品の製作者たちの作品(「妹スマイル」や「みここ」など)をやった人ならよくおわかりのハズだ。
しかし、これらの作品やこの作品を「ギャグ」だけで一括りするのも大きな間違いではある。不格好な言い方を許してもらえば、ディスコミュニケーションの微妙な繋がらなさをギャグ混じりで描いたと言うほうが妥当だ。
というのは、そもそも本当に「コミュニケーション」が通じない相手には「ディスコミュニケーション」すら発生しないわけである。「喧嘩は同レベルのものの間でしか発生しない」というネットの諺はわりと真理で、
独占中と寝取られ厨がお互いに罵りあうのは、互いに「ヒロインを独占する」という認識と感覚を共有しているからである(独占中はそれを表方向の快楽に生かし、寝取られ厨はそれを逆方向の快楽に転嫁しているだけだ)。
そういう意味で、主人公の世界と四人の妹の中では最も異なる「水那」が別次元の妹たちの中ではいちばん素直にコミュニケーションが取れ、「超能力しか違わない」霞空が最後までいちばん仲が悪いのも頷ける。
霞空のこの世界に対する違和感は「超能力がない」と言うことでしかないと言うか、逆に言えば「それ以外は全て自分の世界」と同じ、一点だけズレている合わせ鏡の恐ろしさにあるといえる。
超能力と言ったところで、霞空はソファに寝転んでジャンクフードやペットボトルをぷかぷか浮かせて寛ぐ程度の使い方しかしていなかったのだし、自分だけはこの世界でも超能力が使えるのでべつだん日常生活には支障はない。
しかし、そういうどーでもいい日常のダラケたところだからこそ、例えば僕のようなヒキコモリオタでも、ケータイでネットに「欝だ死のう」だとか呟きできなくなった世界になったらたぶん結構戸惑うようにとまどうように、
超能力で投げたカラのペットボトルを受け止めてくれる相手がいないというのは悲しいことで、それでも兄さんが何も言っていないのにベストなタイミングでアイスを買ってきてくれると言うのは嬉しいことでもあるし、また切ないことでもある。

とはいっても、それぞれの妹たちにそれぞれの別次元の世界とこの現実の世界との何らかの葛藤があるとしても、生は暗く、そして今日も御飯は美味しいというのが、エロゲにおける日常描写的真理の一つである。
いくら人がいろんなことを悩んでいようと、しかしその悩みとは別に自分のお腹は減るものであるし、自分の悩みとは別に今日も勝手に太陽は上がったり落ちたりして、自分の悩みとは関係なく世界の日常は恙なく繰り返していく。
そうして、いくらこの現実の世界の主人公が別の世界の「兄さん」とは別の存在だとしても、一緒に同じ家に暮らしている以上「あいつ」と呼ぶとしても自分の基本の生活は「妹」としてグータラしっぱしの霞空ではあるし、
いくら、睦土美以外の妹たちが、ぼんやりと夢で覚えている程度の記憶と親しみしかなかったとしても、その妹たち?と一緒に暮らしている以上、主人公も「兄」としての立場を取らざるを得ず、なんだかんだでそれは結構上手くまわる。
そう言う意味で、この作品の共通ルートは半分くらいは、エロゲにおける伝統的な「擬似家族モノ」の日常描写ではあるとは言える。「家族」という無理矢理な擬勢によってコミュやディスコミュイベントを語る物語である。
ただ、この作品が異なるのは「擬似家族」という過程を辿るところは同じだが、その始まりは「それぞれの別次元の家族」と言うところだ。疑似家族モノは大抵はバラバラになった個人が「疑似家族」を作るところから始まるが、
この作品の妹たちは、睦土美と千風悠を除いて、それぞれ別世界の幸福な兄妹家庭を持っており、現実の世界は「疑似家族」は別に妹たちが望んだものではなく、基本的にはそれぞれ「別世界の幸福な兄妹」に戻りたいと思っており、
睦土美も睦土美で基本的には、別世界の妹たちはとっとと別世界に戻ってもらって、自分は現実の世界で幼少の頃以来の「幸福な兄妹生活」を取り戻したいと思っている、「疑似家族」モノの暖かさと比べて、妙にサバサバしている。

疑似家族モノのようなお互いの役割分担を意識しながらも家族生活を惰性で送ってしまいながらも、ときどき偶然で別次元の兄妹生活を再現してしまうような一瞬がありつつも、しかしながらそれそれの妹たちは基本的には、
元の世界に戻ることを望んでいるような独特な日常描写。やや技術論的に言えば、それは早いテンポのテキストでありながら、細部の日常描写をあまりスキップせずに必要な細部をサクサク埋めていく安定した日常ルーチン描写を作り出し、
それぞれのキャラの会話は、半分くらいはそれぞれのセリフやモノローグを極端に言えば「いいっぱなしにして流す」ことによって成立していると言えようか。疑似家族モノに共通している、朝の食事とか一緒に登校とか帰りのただいまーといった、
日常ルーチンとなる日常描写は繰り返し気味に語られるものの、それは疑似家族モノのように丁寧に暖かく語られるものでは無い。それは今日も朝だ!汚い妖精さんをパンツから放り出してメシ食って登校するぞ!とハイテンションに始まり、
霞空は朝からグデグデで、凜火は基本良い子ちゃんでありながらボケっとして、水那はそんな二人の面倒を見つつたまに変な妄想に耽ったり、いちばんしっかりしていそうな睦土美もときどき現実逃避するなか、
千風悠は朝から早くセックスしてくれないと世界は滅びますよぉと触手をウネウネさせているわけで、実際の大抵の会話がそうであるように、それぞれの言葉は日常の喧騒の中に半分はかき消されて、残った半分くらいの片言隻句のギャグの集積が、
それぞれのキャラ心理を反映しそれが日常の動きの繰り返しによって描写されていくわけだ。エロゲの共通ルートの日常描写だけではなく、永遠に日常が続くサザエさん系作品の多くがこのような日常を「楽園」とか呼んだりするわけだが、
この妹スパイラルのこうした日常描写は、そういう楽園とはほど遠いだけに、逆説的にこの日常が「後から見れば楽しかった」と思えるノスタルジー的な楽園に思える類いのものだ。先にも言ったように、この疑似家族生活は別に誰もが心から
望んだものではないし、またそれぞれの妹たちと主人公の間にはどこかギクシャクした感情が残っていて、常に軽い喧嘩やドタバタが絶えないからこそ、それが後から見れば掛け替えのない生活のように思えてしまうのが家族のファンタジーなのだ。


そのように考えると、この作品の「個別ルート」はそれぞれの個別ルート毎にいろいろな違いはあるとしても、それは普通のエロゲの個別ルートとなにか存在の有り様が根本的に異なるような奇妙なモノだ。
まず、わりと客観的に物語上の設定を語っておくと、5人のヒロインから一人を選んでセックスするなりして愛のパワーを溜めて、その愛のパワーで次元のひずみ(FF5みたいな奴ね)を破壊しないと、
そのまま現実の世界がぶっ壊れてしまうのでとっととセックスしろってはなしね。ここまではまぁ「抜きゲ的設定」だからOKとしよう。んで、その次元のひずみを破壊し続けていると、何れ何らかの元凶がわかって、
その元凶を破壊すると、今回の「次元融合(異次元の世界の兄がこの世界の兄に融合)」は収まり、それぞれの異次元の世界に兄と妹は戻り、異次元融合が起こる前の現実の世界と夢の世界の関係が戻ると。
ああ、一応ネタバレだけど、別にネタバレするまでもないお約束で言えば、主人公は選んだ妹の世界に戻る、つまり凜火の場合だったらファンタジー世界に戻り、今回の事件の記憶をお互い引き継いだまま凜火と幸せに暮らすけれども、
その場合も「現実世界の主人公」や「他世界の兄」も別に消滅するわけではない。どの妹を選んだ場合でも、(一部のシナリオを除いて)最終的にはどの世界の兄も妹も世界もそしていままでの記憶も消滅せず、異次元融合以前の状態に戻るだけ。

