無印のほうはシナリオが良過ぎて、プレイ後一週間体調を崩しましたが今回は大丈夫でした
主に理亜ルートについてのみ。少しテーマの話をさせてください。モロネタバレです。
結論から先に書けば、
1. このシナリオライターはモチーフの使い方、特にモチーフにまつわるイメージの取り扱いに長けている。
2. また、GTの理亜ルートがもし存在しなければ無印の片手落ち感が浮き彫りにされず、補完されることもなかった。
整理します。
○無印初頭
無印開始時点以前の主人公は、「金色(理想の自分)を望んで挫折した」という野球部のゴタゴタで自身の信念が揺らいでいるところから始まります。
しかし無印開始時点においては、「それでも金色を望んでしまう」がゆえに、シルヴィアをさらってしまう。
そして、シルヴィアの誘拐は思わぬ幸運と不幸を呼び込み、私立ノーブル学園への入学と貴族階級の学友からの迫害を手に入れる。
この辺りの展開から、無印の初期テーマは「理想に手を伸ばすことの是非」なのかなと思っていました。
○無印共通中盤
ですが中盤、理亜やシルヴィア、玲奈ら金髪勢との関わりから、テーマが微妙にずらされてきて「今この瞬間、自分がありたいようにカッコつけることの肯定」へと変わります。
このすり替えは無印のみやっていた時は気付かなかったのですが、GTマリアルートをやったことで後から腑に落ちました。
ライターのテクニックと言うか、モチーフ(金髪、夕陽)への引力を感じます。
で、このテーマのすり替えが結果的には無印理亜ルートのラストに繋がってしまうわけです。
○無印理亜ルートラスト
「今この瞬間、自分がありたいようにカッコつけ」た結果、無印理亜はシルヴィアとの共演を最後にマリア・ビショップであることをやめて、主人公との最期の余命を精一杯生きるエンドへ流れ込みます。
この余命エンドは決して悪くなかった。
過去ドリブンで作ったと考えれば物語のまとまりもいいし、テーマ的に矛盾はない。エロゲ史上でも五本指に入る完成度だと思います。
しかし、GTマリアルートによってこのエンドはある種否定されます。
-------------------ここからはネタバレ全開なので、未プレイのかたは頼むから本当に読まないでください-------------------
○GTマリアルート
一方でGT理亜はシルヴィアとの共演を最後にマリア・ビショップであることをやめません。
きっかけは主人公の言葉で、それは直接には「金色(理想の自分)を望んで挫折した」という野球部のゴタゴタへの言及ですが、実際には「今この瞬間、自分がありたいようにカッコつけること」への疑問です。
つまり、先述のモチーフのすり替えをライター自身で軌道修正しています。
「今この瞬間」を輝かせるために精一杯努力することは、「今この瞬間」(=金色)以外の時間を犠牲にすることを意味しています。
この「金色」の負の側面が浮き彫りにされた時、無印のテーマが二重にブレて見えます。
最初は「理想に手を伸ばすことの是非」だったのに、中盤から「今この瞬間、自分がありたいようにカッコつけることの肯定」にすり替わっているじゃないか、と。
そしてGTが肯定するのは元々の出発点だった「理想に手を伸ばすこと」です。
ここでいう理想とは何か。
「理亜が主人公との間に子どもを作り、理亜がシルヴィアとの共演を繰り返す未来」です。
言うまでもなく、この理想はあり得ない未来として登場人物の頭に染み付いています。
ゆえに、無印理亜は金色(=有終の美)にこだわります。
対称的にGT理亜は理想に手を伸ばす。あり得ない未来に奇跡を望む。
そのためなら、「今この瞬間」の主人公と過ごすことさえ犠牲にする。
シナリオ上ではこの選択を「金色以外の色」と称し、これについてGT理亜は「金色が嬉しかったんじゃなくて、二人と同じ色が見られることが嬉しかったんだ」と気付きます。
結末もこの方向に。三人で理想の未来へとすべてを賭けて、理想を勝ち取ります。
GTがすごいのは、無印のほうで宙に浮いていたウェディングCGを現実のものとして着地させた点です。
