【ニコ生・ネタバレイラインを聞いて伏線について追記(2015年3月6日)】三作通してプレイしてみれば、ボリュームとしても長編クラスであり、とても質の高いエンターテインメント作品だと思った。特にこの三作目は、シナリオ上あまり意味のない分岐やコミカルシーンが少なく、二作目の流れを汲んで序盤の方からシリアスに展開するので物語に入り込みやすい。やや複雑な設定も、形を変え何度も噛み砕いて丁寧に説明されるので、非常に分かりやすい。ラストも盛り上がるべき所は十分盛り上がる一方、無駄な引き伸ばしがなく余韻を残す終わり方になっているので、読後感も良い。少なくとも、このシリーズを一作目から面白いと思えた人には、満足のいく最終作になるでしょう。
さすがに最終作となるとネタバレ無しでは語りようがないので、ネタバレ全開の感想になっています。未プレイ者向けに書いた内容は一切ありません。そして、付けた点数が示す通り、レイラインシリーズを非常に気に入ってしまった人の感想です。
また、クリア直後のテンションで感情の赴くままに書いているので、筋が通らない部分等いろいろあるかもしれません。その辺はご容赦願います。
【追記】2015年3月4日のニコニコ生放送、「時計仕掛けのネタバレイライン――喋って良い事の境界線――」には伏線に関する暴露話があり、普通にプレイするだけでは気が付かないようなネタまで含んだ興味深い内容でした。これについて、ゲーム内で確認しながら自分用にまとめてみたのですが、せっかく複数投票をいただいた訳ですし、この感想の最後にも載せておきます。再プレイする際の参考などにどうぞ。
●全体的な印象など
プレイ中はシナリオのちょっとした疑問とか、ご都合主義的な部分とか、突っ込みたい所も全くない訳ではなかったけれど、最後までやってみるとそんな気は一切失せてしまった。それは、クリア直後の余韻を消したくないという思いがあるのも確かなのだけれども、一番の思いは、そもそもこの作品自体シナリオゲーとしてあれやこれやと細かく批判的にとらえていくべき作品ではないということ。ただ素直に、考え過ぎず、気楽にこの作品世界の雰囲気を楽しむことができれば、それで良いのだと思う。こうした思いは二作目時点で既に持っていたのだが、三作目をプレイしてより強くなった。もっとも、シナリオが面白かったからこそこんな高得点を付けたのだし、批評空間での中央値も80点台中盤と高めに落ち着きそうなのは間違いなくシナリオのおかげなので、シナリオゲーじゃないなんて言うのは語弊があるだろう。けれども、シナリオそのものに突出した何かがあるかというと、そこまで言う程のものはなかったように思う。
泣きゲーでも、燃えゲーでもない。
特別巧みな心理描写がある訳でも、深く心を抉るような展開がある訳でもない。
何かしらの高度な専門知識と結びついた話でも、哲学的示唆に富んだ話でもない。
現実社会を生きる我々にも通じるメッセージ性がある訳でも、心の琴線に触れる名台詞がある訳でもない…。
このように書くと、あのシーン、あの展開はどうなんだ等と突っ込まれるかもしれない。確かに感動的なシーンも盛り上がるシーンもある。特に二作目終盤の怒涛の伏線回収からおまるが消滅し、睦月が現れるまでの流れには引き込まれたし、驚きもした。ただ、衝撃的なシナリオ展開というと同等以上の作品は多く存在するし、今作が全体として何か強いインパクトを与えることを目指した作品かといえば、そうではないと思う。
批評空間における三作目・朝霧の感想を見ると、シナリオを評価しつつも、二作目終盤がピークだったとか、二作目程の衝撃はなかったとか、もっとインパクトの強い展開を期待していたと思われるコメントが目立つ。しかし、自分の感覚からすると、今作は最初からそういうものに過度に期待する作品ではなかったのだ。二作目終盤の展開もあくまで三作目へのつなぎ、要素の一つであって、それだけで最後まで引っ張っていくようなものではなかった。最初から三部作構想があったと思われるこのレイラインシリーズにおいて、三作目がこのような形になったのは必然だったのだろう。
