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yknk_moiさんのニルハナの長文感想

ユーザー
yknk_moi
ゲーム
ニルハナ
ブランド
ゆにっとちーず
得点
95
参照数
2675

一言コメント

とんでもない悲劇を、しかも自分のせいで負わされたヒロインに対して「そんなことはどうでもいいんだ」って言い切る男が登場します。凄い。凄い。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

ゆにっとちーず最終作と銘打たれたニルハナ。
発売まで長かったですがもともと前作のご主人さまにあのあとがきでは「しばらくサークル活動を休む」とあったし、
開発中「2017年に出ればかなり早い方」と言っていたので
サークル的にはそんなに時間がかかったというわけではなさそう。

・余談
作品と全く関係ない余談ですがすぐに済ませるので書かせてください。
(作品感想だけ読みたい方は・感想 まで飛ばしてください)
自分はゆにっとちーずの信者だという自覚があるのでこの作品で最後になってしまうというのは本気で悲しい。
山野氏が完全に創作活動をやめるわけではないとしてもここまで突き詰めた作風は自サークルだからこそできるのだろうし。

でも、心のどこかで安心してもいる。
この予感はパコられのときからあった。
あれはいろんな要素がかみ合った怪作、名作で、楽しんだ・・・というのもどうかと思うが楽しんで、
その反面「これを作った人はこれまでどんな人生を歩んできたんだろう」という好奇心が沸き起こった。
それはライターの山野氏だけじゃなく、ヒロイン紗倉を演じた桃也みなみ(今谷皆美)にも言えて、あの演技には鬼気迫るものがありすぎて、
シンクロしすぎて、おぞましいものを感じたのはエロスケの感想を読む限り自分だけではないはずです。
そんな下衆な勘繰りを裏付けるように、桃也氏は今谷と改名したあとに始めたブログでパコられを振り返って
「死にたくなるような過去の使い道があった」「紗倉はもうひとりの私だった」と語られた。
それを読んで感心すると同時に、エンターテイメントとしてあの作品を消化することに対しての罪悪感を覚えた。

山野氏はどんどん作品を発表した。
ゆにっとちーずでもその後「冬のさざなみ」と「アメトカゲ」が出ているし、翌年には非常に尖った「オタサーの姫に告られた結果wwwww」が出た。
2015年には部外者からでは探ることのできない事情で絵師のうみの氏がサークルを抜けてしまった。
そうしたら絵も山野氏が担当した「ご主人さまにあ」がリリースされた。
この絵には賛否があったみたいで、自分も正直言えば完全に満足しているとはいいがたいですが、そんなことより問題は話の内容だった。
ひとりの少女が生まれてから死ぬまでを、鮮烈に、焼き付けるように描写しきっていた。

プレイし終わった後のメチャクチャな気持ちはそちらの感想を読んでほしいから置いておくとして、パコられのときに感じた不安が一層強くなった。
簡単に言うと「こんなものを作っていて心が壊れてしまわないのか?」というものだった。
ご主人さまにあのあとがきを読んで「しばらくサークルを休もうと思う(意訳)」とあったときは、
やっぱり精神的に負担のかかることなのだろうな、と思ったし、絵もシナリオも一人で担当するというのは難しいことなのかもしれないとただのユーザーなりに察した。

が、その予想とは反対にかなり早い段階、2015年の10月にはブログでニルハナの製作発表があり、そのあたりからな~んか・・・変だと思ってたんです。
盛大なる後出しじゃんけんですけど、嫌な予感がしてたんです。

それは的中してしまった。
山野氏は同年の11月に大怪我を負って入院してしまった。
11月から翌年の3月まで、病院からツイッターやブログを更新していて、そういうことができるくらいには元気なんだからきっと回復して戻ってくる、と祈るしかなかったけど
退院した2016年の4月、山野氏はブログでニルハナがゆにっとちーずの最後の作品になると発表した。
そのときのブログ記事を読むと、なにか大きなことがきっかけになってしまったというわけではなく、作品や作者を取り巻くさまざまな環境が原因になりえたのだろうし、
もしかしなくとも自分のように、こんな風に無責任に作品の感想や考察を半ば匿名で書いている人間も一因なのだろう。
ゆにっとちーずをこれ以上続けていくのは無理なのだと山野氏は判断された。

