僕は通常このような言葉をあまり好まないが、この作品に限って言えば、この言葉を使うのが最も適切だと思われる。即ち「この作品は人類が踏み出した偉大なる妄想の第一歩」であると。イチャラブがどーだとかの、そういった俗説に惑わされてはいけない。なるほど、前作に比べるとデレ時の糖分はマイルドだろう。けれども、この作品はイチャラブゲーではなくイチャ嫁ゲーなのだ。前作の恋人なりたての興奮と好奇心はその純度をいっそう高め、今作では何事にも揺るがない不動の熱愛と信頼感へと昇華しており、もうことさらにイチャイチャ描写を強調しないでも、ふたりのご飯の会話をみているだけで、最初から最後まで結婚への散歩道を楽しそうに歩んでいるふたりをみているだけで幸福感に包まれる。結婚をここまで描いたエロゲは空前絶後。むろん、その全ては花穗よっていったん否定され、そして、花嫁を越えた永遠の妹への愛によって力強く肯定されるのであった。
☆基本データ
・総CG枚数(差分SD無し)65枚 総回想数20枠
・キャラ別CG(エロCG)&回想数
つぐみ 13枚(7)4回
さつき 15枚 (7) 4回
奈々子 12枚(6) 4回
千夏 12枚(7) 4回
花穂 13枚(7)4回
(備考:前作同様に髪型チェンジがあるため、差分CGが結構多いですが、前作同様に回想で簡単に髪型チェンジのCGが見られるので、コンプが面倒とかそういう話はないです。)
☆クリック数
簡単な説明:クリック数つーのは、既読スキップオン+テキスト速度ノーウェイト環境下で計った、ゲーム開始時から作品を終えるまで各シナリオ毎のクリックの合計回数のこと。
(1)初回プレイ時の「共通」+「個別」のシナリオの総容量が分かる
(2)2周目以降の、共通シナリオを除いた個別シナリオの総容量が分かる。
(ゆえに、一周目のヒロインルートはクリ数が多く、二周目以降はたぶん半減するが、一周目の「個別ルート」が他よりも長いというわけではないので注意)
(3)エロテキストのクリ数と。それを含んだ全シナリオのクリ数を比較すれば、両者の割合もある程度はわかる。
(4)テキスト速度の環境さえ同じなら、プレイ時間と違ってユーザーによる計測誤差は少ない。
といった四点が指標として役に立つとバッチャが言っていたような気がしないでもない。
1周目 つぐみ 「5387」
2周目 さつき 「6022」
3周目 奈々子 「5087」
4周目 千夏 「5229」
5周目 花穂 「5089」
(備考:言うまでもありませんが、今回は本編後のアフターシナリオなので、いつものACとかBCとかはなしです。
最初からヒロインシナリオを選択するタイプなんで、共通ルートとかもありません。
あと、本編ラブラブルのクリ数も参考として下に貼っておきます。ラブラブルには共通ルートあるんで変な誤解をなきよう)
・ラブラブル本編
1周目 つぐみ「15699」
2周目 さつき「3867」
3周目 奈々子「6184」
4周目 千夏 「6011」
5周目 花穂 「6081」
・各キャラのHシーンのクリック数
つぐみ 1:337 2:216 3:444 4:336
さつき 1:203 2:227 3:424 4:253
奈々子 1:249 2:205 3:337 4:463
千夏 1:348 2:226 3:406 4:322
花穂 1:473 2:185 3:316 4:422
(備考:特になし)
☆作品の大まかな評価。
簡単な説明:これはもうそのまんまですな。一応Z~SSSまでの評価基準が存在するらしいのですが、大抵はC~Aの間に収まっているようです。
「C」がだいたい「やってもやらなくても別にいいんじゃね」。「B」が「やればけっこう面白いんじゃね」。Aが「やってないヤツは人生つまないんじゃね」。
といったかんじになっております。あと「全体評価」っていうのは、その項目における「作品全体」から感じる何となく駄目だとかイイとかそういう評価です。
・シナリオ評価
つぐみ B+
さつき B
奈々子 B-
千夏 B+
花穂 A
全体評価 B+
・エロ評価
つぐみ B+
さつき B
奈々子 B
千夏 B
花穂 B+
全体評価 B
・イチャラブ評価
つぐみ B+
さつき B+
奈々子 B
千夏 B
花穂 A
全体評価 B+
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☆シナリオとエロと妹との正しい付き合いかたについて。
まったく締まりのない人間というのは確かに存在する。そりゃきみぃお前のことじゃないかという読者諸氏のツッコミに対しては、僕も腎虚じゃねーや謙虚で奥深い野田総理を見習って正々堂々とシカトすることにはするが、
例えば、彼氏の為を思って、自分のアソコをキツキツに鍛え(?)ようと、女性週刊誌の思いつき垂れ流しを真に受けて膣トレーニングを実行している健気な女子がいたとするのであれば、
そのような女子を締まりのない人間の一員と見なすのはまったく妥当なことだといえるだろう。この同棲ラブラブルのなかで、そのような人物、つまり彼氏のために膣トレをやっていそうなヒロインと言えば、我らが琴宮千夏である。
体験版でも紹介された冒頭のシーンの時点で既に笑いが堪えられないのは何故だろう。ここでは、というか千夏の場合それがほぼ大半を占めるわけだが、千夏はべつに変なことをいっているわけではない。
ただ、彼氏と一緒に週末あたりに映画館で動物ドキュメンタリーをみようと誘っているだけなんだが、なにかこの時点で得も言われぬ可笑しさがお腹の底から沸き上がってきてしまう。その理由のいったんは主人子が述べているように、
あの手の動物ドキュメンタリーは結構残虐なシーンが多くて、実際に千夏がそんなものをみたら泣き出して後々トラウマになりそうなことを、千夏はよく知らないんじゃね?という千夏の無知さにあるわけだが、
その事実が明らかになるまえで既に面白いのは、千夏が主人子に私たちはカップルとして堕落しているからもっとマトモなデートをしなくちゃイケナイだの、文明国に住む私たちは化石えねるぎーを湯水の如く使っており、
私たちはそろそろ自然のエネルギーの素晴らしさに感謝しないとイケナイだのと、突如としていいだすところだろう。ここでも千夏の「いっていること」自体はまぁまぁそういうこともあるかもね程度では変ではないわけだが、
しかしなにが変かと言えば「千夏がそんなマトモっぽいことをいうのが可笑しい」というギャグの原点回帰がここにあるわけだ。さらにこのギャグシーンのオチも素晴らしく、主人子がさんざんこのネタで千夏をからかった発句、
例によって千夏はぷんすかふて腐れモードに入るんだが、それを宥める主人子の言い草がなかなかに酷く、ゴメンなオレは千夏の怒っているところが可愛いくて仕方ないんだ……とか恋人口調でささやいてやると、
さっきまでの不機嫌は何処にやらつーか映画の話はどーしたんですか?と下半身に突っ込みたくなるほどデレデレに甘えてしまうまったく締まりのない琴宮千夏のアホ笑顔。これが前作までの琴宮千夏の惨状の末路であった。
しかし、いざ同棲をしようとふたりで決め、実際に部屋選びやら家具の配置がどーこーというリアルっぽい話になり出したところから、琴宮千夏は変身する。いままでは膣トレにタンポンを使っていたお子ちゃまが、
ある日を堺にマグネシウム合金でバコバコ鍛え始めたような転身っぷりだ。むろん、この比喩が意味するように、いままでと同じように膣トレみたいなバカっぽいことをやっているような雰囲気はたいして変わらず、
相変わらずに、部屋を決める前にテレビの配線がどーこーとか部屋のインテリアはこういうのが可愛いかも!みたいな寝惚けたことをいっているように見えるわけだが、実は寝惚けているのは主人子のほうであり、
同棲というシチュエーションのなかで(だけ)は常に目覚めているのは千夏のほうなのだ。上のなにが間違っているかは、本編の千夏さんのシャウトを聞いていただく他はないが、ワタクシメはこれを聞いて大いに反省するとともに、
エロゲーをやって久しぶりに「女の人ってやっぱり怖いんだなぁ」とちょいブルってしまった。次のシーンあたりの、電気屋にて400リットルの冷蔵庫を買おうよ!とはしゃいでるシーンをみて、その怖さはますます強くなった。
400リットルの冷蔵庫つーと、普通は四人家族ぐらいの使用を前提とした大きさであり、つまり、ここで千夏はたぶん無意識的に主人子の「外堀を着々と埋めようとしている」わけである。主人子は最初から結婚に積極的ではあるものの、
こうやって生活パターンと家電品という日常必需品のレベルから「結婚しましょうね~」の数々で埋められていくというのは、なかなかの恐怖ではあるだろう。しかもそれを意図的ではなくまったく無意識に幸せそうにやっているところがホラーだ。。
琴宮千夏の締まりのなさはまったく変わらないものの、その締まりのなさは主人公を結婚生活という鎖で締め付ける強烈なアホアホ笑顔に変化し、ふたりの家が千夏のサケクマによって侵略されはじめ、
主人子がそのことに何の疑問も抱かなくなったとき、彼は家庭という人生の墓場に知らず知らずのうちに引きずり込まれてしまっていたのであった……
だけど、千夏と一緒に墓場めぐりするのも悪くないかなぁと思わせてくれるくらいに、相も変わらず千夏との毎日は楽しいものだ。ふたりで一緒に昔のアルバムを見て、千夏が私の子供のころの夢は何だったとおもう?
