うぅむ。確かに「メインヒロインのみゆとずっとイチャイチャする話」であるし「サブヒロインとのエッチも一応は出来る」内容ではあるが、「国民的アニメのあのキャラクターが超豪華声優で喘ぎまくり!」といったパケに釣られて同人ゲーを買ったら、丹下桜ボイスのマスオさんが大山のぶ代ボイスのドザえもんと死姦しているよーな摩訶不思議空間に投げ出されたきぶん。メインに「告白しなかったら」サブルートに行くのではなくて、メインに「告白すると」主人公がサブにレイプ気味にエッチされちゃうのは、NTRゲーを越えMTRゲーという新ジャンルを作り上げたといえよう。まぁ、機能的に見ると荒い部分が多く、帰納的に見ても他にやりようがあったんじゃねって感じだが、しかし、作品の昨日性とみゆたんのキスCGがキュウべぇ並に可愛いことを考慮すれば、もう、わけがわからないけど、もー、これでいいんじゃね?と投げやりな満足感に浸れる作品ではある。
☆基本データ
・総CG枚数(差分SD無し)72枚 総回想数24枠
・キャラ別CG(エロCG)&回想数
みゆ 55枚
その他 17枚
(備考:その他つーのは、複数プレイCGとかサブヒロインCGとかを全部合わせたもの。キャラ毎にイチイチ個別に分けても良いんですが、どれもこれも1~2枚程度ですからその他省略ってことです)
☆クリック数
簡単な説明:クリック数つーのは、既読スキップオン+テキスト速度ノーウェイト環境下で計った、ゲーム開始時から作品を終えるまで各シナリオ毎のクリックの合計回数のこと。
(1)初回プレイ時の「共通」+「個別」のシナリオの総容量が分かる
(2)2周目以降の、共通シナリオを除いた個別シナリオの総容量が分かる。
(ゆえに、一周目のヒロインルートはクリ数が多く、二周目以降はたぶん半減するが、一周目の「個別ルート」が他よりも長いというわけではないので注意)
(3)エロテキストのクリ数と。それを含んだ全シナリオのクリ数を比較すれば、両者の割合もある程度はわかる。
(4)テキスト速度の環境さえ同じなら、プレイ時間と違ってユーザーによる計測誤差は少ない。
といった四点が指標として役に立つとバッチャが言っていたような気がしないでもない。
1周目 「8364」 1回目告白成功したけど千代&沙羅紗に昏睡レイプされちゃうよルート
2周目 「4887」 2回目告白成功したけど向日葵にみゆとちゅっちゅしながら慰めセックスしちゃうよルート
3周目 「4608」 3回目告白成功したけど静琉がエロ漫画の為に何故か主人公とセックスしちゃうのよルート
4周目 「3092」 4回目告白成功したけどりおなフラグがいきなり立ってこの作品のなかではわりとまともな姉妹丼ルート
5周目 「2079」 5回目告白成功してようやっと誰にも邪魔されずにみゆとコスプレエッチでハァハァしちゃうルート
(備考:「ルートの説明がワケがわかんねぇよ!」とおっしゃいましても、そのまんまの内容ですから文句はトノイケダイスケにでも言ってくださいと無茶を言うしか……まぁ、詳しくは長文参考ってことで)
・各キャラのHシーンのクリック数
・みゆ 1:281 2:117 3:98 4:56 5:79 6:103 7:107 8:37 9:129 10:47 11:60 12:157 13:39 14:197 15:164 16:122
その他
りおな 妄想H:106
みゆ×りおな3P:216
千代×沙羅紗3P共通エロテキスト:80
(以下好感度によって分岐)
千代処女喪失:87
沙羅紗処女喪失:92
向日葵×みゆ3P:137
静琉×みゆ3P:206
向日葵×静琉妄想Wパイズリ:35
(備考:みゆのHシーンの順番は回想シーンに登録されるものを左から順に数えたもの。選択肢によって本編の中で見る順番は変わりますが、大まかには告白成功ルートに準じております。あと妄想Wパイズリって字面はなんか強そうで良いなぁ)
☆作品の大まかな評価。
簡単な説明:これはもうそのまんまですな。一応Z~SSSまでの評価基準が存在するらしいのですが、大抵はC~Aの間に収まっているようです。
「C」がだいたい「やってもやらなくても別にいいんじゃね」。「B」が「やればけっこう面白いんじゃね」。Aが「やってないヤツは人生つまないんじゃね」。
といったかんじになっております。今回は色々と面倒くさい分岐とかありますけど、別々にルートを評価しても意味のない作品なんで、実質「一つの作品」としての評価ってだけで。
・シナリオ評価 C+
・エロ評価 B-
・イチャラブ評価 B
