期待を超えてくると思ったが、そんなことはなかった。むしろシナリオのみに注目すれば、どこにでもあるような出来に仕上がっている
感想と個人的な楽しみは分けていると考えて欲しい。
ルイかっこいいとか、満琉かわいいとか、自分だって思わないわけではない。
キャラクターが違和感なく動き、シナリオが矛盾なく展開しているかという管理的な見方をやめてしまえばいいのだろうが、
あいにく批評アタマの自分はそこまで素直になれない。
個人的には終わってよかったと思うが、ほとんど満足できる内容じゃなかった。
そのことを以下に延々と書き連ねたのが今回の感想。
【※ラストシーンのネタバレがあります】
まず驚いたのが、一体何を意図したんだろう?という詰め込みすぎなシナリオ展開だ。
次に驚いたのが、こんなの全然レイラインじゃない!という悪い意味での超展開だ。
時計仕掛けのレイラインは1作目・2作目と、良い意味でエロゲっぽくないのが強みだったと思う。
>一体何を意図したんだろう?という詰め込みすぎなシナリオ展開
これについては、未消化の伏線と過去作の遺品(ミスト)、今回新たに追加された伏線と遺品とで飽和状態にあると言える。
特に重要なヤヌスの鍵、コルウス・アルブスは健在だし、ホムンクルス対策用にピスキー・カプレット、
敵の武器としてサーペント、ちょい役としてハイタースプライトとシュトルム・カッツェ、舞台だけで言えばモルフェウスの石も登場する。
朝霧からはアンブリエル、パンドラ、ヤタ、ラブリュスなど新たな伏線になる遺品が登場。
また、謎の少女やヴァインベルガー本家からの刺客、20年前の真相の解読作業、魂の上書き、時を操る魔女、
新たな魔法陣の登場と異空間の破壊、迫る復活の儀式、加えて各キャラの視点変更・・・と展開が二転三転する。
これだけならまぁ、伏線としては間違ってないし、2作目までの内容を忘れていれば復習になる。
だが、どうしてここから「世界観にそぐわないペットボトルロケット」を作ったり、
「1作目に登場した火を吐く怪物に消火器で立ち向かう」なんて展開が出てくるのか、全くといって意味が分からない。
しかも、ペットボトルロケットを作る理由がひどすぎる。
異空間の上空に歯車が浮かんでいて、そこに設置された投影機が空中に新たな魔法陣を写し出してしまう。
だからそこにセットされている魔法陣の紋様が描かれた円盤に、ペットボトルロケットを飛ばして光を遮ることで魔法陣を壊す・・・?
↑
ルイが復活するまでの時間稼ぎという解釈ができなくもないが、読んでいる側の気が抜けるような展開は避けるべきだと思う。
火を吐く魔物は、三厳の火事のトラウマを呼び起こすためか?
だが、それまでの盛り上がりを殺してまでやることだろうか?
ただでさえデザインのダサい怪物なのに、まさか最終作で再利用するとは予想外だった。
考えうる全ての可能性を検証することで丁寧な話運びをし、その点が高く評価されているだろうレイラインシリーズ。
今作でも可能性を一つ一つ潰すライターの姿勢は評価できるが、ここまでテンポを損ねるなら描写の取捨選択ができていない。
また、同じものを何度も登場させる事でシナリオを分かりやすくするのも今作はやりすぎだ。
ただでさえ3作目まで結論を先送りにしたのだから、丁寧さにこだわるのではなく話を面白くすることに集中した方がよかったのではないだろうか。
>こんなの全然レイラインじゃない!という悪い意味でエロゲっぽい超展開
正直な気持ちを言えば、よくこんな設定で3作も続けられたなと。
馬鹿にしているのではなく、限られた素材を有効活用する熟練の技に感心した。
「魔術は人間なら誰でも持っている」や「魔法陣は反転させれば効果が逆になる」など、
魔術に関する設定は全て理屈で説明できるものばかりだ。
普通のファンタジーならもう少し独自さに走るところだが、根幹の設定に関してはほぼ原石同然と言っていい。
詰まるところ、今回はそれが裏目に出た節がある。
上記で述べた魔術に関する現実的な説明は、今作においては出来が怪しい箇所がある。
自分が覚えているのは、投影した魔法陣が空中に焼きついてしまうという謎現象や、時の空間の定員をオーバーする場面があるなど。
そもそも3作目のテーマである「魂に情報を上書きすれば誰でも魔女になれる」という部分から引っかかりを感じるのだが、
1作目のラズリット・ブロットストーンのエコロジーさにツッコんじゃいけなそうなのでそこはスルーした。
要するに、曖昧な魔術の設定を理屈をつけて説明できたのは2作目までで、3作目は制作側の都合で破綻している箇所が一部ある。
細かい設定などなく印象で決めてしまった感が拭えない。
自分の勘違いだったら悪いが、封印の札の効力が3日だけという設定はいつから出たのだろうか?