と聞かれたときに、主人子の答えは「カブトムシ!」一択でキマリなのである。このような台詞は単にナンセンスを意味しているだけではないことは明らかであろう。たとえば、これが「モンシロチョウ!」だった場合には、
ボケ風味ではあるものの、まぁ可愛い虫に憧れるおバカな幼稚園児って感じで多少は微笑ましいわけだが、「カブトムシ!」となると、なにやら逞しいツノを前面に押し出してはいるものの、ちょいとばかりバランスを崩してひっくり返ると、
二度と自分一人では起き上がれないようなザコっぷりが千夏にそっくりであり、もう!ふざけたことは言わないでっ私はナースさんになりたかったんだから!と言われたところで、そりゃきみぃ惚け茄子じゃないかと吹き出しくなるわけだ。
エロしーんもそんな千夏のアホっ娘っぷりをうまく利用している。特に三回目と四回目のエッチはコスプレえっちで、三回目は前作にもあったフルーティアの制服エッチだが、此方は前作よりも千夏が妙にノリノリで、
お客様のスティックがぁん~とか夏野こおり嬢がエロっぽくフェラしたあとに、挿入シーンになると今度は立ち絵より三割増しロリ表情になっちゃうところがエロくてよろしい。四回目のコスプレはバニーさんであるが、
此方は立ち絵から普段はあまり意識されない千夏のエロボディを堪能するパイズリから始まり、エッチでお馬鹿なバニーちゃんのからだを後ろから責め立てるCGもコスプレエチと千夏の魅力を十分にフルボッキさせてくれる。
ただ、天は賢者を辱めるために愚者を地上に派遣したという西欧の伝説にもあるように、千夏のいっけんアホっぽい言動や行動には深い真理が宿っていると言えなくもない。ネットで自分の彼氏との同棲生活の一部始終を世界に向けて大公開するのは、
まぁ賢明な行動とは言い難いわけだが、しかし、その理由を尋ねて「自分の子供たちに自分の新婚時代の思い出を残したいから」と返された日には、ちょっと馬鹿なことをネットで書いてしまって大後悔し、即刻書き込みを削除するような、
卑小かつ卑劣千万な僕らの小心を猛省せねばならないだろう。何と言えばいいのか。強いて言えば女性独特の男性のそれとは少し違うある種の「鈍感な粘り強さ」のようなものが今回の千夏シナリオからは強く感じられ、
それがラストの追い込みにも端的な説得力を与えている。主人子はその直前、わりと身も蓋もないことを独白する。なんだかんだ言って千夏との生活はいまも楽しいんだから、べつに急いで結婚する必要はないんじゃないかと。
こは結構決定的な問いだろう。それがよくわからない人はコレに対する反論を考えてみればすぐにわかる。つまりこれに対する一般的な反論は「そうはいっても……ほら、やっぱ結婚ってしないとマズイじゃん」みたいな一般常識的な義務論であろう。
一般的な義務論は義務論としてそれなりにまぁ尊重されるべきであろうが、逆に言えば、結婚する理由がそれぐらいのものだとしたら、ゴミはきちんと分別しましょうと同じくらいの意味しかないわけだ。
そして、主人子が千夏と早く結婚しなくちゃ!と思いなおしたのも、言ってみればゴミをきちんと分別するような日常的なことを、千夏があまり苦もなく繰り返していて、これからも繰り返し続けるだろうと悟ってしまったからであり、
それをもっと楽しいものにするためには、千夏と結婚して物理的に子供を産むしか方法はないのである。これは感動的というよりも「もう、ここまで知っちゃったからには結婚するしかないよねぇ」的なエンディングではあるが、
この作品のなかでは、他にはないリアリティと魅力を持った成功したエンディングではあるだろう。
いっぽう、彼氏いない歴たぶん26歳ぐらいの四捨五入しちゃだめぇぇぇぇぇな奈々子さんは、千夏シナリオに比べると正反対で成長じゃなくって退行しており、彼氏いる歴1歳半ヶ月のついさいきん彼氏のおち○ぽミルクが飲めるようになりました!
っていうぐらいの奈々子ちゃんっぷりががなかなかに楽しい。一応、このシナリオでは千夏のシナリオ同様、二人とも会社勤めをしている社会人という設定で、特に奈々子ちゃんのほうは初めてのキツイ職場で研修を受けているんで、
出勤前の朝の時間と休日くらいしか二人で過ごす時間はないということになっているんだけど、これが奈々子ちゃんをさらに甘やかす設定ぐらいにしかなってないところが、このシナリオの成功点であり、また失敗点でもあるだろう。
もちろん、イチャラブだけあればええって言う人には奈々子ちゃんの甘えっぷりをただニヤニヤ眺めていればいい。上のような環境だから、同棲生活で必要な家事選択その他もろもろは全て主人子が握っており、
また精神的にも主人子のほうに余裕があるわけで、特に奈々子ちゃんの方からベタベタしてくるということはないんだけど、日常会話のなんとなく流れの中で、ついつい主人公に頼って甘えてしまうことが自然になっちゃう。
奈々子ちゃんがお姉さんっぷりを発揮するシーンと言えば、ファミコンのSTGを主人子と一緒に協力……いや、放置プレイするときに限られており、もしもこの本性がバイト時に現れていたら奈々子ちゃんは一生処女のままだっただろう。
エロしーんにおいて、いくら一回目のようにお姉さんが優しくパイズリしてあげるって感じで迫ったとしても、、四回目のように寂しさから身体を求めるような大人っぽい奈々子ちゃんでも、基本的には奈々子ちゃんが主人子に甘えているわけだ。
ただ、そういう甘え奈々子ちゃんが感じられてエロいのは前述の一回目と四回目だけで、残りの二回目の三回目はそういうロリロリ奈々子ちゃんを描こうとしている割にはいささかインパクトが薄い。二回目のオナニープリンセス奈々子ちゃんとか、
三回目の制服奈々子ちゃんとか、CGのほうは無理してる感があっていいのだが、奈々子ちゃんのほうがノリ切れていないような気がするのだ。もっとストレートにコスキャラを演じきるような方向でやったほうがエロかったのではないかと愚考。
最後のエンディングも、これは詳しいことは後で論じるがややイマイチであるうえに、それでも最後は綺麗にまとまるのかなーってところで、主人公の名前が「晴樹」くんから、
一回だけであるが「主人子」という謎の名前に変わってしまい、感動どころが爆笑の嵐になってしまう。まぁでも奈々子ちゃんと主人子くんって、相合い傘にいれてみると結構お似合いな感じがしませんかね?
