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エストさんの西暦2236年の長文感想

ユーザー
エスト
ゲーム
西暦2236年
ブランド
Chloro
得点
88
参照数
582

一言コメント

世界の意味は、世界の外側に存在していなければならない。世界のうちでは、一切はあるがままにあり、起こるがままに起こる。世界のうちには、いかなる価値も存在しない(ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン『論考』6.4.1)

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

○感想(ネタバレ小)

評価やHPから学術的方面より考察を加えないと内容が理解できないような、読了に体力を使う小難しい作品だと思い込み結構な時間積んでいたのですが、この作品の事を私は誤解していたようです。確かに精緻なSF設定などの書き方が小難しい感があり、人を選ぶ作品ではあると思います。しかしこの作品の伝えたいメッセージについてはSF設定や思考のための事例、動画演出等が相まって視覚的・感覚的に突き刺ささり、痛々しく思うほどストレートに表現されていました。

一言感想に思いっきり哲学ぶち込んでおいてなんなのですが、この作品を楽しむのに哲学知識などはそれほど要らないのではないかと思います。例えば冒頭一言感想の「世界の全てには意味がない」というヴィトの議論ですが、なぜこのような結論になるのかについてこの作品は哲学的な考察を一切加えていません。「アリスがそのように世界を作ったから」「現実はアーカイブの再現だから」とSF設定から断言しています。また、複雑な議論を行う際には適宜事例を挿入し視覚的に「感じる」事を重視していたと思います。これらが議論を非常に分かりやすくしており、プレイヤーに思索を促す事に大きく貢献していたのかなと。プレイ時間の短さ故か感動の涙は流しませんでしたが、製作者からの痛烈なメッセージは十分心に刺さるものであり、哲学ゲー・SFゲーとして非常に完成度の高い一作だったと思います。「私をフカンするノベルゲーム」、凄かったです。


○西暦2236年が伝えたかった事を想像してみる(ネタバレ大)

「人間という存在の愚かさを自覚せよ」
このことを伝えたかったんじゃないかなと。

Ⅰ.
出発点として、この物語はC.S教授が語るように「世界には本来的に意味や意義が存在しない、それらは人が与えるものでしかない」という考え方(『論考』6.4.1)を前提にしています。そして人間がそういった意味や意義を理解するためには、一度情報をフォーマット(言語化)しなければならない訳ですが、この過程で人間は自分の好き勝手に意味を与えてしまいます。作中だと…

①ヨツバのピアニストになるという「夢」について。「ピアノが好きだ」という事実に、両親からの期待や師匠からの期待、努力を無駄にする事への恐怖から、ヨツバは「自分はピアニストになるという夢を持っている」と意味を与えてしまいます。そしてシライシとの演奏会の中で勝手に期待した「夢」と現実との落差に挫折するのです。
②ヒメ√もこれと同じで、「ヒメ先輩」という言葉に理想的な先輩像を意味づけていたヨツバは狂ったヒメに失望、殴る蹴ると暴れます。
③またヨツバとハルとの「恋愛」過程について。自身の恋への憧れや自己承認欲求といった見たくない事実を隠し、「ハルという人間に恋をした」のだとヨツバは意味を与えます。さらに言えばハルとヨツバに恋愛関係が成立した事で、ヨツバの思う100%完璧な「恋愛」関係がハルとの間にはあるのだと思い込み、現実との落差に失望したりしています。「好きという事実」と「恋愛」は違うものなのです。

このように事実そのものと意味づけのズレは「期待」を生み出し、それが挫折や失望に繋がっていってしまいます。

Ⅱ.
では生きていく中でこれらの挫折や失望を味わないようにするにはどうすれば良いのか、という疑問に一応の答えが出てくるのが1週目ハル√。ヨツバは自分の見たくない、汚く惨めな自分自身を見つめ直して肯定してあげることでハルとのハッピーエンドを迎える事が出来ました。すなわち、「偏見を交えず自分自身を正しく俯瞰し理解すること」によって、身勝手な期待と失望から解放され十全に生きる事が出来るのです。ここでめでたしめでたしと終わっても良さそうなものですが…