それに、三作目にだって十分驚きの展開はあった。日記の欠片のミスリード、不自然な言動を見せる黒谷の正体、最後まで隠されていた主人公・久我三厳と、その妹・満琉の真実…
特に、黒谷の正体には完全に引っ掛けられた。黒谷はEpisodeⅠにて「シュトルム・カッツェ」を暴走させたことで、遺品のことを知ってしまう。いくら反省した様子を見せていたとしても、元々好奇心旺盛で人騒がせな彼女が、学園の謎に更なる興味を持って首を突っ込もうとするのは十分考えられることである。そのため、彼女が素直に帰省せず、学校に戻り主人公サイドに加わろうとすることには、大した違和感を覚えることなく納得してしまった。それでも、今までほとんどなかった、三厳に気があるような言動を度々見せることには不自然さを感じていたが、後の修羅場へのフラグか?あるいは暗示とは別の方法で敵側とつながっているのか?というぐらいにしか考えていなかった。地図を落として結果として敵を呼び込んだことに対しても、ここで悪印象を与えておいて、最後に活躍させて持ち上げるのかな、という風に思ってしまっていた。
このように、衝撃的な展開に特別期待していた訳ではない自分は、三作目だって十分驚くことができたし、そこに不満を持つことはなかった。二作目の方が強いインパクトがあったのは確かだろうが、二作目と三作目は役割が違うのであって、二作目の方が良い出来だった、なんてことは思わない。三作目は20年前の事件の真相を追い求め、夜の世界の復活を止めるために、物語は序盤からシリアスに展開する。選択肢も少なく個別ルートもないので、シナリオに集中しやすい作りになっていた。選択肢や個別ルートにおける遊び心は、二作目までで十分だということなのだろう。その分Another Storyが充実していたので、文句はない。
それではこのレイラインシリーズは何が魅力的なのかいうと、あらゆる面での完成度の高さや、個性の強いキャラクターたちの醸し出す雰囲気の良さなのだと思う。
特にその完成度の高さを際立たせているのは、伏線の張り、そして回収の見事さである。不自然なやり方や、勢いでごまかしたように感じた部分がない。正直なところ、今作よりもシナリオが面白いと感じ、のめり込むようにプレイした作品は他にもいくつかあるが、ここまで綺麗に、細かく伏線を回収した作品にはなかなか出会えなかった。それができたのも、一作目の段階でほとんどの設定が出来上がっていたからでしょう。この感想を書いているのは一周クリアしただけの時点なので、まだ把握できていない伏線も多くあるはず。伏線を調べるためにも、いずれもう一周したいと思う。
伏線に関しては、設定資料集を読むだけでもいろいろと面白い。例えば、二作目の学園長ルートで最後に三厳が思い出した夏祭りの記憶が、実はアンデルのものだったということにはハッとさせられた。プレイ当時から多少気になってはいたが、ああいうのはただの勘違い、学園長に迫られたことによる記憶のねつ造と流されてもおかしくない程度のものだったので、細やかさを感じた。
また、学園長がなぜかチェコ語を使うことにも由来があった訳である。ラズリットが引き取りに来た際に使用人に「ディーチェ」と呼ばれていたアンデルは、おそらくチェコ由来の人間なのだろう。Angelを「アンデル」と読むのもチェコ語だし、「赤ちゃん」を意味する「ディーチェ」や「7」の序数を意味する「セドミー」もチェコ語である。そうすると、この系譜を継ぐ学園長がチェコ語を使ったとしても、全く不自然ではない。
さらに、憂緒がラズリットの遺品を使って過去に戻った際、黒谷にあまりにうまく擬態していたために、ネタ晴らしされた後も、憂緒ってそんなに演技が上手そうなキャラじゃないんだけどなあ、という違和感もなくはなかった。しかし、よく思い起こしてみれば、二作目には憂緒が学園長の完璧な物真似を披露し、周りを唖然とさせたシーンがあった。後になってから思えば、これは伏線だったのではないだろうか。さすがにこれは考え過ぎと言われるかもしれないが、最初から三作目にああいうネタを入れるつもりで、二作目の段階で「憂緒は実は他人の物真似が上手い」という裏設定を出しておいた可能性を、完全に否定することはできない。