ラストの親子三人のCGで、主人公がウェディングCGを過去の写真として手に持ってるのは極めて象徴的です。
また、海に投げた指輪の箱に銀色ラブリッチェを入れていた点も特筆に値します。
ファンディスクとして完璧な伏線の読み替えだと思います。
しかし残念なことに、このルートのせいで、もし無印理亜ルートでも主人公らが賭けに出ていれば理想をつかめていたかもしれないという可能性が明示されてしまっています。
その結果、無印の主人公らは若干諦めが良すぎるように見えてしまう。カッコつける(金色)よりも、がむしゃらにあがく(他の色)ほうが客観的にも理想的な未来を手に入れられていたはずなのに、と。
加えて、無印のほうで撒いたモチーフはぜんぶ「金色」方面を向いているので、「他の色」というGTのテーマを印象づけるために、「金色」の読み替えにプラスして、グリーンフラッシュ、神社、おみくじ、夢など付け足しのモチーフを総動員して「他の色」を強調していますが、正直無理やり感があります。
また、ラストの屋上CG(髪を切ったシルヴィア)についても、(絵師が変わってるというせいもあると思いますが、ちょうどGTのCG鑑賞画面で見比べられるので見比べてみますと、)無印CGが写実的というか引いたカメラで背景の描き込みが多いのに対し、GTCGは顔アップの二次絵的で、あくまでGTのエンドはファンディスクのために用意されたほぼほぼありえない虚構的な結末だと暗示しているかのようです。
これは理亜の髪にも反映されています。無印は不良っぽいどこにでもいそうな金髪。GTは現実にはありえないほど長い神秘的な黒髪、と。
GTのあまりにもなご都合主義に、いくらか後ろめたさでもあるのかと邪推しました。(すいません)
とまぁ、今挙げたように色々瑕疵は感じます。蛇足感というか藪をつついて蛇を出すというか、ようは無印理亜エンドにケチ付けられたという感じが。
でも個人的にはこのGTエンドのほうが好きです。この辺りは好みだと思うので、必要なかったという人がいても仕方ないかなと思います。
(そういえばプレイ途中で思いましたが、グランドルートでのバッドエンドとハッピーエンドの並立は瀬戸口シナリオに似てますね)
整理おしまい。
表題の通り、無印では体調悪くなるほど鬱エンドにダメージ受けた一方で、GTのほうは好きなんだけどモヤっとする感じ。
これらの原因を探った結果、上のようにテーマのずらしがあったんだなという話です。
ただやはり、このライターさんはとにかくモチーフの操作が上手いし、自身が掲げているテーマの弱点とか対立する概念への感覚が素晴らしい。
海に投げる指輪の箱に主人公が銀色ラブリッチェを入れていた時、正直鳥肌が立ちました。
今のエロゲ業界に、この場面で銀色ラブリッチェを入れられるライターさんが何人いるでしょう。
たかが主人公の一つの所作に、ここまで意味を込められるライターさんが今までに何人いたでしょう。
以下細かい印象。
○システム周りが無印に比べて良くなってた。
○無印でも思いましたが、アイキャッチが躍動的に過ぎて、物語が一々途切れるのはちょっと好みじゃない。「この青空に約束を」のような前の場面の余韻を残すほうが好きです。
○キャラが無印に比べて紋切型になっていた印象。ルート分岐がなく、何かしら関係の変化が現れないせいで、物語がキャラクターというベルトコンベアの上を滑っていったなという感触でした。まぁファンディスクの宿命といえばそのような気もします。
○OPめちゃくちゃ好き
総じて。
無印のトラウマがすごすぎて一回もリプレイできてなかったのですが、GTのおかげでようやく手を付けられそうです。
その一方で、GTは存在しないほうが無印の傑作ぶりは揺らがなかったとも思えて、自分のなかでも微妙に賛否両論があります。
が、個人的にはやはりGTのラストが好きです。
無印が美術館に飾られた精巧な彫像だとすれば、GTは民家のベッド際に置かれた造りの粗いぬいぐるみです(個人の印象です)。
我々はエロゲをやっていて、いわば民家のベッド際で苦しい現実を毎日生活しているわけですからこういうので満足なんですよ、少なくとも僕は。いやマジで。
以上