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☆シナリオについて
(1)
さて、まずは四の五の七面倒くさい枕を言う前に、この作品の分岐構成を客観的に語るべきだとは思うのであるが、例えば「みゆに最後の最後のまで告白しないルートがトゥルールートで、それ以外はバットルート」というような説明は、
いっけん、実にわかりやすく客観的であるように見えて、「この作品はみゆとのイチャラブを楽しむゲームだから、それ以外のルートは寄り道的なバットエンド」という(まぁそれ自体は僕も半ば同意ではあるが)主観が隠されていると言える。
とはいっても「そんな話はどーでもいいよイチャラブさえあれば」みたいな人がいるのは承知しているし、確かに僕としても「そーですね」と答えるのに吝かではないので、そこらへんの人は(2)にすっ飛んでください。
さて、主観だ客観だみたいな話は捏ねくりましても、大抵ろくなものは出てこないものの、エロゲにおける「トゥルールート」といった用語は、確かに「主観」と「客観」が入り交じったところがある。
ごく普通のそして公平に分岐するマルチエンドタイプのエロゲなら、全てのエンディングは「客観的」には全て平等なハッピーエンドであって、トゥルーエンドはどのキャラのルートかという議論は作品板で盛り上がる為の主観的なネタに過ぎない。
しかし、例えば「最後にあるルートが公開され」たり、誰がどう見てもどう聞いても、他のエンディングとは違う豪華なムービーや別のEDテーマが流れたりするルートエンドは、それをトゥルーと呼ぶかどうかは人それぞれだとしても、
少なくとも、他のエンディングとは「別格な存在」であると多くの人が認識するのは間違いないだろう。そのくせ、ツイッターかなんかでそこらへんをユーザーに突っ込まれると、
メーカーは「別に我々はトゥルーエンドを押しつけてはありません」とか、「どうしてわざわざ自分から自供するような真似をするのかねぇ」みたいなコメントをちゃんと言ってくれるのが、エロゲ業界の優しさたるゆえんである。
嫌味とか韜晦はこれぐらいにして本題に入れば、些か面倒な分岐構造を持つ作品を説明するときは、拙速に「トゥルー」とか「バット」と言った言葉をなるたけ使わずに、出来る限り即物的な地図を作るように大まかな分岐図を作り上げて、
そしてその地図の上に繰り広げられる物語の関係性の中で、いかにそれらのエンディングが「バット」や「トゥルー」というような価値判断が可能な物語が語られているかを記述するべきだろう。
と、このような堅苦しい説明をきくと、この作品がなんかすげぇ複雑怪奇で理解するのに知力が必要な作品かと思われるかもしれないが、ハッキリ言って単に楽しむ分にはそんなこと問題ナッシングなのであるのだが、
この作品の「問題」を充分に記述するためには、まぁ確かにある程度の面倒くさい理屈が必要になると言うことである。
ということで、まずは最初に大雑把で好い加減な説明で大枠を作っておくとすれば、この作品のルート分岐は知名度がある作品で言えば「G線上の魔王」あたりが代表例で、一本道のメインルートがあり、
その途中途中で他ヒロインのルートに分岐するといった感じの構造である。こうした分岐構造を一般的には何というかという点については、べつだん合意も常識もないので、いま僕が勝手に「ト型分岐構造」と命名しておこう。
「ト」における左の縦線が言わばその作品における「メインルート」であり、右斜め下に進む斜め線がその作品における(呼び名はそれぞれの作品によって異なるが)「サブルート」であったり「非メインルート」である。
しかし、なぜ「ト」の左の縦線が「メイン」と呼ばれ、右斜め線が「サブその他ルート」と呼ばれるのか?と、僕の長ったらしい枕話を読んでくれた読者の皆様は疑問に思うだろう。その点を説明しておくと、このト型分岐は基本的には、
ト
ト
ト
ト
といった感じで、「ト型」が下方向に何個も重ねっていて、まぁ画面の表示ではトと下のトの間に微かな隙間があるが、意味としては縦線の「メインプロット」と呼ばれるものが最後まで繋がっているということである。
そして、これが先ほどの疑問に対する答えとなる。つまり、縦線の「メインルート」と呼ばれるものが何故そういわれるのかと言えば、単純に「その物語が最初から最後まで繋がっていて、最後まで終わらないから」であり、
横斜め線の「サブその他ルート」と呼ばれるものが何故そういわれるのかと言えば、単純に「その物語が(メインプロットに対して)途中から終わり途中で終わっているように思われる」からである。
