新島氏のエロゲープレイヤー嫌いは本当に筋金入りなんだと、そう確信させる作品だった。何が彼をそこまで追い込んでしまったのだろうか。(2018/7/11 追記)
以下、ほぼシナリオとは関係の無い愚痴
新島氏はエロゲーマーを揶揄する作品を作ったことがある点が私には最大の不安点だった。(http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=19471&uid=dov)今回、Keyのゲームライターをするということでその個性をここでも出すのか、それとも出さないのかという点についてある意味怖い物見たさ的な興味があったのだが、強烈な方法でその個性を出して来たと思う。
暗雲が立ちこめてきたのはALKAシナリオだ。このシナリオはしろはとうみの話だ。一見して羽依里が主体的になんとかしようとした話に見えるが、明らかに主役だったのはしろはとうみだ。羽依里は将来自分の娘にネグレクトをする親になる未来が示され、特段それにフォローが入ること無く、物語からフェードアウトしていく。
そして、本作のトゥルールートにおいて羽依里という存在は完全に排除される。最終的にはループの末、羽依里としろはが結ばれる未来もが排除され、それを「未来は未確定」と、この手の作品の王道的なハッピーエンドとして結ばれる。なんと皮肉な話であろうか。
注目すべきはポケット編の下記の文章だ
「彼らは傷ついていたから出会えた。
もし、その傷がなければ・・・・・・
であわないのだろうか。」
エロゲーにおいて、すねに傷を抱えたヒロインを主人公が王子様的役割で救って差し上げるストーリーは数多く存在する。それこそ、Keyはその筆頭格だ。この文章は、そうした男性優位なストーリーをネタにしてきたKeyへの嫌味、そういうように取ってしまう私は氏憎しで冷静さを失っているんだろうか。最後のシーンは、氏のせめてものお情けか、それとも健全な女子とも恋愛できるようになれよとの氏のメッセージか。
この作品は面白かった。新島氏の軽妙なテキストにクリックが止まらぬこと無く、久々に寝る間も惜しんでクリアするほどだった。だけども、大嫌いな作品だとも言える。おいしそうな食材が並び、どう調理するんだろうと思っていたら全てが新島氏が自分の精子をぶっかけるためのオカズだった。悲しい話である。
愚痴以上
今作本筋のシナリオは非常に既視感のあるシナリオだ。赤ちゃんを産んで死んでしまうヒロインを救うためにタイムスリップしてどうにかする話はまんまCLANNADである。所々にはさむモノローグは幻想世界を彷彿とさせる。言いがかり感はあるが、最後の締めシナリオで視点が変わるギミックはAIRのAir編だし、やりたいことを日記に書く、というものもAirだ。付け加えるなら、ALKAシナリオは当時パクりと騒がれたSNOWの桜花編を思い浮かべた諸兄もおそらくいると思われる。
本作はこのように、Keyが栄華を極めた時代の作品を収集してリメイクしたかのような作品だ。ここまで既視感を極め、しかしながら面白いと素直に言えるのは新島夕氏のテキスト力である。当時のKey作品評価の批判点であった、ヒロインが白痴、日常がだるい、といった事項も氏のテキスト力で見事に改善されている。今風の作品にがっちりと仕上げ、その上で自分の主義主張を盛り込み、そして高評価を得る。ここまで手腕に優れたエロゲーライターがいるだろうか。彼は本当に凄いライターだと思う。
私自身、シナリオライターの主義主張が作品に盛り込まれる方が好みである人間だと思っていた。だけれども、新島夕というライターはどうにもそりが合わないらしい。どうか、残り少ない今後の私のエロゲーライフが彼に邪魔されないよう願うばかりである。
(2018/7/11 追記)
感想をググっていたところ、本作の歌詞に言及していた感想を見つけた。
http://yossioo.hatenablog.com/entry/2018/07/07/235558
これを読み、完全に失念していた歌詞とゲームの内容を比較して強烈な違和感を感じた。
>OP曲の「アルカテイル」をED曲として聴くと、非常にストーリーを反映した感動的な代物であることは、随所で語られていることである。なのであえて細かく説明したりはしないが、一つだけ触れたい。感想の方でも書いたのだけど、
>『今も何度でもボクは 夏の面影の中 繰り返すよ』
> ↑が一番の歌詞。そしてラスサビが↓
>『今も何度でもボクは 夏の面影の中 振り返るよ』
> となっている。夏休みが良いものだってのはみんなが知っているので、そりゃ振り返りたくなるときもある。でも繰り返してそこにしがみつくのはダメよ、と。
グランドED曲も同じ趣旨の歌詞である。
エロゲーにおける「永遠」ですな。
エロゲーにおける「永遠」とは端的にいえば、「過去を思う懐かしい気持ちに囚われている」又は「楽しい今をずっと過ごしていたくて、未来に踏み出すこと、大人になることを拒否する」を表現するものである。
本作のうみとしろははゲーム本編の時間軸を過去を求めて繰り返している。なるほど一見すると歌詞とゲーム内容はあってると思うだろう。
しかし、うみとしろはは別に日常が楽しくてタイムスリップしていたわけではない。
うみは死んだ母親に会いたいという気持ちでタイムスリップし、しかしそれがなかなか叶わず、最終的にその願いが叶ったのはALKA編の1回ぽっきりだった。
しろはのタイムスリップの目的は、うみがタイムスリップの末に最終的に消滅することを止めたいが為だった。
別に主人公と過ごした夏が楽しくてループしていたわけではない。
その証拠に、主人公との未来が消えることに一切言及されることはなかったわけだ。
そして最終的には、本編の夏は過去修正により消え去ってしまい、振り返るもクソも存在しないものとなる。
要は本編とゲームの歌詞は似て非なるものであり、全く合致していないのだ。
過去、多くの作品において歌詞とゲーム内容を一致させてきたKeyにおいて信じられないほどの不手際である。
仮説は幾つか立てられる。
シナリオの方向性が変わったけど歌は収録済みだしどうしようも無かった説
本作がいつまでAIRやクラナドにすがっているんだというユーザーへの説教をするために作られた説
むしろ何度も何度もAIRやCLANNADの別ハード版を発売しまくるKeyスタッフへの説教説
等々
どのみちろくな話じゃないなあ、と思う所である。
KeyはRewriteまで、最長でも4年弱までにはフルプライスの完全新作を出していた。
今作はRewriteから起算すると丁度7年ぶりのフルプライス完全新作だ。にもかかわらず、全体的なボリューム、特にオーラスルートは類を見ないほどの短さである。それこそ麻枝准自身が苦言を呈するほどに。
このような不手際をだしてしまうと言うことは、麻枝准はもうあまりKeyのゲーム製作に関わる気は無いのだろう。
都乃河勇人氏がいつの間にかいなくなり、Keyには未だに麻枝准の後続ライターが育っていない。
その上で、ゲーム製作に関わらないということは、今後も本作のように外注ライターに麻枝風作品を作らせる可能性は高い。
そして、グランドルートの圧縮具合を見るに、Keyにはもうあまり体力が残って無いことも実感させられる。
何とも悲しい話である。