【追記】これに関してニコ生で質問してみたら、返答をもらうことができた。やはり当初から伏線として拾おうと思っていたものらしい。声優さんの演技が予想以上に上手かったことには驚いたけれども、すごく似ているとシナリオに最初から書かれていたそうだ。あの物真似はかなり印象に残っていたし、あれが伏線だったのか、と気付いた時は自分の中でも軽く衝撃が走ったのを思い出す。そのため、実はそこまで考えていなかった、単なるネタだった、なんて言われたらショックだったと思うので良かった。
…このように、伏線の感想を一つずつ語って行けばキリがないので、この辺にしておきます。
●シナリオについて
三作目では、レイラインシリーズの真の黒幕が、今まで夜の世界の一般生徒として出ていた七番雛であったことが明らかにされる。これは一瞬突飛な設定に思えるかもしれないが、作品全体を通してみると、実に妥当な答えであったと思う。自分は二作目をクリアした段階で、既存キャラの中から黒幕を選ぶとしたら、遺品を暴走させた描写がなかったキャラとして、昼の世界の住人なら黒谷、夜の世界の住人なら雛か射場さんを漠然と想像していた。ただ、二作目でそあらと友達になったきっかけを話す黒谷を見ると、どうしても普段の人格が偽りだとは思えなかったし、射場さんも普段から特査の活動に協力的であり、姉御肌の良い人っぷりが見えていたので、黒幕だとは考えたくなかった。その中で、雛は最初から最後まで掴みどころのないキャラのままだったし、いつも射場さんにくっついているイメージしかなかった。
そして、伏線となる要素も、ネタばらしの際に出てきた、自分から先に意見を言おうとしない、という特徴だけではなかった。例えば、二作目でホムンクルスを縮小する「ピスキー・カプレットrev.2」から遠ざかろうとしたことや、一作目眠子ルートで「好き、とはどのような感情でしょうか。ヒナにはよくわかりません」と発言したこと。もう一周最初から注意深くプレイすれば、他にも出てくるかもしれない。こうやって見ていくと、雛が黒幕だったことは最初から必然だったと思えてくる。
ただ、その黒幕であった雛も、西寮の生徒の体を乗っ取り、夜の生徒を復活させようとしたことには、決して悪意があった訳ではない。そもそも、この作品には悪意を持った悪役が存在しない。リトのAnother Episodeの最初の方にまとめられているように、この事件の背景となった出来事は、小さなボタンのかけ間違いがいくつも重なった結果の悲劇としか言いようがないのだ。
「災厄の魔女」であったアンデルを引き取り、その強大な力と未熟な精神を危惧してセディと引き離そうとしたクラール・ラズリット
家族を失った友達のために魂を持つホムンクルスであるセディを作り、彼女を愛するあまり学園中の魂を書き換えてしまったアンデル
ラズリットとアンデルの想いを引き継ぎ、異世界に送られた生徒を助けるために試行錯誤する中、アンデルのことも忘れて狂ってしまったセディ
この三人は、悪意を欠片も持っていなかったのである。しかし、その悲劇の中で何とか未来に希望をつなごうとした結果、アンデルの魂は三厳が引き継ぎ、ラズリットの最後の遺品は憂緒の絶体絶命のピンチを救うことになった。これが三作目ラストの小太郎ら夜の生徒の救出に大きく寄与するのだから、実に感慨深い。
こういう決着のつけ方は、実にブロッサム作品らしいなあと思う。過去作品を見ても、悪役らしい悪役はほとんどいない。自分はブロッサム作品の中でも『ALICE♥ぱれーど』だけは未プレイなので、ブランド全作を把握している訳ではないが、あれは単なる萌え抜きゲーらしいので悪役なんていないでしょう。それでもブロッサム作品で明確に悪役だったといえるキャラを挙げるとしたら、念のため作品名は伏せますが、最後にスコップをくれるあのキャラぐらいじゃないだろうか。ただそのキャラも、物語の根幹に関わることはなくもっと強烈なキャラで上書きされ、最後は綺麗にまとめられるので、読後感としては今作と大して変わらない。