これは純粋に単純な形式的問題である。この理論の上ではその作品における「物語内容」は殆どと言って良いほど関与しない。例えば、ある探偵もののエロゲがあったとして、先の「ト型分岐」の最初の横斜め下分岐で「真犯人が捕まった」としよう。
僕はミステリー小説は殆ど読まないので、もしかしたら手落ちがあるかもしれないが、しかし一般的な常識では普通探偵物語とは、何らかの事件の何らかの犯人を見つけるものである。それが見つかったら物語はそこで終了になるはずだ。
しかし、普通の人は以上のようなエロゲの最初の分岐エンドを見ても、そこでその作品を止めようとは思わないだろう。大半の人はたぶんこう考えるはずだ。「こんなに早く物語が終わるのはおかしいし、別分岐もあるから、もしかしたら……」と。
一応、この「例題」のルールでは、先ほど言ったように、最初の横斜め下分岐でのみ「真犯人」が捕まり、他横斜め分岐や縦線メインルートでは「事件は何も解決しない」ということになっている。しかし、それらのルートを読破したユーザーの大半も、
最初の「真犯人が捕まるルート」を「トゥルー」とは思わないだろう。おそらく「これはアンチ探偵物語なんだ」みたいな「意味づけ」をこの作品に下す可能性は高い。物語の真相は色々な意味で「最後に語れる」と思い込んでるからだ。
なるほど、確かに純粋に「あらゆるエンディングはあらゆる複数の結末という意味で、等しい物語的価値を持つ」と考えることはできるだろう。しかし、これはあらゆる「解釈の複数性」議論と同じく、現実に為されている、
ある程度は有限にならざるを得ない解釈の限定性を無視しているという意味で、基本的にナンセンスな議論である。そうした議論は、部屋の窓を開けて空気と気分を入れ換えるくらいの効果はあるが、窓を開けるだけが窓の機能ではないはずだ。
まず、身も蓋もないことを言ってしまえば、基本的に「シナリオ重視ゲー」と呼ばれているものの多くは、大抵は「トゥルーエンド」が存在して、「たった一つの本当のエンディング」を熱く語れるタイプの作品であり、
そのトゥルーエンドは「全米が泣いた」と言って良いほどの、「圧倒的なクライマックス」が、今まで議論した「ト」型分岐や全ルートクリア後にトゥルールート開放といった構造によって温存され、
今までの各種ヒロインルートを中学生がエロ本を断固たる姿勢で捨てるような崇高なオーラを身にまといながら、「オレはやっと真実の道に目覚めたんだ!}と言わんばかりのエル・カンタービレへと突入するのである。
むろん、こうしたタイプの作品だけが過去現在未来に至るまでの「トゥルーエンドエロゲである」といった断定に対して、先ほどの「あらゆる解釈の複数性」を持ってくるのは基本的に正しいのであるが、
こうしたタイプの作品が、少なくとも現在特に「トゥルーエンドエロゲ」の大多数を占め、それなりの「支配力」を持っているのに対して、「あらゆる解釈の複数性」を持ってくるのは先ほどの哀れなメーカーの対応と同じ喜劇である。
つまり、単純な原理として(こうした絶対主義的な物言いが気にくわないなら、現在強力に作用している要素として、でも構わない)、僕らの物語に対する習性として「最後に位置する物語が終わりの本当の物語である」というものが存在するわけだ。
こうした習性が何で存在するのか?みたいな話になってくると、それこそ「物語と神学」みたいな話になってきそうなのでスルーするが、まぁ所詮僕らは何とか属性とか精々粋がったところで適当な神話を求める凡庸な人類の一人でしかないってことで。
そして、そういう意味で、この「ト型」分岐構造ぐらい、僕らに丁度良い分岐構造は無いんじゃないかとおもう。簡単な言い方をすれば、「ト」の縦線の「メインルート」において僕らは「重厚なシナリオ」を感じることが出来て、
「ト」の右斜め線の「サブその他ルート」において僕らは「キャラ萌え」やら「掛け合い」を楽しめば良いわけで、ライターの諸氏もシナリオの配分が楽になりそうだし、僕らも僕らで「シナリオ」を「キャラ萌え」のギャップに困らずに、
サブルートで萌え狂ったりハァハァしたあとに、最後のメインルートをやって「僕らはしっかり現実を生きなくちゃいけないんだ!」みたいな説教を喰らえば、まぁそんなもんかやっぱ増税しなきゃと現実社会人ズラしてええ気分に浸れるのであった。
(2)
さて、関西から西の方にはこんにちわ(東京人にはわからないフレーズ)。(1)をちゃんと読んでくれた人にはご愁傷様。だって、この作品の「ト型」分岐は他のソレとは違って、まったくのワケワカメちゃんなんですものオホホ!