……これは何処がおかしい!と思うのだが、何が具体的におかしいのか?を明言するのは難しい奇妙な感覚である。別に今さら「選ばれなかったヒロインは可哀想だ」だの「選ばれなかったヒロインは消滅すべきだ」といった、
カノン神学を持ち出したいわけでは全くないし、「妹スマイル」では最初に選ばれなかったヒロインは存在自体が消滅云々といったマニア話をしたいわけではないのだが、なにか普通のエロゲとは違うのでは?という感覚が残るのは確かだ。
普通のエロゲでは、別に選ばれなかったヒロインが可哀想になるか消滅するかはさておくとして、選ばれたヒロインをAとするとA以外のルートがそこで消滅し、Aルート以降は共通ルートと別ものになるという感覚がある。
この妹スパイラルの場合がちょっとおかしいと感じるのは、そもそも共通ルートの時点で「複数の世界」が夢を通して同時に存在していたというのもがあるが、例えばAの妹を選んだとしてAルートに入っても、
なるほど確かにそのAルートは共通ルートとは別の世界が生まれるが、最終的にAヒロイン以外の「複数の世界」は次元融合発生以前の共通ルートの時点に戻ってしまうというところにあるのだろう。
正確に言えば、そのエンディングにおけるAヒロイン以外の「複数の世界」の主人公と妹は、そのいままでのAルートでの記憶をそれぞれの立場で持っているわけで、全くの振り出しに戻ったと言うことではない。
しかし、その「Aルートでの記憶を異次元世界の主人公と妹が持っている」というのも、なにか微妙な居心地の悪さを感じるのも事実だ。べつだん倫理的にはなんら問題は無く、異次元融合が起きる前の異次元世界の兄妹は、
「普通に仲の良い兄妹」だったのだから、別次元の妹とセックスしたところで「浮気」や「不倫」ではないことは事実だし、仮にふたりが次元融合前にエロい関係にあったとしても別次元の話だからべつだん問題無い……
とは言い切れないところがこのモヤモヤの原因ではある。またさらに、最終的に告白まで言い切ってないとしても、どーみても「選ばれなかった妹」たちは現実の世界において「別次元のお兄ちゃんはカッコ良くて素敵だった」とか、
言いまくっているんであり、さてはて、異次元と別次元の妹とエッチして恋人までになってしまった別次元の兄と、現実世界において別次元の兄つまりいまの世界の兄にらぶりまくって妹たちのは今後どーなるか?とFDを希望したくなるのであった。

なにか微妙に話がずれたような気がしないでもないが、上のような違和感は詰まるところ「選んだヒロイン以外の別次元世界も最終的には消滅せず選んだヒロインルートとの延長線上」に存在するために、
「選ばれなかったヒロインが可哀想」と言うよりも「選ばれなかったヒロインと、選んだ兄貴が別次元では別の物語を発生させそうな」妄想が妙に刺激され「ひとつの物語の終わり」という完結性が得られないからだろう。
そう言う意味でこの作品は、基本的にウロボロスとまでは言わないが、ウンコ花火の如く火花を発しながら無限に緩慢に外世界に広がっていくようなにゅるにゅるジュバイラル感が全ルートに散りばめられていると言えようか。
Aルートは確かにAヒロインを最も語る物語ではあるが、Aルートの終わりはそのAルートの記憶を持ったB世界やC世界の別兄妹の物語を発生させそうな予感に満ち溢れているし、
そのような複数ルートの「選ばれなかったヒロインたち」も選ばれたヒロインルートで普通のエロゲ以上に活躍してしまっているので、個別ルートが「Aだけのシナリオ世界」という限定性をあまり持ち得ずに、
全てのルートが全てのヒロインの可愛さをそのルートなりの角度から語っているようなとても不思議な印象さえ受ける。それこそ本当に「全ての異次元世界」が溶解したようなスクランブル可能性感覚をずっと浮遊しているような気分で、
確かに個別ルートによってそのスクランブル世界はA方向に引きずられたり、B方向から影響を受けたりするし、最終的に主人公と選んだ妹はA世界に辿り着くものの、プレイヤーの視点はそこからも別可能世界を夢見てしまうようなたゆたいで。

だから、正直なところ、この作品は「この個別ルートはどうこう」みたいな語り方をするのは、そういう語りをするのはまぁ可能なものの、そういう語りをしてもこの作品の面白さを語っているような気分にはあんましなれないのだ。
典型的な例を言えば、先ほど言及した「霞空」である。正直なところ、この妹キャラの魅力は確かに「個別ルート」で充分に描かれているものの、その魅力もその描き方も基本的には「個別ルート外」の描写とあまり変わりがないからだ。
僕は上のデーター欄のとおりに、三番目にこの霞空を攻略したんだけど、良くも悪くも「予想通りのシナリオ展開」とは言わないし、物語展開自体はやや意外な感を受けたものの、霞空って結局はこういう妹だよなぁという印象は、
攻略前と攻略後では殆ど変わらなかったのである。まぁ霞空が各ライターにとって弄りやすい「典型的なお馬鹿さんツンデレ」であり、またこの作品の設定自体がそういうツンデレを弄りやすいというのも大きいだろう。
大抵の異世界設定、例えば「魔法」とか「何とかマシン」でます最初に犠牲になるのがたいてい霞空か邪悪な妖精さんのココロなんだけど、霞空の個別シナリオよりも、凜火シナリオにおける凜火の精神異常魔法「ハッピーターン」という、
亀田製菓な魔法を食らって「わはは、わたしみんなから弄られまくってしあわせだー。Mってさいこー」とハッピーターン状態になっている霞空がいちばん可愛かったりするのだから、何とも不憫というかある意味いちばん美味しい妹キャラなので、
この「どのルートでも良い感じ弄られて結局わりとデレしまう霞空」と「個別ルートで現実世界の兄を知るにつれてデレしまう霞空」というのは基本的に同じ存在に見えてしまうのである。逆に何気に弄りキャラ役なのは凜火であるがw


もちろん、個別ルートは個別ルートでどのキャラシナリオにも独自の面白さがあることは事実だ。まず基本として、前に語ったように「Hして愛のパワーを溜めなければ世界崩壊」という抜きゲ的設定によって、
わりと無理矢理気味にエロを迫りまくる千風悠たん展開というのがあるわけだが、今作は「みここ」や「妹スマイルandスタイル」とはやや異なって「いきなりH」してしまうような抜きゲテイストはやや抑えられている。
最初は童貞主人公らしく「まずはキスからお願いします!」と始まるので、ここは和姦抜きゲみたいに、少しずつ肉体関係と恋愛関係を進めていくのか?と思いきや、しかし相手は「恋人になる予定の他人」ではなく、
基本的には「妹」であるので、キスしたところでお互いの関係は戸惑うばかりに恋愛に発展せず、また「恋人になって愛のパワーを溜めることが目的」と言われても、そんな合理的な目的で仲良くなろうとしても恋人になれるわけもなく……
といった感じで「妹」と「恋人」そして「恋愛」と「セックス」という互いに上手く混じり合わない四元素を、どうやって和姦気味に合わせていったり「愛のあるレイプは純愛だぁ!」とかいって無茶して合体するところが見所であるといえよう。