ああ、今さら思い出してしまったが、この作品の構成を一応述べておこう。言うまでもないことだと思うが、この作品はFDであり、「最初から」を選ぶと各シナリオを始めから選択するタイプのフラグ構造になっている。
最近は「星空へ架かる橋AA」くらいの普通の萌えゲのFDでも「FD版共通ルート」を入れることが常識となりつつあるようで、これはまず第一に、アナザーシナリオヒロイン物語の導入をやりやすくするために、
普通のエロゲと同じように共通ルートをいれているわけである。いきなりサブヒロインの攻略ルートに入ったかのようないままでのFDサブヒロインシナリオだと、どうにもお話が短く感じられるのは否めなかったからだ。
あともう二点目としては、メインヒロインシナリオの点でも、ユーザーに前作までの大まかな雰囲気を思い出させるといったような効果もあるだろう。FDなんてファン以外は買わないんだから、前作シナリオなんてもう10周以上しているだろ?
というのが至極常識的な考えだと思うが、最近は軟弱なエロゲオタが増えているようでして、いきなりメインヒロインシナリオを読まされてもノリ切れないまま終わってしまった、というような客層に対する対策ということになるだろうか。
今作の場合は、所謂「アナザー」シナリオはないので、FD版共通ルートも存在しないのであるが、個人的にはこれでも問題は無いと思っている。まぁ、普通のFDにあるものがないとなると、そこだけをやたらに批判しだすアンチな人々や、
取りあえずなにか文句の一つや二つを言わないと批評っぽくないんではないかと脅える形式主義的レビュアーの皆さんから形式的に文句を言われる可能性は高いので、今後はうえのようなFDが主流になっていきそうだけれども。
まぁ確かにFD版共通シナリオのようなものがないと、べつにそれが即弱点に繋がると言いたいわけではないし、ある意味でこれがアフターシナリオの醍醐味だと言えなくもないのだが、
各種シナリオの時間軸とその舞台がバラバラで、ああやっぱりヒロインと結ばれた後は他ヒロインとは離れていくんだろうなぁと、本編が作り上げていた作品空間がすこしずつほつれていくような寂しさを覚えることがままある。
(だからこそ恋空FDは、FD版共通シナリオをやった後でも、本編アフターシナリオをわざわざ全部学生時代のお話に限定して、そんで最後に卒業式シーンをいれて、もういっかい作品を終わらせなきゃいけなかったのであろう)
まず時間軸で、本編から年月が経っている順に並べると、奈々子=千夏=つぐみ→さつき=花穂ということになる。厳密に言えば、この=に細かい順列を引くことも出来そうだけど、最初の三人は本編から二年後で、
主人公ヒロイン共にお互い社会人(つぐみの場合は別だが)になっているという設定が共通しており、後者のふたりは本編からの一年後の設定でまだ学生生活を送っているというところが共通しているわけである。
舞台のほうは、基本的に全てフルーティアを土台にしているという点では変わりはないが、小さな棘が刺さったように微かに感じる痛みは、二年後の世界では千夏と花穗がほぼ完全に物語の中から姿を消しているということで、
相も変わらずどのルートでも店長が図々しくもネトゲーをやっているブザマをみると、時間の無常とやらを感ずにはいられない。べつにこれも批判しているわけではないが、とはいえ、ヒロインがその物語から姿を消しているのに、
主人子がそのことを物語内では殆ど意識しないというのも、FDのアフターシナリオでしか感じられないような寂しさだといえようか。そして、あとには選んだヒロインしか残らなかったというわけである。
たぶん、さつきシナリオはそういう「本編からの時間の流れ」をあまり感じさせずに、本編では他シナリオよりも少々短めだった不満を解消させるために、純粋な前作からのさつきとのイチャイチャの続きを堪能させようと作ったシナリオだと思うのだ。
それが実に運の悪いことに「中の人の交代」という、ユーザーにとっては物語の時間ばかりか、現実の時間までリアルに感じさせてしまう不幸な出来事が起こってしまったのは、なんという悪趣味なアイロニーを現実は仕掛けるものじゃないか。。
手始めに声優交代について断っておこう。メーカーとしてはおそらくギリギリまで交渉していたことだろうから、基本的には責任はないだろう。こういうことを言うのは、一ファンとして、今回のさつきボイスをオフにしたぐらいの人間としても、
まったく不愉快極まりないことではあるが、しかし論理的にも道義的にも責任の所在は(なにか特別な事情がない限りにおいて)基本的には春乃伊吹さんまたはその事務所にあるわけである。ただ、その本人の事情やら事務所の事情やらは、
たいていブラックボックスに入ってしまうので、そのやり場のない怒りは全てメーカーに向けられるというのも、ある程度は仕方のないことなのだろう。代役の北都南さんについては、まぁ一般的な判断としては間違いではないとはいえる。。
たぶん、さつきにあんまし関心がなかった人なら「違和感もなく」聴けるだろうし、僕が最初の10分ぐらい聴いた限りでも、その一般的なレベルでは充分に役を演じているので、わざわざ文句を言うレベルではないとおもう。
むろん、前作までのさつきファンにとっては、どうせ替えるんだったらもっと違うタイプの声優さんを選んだ方がマシだったということになるだろう。どうせならサトウユキとか意表をついて御苑生メイメイとか連れてくればよかったのである。
というのも、普通の人には「結構似ているじゃん」って感じでOKになるものは、元役のファンにとっては「中途半端に似せようとしているところがすげぇ違うんだよぉぉぉボケがっ!}と怒り狂いたくなるわけだ。
もう既に元となる声質が違うのだから、あんまし演技傾向がどーこーいっても最終的には「だって春乃伊吹さんじゃないし」ってところで終わってしまうわけだが、一応そこらへんをかいておくならば、
本編のさつきシナリオにおける、さつきというキャラの台詞の傾向を大雑把にまとめてしまうと、
(1)無口なようでいて、(2)単に人とは微妙に異なった感覚を持っているだけで、(3)本当はもっといろいろ話したいようなキャラ……といった感じになるとは思います。んで、これぐらいはまぁプロを名乗る声優さんであれば、
誰でも把握できることであり、あとは、以上のような傾向の演技を「実際にどのように(やや硬い言葉を敢えて言えば)発音するのか?」ということになるでしょう。これ、(1)~(2)まではそれほど問題はないんですけどね。
いや、もちろん「声自体がちがう!}と言う意見はあるんでしょうが、それが最も分かりやすいかたちで出てしまうのが、おそらく(3)のような台詞のところだと思うんですよ。
北の南の人はたいていの場合、その作品における「シナリオ」的な全体関係から個々の台詞のトーンを決めている傾向が強く、(1)~(2)のような台詞と「対照するようなかたち」で(3)の台詞を、
強いて言えば「やっと本音を言えたような明るさを持って」演技するような傾向がある。それはそれで良いし、おそらく普通のエロゲだったらそれでもいいでしょう。でも、春乃伊吹嬢の場合は違うんですよね。
