ダメ人間魂が心に染みる。トルストイ型のエピックな構成と恋愛物語の噛み合わせの難しさ。(11月27日ちょっと追記)(2014.07.21またちょっと追記)
プレイ日記をやった順に並べます。内容は雑感なんで、首尾一貫していませんがあしからず。
特に最後のきらりの感想はネタバレ多めで、あまり意味もなく気に入った台詞の引用とかもあるので気をつけてください。
比較的どうでもいいことをはじめに一言。絵と音楽と声は期待をやや下回りました。
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まあまだ前半なんであれだけど、僕にとって2作目となる瀬戸口氏は、今回はちょっと緩いなあという印象。偉そうな感想だけど。ノーフューチャー、現実逃避、でもそこまで弾けられない、という鬱屈が一つのテーマだと思うんだけど、雰囲気が明るくてのんきなんで中途半端な気がする。甘っちょろい観光気分で、キャラデザもなんかそういう感じだし。もちろんバンド物として面白さ、読み応えは世界ノ全テなんかの比ではないのだけど、音楽の話なのに、今のところ、音楽面ではCARNIVALに及ばない感じ。軽快なのばかりだし。CARNIVALは最初から突っ走ってたからなあ。ていうかCARNIVALの方がよっぽどノーフューチャーだ。本作の行き当たりばったりにはいわゆる「ゆとり」な部分がある気がする。もちろん殺伐で過激な話になればいいってわけじゃないけど、どのキャラもいまいち中途半端で、何かをがんばっている感じではない(その意味ではリアル)。そんな中で最初に進んだルートで、その「がんばり」に思わず不意を突かれたのが・・・・・・恩田ルート。・・・・・・。いったん落としておいて、最後になんか妙に気合の入ったエンディングになっているのにやられた。アレはありかもしれない・・・・・・。一瞬目がくらんでしまって、再開して別ルートに進むために違う選択肢を選ぶのがちょっとためらわれてしまった。
小ネタはけっこうあって読み物としては飽きない。社会人になって以来、仕事柄名産品とか馬鹿にできなくなってしまったが、そういうステレオタイプもきちんと拾っている瀬戸口氏にちょっと頭が下がる。後は、とくにRPGのドストエフスキーネタは面白かった。プレストプレーニエ・イ・ナカザーニエ=Преступление и наказание=罪と罰。有名な話だけど、「罪」にあたるロシア語は正確な訳語を当てるなら「犯罪」で、語源的に逐語訳すると「踏み越えること」なんで、まあこの作品のテーマとも無関係ではない。あと、列挙すると、車椅子のリーザ=カラマーゾフの兄弟でアリョーシャと近づくリーザ・ホフラコーワ。腐った長老の死体=同小説のゾシマ長老。踊るエカテリーナ=罪と罰のソーニャの母でヒステリー気味のエカテリーナ・イワーノヴナ?。部屋を守る悪の老婆、鉄の斧、峰打ち、石の下に隠す=罪と罰の老婆殺し。父親が殺されている=カラマーゾフの兄弟。拳銃を撃ってくる妹=あまりよく覚えていないが悪霊にスタヴローギンを撃とうとした娘がいたような。あ、そういえばドゥーニャに撃たれたことにショックを受けてスヴィドリガイロフがアレだったったけ・・・。こんだけドストエフスキーネタ入れてもらえると親近感わく。さあ、続きだ・・・。
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紗理奈ルート。属性的に一番お気に入りになりそうなヒロインだけど、あまり劇的な展開もなく、ちょっと残念。プロットは穏やかでも内容に筋が通っていることは確かで、主人公のしぶとさはなかなか面白かった。いちいち生活観のあるディティールに見合った話にしようとすれば、こういう現実的な姿勢はなんか勉強になってしまいそう。ただ、恋愛の話としてはインパクトが弱めで、現実の恋愛もけっこう曖昧なところがあったりするからその意味ではリアルなのかもしれないけど、正直なところ、これからもっと面白くなりそうなところで終わってしまった感じ。主人公も紗理奈も息が合っていて仲良くやっていけそうだけど、感慨に浸ったりするのはまだまだ早そうで。
シナリオの構成として、バンドの部分と恋愛の部分が分かれてしまっているのがもったいない。バンド中は仲間とのまとまりが大事だから誰かの内面に踏み込むようなこともないし。龍平にはやられたけど。
