全体的にはきれいにまとまった秀作.ただ全体的に物足りなさもあった.
ともすれば使い古されたといわれかねないループというジャンルで伏線を巧みに回収する高い完成度を見せた作品であった.
一方でこの作品は迫力を欠いていたように思える.原因はいくつかあげられるが,悲劇に伴う凄惨な描写の不足,音楽・絵のミスマッチ・力不足が主だった理由に思える.
まず多くの人が指摘しているように,惨劇の回避に奔走する主人公の絶望や悲壮感といったループものに特有の緊張感を伴う描写が薄かった.特にアポカリプス自体が一週目の人が焼ける描写以外はマイルドに描写されており迫力を欠いていた.また主人公からも焦りをあまり感じない.無文字社会という最大の伏線の発覚も比較的早い周回で気づこうと思えば気づけたはずである.一周一周を重んじない主人公に軽薄さを感じてしまうことも迫力を欠いた一因であろう.
ただし時を超える主人公の英雄譚という題材はある種書き尽くされており,そこに力点を置いたプロットが仮に実現されていたとしても,過去の名作を超えるような代物になっていたかは果たして疑問である.むしろこれらの作品群と軌を一にしなかったことがこの作品の独自性を際立たせているともいえるかもしれない.むしろ18年以上の時を超えてきたサクヤの物語として読み直すことでこの作品はより一層輝きを増すかもしれない.
また原画もポップでキュートな梱枝りこ氏の絵もプロットに対して効果的ではなかったように思える.立ち絵なんかは文句なくかわいいのだが,名画と配置してしまったときに,ミスマッチ感が強かった.これはメーカー的な制約でもあるだろうが,制服のピンクだけでももう少し落ち着いたデザインだったら印象が変わった気もする.音楽もインパクトもあり素敵なOPと比較して,これといって印象に残るものがなかった.
まとめると意欲作,満足度としては名作に一歩及ばずという感じだが,この時代にこの萌えゲーブランドでこれだけのことをやったことはやはりすごいと思う.そんな意味も込めて80点といった印象.
以下雑感
美術という題材について
美術史を扱った作品としてはサクラノ詩が思い出されるが,ともすれば意味があるのかわからない衒学的な言い回しを好むサクラノ詩に比べると,古典の引用という点ではむしろこちらの方が効果的に題材を活用しているようにも思えた.創作の周りに渦巻く感情の強さについても,美術のみの教育が生むナチュラルな狂気は結構うまくかけていたようにも思える.しかしもっとそこに力点を置けばキャラが立った気もする.ギドウの立ち位置はサクラノ詩の長山香奈にも似ているが,(長山香奈同様)才人への羨望の吐露が唐突であまり印象に残らなかったようにも思える.
クローザの失楽園が用意されていないのはまあ仕方ない気もするがちょっと残念だった.サクラノ詩は横たわる桜がなかなかいい出来で物語にいいアクセントを加えていたと思う.ぼやっとしたイメージでもいいから説得力のあるものを出してくれたらまたイメージも変わったかもしれない.
システム面など
章へのジャンプができないのが不満.一週目セーブなしでキリエBADを踏んでしまい,完全に最初からやり直さなければいけなくなったのは結構つらかった.
よく分からなかった伏線(?)
・周回ごとに鳩時計のセリフが変わる
「クルックー。タダイマ12月3日月曜日7時29分」
「クルックー。クルックー。タダイマ12月3日月曜日07時29分」
「クルックー。クルックー。タダイマ12月3日月曜日朝7時29分」
これは良くボイスを聞いてみるとクルックーの回数以外は同じだったりもする.これは,文字だと分岐しているように見えるが実際は音声以外関係ないので差異はないという,無文字社会を象徴しているのだろうか.それともただの誤字?
・一週目のキリエの居場所
寮に戻って死亡?
・なぜアポカリプスの日にドラッグを服用している学生が大量に発生するのか?
・大量のモニターは何に使うのか?
どこを監視しているのだろうか?
・オーロラが何でできているのか
ただの壁ということで決着はついていそう.ディ〇ニーランド的な材質なんだろうか
・リラの正体
EDのキャストがアンナ=リリィとなっているので,結局リリィ先生がリラ?なんでアポカリプスのときに煽り口調だったのかがいまいちわからない.
・リラとキリエの関係
「キリエによろしく」みたいなことを言っていたが,結局アフターまで読み流しただけでは関係はよく分からなかった.同じ役者として?あるいは明らかに見逃しているだけ?
・なぜ映画の流入を許しているのか?
映画技術も写真もあまり優れたものが生まれなさそうなのになぜ持ち込みを可能にしたのかちょっと謎に思える.