アイヌ色が強く、民族伝承系のシナリオとの相性が良くないと読み進めにくいかもしれない
前作『シャボン玉中毒の助手』に続く第2作。北海道が舞台というだけあって、アイヌ色がかなり強いシナリオであった。民間伝承系のシナリオが個人的にあまり得意ではない(知識がほぼないため)ので正直読みにくかった……その傍ら、前作からの「矜持」というテーマであったり、「死者は生者の人生を縛ってはならないんだ」といった主張は連続性があるように思う
・マロウド先生の説法は興味深いものが多かったように思う(例えば恋愛観について、とか)。その一方で、オソママチの楽器を破壊したりするシーンは正直何が言いたいのか、行動原理があまり理解できなかった……多分きちんと読めてない所もあると思う
・実存主義について。本作ではサルトルの「実存は本質に先立つ」という言葉が引用されている。本作での悪役、島梟はアイヌであった自身の存在を現世に刻みつけるために総本社へのクーデターを企てる。これは、まさに本質(アイヌである事)が先行しており、それによって実存(送り人を殺害する行為)が損なわれていると言え、実存主義の逆を行っていると否定する事も出来るだろう。
また、上記の言葉をマロウド先生が語る直前で、彼女は「けれどね、故郷というものは、過去ばかりにあるのではないんだ/未来にだって、あるんだよ」という台詞を残している。ここでの故郷はまさに"本質"に対応しており、これはアイデンティティとも言えるかもしれない。すると、「故郷は未来にだって、あるんだよ」という言葉は、アイデンティティを自身の実存によって切り拓いていく、というメッセージと解釈されるのではないか。