まずね、(1)を読んでくれた人には二度手間になるかもしれないけど、大まかな枠組みを説明しておくと、この作品には五個の大きな選択分岐があって、そして、その分岐を可能にしたり不可能にしたりする小さな選択肢がわりと多くある。
とはいっても、後者のソレは言わば「好感度」みたいなもので、これは普通にやっていれば(最初の告白以外は)たぶん大丈夫なものだから、基本的には「大きな選択肢によって五個のルートに分岐する作品」だとイメージすればOK牧場。
んで、その選択肢の物語内容はみゆに「告白する/しない」というもので、その結果が傑作なのは一言コメでネタバレ済みなんだけど、まぁそこらへんはスルーして話を進めると、1~4回目の「告白する」を選択すると、
そこであるルートに進んでそのルートの中でお話は終わる。1~4回目に「告白しない」を選択すると、そこから物語は次の告白選択分岐シーンまでわりと長く続く。5回目の場合に「告白しない」を選択すると、
別に物語内容的には「バット」ではないんだけど、まぁ単にそこですぐに終わってしまうという意味でルート未満のお話になって、やっぱり最後の五回目はちゃんとした「告白する」を選べば最後だけはちゃんとしたみゆオンリーになります。
と、わりと客観的に説明しても、まだよくわかんない人は多いと思うし、ここから先「でも、メインヒロインのみゆに1~4回目に告白すると他ヒロインに襲われるんだけどねw」と書くと、
もうタラちゃんが世の中の不条理を儚んで自殺しちゃうようなパニックに襲われる人も出てくると思われるので、もっとザックリと単純化すると、「みゆ」に四回目まで「告白しない」のが言わば「トゥルールート」で、
それ以外の選択分岐ルートはぜんぶ「サブルート」と、「取りあえず」は「暫定的」に理解しておけばそれほど間違いはないと思われる。まぁ、これは通常のトゥルーとかサブといったものとは、結構意味は違うんだけどそこらへんはまぁ後ほど。
で、もう皆さんもご承知のとおり、このゲームは何故か「メインヒロインに告白すると他ヒロインに襲われる」という、なんというか「座ることを拒否する椅子」みたいな、アヴァンギャルドスラッシュが炸裂しているわけだが、
「ええっと、でも、たとえばさぁ、恋人になったは良いけど、みゆと喧嘩しちゃってプチ修羅場発生みたいな話なんでしょ?」とか思ったアナタはケータイ小説でも読んでろこの常識人めっ!
「ヴィヒヒ(←スパゲティを鼻から注入している音)。じゃあ、みゆたんと他ヒロインがボキを巡ってあーんなことやこーんなことを恥ずかしがりながらしてくれるんだろ?」と思ったオタクはアリスに入社して織音絵でダークロウズ2を作るんだっ!
いやぁ、ホントよく解らないシナリオって説明するのが困るよね。超空間作品のシナリオを丁寧に説明しても「超空間やめて」としか言いようが無いじゃんか。そういう時はなるべく客観的というか、逐語的に記述しがちになるんだけど、
例えそれをやったとしても前述のように、
1周目 1回目告白成功したけど千代&沙羅紗に昏睡レイプされちゃうよルート
2周目 2回目告白成功したけど向日葵にみゆとちゅっちゅしながら慰めセックスしちゃうよルート
3周目 3回目告白成功したけど静琉がエロ漫画の為に何故か主人公とセックスしちゃうのよルート
4周目 4回目告白成功したけどりおなフラグがいきなり立ってこの作品のなかではわりとまともな姉妹丼ルート
としか書きようがないわけで、要するに「告白成功したけど」と「千代&沙羅紗に」の間の因果関係に越えられない壁があって、ぶっちゃけシナリオの方でもそこに通路を通そうとは夢にも思ってないのである。
無論、それなりの伏線はあるんだけど、そうした伏線はみゆとのイチャラブ描写の中にほんの少しの埋め草のように現れるだけで、その後の展開に説得力を持たせるようなもんじゃないし、
最後のレイプもしくは3Pといったエロイベントも、突発的に始まって突発的に終わるようなものだと言っていい。しかも、これは「バットルート」とすらいえるものではなく、
1周目の昏睡レイプは主人公とみゆが全く気づいていないという意味で、ある種の後味の悪さがあるかもしれないけど、他3つは基本的に主人公とみゆが無理矢理な理由で同意して3Pしたりサブとセックスするので、
基本的には「みゆとのハッピールート」というイメージをまぁ「決定的に壊す」ものではない(侵すものだと感じる人は多そうだけど)。
であるからして、これらのルートが「サブヒロインルート」でないというのも、未プレイの人もなんとなくわかってくれるんじゃないかとおもう。以上の理由から、基本的にはこの「サブルート」でも、
みゆと主人公のイチャラブ描写が支配的で、サブヒロインの出番もみゆほど多くなく、最後のサブとのセックスや3Pにしても、向日葵のエチシーンが象徴的であるように、主人公がサブの処女を頂くためのものでしかない。