それに対して、何様のつもりだ!と思うかもしれないが、とても安心している自分がいるのだ。
これ以上こんな作品制作を続けたら、サークルをやめるよりもずっと遺恨の残るようなことが起きてしまうような気がする。

お疲れ様でしたと頭を下げたいし、なにより肝心のニルハナは、その最後を飾るにふさわしい素晴らしい作品だったと思う。

制作状況も一転二転したと記憶していて、最初は山野氏が原画も務めるはずだったのが、途中からうみの氏が復活。
この二名がまたタッグを組んでくれたこと、非常に嬉しいです。



・感想

宮森タツヤの恋愛を見届ける作品。
選択肢のあるアドベンチャーゲームだから、主人公=プレイヤーとしての立ち位置。

主人公タツヤ、ヒロインのユウ、マユ、リュウヤ、ナミダ、カスリ、
それぞれに恐らくメタフィクションというか、風刺的な物言いのための役割が置かれているが、それが主題ではない。と自分は解釈した。

というか山野氏の作品はユーザー批判に見えるような描写が多々見られる。
パコられもそう(悲劇を眺める人間=ユーザーというのを主人公を通して冷徹に見放す感じがする)
冬のさざなみもそう(四方木の語った作家論というか、作家に対する読者のメッセージは『そのまんま』だと思う)
ご主人さまにあなんかはこんな、うわっとなる一文がある。
「みんな、罪のない人をいじめるのは大好きだ。
自身に因果のない不幸にモミクチャにされていく者を見るのは、男でも女でも愉しいだろう。」
オタサーの姫に告られた結果wwwwwだって、多くの人の感想が物語っている。
「自分のことを言われているようでグサリとした」と。

ただ、それが作品の主題ではないというのも同時に感じる。
生々しい苦しみ、叫び、そしてそれに関わる人間を描いたときに、ふと冷静な視線が入り込んでしまう。
その冷静な視線が、他人を射貫くような鋭利さを持ってしまって、読む人間によっては責められていると感じる・・・だけなんだと思う。
山野氏はあくまで『生々しい叫び』の方にウェートを置いているように感じる。


じゃあなにが目的かというと、タツヤがユウと結ばれるまでをしっかり見つめる物語なのだ。
登場する選択肢はどれも露骨で、
ユウとの関わりをやめてテマリを毒牙にかけるか、
ユウへの想いを断ち切ってクレハルを襲うか、
ユウへの想いをあきらめてナミダの誘いに乗るか、
そしてユウとカスリ、どちらを選ぶか。

ユウ以外の者を選んだ場合に迎えるのはどれも救いのないエンディングで、でも理不尽な悲劇ではなく、タツヤ(=プレイヤー)が選んだからそうなる、という因果をキープしている。
個人的には、恋愛ものにおいて報われない者に肩入れしてしまうのと、過去が過去なのでどうしても『カスリを選ぶ』という選択肢の誘惑を振り切れなかったのですが、
その結果は・・・ああそうなっちゃうよねぇ、というもので、これをキャラクターの個別エンディングだと言われたらぐうの音も出ないですね。
なんてーか、この作品における選択肢ってドロップアウトボタンなんですよね。
「これでもユウとの恋愛を続けたいか」っていう。
もういいやってなったら選択肢でユウを選ばないようにすればいい。
そうすれば自己責任で物語の端っこ、ありえたかもしれない未来にたどり着くことができる。
実際ストレートに「ユウを選ぶ!!」って言いきれない人結構いると思うんですよ。カスリのほうがいい・・・というよりも、カスリのことをうやむやにしてユウと結ばれるなんて許せないという人。
選択肢を作ることによってユーザーに選択の幅、つまり罪悪感のもっていきどころを用意してくれたような気がする。
恋なんてものを信じずに露悪的に生きてテマリと寝ても、クレハルを陵辱しても、ナミダの誘いに乗っても、元カノであるカスリを選んでも、
いいんだよ、それも当然ありえる選択だよ、と言っている気がする。

それを乗り越えて、ときには選んでいる自分さえも信じられない『ユウを選ぶ』という選択をし続けた末には、ちょっとは明るい未来が広がっている。

タツヤの思考でも繰り返し出てくるのは、「信じて持ち続ければ真実になる」ということ。
だからタツヤが自分は悪い人間だと思い込んで、その通りに行動すればそうなっていくし、なってきたのだろうし、
それでも自分の善性を少しでも信じたいと願えばユウエンドのようになるのだと。
タツヤという人間の本質は結局、変わっていないと思う。
ただ、自分の中のなにを信じるかによって未来が変わる。人生の見え方が変わる。