というか、たぶんそこらへんが春乃伊吹嬢があんまし他のメーカーに採用されない理由なのかもしれませんけど、(1)~(3)のような台詞にいたいして、春乃さん上のような強弱や緩急をあまりつけないんですわ。
(3)だけの部分で言えば、なんというかたまたま上手い具合に口を挟めなかった人が、やっと自分の出番が回ってきてちょっと嬉しい程度の味付けしかしない。だけど、この「ちょっと嬉しい」みたいな、
そんなに感情がこもっていないようでいても、それが実に自然に感じられるデレボイスこそが春乃伊吹嬢の必殺技なんですよねー。北の南の人だとその「ちょっと嬉しい」が、「ちょっと嬉しい。ありがとう」といったように、
この台詞がどんな意味を持っているのかを「おもわず」つけて加えてしまうようなけいこうがあるんです。それは普通のエロゲーだったらいいかもしれませんけど、
このラブラブル、特に「さつき」のようなキャラだと「なんか言い過ぎだよなぁ」というような違和感があるんですよねと。
今回のさつきシナリオだと、本編よりも積極的になったさつきというキャラ付けがされているから、うえのようなさつき解釈もそれなりに合ってはいるんだろうけど、クラオタ的に言えば楽譜にメゾピアノと書かれているところを、
つねにメゾフォルテで弾いているのを聞かされているような違和感が拭いきれなかったので、失礼なことではありながらもオフにさせて頂きましたと。まぁシナリオのほうは結構良くできていたんじゃないですかと。
たぶん、単純にイチャラブシーンの量があればいいって人にはいちばん評価が高いシナリオだろう。他シナリオでは、前作に比べたら単にイチャイチャするようなシーンは少なくて、どちらかと言えば、
どんな日常会話にも自然にイチャっぽい会話が発生するような傾向が強いのだが、このシナリオは「さつきの両親にそそのかされる」ような感じで本編と同じようなノリで実に馬鹿らしいイチャラブシーンが炸裂してくれます。
いまどきこんな親切な家庭はあるんですか?とマジ問い詰めたくなる、恋人の両親の家に住ませてもらっているという、ある程度はまだ他人行儀だけど基本的には身を任せきっているような環境も独自な安心感を発生させていて、
バイト描写も少なめなところから、なんかさつきとイチャイチャして毎日セックスするだけでお金もらえそうだよなーみたいな自堕落な雰囲気が出ているところは非常にええですね。そんなヌルーい空間のなかで、
さつきが裸エプロンをして旦那様にフェラご奉仕してくれたら、もうこれこそ真の夫の仕事であると言わんばかりにぶっかけし、その次の日にゃ植物園でまわりのバカカップルの空気に当てられて、熱帯植物が生い茂るなか、
普段着すがたでパイズリなんてされちゃうと、ああオレもうこのまま精液を出し続ける植物になってもいいやってなぐでんぐでんのエロ気分に浸れます。なぜだが特にひなたもも氏担当のキャラのエロCGには所謂「レイプ目」だとか、
「催眠目」と言われているものが使われているのですが、いちばんエロかったのがこのさつきのレイプ目でした。というかまぁ他のレイプ目CGはギャグにしか見えなかったんですけど、さつきだけはこういうレイプ目になってもアリだよなと、
思わせるようなキャラとシナリオでしたからねー。といった感じで、なかなか面白かったんですけど、どうもボイスオフにして脳内ボイスでやっていると、やっぱりある程度シナリオと距離感が生まれちゃうのは事実でして、
ほら、口調もですます体に変化しちゃってますし、面白いなぁーと思いつつも、脳内春乃伊吹さんボイスを再生させているうちに、これが春乃伊吹さんだったらもっと良かったのになぁと残念がってしまったのは仕方のないことなのかなと。
つぐみシナリオは、時間軸で言えば「奈々子=千夏=つぐみ」と同じで、このシナリオだけは主人子が大学に通っていて、まだつぐみは18歳以上が通っている謎の学園組織に在籍しているということになっているわけだが、
たぶん、今作のなかで一番成長しているのは、まだ学園生なのに言動行動そして佇まいに至るまで「主婦」そのもののつぐみ先生だろう。未だに主人子のことを「先輩♪」とは呼んでいるが、べつにこれが「洗剤♪」であったとしても、
まったく違和感はなかったにちがいない。なにしろ主人子のボケ攻撃がまったく通じないのだ。主人公が朝っぱらおっぱいを揉もうと、或いはクローゼットのなかに隠れてつぐみを驚かそうとも、冷静沈着に「おち○ちんがはみ出ています」と
まるで駄目な子供を叱るように指摘するのみである。そう、このお○んちんボイスも嫁たる威厳とオーラにに満ち満ちており、これにP音をつけろと命じた倫理委員会は芸術の何たるかをまったくわかっていない音痴連中だと言うほかあるまい。
誰がどうきいても、この日常会話におけるおちんち○は三歳児とか四歳児とかの男の子を持つお母さんの声である。「絵の具は○ちんちんに塗るものじゃありません!」というシュールレアリズムな説教が今日も聞こえてきそうなおちんち○ボイスだ。。
当然のことながら、エロのほうも主人のおちんち○の扱い方をよく心得てしまっている。開始数十分直後に最初のエロしーんがあって、これはようやっと主人子の悪戯が成功してエプロンエチにいたるわけだが、
主人子のふぃんがーテクよりも、つぐみ先生の反応のほうがはるかにテクニシャンなのである。最初のほうこそはまぁ基本通りに弱めの屁タレ受けからはじまって、おっぱいを徐々に許したりするわけであるが、
このやわらかな受諾がじつに心憎い誘惑になっており、受動的に見えながらも実はここで主導権を握っているのはつぐみ先生なのだ。これが明らかになるのが、突然のドス黒エロいそよそよ名艶技と共につぐみが主人子の唇を奪い押し倒して、
今度はわたしが裸エプロンでご奉仕しちゃいます♪と、前作のような小悪魔つぐみんが突如甦って小さなお尻でケツコキなんぞをやられてしまったら、もう主人子の主人毛などと一本も残らないくらいに枯れ果ててしまうであろう。
と、いいますか、今回のつぐみ先生はズルすぎなのだ。こんな大人っぽくってエロいところを見せつけておいて、ユーザーの貯水タンクせーえき一杯にしておきながら、今度は前作からそのタレントの片鱗は見えていたとは言え、
千夏も羨むほどの惚けスキルを獲得してしまったんだから。なんだよ、未来の自分が今ここにやってきて主人子を奪ったらどーするんですかっ!とかバカな質問を自分からしておいて……そんなのイヤです……ってなにマジ泣きしているんだよっ!
なにか?これは新しいジャンルで言うところの「ボケデレ」なのか?それとも誘い受けの進化形であるところの「ボケ誘いデレ」なのか?そんなのよくわかんないけど、こんなつぐみ先生を見せられたらもう抱きしめるしかないじゃないかっ!
あと、自分はさも主人子を躾けている真面目な後輩ちゃんなのですっ!って振りをしながらも、肝心なところじゃ自分から小デレ攻撃をかましているところも卑劣千万なんでのすよ奥さまちょっと聞きました?