べつだん、今さら善人ぶるつもりも露悪的になる必要もないんだけど、他の女の人に「好きだぁ」とキスしながら他の女の人の処女を奪うのってなんかスゲぇよなぁ。どんな鬼畜ゲーもこのシーンには敵わないんじゃないかと。
ま、さっき「通常のトゥルーとかサブといったものとは、結構意味は違うんだけど」といったのは、基本的にはそういう意味です。形式的というか図式的には「サブ」と「トゥルー」に分けられるとしても、
物語内容的には、例えば本編とは違った展開があるとか、違うヒロインを攻略出来るという意味では「サブルート」ではないからね。じゃあ、この括弧付きの「サブルート」とは何なのか?と言われてもワケワカメとしか答えられないわけでして。
じゃあ、サブとの対比で「メインルート」と言えるものが特徴的なものかと言えば、「他ヒロインとエッチしない」だけでイチャラブ描写の質や量は大して変わらないんだよねー。とーぜん、感動的なエンディングなんてナッシング。
そもそも、物語の最初から主人公とみゆは好感度MAXなわけで、ユーザーのほうも基本的にはそれに倣う作りなわけで、そこで「最後まで告白しないのがトゥルールートです!」と言われても、なんでぇ?としか思わない罠。
むろん、このゲームのことだから、そこで「告白できない主人公のウジウジ」とか「告白してくれない主人公に対するみゆの不安」と言ったものが、物語の主導権を握るようなこともナッシングであるし、
ああ、言い忘れていたけど、別にこの二人は告白しないでも普通にラブラブえっちしたりイチャイチャしているから、ユーザーの「トゥルーのために告白できないことに対する不満」なんてものも溜まりにくいんだけど、
だったらなんでわざわざこんな中途半端な分岐を作ったんだろうと?20%の不満と80%ぐらいの純粋な疑問が高まっていくのは当然のことと思われる。
もちろん、そうした疑問や不満は僕も感じたことであるし、ぶっちゃけって言えば、僕は以上の理由によってこの作品が「そんなに良いものだとはいえる自信はもてない」のである。
でも、それが即いこーる、この作品が「そんなに悪いものだと言える根拠」となるものではないんだよなぁ。ここらへんが「基本の出来は悪いのに何故かそれなりに楽しんじゃう萌えゲ」の不思議で、
それはまず第一に「1周目からこの作品の弱点はものの見事にわかってしまうから、そこらへんがまぁ許容できる範囲なら、そこらへんをスルーして楽しむことが出来る」という苦手ピーマン排除スキルを持っているか否かによって決まるのであって、
あたしゃ1周目の昏睡レイプエロしーんを見てもう悟りましたね。「ああ、これはもうこういうゲームなんだ仕方がないんだ」と賢者モードに入れば、なんだかアグミオン猫耳レイプがエロく感じてきちゃうじゃないの!
いや、別に僕は他の不満を持っているユーザーに対して「悟れ!」と言いたいワケじゃないし、そういう悟りに至る必然的な要素がこの作品にあるとか無理難題をいうつもりもないし、萌えゲにシナリオを気にするなんて……
みたいなゲロゲロなことを言うつもり無くて、なんていうのかな。「もー、これでいいじゃん」みたいな投げやりモードに入ると、投げやり的に結構楽しめるんじゃないの?と言いたいだけなんですけどね。
だって、グラフィック、立ち絵、音声、テキストに至るまで「もー、なんか細かいこと気にせずにイチャラブしよーぜ」みたいな、ユルユルになったパンツのゴム紐にやんわりティンポを包む込まれるよーな、ヌル湯気分が徹底されているもんなぁ。
まずマクロな点から言えば、どのルートに入っても基本的には物語やキャラクターの変化は少なく、毎回みゆとイチャイチャするだけのお話だから、確かに「退屈」だとは言えるかもしれないし、テキストも毎回そんなノリではある。
でも、これは案外「五つのルート」に分けたのは正解かもしれない。3000クリックから4000クリックぐらいの、時間にして一時間弱から強ぐらいなら、まぁアニメ一話分を見るぐらいの感覚だから、
それぐらいの間ならテキストに切れ味が無くても、物語が特に進まなくてもある程度はボーっと見てられるのである。これを後押しするのが、「立ち絵演出」メインの現在のエロゲでは例外的と言って良いほどの、
大量のメインヒロイングラフィックで、10分に1回ぐらいの割合でみゆたんの新規CGが惜しげもなく投入されれば、別にみゆたんの魅力を再発見するようなイベントが無くても、ああやっぱみゆたんは何を見ても聞いても可愛いなぁと自動発情。
エロについての詳細は後述するとしても、シナリオとテキストがこーなので、賢者モードのオンオフに関わらず、いつ抜いてもいつ止めても別に良いじゃんみたいな気分で楽しめるのは良いよね。