そういう意味で表面的にはいちばんわかりやすく、深層的にはいちばんわかりにくいのが「霞空」個別シナリオだ。彼女は基本的に別世界の兄さんラブ!を公言して憚らない妹であるが、
この現実の世界の主人公は超能力が使えず弱っちゃいから「あいつ」呼ばわりしているという、邪悪な妖精さんのココロ曰く「最も調教しがいがある」妹キャラであり、霞空も主人公も自覚しているように寝取り感覚が漂うシナリオでもある。
しかし、これも先ほどの四元素の葛藤で説明すると、そう簡単に寝取り云々をいえなくなる。まず霞空は「妹」として別世界の兄さんに「恋愛感情」を抱いていたのは事実だろうが、それほど本気で「セックス」したかったわけでもないし?、
また「恋人関係」にもなりたいとも思っていなかったわけである。そうして、現実世界の「あいつ」は基本的に「霞空世界の兄ではない」という意味では別人なのだから「兄」には慣れないとしても「恋人」にはなれるわけだ。
だから、最初のほうは主人公を「あいつ」呼ばわりして「私の知っている兄さんじゃない」といいながらも「あいつはあいつでそれなりに良い奴」という理由付けで、まぁセックスするときには「あいつのチンポ」を「兄さんのおちん○ん」として、
オナホじゃなかったバイブ替わりに使って妄想オナニー気味にセックスしたとしても、それはそれでそれなりに愛のパワーは溜まるわけだ。そして主人公も「別の世界の兄」には負けられないといった感じで、
自分も超能力を身につけるべく、霞空と一緒に超能力の練習に励みこれが好感度アップに繋がっていく。ここまでは兄妹関係ではなく恋人に向かう恋愛関係だと言っても良いだろう。

如かしながら、実はその「一緒に超能力の練習をする」という現実世界における主人公と霞空の行動は、実は「霞空世界での過去の主人公と霞空」の関係をそのままなぞっていて、
実は主人公が霞空を選んだ理由も、霞空が主人公の超能力の特訓に付き合っていた理由とほぼ同じことだったことから、この表面的な能力成長恋愛物語は実は一種の「回想物語」ではないかという疑念が生まれてくる。
技術論的に言えば、これは萌えゲでよくある「現在の幼馴染み(または妹キャラとか過去に出会っていたキャラ)との何らかの表面的な事件解決が、過去の決定的な事件の反復でその絆を再起させるような」再帰的物語の一種であるが、
この霞空シナリオの場合は微妙に捻れている。確かに現実の世界において霞空の世界での霞空と兄さんとの過去の行動を何らかのかたちで反復すれば、別世界の兄さんと現実世界の兄さんが、能力を取り戻さなくても「同一」であると納得できるけど、
しかしそう認識した霞空自身は過去の霞空ではなく、実際にもうその「あいつ=兄さん」とセックスしてしまった霞空であり、霞空の「あいつ=兄さん」に対する感情はその時点で兄さんに対する感情とは別のものになり始めているわけで……


聖司(主人公)「初エッチあんなんだったのに、なんで今更こんな空気漂わせるんだ俺ら……」
霞空「髪コキまでやっておいてなんで今更こんな照れてるんだあたしら……」

いちおう部屋に入ってみたはいいものの。
気まずい空気はそのまんま。昨日のリプレイである。

「……はぁ。俺が兄さんのままだったら、お前もこうして照れることもなかったんだよな」
「は、はあ? なによそれ」
「お前が言ったことだろ。新鮮だってさ」
「あんただってそうなんよ? こんなことになってなかったら……兄さんがあたしを、そんな風におもうこともなかったのかもな、って思う」
「な、なんだよ。そんな風にって」
「あんたが言ったことでしょ。悔しいってさ」

こいつのブラコンに込められた愛を、まだ俺が受け止められるなら、きっとそれは凄く嬉しいことだ。
でも、まだ一歩踏み込めない。恥ずかしいから、お互いに。
だから、悔しいのだ。過去の自分を相手にして。

「ん、っ」

――もふっ……

「な、なによ。急にしがみついてきて」
「抱きしめるっていってくれ色気のない」
「……だから、どうしたんよ」
「することするんだから、雰囲気出しとかなくちゃな」
「なによ。それじゃああたしからもぎゅってしなきゃいけないみたいじゃん」
「するまで待つよ」
「ばか」

――ぎゅっ……

「また、するのか。兄さんとセックス」
「……そりゃこっちのセリフだ。また妹とするのか」

しかも、こんな気持ちで。

「ね。ちゅーしたら体、戻るかな」
「戻る? 童話じゃあるまいし」
「愛のパワー。兄さんラブで戻せるかもよ?」


思わず長々と引用したくなるほどの名文であり、まさかこの文章から熊さん人形と化した主人公と霞空とのセックスシーン想像できる人間は皆無だろう。熊さんのおちんちんの味が甘いか酸っぱいかは超ネタバレなんで誰にも教えないぜ!
まぁ、上の名文を僕の拙い文章で台無し気味に説明するのであれば、まず誰もが見てわかるのは上の主人公と霞空はお互いに戸惑っている。じゃあ誰に戸惑っているのかというと、それはまぁ正面にいるクマの人形と化した主人公と、
そのクマの人形と化した主人公に気が付かずにさっきまでこの世界の主人公に対する赤裸々な思いをぶちまけてしまった超ハズ状態の霞空であり、その時点でお互いに現実の相手に対して「かなり恥ずかしい」のであるが、
しかし同時に「さんざんあいつ呼ばわりしながらも、兄さんと同じところを見つけるにつれて、だんだんあいつを兄さんとして異性として好きになってしまった」霞空は過去の自分が恥ずかしいし、最初は
「この世界にたったひとりで投げ込まれて可哀相だからと言う理由」で霞空を選んだ主人公も、超能力の特訓に付き合うにつれて、意外と面倒見の良く、素直に人の成長を喜べる霞空にベタ惚れするようになってしまった自分が恥ずかしいわけだ。
いいねいいね、こういう恥ずかしさこそが良いイチャラブを生むんですよ。自我の悶々が他者の何気ない言葉によって解き放たれたり、また自分勝手に悶々が爆走することによってあらぬ事を口走るその緊張感と弛緩の繰り返しがイチャラブなのよっ!

上とは別のシーンであるが、霞空が主人公に対して「元の世界だったら兄さん好きスキーなんて言わなかった」という台詞がある。その理由はもちろん「だってそんなことをいったら恥ずかしいじゃん」で、
この現実の世界で兄さんではない「あいつ」だからこそ「兄さんすきすきー」が言えるわけだ。だからこれはなかなか微妙な話ではある。この現実の世界にやってきたからこそ、ふたりは結ばれたのだ!と個別ルートシナリオ的には言いたくなるが、
霞空世界でも、霞空が兄さん好きすきーとか何かの拍子で言っていれば、霞空世界の兄さんも霞空を意識して恋に落ちていたかも知れないという可能性は、このシナリオでは完全に捨て切れていないし、
霞空も最後まで「この世界の主人公」と「霞空世界の兄さん」を完全に同一視したり、また別の存在として割り切ることもできていない。だからこの霞空シナリオの異次元世界の結末は他シナリオと異なる、霞空のそんな心理を反映している。
ただひとつだけ確かなことは、霞空がたとえ別世界で兄さんを異性として最初から愛していたのか、それとも兄として好意を持っていただけなのかわからないとしても、霞空がこの現実世界で好きになったのは主人公であり、
そうした霞空の別世界の兄と現実世界との主人公との、悩んでも悩むほど答えの出ない葛藤によって、その妄想兄と現実主人公の思いがさらに強化されて、それがとんでもないイチャラブに発展すると言うことである。
ある人は、これを単なる「現実逃避」とでも言うだろうし「糞ビッチの開き直り」とでも言う人もいるだろうし「元から調教されやすいM体質だったんだよw」とでもココロ風に言いたくなるワタシクでもあるが、
結局のところ、霞空は自分のシナリオでもルート外のシナリオでもこんな感じのハッピーターンキャラなのだし、そのような潜在性を最大限に開花したひとつの物語とイチャラブ哲学を素直に楽しむのが良いお兄ちゃんだと思うのだ。


さて、この作品は複数ライター制であり、僕が見るところ「海原楓太」氏が手掛けているのは、千風悠、凜火、霞空の三人で、「鯉川こい」氏が手掛けているのが、睦土美、「皆川一馬」氏が手掛けているのは水那だと思われる。
ここではべつだんここの作家性の問題を云々したいわけではなくて、ことエロゲの分岐シナリオにおける複数ライター制度との関係を考えてみたいのだ。まぁ要するに「明らかに文体とかキャラの特徴がちょい変わる」という変化と、
「別可能性世界」がどう関連するのか?という話である。これにはその作品のわりと客観的な設定の問題と、「なんか共通ルートやほかルートと比べて主人公やヒロインがちょい変わっていて気持ち悪いんですけどー」という主観的な問題があって、
客観的な設定を極限方向に解釈すれば「そりゃ別可能世界に変わったんだから、キャラの性格も変わるのも当たり前」とも言えるし、方一方で「いくら世界が変わったとしても、キャラの性格や文体まで急に変わるのは作品としてへんじゃね?」もある。
その偉大なる例としては、エロゲオタクなら必ず経験すべき「負けたらカキ氷奢りなっ!」を挙げれば充分であろう。怒りの庭における修正前の(まだ何もパッチを当てていない状態の)絵里香ルートでの一場面であるが、
ここでは、恐らくのところトノイケダイスケが書いたシナリオと、たぶん別ライターが書いたシナリオが何回も交互に入り混じって、アニメで言えば3分ごとに作画が変わるような異世界空間を構築してしまっている複数ライタースパイラル!