あの朝っぱらおちん○んってお○んちん絶叫している主人さんのところのつぐみ奥さまってば、最初は自分の昔のこととか、ああこの人はみんなにいい話をしてくれているなぁと思わせておいて、結局は自分のご主人との惚気話にしちゃうんですから。
しかもそれが脱線って言うほどじゃなく、二、三の言葉を言ったあとに主人子に軽い笑みをなげてにんまりして終わりとか、こいつらにはこれが日常なんだなぁと実感させてくれるあたりのこの信頼感ね。糞、こんなの、向かうところ敵無しじゃないか。
まぁつぐみのおしっこをレンジでチンして一杯落ち着くとして、だ。このシナリオは一般のアフターシナリオとしても普通に優れているところも強調しておきたい。アフターシナリオというと、大抵は本編の「後日談」がメインになるわけではなく、
「本編の後」日談がメインになるわけで、つまりは、本編の何らかのテーマなり起こったできごとのその後を描くような、本編の物語なりテーマなりをアフターで引き延ばしたような話が結構多いわけである。
そういったテーマ性云々で言えば、このシナリオはハナっからそんなの相手していないばかりか、まぁこれは後で論じるように「そこだけ」はあんましうまくいっていないんだけど、ただ、このシナリオが本編からもう二年の年月が過ぎ去っている、
と言うような感慨をさりげなく与えてくれるという点では、近年まれにみるアフターシナリオだと思うのだ。自転車にふたり乗りして一緒に学園に向かう一枚絵。最初はおおっ、あめとゆき氏も本当に綺麗な一枚絵を書くようになったもんだと、
素直に感心したんだけど、みればみるほどほんの少しだけ寂しい気持ちになるのはなんでだろう。ここに描かれているのはもう見た目も内面も大人になってしまったつぐみ先生で、つぐみ先生もそこらへんのことはうすうす気がついているからこそ、
もう二年前のようには無邪気には笑えないのかもしれない。或いは、つぐみ先生のクラスメイトであるヘッドクリボーこと奈緒ちんと、おーいオレの千夏と舞ちゃんをメインチェンジさせてくれと言われそうなくらい可愛い舞ちゃんと、
一緒に勉強会をするシーン。もちろん、このシーンも大いに笑わせてくれて、奈緒もついでにフルーティアでバイトさせれば新たなギャグ要員が生まれたのに!と思わざるをえないわけだが、その奈緖ちんがつぐみ先生はなにか変わったといいだす。
むろん、その変わった理由は主人子がギャグで言ったかと思いきや、つぐみ先生もボケデレ返しで恥ずかしそうに認めているように「つぐみ先生が主人子の女になったから」であるからだが、このシーンにおけるつぐみ先生の微妙な「浮き」っぷりは、
よくよくみるとなかなかに寂しいものだ。ここで普通のエロゲなら奈緖ちんに「つぐみんが大人になって少し寂しいかな……」とか言わせそうなところであるが、普通だったら、もうそういう台詞はあんまし出てこないものだろう。
これは、たとえばアナタが高校ぐらいのときに童貞であるとして、一緒にエロゲ談義にハナを咲かせている(なにか気になるが……まぁ気にしないことにしよう)友人ふたりがそろいも揃ってフツーにヤリちん状態だと仮定したまえ。
むろん、その友人はボクみたいな童貞のように「リアルの女じゃありえーよなw」みたいな童貞くさいことを言ったりせず、普通に○○たん可愛いとか本気でいっているわけだが、しかしべつだんリアル三次元とか生セックスに関係ない話題でも、
相手がフツーにヤリちん人間だと解ってしまうような「大人の匂い」を感じてしまうことがあるだろう。このとき感じる寂しさは、べつに悔しいとか羨ましいとかそういったレベルではなく、ああ、こいつらはやっぱりオレとは違う人間なんだなと、
例えば外国人が日本では食べない変な食べ物を食っているときに感じるような、端的な疎外感であって、そしてこのシナリオで言えば、友人を疎外したつぐみ先生や主人子はそのことにまったく気がつかないような静かな断絶感。
こういう状態を描くには、このシーンのように、もうただ笑うしかないのである。べつに相手が悪いわけでも、自分が悪いわけでもないんだから、ただ相手と自分との距離を最大に引き延ばしてそのネタで笑い飛ばすしかないのである。
むろん、つぐみ先生が「大人になった」というのは、あくまでも前作からの比較で言えばの話であって、ある部分で言えばむしろ幼児退行化している(ところを見せられる相手がいるのが真の大人なのかもしれないけれども)。
最初から一切の手加減もなく各ゲーでつぐみ先生を連続でボコボコにタコ殴りひとり悦に入っている主人子も相当な大人であるが、短期間集中トレーニングでネットで見た凶悪コンボをマスターし主人子をフルボッコし、
しかも二度と同じ手は通用しないと解っているからそのまま勝ち逃げヨロシクおながいしますを決め込むつぐみ先生には既にちん毛が生えていると言っても過言ではなく、しかも、夜になったらなったで、
せんーぱい♪きょうはエロゲーやらないんですかぁと誘ってくるつぐみ先生に、相応しいエロゲと言ったらなんといっても調教ゲーであろう。主人子にまんまと騙されたつぐみ先生は、調教ゲーの主人公の名前に「姫野つぐみ」と入力し、
ゲーム上の設定ではキモオタ変態教師姫野つぐみ35歳がここに爆誕したわけだが、おっぱいのレベルが上がりましたっ♪アナル責めが可能になりましたっ♪と楽しそうにプレイするつぐみ先生はピッチ姉すら越えておる。
このあとのエッチシーンの入り方もすごく自然で、早瀬氏はわりとエッチシーンの導入が下手な部類には属するとは思うが、ここのエチシーンの流れは良い。朝からいっぱい格ゲーで遊び倒して、夜には調教ゲーでビシビシ鞭打って、
あーあ-、きょうは本当に楽しい一日だったなぁとゲームのなかのふたりも、ゲームの外も僕らも充分に満喫したうえで、最後のデザートにエッチをしちゃうのは、考えられるかぎり最高の一日の締め方だと思うのだ。
そんなつぐみ先生ののオナニーシーンが可愛くないわけはないが、個人的には最後のわんにゃんコスプレえっちが一回目のエチシーンと同じくらいエロイとおもう。つぐみのわんにゃんコスプレCGも相当にクルものがあるが、
変態教師ひめのつぐみ35歳に首輪をかけて両手をリボンで結び、まったく無抵抗のつぐみ先生を玩具で弄った挙げ句に、もう先輩が悪いんですから、早くおちん○ちんを下さいっ!とこの期に及んで人の所為にするつぐみ先生を、
おもいっきりバックで貫いてヒイヒイいわせるこの気持ちよさと言ったら調教ゲースキーのつぐみ先生もよくよくわかってくださるに相違ないだろう。つぐみ先生は後輩キャラの無限のアナル拡張のような可能性僕らにを教えてくださったのだ。
しかしながら、ちょくちょく書いたようにこれはつぐみシナリオだけに当て嵌まることではないが、どうにも「ラスト」の部分だけが……まぁ悪くはないし平均から言えば良いほうではあるものの、
ラスト以外の素晴らしいテキストに比べると、やや見劣りするのは事実である。そのラスト部分だけイマイチならそれはそれで良いんだけど、ただ厄介なことに、このラストがなんでイマイチなのかなーと考えてると、
どうにもこれは全体の設計に問題があったんじゃないかと思わせてしまい、それがある程度は他のテキストの不備にも見えてしまうようなところが実に厄介なのである。
まずは個別のシナリオごとにみていこう。基本的にはまぁ、その各自のシナリオごとに問題があるように見えるし、それはある程度はその通りである。この五本のシナリオのなかで一番うまくいっていないラストは、
それでも「B」は余裕でつけられる内容であるが、しかし奈々子シナリオのラストは最初にやったとき「なんだかよくわからなかった」というのが正直な感想だった。
いや、いっていることもいいたいことも、取りあえずは理解は出来る。要は奈々子さんは親の反対を押し切って自分の店を持つといったは良いけれど、いまはフルーティアに愛着を持っていて、
出来れば昔のフルーティアに戻りたいとすら思っているんだけど、親に啖呵を切った手前そういうことはなかなか言い出せずに多少鬱になっている、と言う状態で、
その状態を打開するために奈々子さんが研修している店の店長が一芝居を打って主人子がまたキレル、というお話だろう。べつにこのお話自体は悪くないし、
ヒロインや恋人にたいしてはよくキレる癖に、何故か大人とか社会とか増税とか目上の人には一切キレない他エロゲの主人公(つまり単なる弱いもの苛めだ)に比べたら、この主人子は英雄でさえあるのだが、
問題なのはこういうお話の展開のやり方にちっとも説得力を感じないところであろう。まず第一に、いままでの前振りにおいて、奈々子がある程度は悩んでいることが解るんだけど、これは普通に見て研修がうまくいってないんだろうなと思うだろう。
確かに、ここは「引っ掛け」だと見ても良いし、そこで奈々子の店の店長が現れて「本当のこと」を言うところにプロットの面白さがあるのかもしれない。しかし、そういうのは個々の細部の描写や台詞がしっかりしていてなり立つもので、
たった一ヶ月弱も研修を受けてもいない奈々子に対して「素質がない」と店長が言ったところで、それは「怒り」を引き起こす以前に「このひと、なに言っているんだろう?」と素朴な疑問が起こるだけである。
しかも、この「衝撃の事実」の内容が、奈々子さんには悪いかもしれないが、なんとも中途半端だとは思わないだろうか。例えば、これが「フルーティアに戻る」という選択と「諦めずに自分の夢を追い続ける」という選択なら、
奈々子にとってはわりと人生の選択的な内容であろう。でも「フルーティアの二号店に行く」と「諦めずに自分の夢を追い続ける」では、この二つは両立可能だし、じじつそういうふうに主人公は説得して奈々子も納得する。
それが悪いって話ではないんだけど、なんというかそれってわざわざラストに一騒ぎしてやらなきゃいけない内容だったのかとは疑問に思うわけだ。べつに糞シリアス展開云々と言うつもりは全くないし、
そういうシリアス展開をまったく否定しているわけでもないのだが、とはいえ、お話のシリアスな進め方に反してお話の内容がべつにシリアスにする必要はないんじゃないか?