カスリのことは取り返しのつかない事件だった。
共依存と若くて痛々しい恋愛をこれでもかというほど味わわされた。
(カスリにとってタツヤは本当に大事な人だった反面、精神的な支えとなったのはどちらかというとマユだったっぽいというのもまた、一筋縄でいかない人生って感じ)
でも最後まで自分を信じて、『自分を信じる』という想いを信じたタツヤは、ひとつの結論にたどり着くことができる。
彼女がしようとしていたこと、そして最後の夜に起こした行動の意図を知ることができる。
知ったからって事実が覆るわけではないけれど、でもきちんと『知る』ことができる。
カスリを自分の中だけの悲劇として扱うのをやめることができる。今までのような生兵法ではなく、確かな意思で距離を置くことができるようになる。

「可能性を信じて生きる」ということ。
「人間は平面ではなく立体で、観点が変われば善にも悪にもなる」ということ。
「リュウヤはクズだがそれゆえに非常に魅力的」ということ。
「ナミダちゃんペロペロ」ということ。

それがこの作品から受け取ったメッセ・・・いやすみません。

可能性を信じて生きるというか、人間よりよくしようと思えば少しはよくなっていくし、悪くなろうと思えばなれるのだということ。
過去作品だとパコられでは榊樹里が語ります。「変えようと思えばいくらでも変わるのよ」と。
この正論が暴力として作用するところがパコられの恐ろしい所なのですが。
ご主人さまにあはその正論を反対側から裏付けた作品で、みつ希は『悲劇のまま死ぬ』ことで自分を守った。
浅見の手を取り、由貴を許すことができれば第二の人生を歩むことができたけれど、それをしなかった。したくなかった。
「変わらない」ことを自分で選んだ末に破滅した(そしてこのニルハナにも再登場しなかなかの暗黒さを見せてくれるのである・・・)。
ニルハナはそれを、もう少し手前のところで語ってくれた。

人間は平面ではなく立体。
見る者が変われば善も悪もひっくり返る。
ユウはプレイヤー側、タツヤからすれば生意気可愛いヒロインであるが、リュウヤからすれば憎くてたまらない存在だし、
リュウヤというカスゴミだってマユ、そしてナミダからすればなくてはならない男。
他にも対立した、見え方が変わればがらりと変貌する存在が結構ある。

リュウヤはクズだが・・・なぜかヒロインよりもたくさん語りたくなる男だったりする。
「他人の不幸に悦びを見出す」「死なれて初めて心が動く」とか、我々のような陵辱ゲームを好む人間を揶揄する性質を持っている(これはタツヤも同様)。
このアルティメットクズ、なんだか妹厨を風刺してるように思えるんですよね。
エロゲーでもそれ以外のアニメ漫画ラノベでも、実妹と兄キャラの関係性が命で、少しでも妹を軽んずる描写があると激怒する人っているじゃないですか。
兄妹が幸せなら赤の他人なんて地獄に落ちても別にかまわないという意味での妹厨。
コイツの行動はまさしくそれなんですよね。

でも、妹厨が感情移入するにふさわしいのかというとそうじゃない。
コイツは一度妹であるマユを捨ててるわけです。それも自分勝手甚だしい理由と感情で。
そのせいでマユはとんでもない目に遭い、虐待にも一人で耐える羽目になった。
真の妹厨がプレイしたらこのくだりで液晶モニタに蹴りを入れてるんじゃないでしょうかね。

この落とし穴は意図的にやってるような感じがするんですよ。
人間臭さ、クズはクズなりに生きているという表現のために。
その結果リュウヤは人間臭さの表現という目的に振り回されない強烈なキャラクターを手に入れていると思う。
タツヤとリュウヤは似た者同士である、と描写されるけど、リュウヤはタツヤに比べて明確な保護対象がいたのでここまでクズになる決意を固めたということでしょう。
タツヤだって(クズさは見習わらなくていいとして)ユウのために決意すれば、一念発起して会社を切り盛りできるくらいの器を持っている、そういう未来もあるという暗喩なのかもしれません。