余談はさておき、このようなネタを振ったからと言って、べつだんこの作品の複数ライター制がすげぇ違和感を覚えるとかそう言う話をするつもりはなく、どちらかと言えばポジティブなことをいいたい。
まず、水那から言えば、このキャラは共通ルートや他攻略ルートでは、ときどきトチ狂うものの、基本的にはお姉さん役としてほかの兄妹を纏めようとする、コミュニケーションがしやすいキャラクターであり、
また当人の別次元設定としても、別次元をあるていど行き来できるくらいに文明が発達した次元なので、別次元や別可能性世界に纏わる葛藤は殆ど少ないことが、始めからわりと明らかになっている。
ゆえに、この水那シナリオが、他シナリオに比べてわりとアッサリ気味に物語が進行したり、基本的には別次元云々のテーマの絡みは少なく、単にCV:遠野そよぎの慌てデレ妹っぷりを楽しむような話にしかなっていないとしても、
作品全体からみると「ああ、水那っていうのは個別シナリオも含めてなんだかんだ言ってしっかり者の妹なんだなー」という位置づけがしっかりしていて、それはそれで結構楽しめたりするのである。
流石に海原氏のシナリオのノリを5キャラ連続でやるのはキツイわけで、そう言う意味では肯定的な意味で、良い「箸休め」的なシナリオだとおもう。

睦土美シナリオは基本的な方向性は良かったと思うんだけど、もう少しだけ細かいところを頑張って欲しかったシナリオだと思った。個別シナリオ単体として見る分には合格点なんだけれども、
作品全体の位置づけから、他ルートでの睦土美ちゃんの一番ヤサグレ逞しさを見てしまうと、もっと他シナリオのような「お兄ちゃんが知らない妹の素顔」といったところも描くべきじゃないのかと思うのだ。
前にも言ったように基本的な方向性とプロットはいい。このシナリオでは、他シナリオと比較してわりと速攻気味にお兄ちゃんと睦土美は普通に仲良くなって普通にデレデレしてしまうんであり、
それは他妹比べて基本的な障害が少ないことと、またこの作品のバランスとして一人ぐらいは最初からイチャラブなシナリオがあってもいいと言うことから、正しいやり方だとおもう。
テキストも、最初のほうは基本的に控えめな態度を取りながらも、しかし結局はあざとい上目遣いでお兄ちゃんを誘ってしまうむっつりブリっ娘なCV:藤森ゆき奈を上手く活用しており、
なんだかんだ言って癖の強いテキストやボイスがおおいこの作品の中で、100円チョコレートのような普通の甘さに出逢えるとこちらもホッと萌え転がれる安心できるシナリオなのも問題無い。
この個別シナリオでは他シナリオと違って「別次元の妹たちがひとりずつ別世界に消えて」いきながら、それと同時進行するように主人公と睦土美の日常描写が増えていくというシナリオ進行も、
まさに「最初からお兄ちゃんとふたりだけの生活を望んでいた」睦土美に相応しい「現実次元」の現れを描いたものだと言えるし、作品全体の位置づけとしても、このひとつだけ妙に静かなシナリオがあるのもいい。
ただ、その日常描写が深まるところで「だけど、この現実の世界の睦土美にも、お兄ちゃんの知らない次元がある」ことをもう少し描いても良かったんじゃないのか。あまり細かい突っ込みはしたくないんだけど、
他シナリオの睦土美は良くも悪くもそういう「この妹は離れている間にいったいなにがあったんだ?」と思わせる描写が多かったし、特に魔法に対する微かな拘りとか、睦土美シナリオの伏線っぽいところがあっただけに、
そういうところが殆ど触れられずに、ただ単に普通の日常描写のなかでイチャラブしているだけに終わっているのは少々残念であったと言える。

他ルートの比べて完全に別次元別世界化しているシナリオと言えば、なんと言っても千風悠シナリオだろう。これは作品における客観的な設定としても、千風悠は主人公が過ごした現実世界や、
主人公が夢見ていた別次元世界には属していなかった、正真正銘の「全くの別次元からやってきた妹」であり、じゃあその妹である根拠はなによ?と問われれば、
それはたぶん主人公の部屋のゴミ箱からかぴかみティッシュを採集したり、または霞空の部屋から毎日舐め舐めしていたとおぼしき兄さんのパンツを採集し、お兄ちゃんと複数の妹のDNAを融合して生まれた、
自称お兄ちゃん専用のオナペットこと最強のシスタノイドという最凶な存在理由である。ここで「いや普通に主人公の両親のDNAを採取して試験管シスターにすれば良かったんじゃね?」とか、
「自分の精子と自分の妹たちのDNAをいろいろ混ぜ合わせて作った生命体って、それって普通にお兄ちゃんが妹を孕ませて作った子供なんじゃね?」だの「これは新しいロリ属性の発明ですね!」だとか、
そういうこと言わんとするアグネスも恐れぬ牢屋主さんたちは妄想力がまだまだ足りない。ここでのキーポイントは、僕が思うに「複数の妹のDNAを交配させた」というところだと思われる。
つまりむしろ「まずはお兄ちゃんがそれぞれの妹を孕まさせて、それぞれの妹娘を作ったのち、さらにその妹娘をお兄ちゃんパパが孕ませて生まれたのが千風悠たんではあるまいか?」
といった妄想で夢とおちん○んを膨らませた腐れ外道萌えオタどもは秋葉原で僕とハンボッキしようじゃないかっ!

まぁ余談は兎も角としてと言いたいところだけど、実はここらへんの妄想が案外当たってしまっているところがこのシナリオの恐ろしさではあるわけだが、取りあえず話を戻すと、
まぁそういう色々な意味で千風悠は正統的な妹キャラではなく、他の妹のようにお兄ちゃんと何らかの記憶や思い出を共有しているわけでもなく、千風悠の目的もこの異次元融合を解決するために
お兄ちゃんをサポートするためにやってきたオナホ妹ロボットに過ぎないわけで、お兄ちゃんが千風悠を選んだ理由も「すぐに次元融合が解決できそうだから」という合理的な理由に過ぎなかったのであり、
そういう意味では千風悠も存在理由も愛のパワーを溜めるために「お兄ちゃんスキスキ設定」が始めから仕組まれていたのだから、こりゃもう軽くセックスをキメて一発で次元融合が解決できると思いきや、
ふたりがキスしたりセックスしたりしてもちっとも「愛のパワー」は溜まらないのだった……と言うガックリオチから千風悠シナリオは始まる。