Ⅲ.
その答えにはヒメ√で疑念が突きつけられます。アカシックフォーンを通し、自分と世界についてこれでもかと言うほど正しく俯瞰し理解する事が出来たヒメは狂ってしまいます。この段階だとヒメが狂った理由はなんとなくしか分かりませんが、TRUE√を読む限りヒメは人間に絶望してしまったのでしょう。「私」をこれでもかと解体・分析した先には「夢」や「希望」、「幸福」といった生きる意味が存在せず、ただただ無価値な「私」という存在があっただけでした。そこには「私」が存在する理由がなかったのです。
展開が唐突に思えましたが、世界に美(神=アリス)を感じる事で、ヒメは「私」という存在を肯定しこの√は終わります。世界に神秘的存在としての美を感じる事で、世界と表裏一体の関係にある「私」を肯定するのです(ヴィトゲンシュタイン曰く世界と私は同一のもの、この辺は哲学要素かなり強め)。なぜ価値観が転換したのか正確なところは分かりませんが、ハサミにより血を流す事で死と対比される己の生を実感したという事なのかもしれません。鼻血を流すヒメの描写なんかもこれをほのめかしている気がします。この辺のテーマ(美と神と幸福の関係)はサクラノ詩や素晴らしき日々がメインテーマにしているのでそっちをやると分かりやすいかも。

IV.
TRUE√ではヒメ√でヒメが味わった絶望をヨツバが味わう事になります。自身を正しく俯瞰出来ていなかったためにヨツバとハルの恋愛関係はどうやっても上手くいきません。ヨツバとハルの恋愛関係は「四角い三角」の成り立ちえない関係でした。どうにか上手くいく宇宙があるはずだと世界を俯瞰した先に広がっていたのは不条理な現実だけ。夢や希望のない絶望的な世界だけでした。世界と世界そのものである「私」を正しく俯瞰し絶望したヨツバに、C.S教授は「人間という存在の愚かさ」を語ります。

「ヒトは無知に作られたんです」
「だけど、彼らは本当に無知ですからそんなことさえも知らずに、知ることを欲しました」
「彼女(アリス)が守ろうとしたのも夢とか愛とか、そういうものだったのかもしれないです」
「ヒトが想像すること、夢を見ることをやめたとき、ヒトはヒトである意味を失います」

人間は幸せに生きるために「私と世界」を理解しようとする。しかし人間が「私と世界」を完全に理解した先には絶望がある。人間はこんなにも愚かな存在だ。身も蓋もない結論ではありますが、それを認めてからこそ始まるものがあるという事でしょう。この2つの事実を認めてようやく「私」を「フカン」出来たという事なのかもしれません。ここで正しく「私」をフカンしたヨツバは己の人生を受け入れ、ハルに別れを告げたのでした。

自分を正しく見つめなおす事はやはり必要ですが、「夢」や「希望」「幸福」といった「語りえぬもの」を語りつくしてはいけない。フォーマットしてはいけないのです。こういった「生にまつわる問題」はただ示されるままに、「神秘」とされなくてはならない。そうでなくては私達はそこに価値を見出せません。ヨツバやヒメのように絶望してしまいます。

V.
かくして、ヴィトゲンシュタイン哲学を題材にしたこのノベルゲームの最後を飾るのはやはりあの言葉が相応しいのでしょう。

「語りえないものについては、沈黙しなければならない」(『論考』7)

○ちょっと追記
各キャラの名前の由来になっている花の花言葉について

ハル・シオン
 ハルジョオン…「追想の愛」
ヒメ・シオン
 ヒメジョオン…「素朴で清楚」
ヨツバ
 四葉のクローバー…「真実の愛」「幸福」「復讐」

かなり思わせぶりなものが多かったので追記してみました。
ハルは実はヨツバのことが好きだったのか?と救いが感じられたり、ヒメ先輩のイメージだったり、「復讐」という言葉から連想されるヨツバの人間性、「真実の愛」という言葉からはこの物語への皮肉を感じ取れたりと色々考えてみると楽しいかもです。特に「幸福」についてはヴィトゲンシュタインとの関係で色々考えられますね。この物語の結末時点でのヨツバはヴィトに言わせれば確かに「幸福」だったのかも。