このような悪役がいない物語、悪意を持った行動を取るキャラがいない物語というのは、悪役を倒して前に進むというカタルシスに欠ける分、物足りないと感じる人もいるだろう。でも、ブロッサム作品はそれで良いのだと思う。悪役がいないからこそ、キャラ同士の掛け合い、日常シーンに邪心を抱かず素直に楽しむことができるし、ちょっとした心の触れ合いに良いシーンだなあ、と感じ入ることができる。たとえ途中で事件が起こり、人間関係がもつれたとしても、最後は綺麗に解決するなら、全ては良い思い出になる。このように物語を展開しようとするならば、起伏に乏しい平坦な物語になってしまいそうなものだが、このレイラインシリーズは決してそうはなっていないのが素晴らしい。特にホムンクルスという魂を持たないために、憎むに憎めない存在を持ってきたのはうまいと思った。独特な抑揚をつけて話し、何度も高笑いをする学園長は、敵に回ると何度憎たらしいと思ったことか。でも、何を言ってもホムンクルスだから憎んでも仕方ないんだよなあ。
●キャラについて
キャラに関しても、三作目となるといろんな側面が見えてきて興味深いが、一人ひとり語っていたらキリがないので割愛する。けれども、なかなか大人数となってきたキャラたちが、単なるモブキャラ、サブキャラにとどまらず、それぞれ個性を生かし、全体としてうまく動かせていたと思う。
特に、三作目では主人公・三厳の活躍が目立った。三厳は一作目から良主人公ではあったと思うが、他にもっと強い個性や強力な設定を持ったキャラがいたこともあり、際立った活躍をしていたという訳ではなかった。それが、三作目終盤で「災厄の魔女」であることがアンデルによって明らかにされ、その流れで憂緒との関係保留を終わらせるために告白し、自らの力で魔法陣を破壊する。そして流れるBGM『Ley-Line』、『Break the fate』。ここはレイラインシリーズ屈指の名シーンでしょう。二作目ラストのおまる消滅シーンと双璧をなすシーンだと思う。恋愛においても、三厳は他ヒロインとの関係では基本的に受け身であり、先に恋愛感情を持ったヒロインに迫られてから決断するというパターンだったが、憂緒に対しては自分から告白して攻略しにかかったことはポイントが高い。After Episodeでプロポーズする所まで見ると、FDをプレイしたかのような満足感があった。
その憂緒も、一作目では他人を寄せ付けず、三厳へも無関心な態度を取っていたが、一作目終盤で信頼関係に変わり、二作目では無自覚にも恋愛感情を見せ始め、他ヒロインにヤキモチを焼くようになる。そして、三作目では完全に恋愛感情を隠せなくなってしまう。ベタといえばベタだし、リアリティがあるといえば、正直言ってほとんどないと思う。けれども、これ程まで長期にわたる主人公とヒロインの関係が、少しずつ、着実に進んでいく様子を描いた作品は今までプレイしたことがなかったということもあり、見ていて非常に楽しかった。
その他にも、教室でいつも一人黙っていた雛に声を掛けて友達になり、雛がホムンクルスであることを知っても何も態度を変えなかった射場さんは本当に良い人だなあと思った。上にも書いたけれども、こういう何気ない会話で心を通わせるシーンって良いよねえ。20年の間で狂ってしまった雛だけど、射場さんの存在には心が救われたことでしょう。だからこそ、計画の実行により強い意志を持ってしまったのだけども。
●音や演出について
三作目のOPムービーは、初めて流れた時衝撃を受けた。それは、他作品と比べて特別演出に凝っていたから、という訳ではない。一作目、二作目のCGも使われていたことでこれまでの時間の経過を否応なしに感じさせられたし、長さもシリーズ最長で、それを踏まえたクライマックスへの期待感を高める作りになっていた。そして、何より曲が、最終作らしい盛り上がりと、終わってしまうことへの寂しさを感じさせるものであり、とても作品に合っていたと思う。自分はLimited Trilogy Boxで買って三作一気にプレイしたために、二作目終盤の展開もあまり噛み締めることなく三作目に向かってしまっていた。しかし、このOPを見ることで、おまるがいなくなってしまったこと、このシリーズ自体終わりに差し掛かっていることが、実感を伴い胸に迫ってきた。