しかし「顔が可愛いから選んだ」と素直に告白してしまう主人公というのは、僕のやってきたエロゲの中ではたぶん初めてだろう。
ここらへんは詳しくは「エロについて」の欄で語るとしても、この千風悠シナリオは、もしも自分の外見から性格から性癖まで完全に理想の妹キャラがシスタノイドとして、
「お兄ちゃんとの愛のパワーを溜める=セックス」の為にやってきたとしたら、その時点でもう自分の理想を裏切ってしまうというような寓意を持つ、ある種の伝統的なピグマリオン物語である。
まぁその「裏切り」の大半は「孕みゃ純愛だよ孕みゃ」といった千風悠たんBOTが作れそうな勢いの迷言増産AIにあるとは言えるが、もう半分は、
いくら「完璧に理想な妹」が突然現れたとしても、それは妹属性にとって重要な「過去の思い出」をそのシスタノイドは何を持っておらず、また完全に初っ端ならセックスおkだったら、
それは近親相姦の恥じらいをもっていないことになるので「妹」の理想像から外れてしまうわけだ。だからそんなシスタノイドとキスしたりセックスしたとしても、
何度も言うようにそれはオナホとセックスしているに等しいのだから、ちっとも愛のパワーは溜まらないってわけ。

個人的には「いや、たとえオナホセックスだって、長い間オナホをずっと使っていれば愛着もわくだろうし、俺のオナホスキルが上がるほどオナホも俺のペニスくんに馴染むだろうが!」というような、
ポストひゅーまんなシナリオ展開を期待していたんだけど、まぁ僕は床オナ派なのでオナホの何が良いのか良くわからないし(なんか突然のどしゃぶりでトランクスがずぶ濡れになった感触で気持ち悪いっす)、
この作品は一応は純愛ゲーという体裁を取っているわけで、ひとりぐらいは妹云々とは剰り関係ない、真っ当な恋愛シナリオが必要だったのだろう。
そう、この千風悠シナリオは基本的には「妹云々」は殆ど関係ないと言っても良い。千風悠が主人公のことを「お兄ちゃん」と呼ぶのがたったひとつの妹要素だと言っても良いくらいだ。
それじゃあ、この千風悠シナリオは基本的にどのような進行なのかと言えば、それは「人を好きになること」を覚えるロボットのお話……と素直に問屋は卸さないのが妹スパイラルである。
だって、千風悠は始めから「お兄ちゃんが好き」というプログラムが仕組まれているんだから、もうそれは覚えているし、お兄ちゃんの手がおっぱいに触れればすぐに発情するくらいにラーニング済みであり、
別にその手のシナリオをディするつもりで言うつもりはないが、恋愛感情以外の例えば家族愛だとか人間愛だとかのええ話を経て「人間らしさ」を獲得し、その人間らしさを巧みに恋愛感情にすり替えるような話も千風悠にはお呼びではない。

ある意味でこの千風悠シナリオは千風悠らしく合理的な話である。つまり、愛とはわりと単純に言って、個々人の感情や思いによって発生するものではなく、相互コミュニケーションによって始めて生じるという話なのだ。
故に、主人公がたとえ「顔が可愛いから」という身も蓋もない理由で千風悠を選んだとしても、また千風悠が「お兄ちゃんが好きなのはお兄ちゃんが好きだと始めから決められている」なトートロ自慰でオナホを迫ったとしても、
主人公がそれこそシスタノイドを調教するように「いいか。愛って言うのものは恥じらいが大事なんだ!」とか童貞らしいことを何回も繰り返し、千風悠が表面上はしおらく振る舞って猫撫で声でお兄ちゃんを誘惑して結局またHしたとしても、
そのような失敗の繰り返しのなかで「顔の可愛さ」または「お兄ちゃんが好き」以外の相互コミュニケーションの文脈が生まれるというわけだ。物語的に言えば、千風悠は「目的」つまり「愛のパワーを溜める」ことに全力を果たそうとしても、
それが故にその目的を果たせないのは先に書いたとおりで「自分の使命を果たせない」というしょんぼりな感情を見て、始めて主人公は「顔が可愛い」以上に千風悠を認識して、そこから始めて「笑顔が可愛い」へと変わっていく。
一方の千風悠も変化と崩壊の切っ掛けはそういうエラーである。主人公との童貞の愛の特訓な日々のなか、千風悠は次々に新しいことを覚えていくけど、その「新しいこと」はすぐに「愛のパワー」を生み出すものではなくて、
むしろそれは新たなるエラーを生み出すばかりなのに、そこで始めて愛のパワーは微量ながらも発生してしまう。だけれども、その「愛のパワーの経験から得た新しいきもち」は「おにいちゃんが好きだ」とか「次元融合の解決の為に愛のパワー」を、
という千風悠の初期設定から徐々にずれていく。そりゃそうだ。大抵の愛のパワーの発生は基本的に意図せざる失敗から得られたものなのだから、先の理窟に従えば「失敗することでお兄ちゃんが好きになる」はまだ整合するとしても、
「愛のパワーを溜めるために次元融合の問題を失敗する」というのは悪しき循環にはいるだろう(愛のパワーを溜めるためには次元問題を失敗しなくてはならないが、自分の目的はその解決であり、その解決のためには愛のパワーが必要で悪循環)
この千風悠の思考ルーチンが徐々にぶっ壊れながらも、初っ端からぶっ壊れていた千風悠の迷言が控え気味になり初恋乙女のようなウブな反応を示すようになっていく、この論理崩壊と恋愛感情が同時進行する描写は、
数年ぶりに優れたロボット少女恋愛物語を見たと思わされた。その後のネタバレ展開を経て、最後にゃ「全時空のお兄ちゃんに対して」まで独占権を泣きながら主張する千風悠をみて、思わずもらい泣きしてしまったくらい優れたシナリオである。。


ここまでグダグダ書いていて、ようやっとわかってきたことがひとつある。今まで語ってきたシナリオの多くは、僕も基本的には優れたシナリオだと思うし、また「妹」という属性を独特に用いたシナリオであるとも思うのだが、
しかし、この作品に元からそんな当たり前のことを求めるのは間違いだwと言う突っ込みを敢えて無視すれば、端的に言って「昔からずっと一緒に暮らしてきた妹」という、僕にとっては妹作品で最重視している感覚が得られないシナリオではあった。
いや「睦土美」はそういう「個別シナリオ」であるのは事実だが、睦土美シナリオのところで語ったように、攻略ルート外の睦土美と攻略ルート内での睦土美が上手く繋がっていないため、何となく疎外感があるわけだ。
むろん、この不満は以上のシナリオの欠点と言えるものでは全くない。千風悠は元から普通の妹ではないのでまぁ除外するとしても、霞空にしても水那にしても、基本的には「別次元の兄さんとの記憶」を持たないが故のお兄ちゃんだからこそ、
「お兄ちゃんや妹を異性として認識するが故に、最高のお兄ちゃん振りを発揮する」という構造を持ったシナリオなわけで、そんなん始めから普通に長年連れ添った妹として接してしまうと、そんなシナリオを語ることができないわけだ。

凜火シナリオにしても、その基本的な特徴は千風悠を除いた他シナリオと同じである。凜火の場合は霞空よりも警戒感は少ないが、水那よりもフレンドリーではない「おどおどしている」ところから始まりながら、
その「おどおどしている妹」とこの世界のお兄ちゃんが少しずつスキンシップを始めなきゃいけないんだけど、まずはセックスからお友達を始めなくちゃいけねぇ!という大まかなプロット自体はさして変わらないのだ。
だのに、それなのになんで、この凜火シナリオだけは他シナリオと比べて妹スメルがこんなに濃厚なのだろうか? 
僕はこの凜火シナリオを一番最初にやったんだが、最初は「結構いいシナリオだったな」程度の軽めの肯定評価だった。だけどクリア後に他シナリオをやるにつれて、クリア済みの凜火がなんかどんどん可愛く見え始め、
千風悠シナリオの「おしっこチャームマジック!」は日常描写なのに一発そこで抜いてしまったぐらいで、全キャラクリア後には余韻に浸るまもなく迷わず凜火ルートを2周してしまったくらいのマイシスター愛着を感じてしまったのだぁ!。