それにしても見事なクズでした。本人はサイコパスじゃないと言ってるし、実際マユへの想いで揺れているのでサイコパスではないんでしょうが、
親友の死を心から喜んでるクズなんてそうそうお目にかかれませんよ。
対する澄田の善人っぷりもすごかったですね。
でも彼も善人という一面では測りきれないんですよね。性癖に一悶着ありそうです。
そこを見せずして死んだところがまたこの作品の罠だよなぁ・・・。
「マユがいればいい人間のふりができる」「いい父親のふりができる」クズがいかにして『善性』を持つのか?という問いに対するひとつの答えかもしれません。


本題なんですけどナミダちゃんが本当にペロペロなんですわ。ゆにっとちーずの作品で明確に『キャラ萌え』したのは初めてかもしれません。
報われない存在だというのがもうね・・・個人的に一番好きなのがナミダの心の奥底が見えるあのエンディングで、
あの状況は彼女なりに幸せだったんだろうなぁと思うと、このゲームの業の深さが見えてきます。
タツヤ・ユウにとっては壊さなくてはならない、リュウヤとマユからしたってずっと続けるわけにはいかない状況だけど、
ナミダにしてみればゆがんだ幸せの園だったんだな・・・。
かなわぬ恋をし続けるという点で苦しかったかもしれないが、それでもリュウヤと一緒に居られるというのは、ナミダにとってかけがえのないことでしょう
トゥルーエンドで最後の希望(=苦しみ、なところがまた・・・)をほのめかしてみたりする姿が切ないです。


・声優さんの演技
この作品を語るうえで欠かせないのが花南氏の超絶演技で、ユウマユナミダ三人のキャラクターを見事に演じ分けています。
ナミダが感情をむき出しにするシーン、マユが悲痛な叫びをあげるシーン、ユウが己の生まれた背景を語るシーン、声によって鮮烈に彩られています。
正直、ヌキゲーではよく聴く声でフェラチオ音がいいなあくらいにしか思ってなかった声優だったので、
こんなに熱のこもった演技ができるのかと驚きました。

ご主人さまにあで浅見を演じた三橋氏がタツヤ役で出ていたのも、個人的には嬉しかったです。
エロシーンの男の声は気恥ずかしくなってしまうのですがこれはオフにせず聴いていました。
特にカスリを押し倒すシーンの情緒不安定さはこっちまで不安になってくる凄さ。

今谷皆美をチョイ役(重要ポストではあるのですが)で起用したのはサークル側のファンサービスのようなものを感じる。
紗倉で惇を、ユーザーを呪った彼女の声が、今作では希望となってマユとナームを救う。

クレハル役の尾崎花とかいう聞いたことない人が明らかにあの人なのはなんか複雑な事情があるんでしょうか。
声の時点でクレハル=みつ希であるということを隠すつもりはない気がします。

でも、個人的に今作のMVP声優はリュウヤのきせとしみち。


・他雑感(感想に織り込めなかった小ネタ)

・キーチャイルドのシステム
実際に面接に呼んで何か思い出深いものをリュウヤが預かる
それを元に魂を抜き取って霊体?で屋敷で生活させる
リュウヤかマユが飽きたらものを返して追い出す(実生活には支障がない?)
ん?「配偶者との結びつきが強いと引っ張ってこられない」「親にやる気のない子を歓迎する」「意識が統合されていると思います」
魂を抜かれている間、実生活では肉体の方は植物人間みたいになってる
マユ・リュウヤの記憶で出てきた二人の家とタツヤが見ているキーチャイルドの内装が違うのと
タツヤが見ているキーチャイルドの外装がナームのいた場所と同じということは
屋敷自体がナミダのつくりだした幻惑?