キャラの声もなかなか良いキャスティングだったと思う。特に学園長・九折坂二人役の小倉結衣はあまりにハマリ役である。自分は今まで小倉結衣の演じるキャラに当たったことはあまり多くなかったのだが、『Flyable Heart』の結衣に代表されるような甘い萌え系ヒロインのイメージがあった。しかし、レイラインシリーズにおける学園長あの憎たらしい声を聞くと、こういう役の方が得意なんじゃないかと思ってしまうぐらいだった。この声のおかげもあって、Another Storyでのおしおきは溜飲が下がる思いがした。まあ、夢オチだった訳だが。
また、設定資料集によると、村雲静春役の古河徹人は最初はおまるの候補だったそうだが、あの声でおまるは合わないでしょう。静春で良かったと思う。ただ、古河徹人といえば、ライアーソフトのスチームパンクシリーズで寡黙なイケメンヒーローを演じているイメージがあまりに強いため、静春でも最初は違和感が拭えなかったが、最後までプレイすれば、こういうキャラも悪くないなと思えるようになった。それにしても作中で「静春ちゃん」「ちゃん言うな」のやり取りは全部で何回あったんだろう…。
BGMに関しては、安心の水月陵クオリティと言うほかない。一作目で作品全体のイメージが形作られ、二作目、三作目の追加は少しにとどまるが、追加BGMは印象的な使われ方をされていること多いので、流れるとすぐに気が付いた。特に、二作目に追加された『Die Melodie des Schattens』と、三作目に追加された『Ley-Line』は作品のクライマックスを演出するのに非常に効果的だったと思う。ルイが魔女の力を発動するシーンで流れる『Die Melodie des Schattens』は、ドイツ語の曲名ということもあり、何も知らなければ『Dies irae』のBGMかと錯覚してしまいそうなほど燃える。『Ley-Line』は全三作の主題歌のメロディが散りばめられた贅沢な曲であり、全作を通じた感慨を呼び起こすには最適だった。
●不満点
そんな感じで非常に満足のできる作品だったものの、少しだけ不満を書いておく。それは、三作目からメインキャラに入ってくる、睦月とアーリックの出番の少なさ。睦月は天然キャラのおかげで他キャラと馴染むのも早く、今までのキャラとは違った見せ場があるのかと思ったら、中盤以降は敵に捕まってしまい、ほとんど出番がなかった。三厳との関係にしても、三厳がなかなかむっちゃんと呼ばず、花立呼ばわりだったのは、作品中で信頼関係が生まれ、最後にはむっちゃんと呼べるようになる展開へのフラグだと思っていたので残念。アーリックも、途中で暗示が解け、強力な味方キャラとして逆境を一気に打開するのだろうと期待していたが、大した活躍はなかった。まさに「失態が服着て歩いている状態」だけが目立った残念なキャラだった。
システム面に関しても、Another Storyでセーブができない仕様はいただけない。中でもリトのAnother Episodeと憂緒のAfter Episodeはそこそこの長さがあり、特にリトの方は一時間程度のボリュームがあったと思う。この長さでセーブができないとプレイを中断させにくく、不便である。また、セーブデータにコメントを入れられる機能もいい加減入れて欲しい。現状ではどのEpisodeのセーブデータかすら表示されないので、計画的にセーブしていかないとどこで取ったセーブデータか分からなくなってしまいがちである。
●三部作にしたことの是非
さて、このレイラインシリーズは三分割となって発売された訳だが、このことに対して是非が分かれるのは当然だろう。自分はこれに対しては肯定的に考えている。もちろん、一作、あるいは二作で同じ内容を出すことができればそれに越したことはないが、果たしてそうできたのだろうか。