というような内容だった場合には、その物語口調がシリアスであればあるほど読者のほうは冷めてしまうと言うのは端的な事実であろう。
むろん、そういう細かいところは抜きにして(んなこといったら、このシナリオの良いところは全てその細かいところからなりたっているわけだが)、ラストの「言いたかったこと」だけをテーマ的に評価すべきだという御仁もいるかもしれない。
それはそれで別の問題が発生するんだよねーというのが、奈々子も含むけど、さつきやつぐみシナリオのラストにも共通するところである。この三つは、いろいろとやり方に細かい違いはあるものの、
基本的には僕が前作のラブラブルのレビューで書いた言葉を流用すれば「遡行型問題解決」というような作りを持っている。詳しくはそのレビューをみて頂くとして、簡単に纏めれば、
普通のエロゲはラストは、そのの「場面」にて何らかの問題を解決しようとするわけだが、遡行型の場合はラストに「問題があったこと」を語りながら、しかしその問題は「ラストにいたるまで物語」のなかで、
既に解決されているのだと語るわけである。この手法の効果を考えるには、いったんバカになって「もう解決されているんだったら、そんなことを語る必要はないじゃないかw」と突っ込んで見るのが良いだろう。
答えはもちろんノーである。何故ならば、問題は既に解決されていると言うことによって、ユーザーはその過去のテキストに今まで「見えなかった問題」を新たに発見し、そして同時に今まで「見えなかった問題解決」を知ることによって、
実質的には普通の問題解決シナリオと同じようなある種の達成感を感じることができるからだ。言い換えると、特に何らかの問題が進行しているように見えなかった日常テキストに、それによって物語的価値を見出させる手法だと言えようか。
この手法は、本編ではそれなりに成功を収めたと言っても良いが、今作においては失敗とは言えないけど、成功とは言い難い結果に終わっている。
その理由の一つとしては、まず本編ラブラブルがカップル後のイチャラブ重視とは言え、基本的には最初は赤の他人で始まり、だんだん親密度を深めていく恋愛ゲーの体裁を取っていたのにたいして、
此方は最初から最後まで恋人同士の関係が安定している物語だからという違いは結構大きいだろう。遡行型において表現されるのはたいていヒロインの内面や性格の変化であるが、表面上も赤の他人から恋人へと変化する物語では、
そうした「裏にあった深層の内面や性格の変化」を表面上の物語とうまくリンクさせて、あとから見出しやすいのである。らぶでれで言えば「千歳」とか、本編ラブラブルで言えば晴樹くんと花穂の関係性とかがその最良の実例だといえる。
しかし、この同棲ラブラブルでは基本的に主人子とヒロインの関係性や態度は最初から最後まで殆ど変わらないのだから、ラストに遡行型を使って「過去に問題はあったけど、既に解決されました」といったところで、
「まぁそうですか。よかったですね」ぐらいの一般論しか思い浮かばないのである。現に最初から最後までヒロインは変わらないのだから、小さい頃がどーだったみたいな話を聞いても「良い話を聞いたな」以上の感慨はないわけだ。
いや、その程度の軽い良い話で終わらせようとしているなら、それはそれでまったく問題はないんだけど、奈々子シナリオに見られるように、どうにもそこに余計なものがくっついているような気が否めない。
さつきシナリオは比較的に良い話ですね、だけで終わるシナリオだからあまり問題はないんだけど、つぐみシナリオのラストはなんだか妙に不格好で締まりがなかった。いや、最後の手前にプロポーズとラストにあのシーンを持っていくために、
つぐみの家族のお話をしたかったのはよくわかるんだが、僕としてはそれ以前に、あの話を聞いて急にプロポーズをする主人子や、急に今まではあんまし本気じゃなかったけど今は本気なんだっ!と言いだす主人子の台詞に違和感を持ってしまうのだ。
敢えて意地悪な言い方をすれば、ふーん、僕は今まで本気じゃない主人子と本気だと思っていたつぐみ先生のイチャイチャを見せられていたんだーと、まぁ17%ぐらいはちょい思ってしまうのである。もう少し丁寧に言うと、
そのシーンの日常描写まではまったく自然にテキストが進んでいたのに、ラストの付近だけになっていきなりまぁラストの纏めちっくなテキストを見せられ、しかもそれが今までの自然な日常描写をほんの少しであれ、
否定するような内容を見せられると、これは先に言ったような「遡行型」とは逆の効果を持った、強いて言えばちゃぶ台ひっくり返したお父さんが泣きながらオレの口にゲロをモリモリと流し込んでいくような、
今までのテキストの面白さをいっきにマイナスへと転進させるような効果を持ってしまうのである。ここの部分以外はほぼパーフェクトなので「B+」はつけたけど、逆に言えばここさえよかったら……という恨みも強いんだよね。
そして、なんでこういうことが起きたんだろう?と考えてしまうと、どうにもラスト以外の今まで褒めてきた日常描写にも問題があるような気がしてしまうのである。うえのようなことが起こるのは、
基本的にはラストのそのシーンに必要な、今までの日常描写のなかにそうした小さな伏線やラストに向かう進行の運動性の何か欠けていた、ということにはなるだろう。それじゃテキストや構成をもっと細かいレベルで見てみると、
まぁそれでも大まかなところから言えば、この作品の構成は、だいたい各300~500ぐらいのクリック数、体感時間で言えば20分弱ぐらいの「チャプター」を約10個を重ね合わせて作っているわけだ。
いままで見てきたように、この各チャプターの完成度は結構高いし、ひとつひとつのチャプターが充実し完結した内容を持っているので、最近のエロゲにありがちな「ブツ切りな短いシーンをアイキャッチで無理矢理繋げているだけ」に
終わることはないのは事実である。ただし、ミクロな視点で実際に作品をやっているときにはそう感じなくても、うえのような遡行型エンドを見て「マクロな視点で全体的に」見た場合には、
ひとつひとつのチャプターを繋げている連続性が、非常に希薄なことがよくわかってしまうのである。それは通常大抵は「物語のプロットの進行」であったり、あるいは「ヒロインとの関係性の変化」だったりするわけで、
それが維持されている限り、当たり前のことであるが「第2話」と「第7話」が反対になっても物語が通じるということはありえない。しかし、この作品ではそういうシャッフルをやってもさして違和感はないだろう。
さらに言えば、これはある程度は仕方がないことだし、ある意味ではライターの個性がよく出ているとも言えなくはないのであるが、特に奈々子と千夏とつぐみ先生シナリオでは顕著なのは、ヒロインがわりと身も蓋もない状況に置かれるような、
その「素のヒロイン」の状態やその掛け合いが、特にその三人のヒロインでも結構似てしまい、なにかライター氏の理想のヒロインの原型像を見せつけられるような気分になることが間々あるのだ。