過去作の遺品を登場させるために後出ししたとしか思えない。
さらに続く。ラスボスの小物感についてはあまり触れないでおく。
寂しすぎて自分は何をしたいのか忘れました、は悲劇として弱い。
しかも射場に自分がホムンクルスだと伝えてるが大丈夫なのか?
友情の演出としては安っぽい。
妹についても、魔女による魂の上書きは確かに不幸だが、シナリオの見せ方・伝え方が今一つに感じた。
最後に、この長文で一番のネタバレを。
なんとこの作品、結末はループネタなのだ。
個人研究だが、ループ描写を入れる作品はある決まりを守らなければならない。
それは、読み手がシナリオとして読む部分は必ず2回目以降の世界であること。
プレイヤーはシナリオを1回目の世界だと認識して読んでいるが、ループ描写が入る場合それは成り立たない。
なぜなら、n回目の世界には(n-1)回目の世界の人がいるという数式が成り立つため、n=1ならループで来る人がいなくなる。
RPGなどで、ラスボスを倒した後にタイムトンネルを使って時間を遡り、そこで過去の主人公達の手助けをする描写がある。
これは特定の条件を満たすとアウトになるが、それを理解せずに書くシナリオライターが少なくない。
それはループで来た人間が、ラスボスを倒す・世界を救うなどの「その世界の物語を一度完結させる」ためのアイテムを渡したりきっかけを作ることだ。
どういう事かというと、n=1の世界ではループで来る人がいないと説明したように、ループの助けなしで物語を完結させなければならない。
つまり、ループで来た人間が渡さないとラスボスに勝てない必須アイテムがあったりすると、n=1の世界の冒険者は詰むのだ。
そうなるとn=2以降の世界ではループが発生せず、ループ描写が成立しないことになる。
話が脱線してしまった。
これを時計仕掛けのレイラインに当てはめると、3部作合わせて2回目以降の世界だったという解釈が成り立つ。
レイラインは上記の特定の条件を満たしておらず、ループに関してはセーフ。
しかし、吉田そあらと烏丸小太郎の関係が懸念材料だ。
n=1の世界では烏丸が吉田の父ではないことになるので、吉田そあらという人間はいなかったか、多少違う人間だったことになる。
仮に吉田そあらが結末で重要な手がかりを与える人物だった場合、この時計仕掛けのレイラインという3部作の全てが水泡に帰していた。
既にシナリオがコケてることは説明したが、まさかあのレイラインが月並のループなんぞに頼り、
3部作丸ごと大ゴケする事態にならないかとヒヤヒヤしたのは自分ぐらいだろう。
ここまで読んで理解できたなら分かってもらえると思うが、シナリオというのは楽しんで評価できるものではない。
自分の頭の中だけで考えて、考えて、考え抜いたことを押し付けるようで申し訳ないが、
こういう側面から否定されうることを知ってもらいたかった。
どこからどこまでが遊びなのか。
もしかして自分がやっているのはただの一人遊びかもしれない。
趣味としては情けないかもしれない。
誰にも分かってもらえないかもしれない。
だが、自分の心だけは信じたい。
自分が感じたこと、考えたことを正しいと主張したい。
それが「批評」なのではないか?
・・・冷静さを欠いて申し訳ない。
最近ここのサイトとの採点の折り合いが悪すぎて、少々ストレスが溜まっていた。
別にレイラインがクソだとか言いたいわけではない。
憂緒の猫撫で声と三厳の好きだよ連発はクソだが、リトのシナリオは意外と良かった。
憂緒は2作目からステレオタイプのツンデレになって反応がワンパターンすぎてクソだし、
こんな脳内お花畑なエロシーンで喜ぶの童貞ぐらいだろって思った。
下手したら童貞すら喜ばない。
こんなんでエロゲメーカーとか、舐めてる。
クソクソ人間でごめんなさい。