まぁ、僕がロリコンだと言うことは否定しないどころか寧ろ自慢してもいいくらいであり、ロリコンに取っては溜まらないシナリオ&キャラであることも疑いようはない。
もう「凜火ちゃんは勇者の妹で支援も攻撃もできちゃう魔法使い(CV:みやびたん)」でハロウィン衣裳のロリ魔法使いって時点で、軽く3杯はおかわりできるわけだし、
まだ完全に主人公になれきっていない凜火に対して愛のパワーを溜めるだからしゃあねぇとかいって、ちょい嫌がっている純粋なロリキャラにいきなりチューしちゃう展開も背徳感をそそりまくるし、
そこから「今日から恋人になる!」と前向きに考えても、その恋人の意味をちっともよく知らずにセックスってなぁに?とか純粋な気持ちと好奇心で嬉しげにエロイ言葉を連発する凜火もロリ過ぎるし、
んでもっていろいろあってセックスになったらなったらで他の妹以上に感度がよく……とまぁそこらへんは「エロについて」のところで語るとしても、
この「何も知らない無垢なロリ妹キャラに、エロイことを教えなくちゃいけないことを戸惑っていると、向こうから勝手にちょいずれた感じにエロ知識を吸収しまくって予想以上にエロくなっている」という、
ロリエロゲシナリオの基本的な勘所を押さえまくったシナリオ展開に、もうひと台詞ひと台詞ごとに悶絶しちゃいましたよ妹ダーリン!。この手のシナリオはそういう「エロイベント」だけを連発していると途端に飽きるんだが、
上手いのがちゃんと「現実世界の世界や道具を凜火ちゃんがお勉強する」という日常的なイベントに上手く溶かし込んでいるところですな。基本的にはお約束ネタではあるんですが、電子メールを覚えたての凜火がメールを送るシーンで、、


>『おにちゃんありがとう、朝のおはなして、もっと魔法をつよくうまくつかえそうです』

凜火……

「(はぁ……ココロ、今俺ちょっと幸せな気分になったぞ)」
「(変態)」
「(なぜそこに直結するか、違うよ、年下の妹が頑張って長文打ってくれたんだぞ、これはちょっと幸せな体験だぜ?)」

『ありがとう、でも授業中は勉強に集中して、あんまりメールしちゃ駄目だぞ?』
『こめんなさあ』

ごめんなさい、か、これは。
ああっ、微笑ましいぜ!!


ようするに「ひらがな萌え過ぎ!」といった、ほのぼのとした日常描写をベースにしつつ、


>「小さい子を騙してる気分が日に日につのる一方だぜ!!」

だってもうこんなメールが早速来るぐらいですしもう。

『おにいちゃんにしつもんです。チ○ポをいれたりなめたりしてもびょうきにならない?』

なりませ……なるかボケ!

『でもでもはやく、せっくす、しないと、世界がほろんじゃうんだよね?』
『おにいちゃんになら、わたしはなんされてもいいです。お兄ちゃんだいすきです』
『でも、おしりのあなはさすがにしんじゃうとおもいます。ころさないでください』


といった、萌えればいいんだが笑えば良いんだが勃起すれば良いんだかの萌えギャグエロをここぞという場面で間髪も入れずに連発してくるのだから、こちらは本当に年の離れた妹の異常な性徴っぷりに頭を悩ませつつニヤリと勃起しちゃうのだ。
まあ、単純に言って「中世ファンタジー世界の妹が、この世界に慣れようとするところをお兄ちゃんが手助けする」といった基本展開の所為で、他の妹シナリオよりも日常描写が強調されている部分も大きいのだろう。
水那は勝手に自分でマシンを作って物事を解決してしまうし、超能力以外はこの現実世界と全く同じな霞空はそう言う描写をする必要はなく、睦土美は最初からこの世界の平凡な妹なので平凡な日常描写を特にあまり書く必要がない。
ある種の「異文化交流」的なシナリオが、結局のところ「異文化の目から自分の文化を見直して評価する」ことを目的としてしまっているように、「中世ファンタジーの妹」という視点は、現代文化の日常を異化するのに適度な距離を持っているわけで、
凜火の視点や凜火と一緒に街の中を散歩したりお勉強に付き合ったりするような日常描写が、睦土美シナリオ以上にこの作品の現実の世界をイキイキと描いていると言える。やっぱ異文化交流はロリっ娘とのせっくすに限るぜ!

しかしなんと言っても、このシナリオのキモは、凜火の台詞を引用すれば「えへへっ、わからないよぉ」という凜火の口癖の不思議な嬉しさを見事に描き切っていることだとおもう。
前にも書いたように凜火は最初の時点はわりと主人公のことを警戒している。それは主人公が別の世界の兄と同一人物だと言うことを頭ではわかっても、感覚的には慣れきっていないからだが、
凜火は他シナリオの妹と比べて、この「感覚的」なレベルではわりと現実世界のお兄ちゃんに慣れてしまうのだ。それは上のアレなメールみたいに、基本的には「ヤリ過ぎ」な方向で慣れてしまっているとは言えるのだが、
がんばれのキスをしてあげると素直に「……ん、元気出た。お兄ちゃん太好き!」と自然にレスポンスなぐらいには馴染んでくれるし、エチシーンに限っては以下参照と言った感じである
じゃあ、何が「わかんない」のかと言えば、それは兄妹と恋人の違いは何か?と、恋とか愛とかアナルセックスの気持ちよさといった恋愛を勉強するために読んだ本の知識とその現実世界との関係で、凜火はなにか照れくさいと思ったら、
必ずその知識と現実の感覚に挟まれて「えへへ、わからないよぉ」とフニャけた顔で照れてしまう。でもその照れもなんかなんか幸せで、お兄ちゃんが側にいればそれ以上に進まなくてもない。まさしく幼少期の黄金時代をしーしーしているわけだ。
わからないよぉがわからなくてこわい不安や焦燥に繋がることは絶対になく、わからないよぉとふにゃりと笑ってもお兄ちゃんは撫で撫でしてくれて、わかったとしたらもっとそれ以上に新しい幸せを掴めるような幸福な時代の幼女を見事に描いている。
だからこそ凜火は現実世界のお兄ちゃんもお兄ちゃんだと感覚的にわかってしまうのだ。魔法世界でのお兄ちゃんとの冒険と、現実世界でのお兄ちゃんの冒険は全くおなじで、モンスターを狩りにくらいダンジョンを探索するのと、
ある意味モンスターの聖なる白濁液を狩りに朝にこっそりベットの布団のダンジョンにもぐり込んだりするのは両方ともドキドキする探求なのだから。

それと同時に、このシナリオは謎の妖精さん「ココロ」も絡むシナリオもあってか、主人公つまりお兄ちゃんサイドの物語が尤も説得力を持って語られている点でもポイントが高い。
まず客観的なネタバレとして、次元融合の発端の理由がたぶんこのシナリオだけで明らかにされているところも大きいのだが、そのネタバレが持つどーしようもない理由を物語にしていないところが素敵だ。


>「えへへ……お兄ちゃん、すき……」

基本的に、この子はダメ人間なんだと思う。
なんにもしたくない。ただお兄ちゃんと一緒にいたい。だからそのために、そのためだけに頑張った。
……基本的に俺もダメ人間なんだとおもう。
なんにもしたくなかった。ただ睦土美と一緒にいたかった。だから、俺は夢に逃げたのか、夢を捨てたのか?
俺はなんのために、冒険者なんかはじめたんだろうな?