エロシーンで抜いたあとに、シリアス展開とかされても「まぁまぁそんなムキにならないでパンツを脱ごうぜ」ぐらいにしか思えないし。
ミクロな視点を言えば、立ち絵は少々難があって、大量に投入される一枚絵と比べて線が細すぎなような気がするんだけど、声優さんについて言えば「みゆ」役の佐藤雫さんは素晴らしいっと言わざるを得ない。
なんなのかね。このちょっと眠たげで、その隙だらけのぽかーんっぷりで「いゃん」とか囁かれると、一挙にベットに持ち帰りたくなる天然誘い受けエロっぷりは。
「千代&沙羅紗に昏睡レイプされちゃうよルート」で、千代先生がこの「みゆ」の「ぶりっこ」ぶりを真似るシーンがあって、此方も賞味期限の四日ほど切れたケーキから漂ってくる強烈な腐臭という点で凄まじいんだけど、
みゆたんの「ぶりっこ」ぶりは何度食べても全く飽きがこないケーキのように中毒性があってねぇ。そもそも、最初から好感度100%で、しかもシナリオとテキストに感情の評価が殆どない作品のなかで、最後まで飽きさずに、
メインヒロインのボイスに聞き惚れさせるのはなかなか難しいかもと思ったんだけど、見事にその役を演じきりましたよ。成功の秘策は、そもそも最初から「いい演技を見せつけよう」といった姿勢を見せずに、
基本となる声音をどんなシーンでも殆ど大きく変えないで、そのノーマライズされたと言って良い狭い声音のなかで、どのシーンも演じ通したところにあるのかもしれぬ。これに豊富な一枚絵が加われば、
「どんな姿でもいつも可愛いらしい口調で喋ってくれる彼女」という新鮮さと安心感を同時に得られるもので、まさに幼馴染み萌えに相応しい名演技であったといえよう。
一応、テキストについても褒めなくてはならないのかな。一般的な評価で言えば「書き手の知能を疑う小学生的テキスト」と言われるのかもしれないけど、
まぁそういう文章を何の疑いようもなく書ける程度の知能を持った人には楽しめない作品であることには間違いありません。つまるところ、主人公もみゆもその他ヒロインも全員知能レベルが小学生クラスだってことなんですけど、
いやぁいいじゃないっすか小学生テキストは癒されるものでありますなぁ。あと書き手が女だとか一部の人が言うのも、要するに「男性的な」とされる「一般常識的な理性」や「繊細な男性心理描写」が殆どなく、
別に非常識な行動や言動が目立つと言うことは無いんですけど、みゆが「イチャイチャしようよ」と言うとなんの躊躇いもなく「うん。もっとイチャイチャする」と返すような「軽さ」から「女性的尻軽さ」でも感じる人が多いんでしょう。
まぁ別に尻軽じゃなかろうと理性や繊細な心理があったところで、エロゲの男主人公なんて基本は散々につまった挙げ句「やっぱり原発増税しなくちゃ!」みたいな男の決断wをするぐらいでありますから、こういうバカっぽいけど、
ヒロインのことだけは考えられる主人公の方があたしゃ好感が持てますね。まぁ、どうせなら主人公のアホ化をもっと進行させて、モモみたいな男ウザキャラの役もこなせるようになれば、モモが消えて良かったんですけどね。
なんかアレですよね。こういう主人公が他の女の子と絶対にくっつかないゲームだと、モモ的なウザ男キャラが普通のエロゲの主人公のように「サブヒロインの攻略可能性を持ったメタハーレム主人公」に見えてくるから不思議であります。
最後に、まぁそれっぽいことを書いておけば、この作品のタイトルであるところの「ラブライド・イブ」という意味は、これまたこの作品の他の部分と同じように、どうにも荒いところがあります。
だってねぇ。一番最初の初回告白ルートで「毎日が幸せのイブ」なんて言われちゃったら、最初からオチが見えているような落語のネタを最初にネタバレしちゃうようなもので、どうにもならないじゃないですか。
でも、これはのちのち効いてくるというべきか、そもそもこの作品は「最後の最後に感動するようなゲームじゃねぇ」と身に染みてわかってくると、先ほどのタイトルのネタバレが、まぁそういうものだよねぇと思ってくるのも事実。
この作品は「毎日が幸せのイブ」といった言葉を、まぁライプニッツくんだりを引っ張ってきて幸福の無限増大という考えの持つ神学的意味は何ぞやとかする類の元長ゲー(って元長ゲーも僕はそうじゃないとは思いますが)ではなくて、
そもそも作品自体の内容やその出来のレベルが「幸福の無限増大」なんぞを感じるものでもなく、「明日はもっと幸せになろうね!}とか漠然におもいながらも、でも結局はいつもとあまり変わらないイチャイチャを繰り返す物語じゃないですか。
だから「幸せのイブ」はつねにその「イブ=前日」に留まるだけで、ぶっちゃけこの物語は決して「幸せ」本体には辿り着かないんだけど、でも、主人公とみゆはどのルートに入ろうが、その幸せのイブのまっただなかで取りあえずは幸せだという、