ってごちゃごちゃ考えてたんだけど設定資料集に答え合わせに等しいことが書いてありました。あながち外れてもいなかった


・クレハル=みつ希のそれから
なぜみつ希がすぐではなく一度結婚をしてからあんな結末を選んだか、ご主人さまにあ単体ではよくわからなかったんだけど
クレハルの言葉で解釈するならもう一度生きてみようと決意したけど
浅見も由貴も拒んだまま、まったく新しい人生を歩もうとして結局母になるプレッシャーに耐えられなかったということなのか
「冬のさざなみ」の序盤の彼女も同じみつ希であるとしたら死の時点でまだ「お父さんお母さんが悪いわけじゃない」とか書いてる・・・。
みつ希はどこまで愚かで悲しい人なんだ
同時に「なんで私が死ななきゃならないの」と書いている。相当な混乱状態というか情緒不安定
(ついでに惇が読む限りだと浅見のことと由貴のことには触れてなくて悲しいけど笑う。泣き笑い。)
そういうことを書いたノートは惇が回収してしまった(なくした)ので持っていた手帳に「去りますさようなら」とだけ書き直した
考察にもならない『妄想』の領域な想像だけど、さざなみのエンドの後惇はノートを処分したと思う(手元に置いておくか?おかないだろう)
・・・・・それをリュウヤがGETしたのでは?

・クレハルが匂わせていた「あの子」はユウではなくニルハ?
ニルハはどうにかして屋敷の中(のナームの魂)と接触したくて、共鳴しやすい?クレハルを利用した?
クレハルは無気力なふりをすることでニルハをかくまい、屋敷の崩壊を狙っていた?

・テマリは不憫だ
結局自分の力で未来・・・というより現在の見え方を変えるしかない。
それにしてもタツヤはテマリの裸を前になかなかすごいことを考えていた、あのHシーン味があって好きです。
「あちこちくすんだ、血色の悪い女体だった。」って。自分に身を任せてくれた女の子相手に思うことがそれかよw

・「私、身投げする勇気がないよ」→結果ひとりでマンションから飛び降りたカスリが、前向きになった結果「一緒に飛び降りてくれないの?」になる
設定資料集に載っているSSを読むとここでのタツヤとの意識のすれ違いが悲しい
タツヤはこのシーンを取り返しのつかない過ちだと思っているがカスリにとっては違う、これまでの自分と決別するための儀式だった。
そこをわかりあえていないのは悲しい。わかるかバカヤロー!と思いますけど・・・カスリもっと語ってくれ。もどかしい。

・澄田とマユのやりとり
「はっ……あは、あ、あのさ。ちなみにきみ、日本にいる間に旅券って作りに行った?」
「りょ……けん? なによ、それ」
「あー…ああ……うん、なるほどなあ…怒るのも無理はないか……でもねえ、怒っててもどうしようもないしなあ…ひとまず3ヶ月はここにいるって話になってるし」
これ、偽造(偽装)パスポートってことだよね・・・

・この作品の一番盛り上がったシーンはリュウヤがマユを襲うシーンだと思う。
こういうシーンが見たくてエロゲーをやっているんだ!と興奮してから、そんな自分はタツヤやリュウヤを批判する資格は全くないと落ち込んだ。
マユがイキそうになってるのを愉快な気持ちで眺めるリュウヤの精神のサイコなゴミっぷりがたまらない
あれから毎晩毎晩マユを犯し続けて自分のモノにしていったんだと思うとわくわくしますね
(その過程をぜひとも書いてほしかったけど!でもそれをやると蛇足になってしまうのでしょう)
マユ自身、悲劇的な過去があるからなんとも言えないけれど依存心が強い女の子な感じがしますよね。
澄田に心を許すより前にも「この男にしがみついてわんわん泣きたいと思った」って気持ちを持っていた
ひとりでは生きていけない系の子な気がする。リュウヤはそこを利用したとも言えなくないというか、
二人がうまくかみ合ったのはそれもあるか。

・『魂』を抜かれると『ただのキャラ』に成り下がってしまう、マユのありかたは創作論的になんかHAIN劇場を思い出した。

・ラスト、ナミダの「また会う日まで」とラストのCGは、ユウへの力の譲渡=タツヤとの再会を暗喩しているようにも思える。ハッピーエンド

・設定資料集の山野氏のコメントを読んで、
謎に包まれている「みさくらなんこつ」というクリエイターの偉大さを知った気がした。
コメントを鵜呑みにするなら失意の底に落ちた山野氏をすくいあげてニルハナを作らせたのはみさくらなんこつ氏の言葉だった
長くクリエイターを続けている人というのは、やっぱり凄い。



あ~~~やっぱりこれで終わりなんて思うと寂しい!
ファンの勝手な意見だけれども、やっぱりもっともっとこの人たちの作品が見たかったよ。