だから、この作品の物語は始めから「たったひとつの現実に戻る」ことを実は目的としてないし、何らかの人間的成長を描く感動的な物語にはハナっからなりようが無かったわけである。
だけれども、冒険の目的は単なる「お兄ちゃんと一緒にいたい」だけであったとしても、またその目的はずっと変わらなかったとしても、また冒険の真の目的は実は単なる現実逃避だったとしても、
冒険は当人たちの意図や目的と関係なく、それが良い方向か悪い方向かは最後までわからないとしても、結局のところ冒険は「人を変えてしまう」。
それは夢と夢の記憶が現実にフィードバックされてその人の現実の認識を僅かに変えるように、冒険という行動自体がその冒険の目的を変えて最後には冒険者を変えてしまうのだ。
言うならば冒険とは絶え間ない成長では無くて、絶え間ない変化の気付かない連続のことであり、凜火もお兄ちゃんも別に人間的に成長するわけでも「恋人」へと進化するわけでもないにせよ、
お互いの魅力をいつの間にか再発見してさらにイチャラブが悪化するぐらいには変化してしまい、結局は以下の台詞に辿り着くことによって変わらないわからない故に重要な変化を理解してしまっている。


>「うんっ!えっと……納得だっけ? したから」
「というか、もういいや。なんでもいいや。お兄ちゃんと一緒なら、なんでも」
「凜火……」
「一緒に頑張ってくれますか、お兄ちゃん。また一緒に暮らすために」


お兄ちゃんが勇者で妹が魔法使いというのは、妹オタならば必ず妄想するファンタジーだと思うのだが、妹魔法使いが勇者のお兄ちゃんに投げかける、これ以上に素敵でファンタスティックな告白を見ることはなかなか難しいだろう。
この告白シーンのみやびたんの演技は見事に尽きる。もういいや、なんでもいいや、の言葉に全く何も籠められていないそのまんまの投げやりな感情が、「お兄ちゃんと一緒なら」という台詞の磁場に強力に引きつけられるように、
力強いの肯定の響きへと転化する。ナンセンスが突如としてナンセンスであるが故に論駁不能な最強の肯定へと変化する瞬間を見事に演じきっている。プリミティブな魔法の言葉が本来は何も意味しないナンセンスな言葉の響きであるように、
妹にとって「お兄ちゃんと一緒なら」という言葉の響きそれ自体が、全ての困難を吹き飛ばす最強の魔法であることを、この迷シーンは余すところなく描き切っている。

そうしてまた振り出しに戻れば、「胡蝶の夢」という言葉の意味ぐらいは誰でも知っていると思うけど、一応確認しておくと、


>夢の中で胡蝶(蝶のこと)としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話。


であり、これはいろいろな解釈がされているけれども、一般的には荘子の言わんとしていることと大して変わりはなく、要するにそれが夢だろうが現実だろうが論ずるのはナンセンスで、それぞれの世界で満足して生きればいいんじゃね?って話だ。
もちろん、この作品がそのようなメッセージを伝えると言いたいわけでは全くない。確かに、凜火シナリオの最後は……いや、どの個別ルートの凜火エンドも基本的な結末は同じである。どのエンドも凜火とお兄ちゃんは永遠に幸せに暮らしましたさ。
しかし、先の胡蝶の夢の文章が反復することによって反復する前のメッセージを微妙に変えるように、凜火シナリオを経た凜火とお兄ちゃんは前と同じような幸せな兄妹生活の別次元に戻ったようでありながら、決定的に前の次元とは異なっている。
つまり、妹スパイラルとは、夢と妹と現実と恋人の間を永遠にグルグルと回り回り続けるような、お兄ちゃんと妹との終わりなきイチャラブに他ならない。基本的には凜火ルートの個別シナリオがそうであったように、
個別ルート外におけるヒロインにおいても、僕らは個別ルートの中でのヒロインの類似性と差異を見出し、今度は結ばれなかった妹と結ばれた妹の別次元の物語が、夢と妹と現実と恋人の次元融合を引き起こす妹スパイラルを発生させる。
見方によっては、これは「トゥルーエンド」という安易な逃げ技を持ち得ない、エロゲの典型的な無限循環を語っているとは言えるだろう。だけどこの作品が読者に与える無限の可能性の感覚は永遠に広がる無の宇宙のような空虚ではなくて、
妹たちとお兄ちゃんの大切な絆の潜在性を何度もいろいろな形で繰り返しながらドキドキが高まっていく終わりなき上昇のスパイラルなのだ。純粋な物語に終わりがないように、純粋な兄妹愛にも終わりが無く、永遠に妹スパイラルは躍動していく。

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☆エロについて

この「妹スパイラル」を作った製作者たちは「雷に打たれながらセックス!」ということで?話題になった「みここ」以来「妹スタイル」における「宇宙でのセックス」だとか、
別に誰が支持していると言うことも特別に無いとは思うのだが「変な状態でHをするのがウチのメーカーのアイデンティティです」ということになっていたのは否めなかった。
しかし、これは基本的な「ギャグ」の文脈で支持されていることも確かであり、まぁ1000人にひとりぐらいは、変な回路が周りに廻って「雷セックスで新しいエロに目覚めました」とかもあるだろうけど、
大半の人は「基本的に類型的なエロシーンのなかに、ちょっとおかしなギャグっぽいエロシーンが入るとなんか面白くね?」程度の評価しかしていないだろう。
そう、つまりこの「ギャグっぽいエロシーンが評価される」ということは、逆に言えばこの作品にもけっこう「類型的なエロシーンが多すぎる」と言うことの裏付けでもあるのだ。

もっとも、この「類型的なエロシーンがおおい」ということは、「みここ」からこの「妹スパイラル」にいたる作品が、基本的には和姦抜きゲとして売り出されているため、
ある程度のエロシーンを揃えるがジャンルのお約束的に必要不可欠という縛りによって生み出されたものだろう。別に和姦抜きゲではなく、さいきんは萌えゲでもエロ数はひとり5回以上とか当たり前になっているけど、
エロを濃くすると言う話になると、まずいのいちばんに白羽の矢が立つのが「エロシーンの数」である。正直なところ、まぁ原理的には作品内容によって幾らでも変化するとは言えるが、
基本的に普通の和姦ゲや萌えゲの普通のエロシーン傾向だと、せいぜい「5~6回」くらいを上限値にして、それ以上のエロの増加はエロ度を挙げるよりも「あー、これも類型的なエロだなぁ」とスキップさせる効果が出てくるので、
エロ度を下げるとまではいなくとも、プラマイでいったらプラスの効果はさほど多くない。多すぎるに似たようなエロの羅列は興奮よりも萎えを引き起こすことが多いからだ。

じゃあ、なんで「エロ回想数を増やすとエロ度が上がる」ということが良く言われるかというと、それは割と細かい意味での「エロの嗜好性」が絡んでくるわけだ。
ここで言う細かいレベルの嗜好性というのは、まぁ陵辱とか鬼畜とか寝取られといった「ジャンル」に分別できるほどの大きい嗜好性じゃなくって、
フェラよりもパイズリが好きだとか、セックスでも正上位のほうが愛を感じるだとか、やっぱり最後はぶっかけに限るよね!とか、コスプレエッチ最高!といったような、
和姦という上位のエロシーンの傾向は決まった上で、じゃあ「どんな和姦のエロプレイがエロイのか?」といったような細部のエロシチュの問題性である。
これは人によって、結構好みは違うわけで、例えば僕なんかは69はあんまし好きじゃ無いけど、パイズリは基本的に大好物であって、また僕と正反対の好みのような人もいるだろう。
この場合、例えば複数のエチシーンのなかに、パイズリや69が無かったりするだけで、僕や僕と正反対の嗜好の人のエロ満足度は大いに下がるだろう。逆にそれらがあればエロ満足度は上がる。
つまり、単純に回数を増やせば、いろいろなエロシーンを入れることができるので「大多数の細かいエロの嗜好性」を「満たす確率」は単純に上がるので「エロ度の平均が上がる可能性が高くなる」という話なのである。
だけど、逆にそのような回数の上昇は、エロのインフレ化とシナリオとのエロの関係性を断ち切る可能性も高いという欠点もある。