ヒロインのオヤジ系がみんなわりと似たような性格だとか、なにか「普通の」と言えるような性格のキャラが殆どいないところを含めて、早瀬氏のテキストを読んでいると、まぁクラオタ的にしかわからない比喩で申し訳ないが、
初期のレナード・バーンスタインと言う指揮者が振った演奏をついつい思い出してしまう。確かに勢いもあるし、自分の伝えたいことを思いっきりぶちまけるエネルギーも持っている。だけど、音のパレットが白黒だけで、中間色に乏しいのだ。
ただし、フォローするわけではないけど、僕が上に書いたような批判は「他のFD作品にも殆ど当て嵌まり、これを完璧に実行できる作品はない」という意味では、あんましフェアな批判とは言えないだろう。
普通の二倍近い容量を持つ萌えゲのFDで、ここまでの完成度を「全てのシナリオ」で書き上げた例は、僕の知る限りではないし、上にあげたような批判も、このような完成度だからこそ、逆に目立つ類のものであって、
その批判点自体がもの凄くマイナスということにはならない。しかも、その問題部分は、どちらかと言えば「FDのアフターシナリオ」という、まぁ基本的には特殊条件下に発生するようなものだから、
あまり一般性をもつ批判にはならないだろう。むしろ、ぼく個人としては、普通はある程度の内容と構成が決まっているFDのアフターシナリオで、まさかここまで興味深い「うまくいっていないところ」を新しく発見できて、
まぁさんざん批判されたライター氏やメーカーにとっては憤慨やる方ないだろうとは思うが(その感情をはいっこうに庭の修正パッチを出さないカフスにぶつけませう!)、僕にとっては新しいアフターシナリオのあり方が見えてきて面白かったのだ。
なぜなら「うまくいっていない」ということは、逆に言えば、そこに「うまくやればもっとよくなる」という可能性……いや、そのジャンルやその物語のポテンシャルが隠されているということではないだろうか。
イチャラブゲーはもう本編の時点でイチャラブしまくっているので、伝統的に本編の恋人イチャラブ分補給というかたちでなり立っていたFDのアフターシナリオはイチャラブゲーでは難しいんではないか?と思っていた矢先に、
こんな思いもよらないようなアフターシナリオが出てきたわけだ。むろん、こう語ったからといって、このシナリオの弱点がなくなるわけではないが、この作品はその美点とその欠点と共に、アフターシナリオの新しいかたちの材料を提供しているだろう。
最後に残ったのは花穂シナリオだ。これは妹ゲーの愛好家なら即座に予想がつくように、本編で妹と同棲といったら御幣があるし同居といってもなんかえちぃ感じがするのがエロゲならではあるが、
まぁ一緒に住んでい「た」妹キャラは、他シナリオのアフターだと大抵海外留学に赴いているという、古くは「みずいろ」の頃から延々と続く妹アフターシナリオの伝統を花穂も受け継いでるわけだ。
ここ最近のエロゲだと、まぁまだ僕はやりかけだから具体的な評価は避けるけれども、「晴れときどきお天気雨」という破れかぶれゲーにおいてなずなというパンクな実妹が、他ヒロインシナリオルートでも、
ほぼ100%主人公とヒロインに、しかも巧妙にひっつきまわって、なずなファン以外から怒号の嵐を喰らったことは記憶に新しいかとおもう。まぁ要するに共通ルート内での実妹のキャラや性格や恋愛感情を、
もしも最大限に尊重するならば、なずなのようにやるしかないことであり、それを何とか回避しようとするのであれば、それこそなずなを無理矢理に海外に拉致してカムチャッカ半島の独房にでも監禁する他はないということである。
むろん、僕としては「晴れときどきお天気雨」のFDを堕すとするならば、もう一回本編と同じようにまったく懲りていないなずなが、他ヒロインルートでは主人公を必ず寝取るという「晴れときどきなずなとお天気セックス」を(以下自粛削除)
さて、そのようないっけん可哀想な待遇を受けるアフターの妹キャラであるが、これが実はVIP待遇以上に優遇されているということも、妹ゲーオタなら先刻承知のことだとおもう。
一言でいうなら、不在の玉座に座るものは地上のあらゆる王のはるか上空に君臨しているのである。妹がどのアフターシナリオにおいても見あたらないことが、妹だけが妹のアフターシナリオにおいて存在することの意味を最大化させる。
これは、まぁ普通のオタ会話的にいえば、花穗が他シナリオに出てこないのはなんか寂しいとか、本編の登場人物が全員ちゃんと登場する花穂シナリオがなにかいちばんしっくりくるだとか、オナホ・流星・ナイトかっくいい!だの、
そういうことも意味しているわけで、だから僕もわざわざ花穗シナリオを最後に回したわけだが、この花穗シナリオにおいてはもっと重要なことがひとつだけある。
このシナリオにおいて、他ヒロインシナリオの結婚物語があるレベルでは完全に否定されているからである。逆にいえば、他シナリオを選ぶということは、あるレベルではこの花穗シナリオを完全に否定することになるとも言えるだろう。
これは花嫁を選ぶのか、それとも花穂を選ぶのかという究極の選択である。他ヒロインのシナリオは究極的にいえば、ヒロインが主人公の花嫁になるシナリオであって、その結婚式あるいは家庭への道を歩んでいるのにたいし、
この花穂シナリオの花穗は、このシナリオの、否、本編の始まりからずっと花穗であり、途中に恋人になったりときどきウェンディングドレスを着て花嫁姿になったり、いつもはたいてい実妹ではあるんだが、花穗が花穗であることは最後まで変わらない。
まったく愚かしいことに、花穂信者を名乗る人間でさえ、最後に結婚式がないのはおかしい、だとか、或いはこちらの方がより深刻な霊魂の病気に掛かっている可能性は高いが、結婚したらいろいろ不幸があるからやめたんだろ、
と真顔で主張する人間がいるらしい。断言しても良いが、後者のような人間は絶対に、何千回でも生まれ変わっても花穗とイチャイチャすることは不可能であろう。せいぜい不景気な面して日本は増税しないと大変なことになるんだっ!とか、
自分も世界も誰一人も幸せにできないひとりノブレス・オブリージュに耽って鼻水でもじゅるじゅる啜っていればよろしい。丁寧に説明すれば、こういう人は自分の現実主義的な脳内現実と自分の想像つかない現実の世界の区別がついていないのだ。
もしも海外でバリバリ働けるような花穂と、それについていくことが可能なこのお兄ちゃんなら、近親結婚がユルされる何処ぞの国で結婚式を挙げることなぞ容易いことだろうし、家族の関係で言えば親はもう既にこのふたりの関係を認めている。
子供がもしも不幸な目にあったらどうするんだ?と言う人は、まぁこういう科学的なものを倫理の規範にしている人間は、もしも遺伝子操作でたとえば遺伝病の発生を出産前に完全に予測出来るようになったとしたら、この規範は使えないばかりか、