うーん、見方によっては奇妙に現実的なある種の微かな諦めさえ伴った幸福感が、この作品のいろいろな中途半端な部分にはストンと一致しちゃっているあたり変に座りが良いんですよねコレ。
これが、この考えさせられるようで実は全く考えないでそのよく解らぬケドなんとなくハッピーな世界観を体験するのが一番正解なような、WHITESOFTの作品であると言うことだけは間違いはないと思いますが。
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☆エロシーンについて。
本来なら、作品の構成上、別に「エロしーん」と「シナリオについて」を分ける必要のないとは思いますが、エロクリック数について色々といったほうがよさげだと思ったので、そのために分けてみますと。
まぁ、確かに今回の計測は楽に済みましたよ。いつもの場合は大抵は二時間ぐらいは掛かるんですけど、今回はその半分以下で済みましたからねぇ。このエロクリック計測は、普通の本編のクリック計測は、
計測アプリを立ち上げておいて、あとはクリアまで普通にゲームをやれば良いだけで簡単なのですけど、エロしーんの場合はイチイチ、一つのシーンのたびにメモ&アプリ再起動しなくちゃいけないのでけっこめんどーなんですよね。
本題に入る前に、エロクリック数の一般の人の思い込みを解いておけば、まぁハクオロクラスの逸材やトノイケゲー並の無限エロテキストは例外だとしても、エロしーんのクリック数ってここ2~3年で言えば、ゲームごとに大差ないですよ。
僕は抜きゲ方面にはわりと疎いのですけど、オタ友人に抜きゲ専門のエロゲオタクがいまして、彼の家に行くと一緒にチンキエロビデオを見るような感じで、いろいろな抜きゲを見たり、エロクリック数を測らせてもらったりするのですけど、
だいたいのところ200から500ぐらいがメインで、これは萌えゲにおける平均エロクリック数の200から400の範囲と大して変わりません。無論、個々の作品や特定のシーンによって特別に数字が跳ね上がったりしますが、平均で言えば大して変わりません。
それに、当然のことながら「エロクリック数の多さ=エロさ」が成り立つわけでもない。ここらへんは、ある種の性癖が関係してくるでしょうし、そりゃ確かにハクオロテキストで抜ける人は希少種なのは認めますけれども、
先ほどの平均エロクリック数のような「ある程度の尺」が用意されている限り、それが単純に増えたところでエロ度みたいなものが上がるわけはない。むろん、尺が伸びることによってエロテキストの内容が替わり、それがエロ度アップに~、
みたいなことは言えるかもしれませんけど、それは逆のことも言える可能性はあるのですから、どちらにせよそれは「エロテキストの内容」を問えば良いだけの話であり、「尺が長いから云々」というのは決定的な説明にはなりません。
んなこといったら、「アトリエかぐやの作品」よりも「八月」のほうがエロテキストが長い時だってあるのですからね。だからといって、八月の方が絶対的にエロイ、と主張する人間は稀で、未だに尺がどーこー言う議論がたまに出るのは、
「エロイッカイダケ」の純愛ゲーが支配していた昔のエロゲ時代が忘れられないのか、それとも、それでも未だに三ヶ月に一本ぐらいの割合で出るハクオロエロテキストゲーが、相対的に目立ってしまうからではないでしょうか。
さて、本題に入ると、この作品は「ハクオロ級」とまではいわないでも、少なくとも今の萌えゲに比べたら「回数を考慮した上」でも少なめで、じゃあこれを何と名付けたらいいのかと考えると、
うーん、昔のF&Cゲーで「今回はエロしーん満載ですよ!」と釣られて買ってみたら、確かにエロCGもエロシーンも多いんだけど、なんか尺が短くてエロCGの無駄遣いだよなぁって記憶をなんとなく思い出し、
よし「シャチ級エロテキスト」または「背景級エロテキスト」と名付けよう!と考えついたは良いけれど、元ネタがわかる人はもはやエロゲ業界を卒業してそうなんでこのあたりで止めておきます。
懐古ネタのコートに火をつけて本題に戻ると、とはいえ、この作品はF&Cゲーよりも随分とエロの印象は良いし、最初は足りないなぁとは思うことは事実ですけど、そのうちわりとこなれてくるところはある。
一つは、この作品のエロテキストが、基本的には日常テキストと大して変わらない主人公とヒロインの台詞に限定されているところ。エロテキストの尺が短いのは、要するにエロテキストから地の分を殆ど排除しているからなんですね。
ここらへんがいかにも「エロテキスト単体でエロしーんのエロ度を語る人」にはウケが悪そうなところですし、まぁ僕としても、日常テキストとエロテキストのブレンドが絶妙なさいろー氏とか、
最近は(こんな評価をするのは僕ぐらいでしょうが)調子が悪いように見える八月の榊原氏に比べたら、このエロテキストは「あまりよろしくない」とはいえるレベルだとは思いますが、