さて、こうした一般論を踏まえてこの作品のエロを評価すると、ある意味で結構珍しい評価と言えるもので「部分的にシナリオと関連した良いエロシーンはあるのに、類型的なお約束的エロシーンが少ないのが弱点」というものだ。
まず、前者の美点から言うと、「みここ」から「妹スタイル」を経て、始めて珍奇的エロシーンをちゃんとエロく書けたもんだなぁと思わず長い目じゃなかった長いチン○ンを勃起させたくなるようなシーンが結構ある。
睦土美で言えば、三つのペルソナに分身して、エロ睦土美、仲良し睦土美、オリジナル睦土美で4Pするシーンは、今までのエロシーンで徐々に片鱗を見せていた睦土美の様々なエロさを一気に解放して同時に味わえる快感があったし、
凜火のスライム化した主人公とのトロトロ粘着Hは、いやそういう珍奇エロが2回目って言う時点で相当アレなんですけど、2回目のスライムHでも感じてしまう凜火の天然スケベっ娘っぷりを衝撃エロ的に表していたし、
霞空のもはや定番となりつつあるぬいぐるみ化Hは、初めてのデレ状態のHで兄さん人形のそのまんまバナナミルクを素直に美味しいと飲んでしまう霞空たんが可愛すぎる……といったように、
殆どのシナリオにおいて、物語の決定的と言えるような場面においてそれを象徴するようなヘンテコエロシーンが最低ひとつはあったところは、今までの作品よりもけっこう評価できるところだ。

但し、問題なのはそう言うエロシーンが、大抵のキャラには「ひとつ以上」ないということで、あとはわりと類型的なエロシーンが続くと言うことと、またさらに類型的なエロシーンが続く割には、
一部のキャラ、特にエロエロキャラを自称し実際最初のほうは、まさにお兄ちゃん搾精マシーンとでも言うべき誘惑スキルを持っている千風悠たんに「いっかいも」フェラやパイズリシーンが無いのはどういうこったテメえ!
あんだけ巨乳っぷりをアピールしておいて、パイズリがないとは夢にも思いませんでしたよ。アレか?水那が巨乳しか取り柄が無いから、千風悠までパイズリしたら水那がますます影が薄くなるから、という配慮なのか。
こう言うのけっこう困るんですよねマジで。後述するように、千風悠たんのエロシーン自体は結構イイ感じなのですけど、それだけに「今日は千風悠たんのパイズリで昇天するぞ!」と思って他エロシーンでも我慢した挙げ句、
最後までパイズリどころかフェラシーンが無くて悶々とした挙げ句、結局CV:みあぞうのパイズリがある他エロゲで抜くのって非常に虚しいじゃ無いですか。「音速飛翔ソニックメルセデス」を数年ぶりに引っ張り出したぜ!
いや、まぁ全キャラに一応「フェラ+パイズリ完備」みたいな類型的エロシーンの配備が正しいかどうか?っていうのは、割と議論のある問題だとはおもうんですが(でもフェラぐらいはあるだろーって言うのは半ば定番化してますが)、
作内のシナリオにおいて、特定のエロシチュの期待を高めるテキストを書いておいてガンスルーっていうのは、問答無用でアウトだと思うんですよねえ。

千風悠だけじゃなくって、この作品にはそういう「いろんなエロシーンを期待させるような日常シーンの面白いエロ伏線があるのに、ガンスルー」みたいな、勿体ないというか、喧嘩売っているのか?と言いたくなる部分がおおい。
例えば、凜火は他個別ルートで「実は意外にSかもしれねぇ」みたいなネタがけっこう出でくるんだけど、これも個別ルートが基本的にガンスルーなのよね。エロシーンの数が元から少ないなら仕様がないんだけど、
この作品は逆にエロシーンの数はけっこう多くて、それなのに普通の挿入シーンばっかやっているから、なにか「エロシーン」と「シナリオ」を別々に書いたから、シナリオとエロシーンが繋がっていないんじゃね?とまで疑ってしまう。
凜火とか千風悠とか霞空とか、そういう魔法とか特殊能力とか洗脳ネタとかを使って、まぁ例えば主人公にチャームの魔法を掛けて甘責めするとかそういうシーンがありそうなシナリオは、なんか普通の挿入ばっかで、
睦土美とか水那といった「割と普通の世界観」を持ったキャラシナリオの方が、多少は類型的とはいえ、エロシーンの種類が豊富だから余計にファンタジー勢のエロが貧弱じゃだなぁと思えるんだよね。
ココロのエロがフェラしかないのは別に良いとしても、ハーレムも全キャラに何回も突っ込んでいるだけで単調だったしなぁ。これなら睦土美のペルソナフェラのほうが余程エロかったよん。
流石「私はけっきょく巨乳要員か!」と自己ツッコミするだけあって、水那はフェラからパイズリまで完備しているのは当たり前で、また時にはお兄さんを保健室で自ら押したとおしてパイズリするような攻めプレイに転じたりと、
遠野そよぎ嬢のウキウキちょいピッチ演技も相まって、毎回まいかいエロシーンに起伏があって飽きないのはよかった。ちょい童顔風味+スレンダー巨乳という組み合わせも雛祭氏の絵のエロを上手く引き出していたと思う。
睦土美は基本的に最初から100%ラブラブ和姦で進めているんだけど、日常描写からの繋がりでスムーズに妹オナニーとか巫女さんまたは裸エプロンエッチとかドキドキ初めてのフェラが入るから、こちらもエロだけ!って感じは少ない。。

まぁ先のファンタジー勢にしても「基本ポテンシャルは高いのに、そのポテンシャルをどーでもいい凡ミスで生かし切れていないのが残念だ」ってことだから、エロ評価自体はそれほど低くありません。
そのなかでベタだけど、一番ストレートにエロいのは霞空で、序盤の主人公のことを「あいつ」とか良いながら、いざポークビッツをぶち込まれると「これは兄さんのティンポなんだティンポなんだ」とか自己暗示を掛けて、
「わははっ、ついに兄さんとセックスしたぁ」とか完全に自己妄想世界に入って腰を振り出す霞空ちゃんも可愛いんですけど、やっぱこの手のツンデレキャラと言えば、後半のメス犬化奴隷セックスの連発でしょう。
そこに至るまでの初めてのドキドキ完全和姦エロの、嬉し恥ずかしエロのハズなんだけど、もう何回もやってしまっているので明らかに嬉し成分濃すぎのトロトロボイスもエロイのですけど、
最後のあたりの自分から完全に雌犬宣言しちゃう霞空たんの忠犬っぷりはツンデレシナリオのお約束だけにエロすぎる。もうね、その前の日常描写の告白もいいのよね。「ねぇ、兄さん。ぶりっこになっていい?」とか言うんだぜコンチクショー。
千風悠も序盤の、誘惑搾精マシーンっぷりはホントにエロかったんだけどね。「顔から胸から体型から性格からボイスまで、お兄ちゃんの性欲を刺激する全てのパーツを揃えました!」というだけあって、
主人公の最初の戸惑いも、少し千風悠のからだに触れたり喘ぎ声を聴くだけで吹っ飛んで発情してしまうようなエロの流れが、誘惑スキーの僕としては堪らなくエロかった。偽人口妹に逆寝取られされているような背徳感があっていい。
そんな千風悠の序盤エロの頂点と言えば、異次元世界から強力なチャームの魔力が流れ出して、ヒロイン全員が急に主人公に対してデレデレ魅了状態になるという、
この作品のなかで一番エロいと言わざるをえないイベントシーン(なぜここからハーレムルートを分岐させなかったのか!)での、千風悠の魅了状態エッチだろう。もう頭も体もフニャフニャになりすぎてのエロボイスがなんか凄すぎた。
そういう意味じゃ、凜火のエロシーンもロリ体型でセックスの知識なんて殆どゼロなのに、初っ端から主人公のペニペニが入ると、なんか子供が始めてやったゲームにヤバイぐらいに嵌まるような極度の集中度を示すように、
「あはああぁへへへっははははははぁ(はぁと)」と言葉にならない童女の快感をまき散らしながらエッチにずんずんとのめり込んでいく無垢さも相当エロかった。凜火シナリオも、先の「異次元から魅了の魔法が流れてくる」みたいな、
魔法をネタにしたエチシーンがスライムとかおしっこ消火以外にもっとあっても良かったと思うんだけど、シナリオ紹介のところで説明したように、基本的に「現実の世界の物事を教えると同時にエロも覚えてしまう」といった
日常描写との連続性は確保されているんで、何も知らない幼女にいろいろとエロを教えるぜグヘヘへと思ったら、思った以上にロリが天然エロっ娘でコントロール不能になり逆に押し倒されたいのですよぉぉ!と言う人は迷わず買いだ。