設定資料集等を見るに、レイラインシリーズは最初から三部作構想だったと思われる。そして、三作の内容は、程度の差はあれ、どれも中盤から終盤にかけて盛り上げていく作りになっている。これを一作や二作で出そうとしたならば、同じように山を持ってくることはできなかったのではないだろうか。もっとも、一作目の山は小さすぎるというのは否定できないので、二作目までの内容を最初から見たかったという思いを持つのは妥当なこととは思う。けれども、無理にそうしようとしたならば、もっと平坦で中だるみの激しい作品になってしまった恐れもあるのではないだろうか。
最初に少し書いたように、自分にとってレイラインシリーズはガチなシナリオゲーではなく、シナリオと同等にキャラゲー、雰囲気ゲーの側面を持つ作品だと考えている。シナリオも十分売りにはなっているが、序盤から目が離せない展開が続くなど、作品全体を引っ張る牽引力はない。三分割にしたからこそ中だるみを最小限に抑え、ここまでクオリティの高い作品に仕上げることができたのではないだろうか。また、『Ley-Line』のような三作すべてを総合する名BGMができたのは、三部作にしたおかげである。
それに、三部作としてとらえると、一作目だって決して出来が悪い訳ではない。一作目ラストで明かされるスケープゴートの真実と、特査メンバーの人間関係の進展は、軽々しく描いて良いものではなかったはずだ。それでも一作目の出来に不満が残るとするならば、言い方は悪いが、そもそもその程度の作品だったと納得するほかあるまい。
ただ、三部作全体では良作なのだから別に分割でもいいじゃないかという意見は、完結した後だからこそ言えることである。特に、二作目発売後、三作目が本当に出るのか分からないまま2年待たせたことは、褒められたものではない。三部作で出すと最初から決まっていたのならば、どの時期にそれぞれの作品を出していくのかしっかり計画を立て、資金調達の目途が立ってから発売することが望ましかった。二作目から2年経ったために内容を覚えていられなかった、という感想もいくらか見かけるが、余程のファンで再プレイをしていない限り忘れるのは当然であり、十分理解できることである。これが評価を下げることにつながったとしたら、残念としか言いようがない。
●点数の付け方について
ここで、レイラインシリーズへの自分の点数の付け方について書く。三作目の点数をどう付けるのか、というのは非常に難しい。なぜなら、クリア直後の感情は三作通してのものであり、決して三作目独自のものではなかったからだ。それでも、できる限り三作目の要素だけで点数を付けるべきだろう。しかし、自分にはどうしてもできなかった。
たとえ分割作品であっても未完であったならば、先への展開を予想しつつも、その作品の要素だけで点数を付けることは比較的容易である。また、未完である以上、いくら好きな作品であっても、極端な高得点は付け辛い。しかし、最終作となると急に難しくなる。
それでも、最終作が過去作と比べて作品の質が大きく上(下)がった、作品の方向性が大きく変わった、ボリュームが明らかに多(少な)くなった等の特徴があれば、その作品だけの評価もしやすいだろう。けれども、このレイラインシリーズの三作目は、二作目までの流れを踏襲し、決して道を踏み外すことなく、一作目の時点で定まっていたとさえ思えるような、至極真っ当なゴール地点に着地していった作品だった。そのために、どうしても三作目の印象が三作全体の印象になってしまう。
という訳で、点数はシリーズ全体のものとさせてもらった。二作目に付けた82点から8点も上げる程三作目の出来が上がったのか、と言われれば微妙かもしれないが、プレイしていて一番感動できたのは、間違いなく三作目だった。これも二作目までの流れがあったからこそではあるが、自分にとっては三作目の点数=三作全体の点数だった、ということで妥協することにした。
●まとめ
気の向くままに感想を書いていたら、4~5000字でまとめるつもりだったのに、それを大幅に超えてしまった。普段からそんなにまともな感想を書いていない自分の中では断トツ一位の字数になったが、それだけいろいろ語りたくなる程魅力的な作品だったということでしょう。そして、三作一気にプレイし、この感想を書いている途中でドラマCDも聞き終わると、もう終わってしまったのか、と大きな喪失感がある。これを補うためにも是非FDを、なんてつい考えてしまうが、レイラインシリーズは『Flyable Heart』とは異なり、シナリオに関してはほぼ何も思い残すことなく綺麗にまとまっている。ネタとしてありそうなのは、本編では掘り下げが足らなかったキャラの人間関係の補足、事件後の特査の日常ぐらいだろうか。無理にFDを出して失敗し、キャラを汚すぐらいなら、新作を出してもらいたいと思うが、果たしてどうだろう。