ただし、作品全体の中でおいてみると「わりと良い感じに見えてしまう」という意味では、失敗していないエロテキストだとはおもいます。
どういうことかというと、シナリオについてのところで語ったように、この作品のテイストは最初から小学生テイストに全てが染まっているわけで、そんな雰囲気の中のエロテキストにおいて、
普通のエロゲと同じわりとありきたりな地の文をいれたところで、余程うまくやらない限り、単なる埋め草以上の存在にはなりえないでしょう。ですから、基本的には主人公とみゆが、
「みゆのおまんこ気持ちいいよ!」とか「トンちゃん。きてぇきてぇ」とらめぇ口調の台詞を応酬していればいいわけで、そうした頭の悪い甘え雰囲気はそれなりに醸し出しているエロテキストといえます。
次に、エロしーんの並びにもわりと注目した方が良くて、まぁエロクリック数自体にはそんなに変化はないのですけど、告白(失敗)数が増えるにつれて、みゆとのエッチの内容が少しずつ濃くなっていき、
エロボイスの方も徐々にではありますが、下品にならない程度に淫語が増えるということもおさえたほうが良い。要は、エロテキストの長さは変わらないけど、CGやシチュの内容やエロボイスはだんだんエロくなっていき、
エロテキストの構成はエロボイスメインになっているので、尺の長さはあまり気にならずに、どんどんいやらしくなっていくみゆたんをそれなりに満喫できるということです。
あと、エロしーんのクリック数も、別に狙っているわけではないのでしょうけど、わりと短いエロしーんがあった後の次に来るのは、それよりも二倍近いものが来たりすることが多いので、
「おっ、今度のエロしーんはわりと長くて使えるぞ!」と相対的に感じるというのも見逃せません。むろん、絶対的な基準で言えば、この作品のエロテキストは短めなのですが、べつだん僕らは「絶対的な長さ」を求めているわけでもなく、
要はその作品のなかで「今度のエロしーんはわりと長くてオナニー出来そうだ」と感じればそれでOKなのですから、一番小さい「30」クリックの数字だけに注目するのは、原発のコストが一番安い可能性だけに注目して、
再生可能エネルギーのコストが一番高い可能性だけに注目して「現実的な選択しては原発しかあり得ない」とやらかすコントと似たような面白さがありましょう。ま、大抵「数字」を客観的指標として御輿に持ち出す輩はこのタイプですけど。
この作品の場合、一つの一つのシーンがエロイというよりも、作品全体を通じてのヌル湯エロ度を楽しむところがおおく、、一つの一つのシーンについてアレコレ言うのは、やや難しいのですけれど、
大雑把なエロ印象で言えば、やっぱりむっちの半脱ぎエロCGはいいよなぁってところでしょうか。特に制服姿でエッチする機会が多く、普通はちょっと飽きそうな感じがするのでしょうけど、
むっち特有の清楚さがしなやかに伝わってくるスマートな体付きと、ヒロインのややロリ風味の表情が相まって、同じ制服の衣裳でも毎回新鮮な思春期のセックスを脳内体験できますた。
ただ、反面、突っ込んでいるときのエロ表情はわりと単調で、まぁこれはどの絵描きさんも、ある程度は似たようなものになってしまうのは仕方がないんですけど、なんか突っ込む一歩前の着エロCGばっかで抜いちゃったなと。
もちろん、そっち方面の「コスプレ」エロシーンで、むっち絵と佐藤雫嬢の「ぶりっこ」演技が嵌りまくるのは言うまでもないことで、ブルマ姿のみゆや、メイド服、ナース服のなりきりコスプレエッチは、
尺が他のエロしーんと比べてわりと長いこともあり、むっち絵もしくは佐藤雫ファンにとっては「それだけ目当てに勝手も人生に悔いはない」といえるエロさだとは思います。
あー、あと、サブヒロインのエッチについて、完全に言い忘れてましたねぇ。実際にエッチできるのは、殆どみゆとの3Pとか昏睡レイプとか、あとは妄想のシーンが何個かあるだけで、
「ぜんぜんそのヒロインのことを好きじゃない主人公が、その子をオナホ替わりに使ってしまう鬼畜シーンが大好き!」みたいな、相当ねじりんぼうな性癖を持っている人にはお奨めします。
まぁ、僕も僕もで、メインヒロインに告白しているのに、他のヒロインが主人公をレイプしちゃうような「寝取られ」ならぬ「M(マゾ)られ」は案外いいかもなぁと思ってしまった時点で同罪ですけどね。
僕の場合、ヒロインを他の男に寝取られたところで、彼女の存在が「普通の三次元女性」と同じになるだけで、怒りも興奮すらも沸かずにただただ醒めるばかりなのでありますが(卑怯者だなぁ)
ヒロインに自分が寝取られるのは、自分の存在が「普通の三次元男性」になって、自分のクズっぷりに悪酔いするような感じが露悪的でええ感じだと思いました。そのくせ本命のみゆはきちんとキープしているあたりもう最高ですね。