逆にこの規範が近親相姦の優越性の根拠になる可能性を完全に忘却している。もしも劣勢遺伝子によるネガティブな遺伝病のリスクを回避できるのあれば、近親交配のほうが優性遺伝子を組み合わせるのにはるかに効率的らしいのだ。。
なるほど、確かに上のような状況をグロテスクだと思うのは健全な思考であろう。ただし、もしも「近親相姦の遺伝病のリスクがあるから」という理由で近親相姦を非難する人間が、上の事例をグロだと思うのは単なる阿呆な自己欺瞞に過ぎない。
ネガティブなリスクがあるから近親相姦を非難する人間と、ポジティブなメリットがあるから近親相姦を肯定する人間は、人間を家畜の群れとして見ていることではたいして変わらないだろう。ナチの優生学とナチのアウシュビッツは表裏一体である。
むろん、そんな下らん科学的なんたらを議論するまでもなく、この花穂シナリオの最後のオヤジの台詞をちゃんと読めば、親子の関係というものについてお兄ちゃんとお父ちゃんが共通の認識を持っていることがわかるだろう。
もしも、お兄ちゃんと花穂の間に生まれた子供が、定期的に消費税を上げたくなる財務省病に冒されていたり、あるいは、親の魂を受け継いで息子たちもまた兄妹相姦を犯してしまったとしても、それは「親」としての当然の責任はあるわけだが、
しかし、それ以上に「子供たち」が幸せかどうかは、それは「親」や「他人」が決めることでは全くない。遺伝病のリスクをやたらに言い立てる人間は、身体障害者の皆さんが生まれてこなかった方が良かったと考える、誠に隣人愛溢れる糞野郎なのだ。
よって、この花穂シナリオでは、実妹シナリオでは大抵お約束の、やれ世間の目がどーだとかそういうどうでもいい話はいっさい存在しない。そんなものは本編のあのシスコン野郎猛レースで終わったことであり、
そして、ラブラブルのお兄ちゃんは(他のエロゲのお兄ちゃんとは違って)約束を守ることができるお兄ちゃんなのだから、本編の最後で花穗に誓ったあの最後の言葉――世界一のシスコン野郎として、花穗のそばにずっといる――を守るために、
このシナリオでは、冒頭のプロローグの言葉を借りれば「今年も、あの夏が再びやってくる」というかたちで最後まで繰り返す。お兄ちゃんと花穗は結婚を自らの意思で否定……いや、単にやる必要がないからやらないだけなのである。
やる必要がないという点でいえば、この兄妹にはセックスすらもはや不要なのではないかと、僕は何度もプレイ中に普通の日常シーンにて射精しながら考えたものだ。いや、だってもう最初のキスCGのところなんか下手したら、
このシナリオのエロしーんと同じくらいエロエロじゃないですか。花穂にお弁当を届けに行ったら、向こうからお兄ちゃんにフライングキスをぶちかまし、まわりのクラスメイト連中に自分の特技を見せつけるかのごとく、
みてみてっ、私ってこんなにお兄ちゃんをメロメロにできるんだよっ、すごいでしょう!ってな感じではしゃいでる花穂も相当に可愛くてエロいのだが、そこからお兄ちゃんの反撃がもうなんかそこらの鬼畜ゲーの主人公以上にテクニシャンで、
花穗の口を濃厚なキスで黙らせてへなへな花穂ちゃん状態にした挙げ句、ほらほら、クラスのみんなに向かって、お兄ちゃんのことを愛していますって言わなきゃダメだろ?と、嬉し恥ずかし恥辱レッスン調教するお兄ちゃんは最高の妹調教師だぜっ!
もちろん、調教されているのは花穂なのか、それともお兄ちゃんなのかは最後までよくわからない。昔から花穂がお兄ちゃんのことを振り向かせるために、やれ自分の部屋に妹ゲーを設置しておいて、
お兄ちゃんに妹属性を植え付けさせようと頑張っていたのであり、さらに、これがこのシナリオでいちばん感動的なエピソードであるが、お兄ちゃんと同年代の男の人が自分の知らないシモネタで盛り上がっているのに疎外感を受けたから、
自分もシモネタを覚えようと必死にエロネタを勉強したという下りを見ると、もうなんか全ての兄妹が花穗とお兄ちゃんのようなエピソードを全国的に実施したら、日本の出生率の問題なんて簡単にクリアできるんじゃねーの?とさえ素朴に思う。
実際に花穗のお兄ちゃん調教シーンも強烈にエロい。体験版で公開されたパンティ扱きシーンは、お兄ちゃんの抵抗パターンを精密に分析したうえでおちん○んを的確にふーふー焦らしながら言葉とおっぱいで理性と下半身を嬲っていくような、
マゾお兄ちゃんには堪らないエロしーんであり、三回目の妹メイドさんコスシチュも、主導権はお兄ちゃんのほうにあるように見えながら、いいようにおち○ちんをしゃぶられたうえに、騎乗居で一生懸命ご奉仕されちゃうのはお兄ちゃんなのだ。
因みに、つぐみのCGも全般的によかったけど、花穗のCG、特にこのメイドさんのエロCGは、あめとゆき氏がもはや第一線で働けるゲンガーであることをありありと証明していよう。前作に見られたエロ表情の硬さは殆ど払拭されている。
じゃあなんでエロ評価がB+でAじゃないかと言えば、フェラテキストがチュパ音に頼りすぎてちょいイマイチなんだよねー。ライターのたぶん早瀬氏は今日からまいにちバナナをかってきて、これは花穂のおち○んちんなんだっ、
今日からオレがコイツの世話をしなくちゃいけないんだっ!って感じでおち○ちんを美味しく舐める妄想の特訓を一日三回やらなきゃつぐみ先生の童貞はおれのもんだっ!。ただ、エチぃでときどき主導権を取ったとしても、
やっぱり花穂がお兄ちゃんの恋人でもあり妹であることには変わりなく、本編以上に花穂がへなへな花穂ちゃんになってお兄ちゃんに甘えるところが多くて、最後のエッチシーンは一応ローターを使うシチュであるけれど、
なんか赤ちゃんの頃に戻った花穂ちゃんが間違ってローターをぱんつに入れちゃってグチョグチョになったおしめとおま○こを、お兄ちゃんがよしよしと宥めているような微笑ましさすら感じてしまうんだもの。兄妹のセックスの可能性は無限大だね。
そんなこんなで最後のシーンにながれついて、オヤジと対決する場面になっても、お兄ちゃんにとっては最愛の花穗をいつものように守ることとたいして変わらないし、そして、花穂はそんなお兄ちゃんをカッコといいと思いつつも、
お兄ちゃんひとりで勝手に自分を守ってしまうところがちょっぴり不満だったりするんだけど、そんなことはずっと昔から何遍も繰り返されてきた花穂とお兄ちゃんの兄妹喧嘩の一コマでしかないのだろう。
だから、最後、夏の夕暮れの風物詩ともいえるある食べ物を一緒にわけて食べる最後のシーンを見て、僕が感動どころかあれを一緒に舐め合うようなキスしーんもエロくてなかなかええかもしれん、と思ってしまったとしても、エピローグにて、
大人に成長した花穂を見ても「おおっ、ここでついに水着のエチシーンがっ?」と大興奮してしまったのち、大発奮してしまったとしても、まったく問題はないだろう。物語は終わっても、お兄ちゃんと花穂の恋は結婚を越えて永遠に続くのだから。