いずれにせよ、レイラインシリーズはシナリオゲーとして傑作とは言い難いが、伏線を多分に織り込み作り込まれたシナリオに、魅力的なキャラ、世界観、高品質なCG、BGMが重なり合った、とても質の高いエンターテイメント作品だった。こういう作品をプレイしていると、エロゲってやっぱ楽しいなあ、当分はやめられそうにないなあ、と思ってしまう。
このチームの次の作品はどういった路線になるのだろう。今作のようなファンタジー路線を継続するのか、以前のような萌えゲー路線に戻るのか、それとも全く別の方向性に行くのか(抜きゲー路線にだけは行かないで欲しいが)。ただ、どういう路線に行くにしても、これまでの作品が示す通り、一定レベル以上のシナリオがありつつ、魅力的なキャラの雰囲気に癒される作品になるのだろうと期待してしまう。今作が評価されたためにプレッシャーも出てくるかもしれないが、それに押しつぶされないように頑張ってほしい。それでは、長くなりましたが、この辺で終わりにしたいと思います。
●追記 ニコ生で言及された伏線のまとめ
一作目・黄昏時
・三厳が自分の名前を気に入っていないから満琉と呼ばれたくないと最初から頑なに言っていたのは、名前を呼ばれて変な反応をしないための予防線を張っていた結果だった。
・一作目から満琉は妹と決まっていたが、三厳が身代わりに来ていたということもあって、5~6割ぐらいのユーザーが弟だと思っていることを期待しつつ、弟なのか妹なのか分からないように「満琉の兄」という書き方をしていた。
・ED後のシーンで「す、すいません……おれ、なかなかうまくできなくて……」と言うなど、おまるの遺品封印成功シーンが存在しないのは、名前と体が一致していないためにできなかったからである。遺品封印には血を付ける必要があるため、本人の認識では一致していても不可。
二作目・残影
・EpisodeⅡの夢の中で静春と雛が会うシーンにおいて、学園長と百花が料理をしていたが、あれは雛の夢の中の学園長と百花であって、料理をしているというのは、夜の生徒を復活させるための計画を進めていることの暗喩だった。
・おまる女体化シーンは、伏線をギャクシーンに見せかけて隠そうとしたものだった。
・そあら(幼女)とおまるが出会った時に、そあらが「ぱぱ?」と言ったシーンは、親子関係を示す伏線だった。けれども、共通するカラーリングからユーザーに気付かれる恐れがあったため、そあらとおまるが画面上に同時に出ないようにした。さらに、直前の三厳と憂緒に「ぱぱ?」「ままー」と言ってSD絵が出てくるギャクシーンと混ぜることで、伏線であることを隠そうとしたものでもあった。
三作目・朝霧
・三作目で満琉とルイが魔力で時間の経過を遅くしていたということが判明したが、ムービーエフェクトでバックが雪のように流れていたのは、実は時が止まっていないということを示す演出だった。EpisodeⅡで学園長がリトに化けていた時、ハイジの攻撃を避ける際にその演出が出なかったのは、雛は時間を止めることができたからである。
・OPが終わった直後、三厳がうとうとしているシーンは、三厳とアンデルの記憶が重なり合って出てきているというイメージだった。
・EpisodeⅤで憂緒がラズリットのオルゴールの遺品を使って消える瞬間に、「ああ……ああ……今、ようやく分かりました……!何故、気が付かなかったのか……!」と言ったが、これは自分で(黒谷に化けた)自分に嫉妬していたことにようやく気付いたということだった。
・EpisodeⅡで三厳は念ずることで満琉を呼ぶことができたが、EpisodeⅢで静春は念じても呼ぶことができなかった。このシーンはギャグシーンとして目立ってしまったが、三厳と満琉はパスが繋がっていることの伏線でもあった。