文章に血が通っている。久しぶりに美少女ゲームの登場人物が濃いと感じた。6人のコンプレックスを抱えたヒロインと主人公が、どう向き合い解決するのかしっかり描かれている。
このゲームの最大の良いところは、登場人物の屈折した感情から逃げることなくあますことなく書いていることである。
昨今のエロゲキャラは、読者が読みやすいように、あるいは作者が書きやすいようにカスタマイズされていて、不要な感情がそぎ落とされている。
キャラクターとは読者が理想とする、あるいは作者が理想とするものになっており、非常にきれいで非の打ちどころのないものになってしまっている。
それは長いエロゲやらオタク文化の積み重ねで、どういうキャラが人気が出るのか追及されていった結果、あるいは書きやすいからなのかそうなってしまっている。
実際、天いなに出てくる人物は一癖も二癖も抱えた面倒な連中ばかりだし、人には共感できかねるでしょう。
世の中、えてして大概人は屈折しているというが、実際誰しもがそれほど屈折しているわけではない。
処女を失うことが怖い、体の快楽に溺れることが怖いと、それを守るために恋人を遠ざけ、主人公にセックスを求める真帆の気持ちが、理解できないという人と、この屈折した感情こそ人に必要であるべきものと考える者で、二分されるのである。
おそらく前者は、(人として)屈折していないから理解できないのである。
それが良い悪いではなく、ただ単純に前者に向けたエロゲが80%を占めていて、後者の屈折した人をターゲットにしたエロゲなんてほとんどありませんという話である。
いわば性癖のようなものであって、後者が好きな性癖があるということである。
そして肝心なことであるが、屈折した感情を書けばという話では全くない。
どこに救いを見出すかということで、この物語はそれが、実に巧みである。
真帆を例に取れば、ずっと子供でいたい、心を守るためには体の快楽なんて必要ない……巧の気持ちが理解できないと考え、これが周りの人物も自分も不幸の奈落に落とし込む。
これでは救いがない。
何に救いを求めたか、それはEDに書いてある。
本当に好きな者同士が結ばれたわけではない。
真帆と主人公はお互いがお互いにとって一番の相手ではない。
それでも真帆には自分の気持ちに共感してくれる主人公がいる。
二番目の相手であって一番の相手ではない……でもひとりではない、これが救いなのである。
孤独ではない……これが真に孤独だと思う人からすれば、どれほど救いになっているのか計り知れない共感が出来るのである。
そして、登場人物の真帆にとっても、畏怖の対象でしかなかった体の快楽を知ることで、それが大したものではないと知ることで……初めて、子供のままでいたいという感情から抜け出すことが出来るのである。
それは作中を通しずっと執着していた感情からの解放で、ありていにいえば人は経験で大人になるのである。
真帆が年とともに精神まで大人になる……それは作中の√が始まる前では考えられなかった、大きな進歩であり、また、話の救いなのである……。
今のは真帆を例にとったが、結局、天いなとは、6人のコンプレックスを抱えたヒロインがどうそれと向き合い解決させるのか、それが主たるメインだ。
一度死ぬことで理解する須磨寺の√、頑なに守ってきた心を開く委員長の√、奪うことに意味を見出し愛を見つける明日菜の√……栗原は書くまでもないとして、五人にも主人公にもコンプレックスがある。
それとどう向き合い解決していくのは、それは理想とするお伽話のような解決ではないけれど……だからこそ深みがあって本当なのだと思えてしまう、本当に救いがあったのだと思えてしまう、そこに(物語としての)暖かさを感じてしまう。
ただ解決した結末と物語の始まり自体が屈折しているのは言うまでもないので、そこに賛否両論あるのは仕方ないことだと思われる。
総じたところで言いたいのは、ここまで心の内にあるコンプレックスを表に書いたエロゲ作品がほぼ無いということと、それを書いた上で解決まで持っていく話が見事すぎるということと、それに対して賛否両論あることは仕方ないことということだ。
ただ……これは非常に救いのある物語であると同時に、心の内までしっかり描くエロゲかつ救いのある話に仕上げるものがあれば増えればいいと、切に願ってしまう。
しかし……これが出たのがもう20年前ということで……どう推移したのか考えると残念な気もする。
長々と書いたが、しかし結局、自分の理解できる範囲のことを理解し気持ちよくなっているだけなのかもしれない。
ノーマルな人間がホモになりバイになる必要はないのだろうが、結局のところ、それはえてして真実な気がする。