いくら「今度こそ本気になる」といっても、こんな怠け癖がついて戯言ばかり言っている人間はなかなか大変で、今度こそがんばらなければならない。それほど素晴らしい相手と出会ったのだから。それはまだ描かれていないけど。
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千絵ルート。あー、だいぶいっぱいになってきている。出来事や出会いの流れがたくさんでめまいがしそう。途中でトルストイの言葉が出てきたけど、このシナリオはまさにトルストイの小説のようにエピックで盛りだくさんな感じだった。ついでだけど大作家の方の小説にも不倫と家庭の話はよく出てきていたなあ。紗理奈ルートは対照的に、というか紗理奈ルートの分もプラスされて、千絵ルートでは出来事いっぱいだったし、千絵と中を深めていく過程もたっぷり書かれている感じがした。大体どんなエロゲーにも幼馴染ヒロインというのはいるけど、それはたいてい主人公との位置関係をあらわす設定であって実際にはそれほど掘り下げられることはないけど、千絵の幼馴染度がけっこう濃くて、はじめはただの突っ込みキャラなんだけど、細かいエピソードの積み重ねがだんだんじわじわ効いてくるようになっている。大切なヒロインになっている。今は自分の位置がだいぶ変わってしまったのでどうか分からないけど、たとえば2年前の僕だったら、この幸せの手に入れられそうな爽やかな感じ、幸せの近くまで辿り着けた感じ、ひょっとしたらかなりの鬱になってたかもしれないな。タイトル画面を見ながら、彼らの通った軌跡を振り返り、その余韻に浸されて。
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きらりルート。まさかドストエフスキーRPGが前振りだったとは・・・。それから、タイトルの「キラ☆キラ」にもハピ☆マテとからき☆すたの系譜とは別の意味がしっかり付与されるとはね。終盤はいいセリフばかりで思わずメモってしまった。
「それにね、私は昔から出来れば、いつか社会の歯車って言うか・・・上手く言えないけど、まわりと上手になじんだ優しい人になりたかったの。私、穏やかなのが好き。歌は、大好きだけど・・・」
そこで彼女は俯き、上目遣いで僕を見つめながら、
「・・・そういうキラキラした世界に行くのは、いやかな」
このキラキラの意味をきらりが引き受けていくというのがまたうまい。冷めた怠け者の主人公と才媛きらりとの対照的な関係がはっきりしていく構成で、全体的に負け組魂というかフリーター魂が炸裂しているこの作品に、きらりという存在が必要だった理由が、きらりにキャラゲーのヒロイン的な、象徴としての意味が付与されていく様が丁寧に描かれている。ただ、ちょっと妙なのは、きらりルート2できらりが決心してから、主人公の影が急に薄くなってしまって、きらりが主人公の手から離れて、「飛び立って」、みんなのアイドル的な存在になったままみたいな感じがするところ。これはハッピーエンドではないような気も?2ちゃんの人が言っているように罪と罰になぞらえるならば、ラスコーリニコフのその後は贖罪の日々になるわけで、語りもそれまでの過剰な心理描写の文体から、いわゆる有名な「神の視点」に転換しているのが、急におとなしくなる鹿之助と似てないとも言えず、鹿之助ときらりが必ず幸せそうかというとそんな描写があるわけでもなく、ちょっと厳しい終わり方のような気もする。どちらのルートでもきらりとの幸せいっぱいの結末は描かれず仕舞なのだろうか。
あとはまあ、きらりルート1を終えたときには、正直、特典の抱き枕カバーをどうしたものか困ったけど、ルート2を終えて少しは許容できそうな気にもなってきた。いや、なるのもどうかと思うが。
結局振り返ってみると、前半のバンドパートがシナリオ構成上欠かせない部分になっていることに気づく。特にきらりルート1の方。あれが現実逃避だろうがゆとりだろうがコミカルで埋め草的な「日常パート」だろうがどうでもいいが、通過してきたものとして、「世の中はうまくいかないもの」だけど、そんな世の中で起こった夢のようなものとして、後から振り返って、その後に生きていくための糧となるものなのかもしれない。それはプロットの整合とかいうよりは、やはりトルストイの小説みたいに(あるいはトルストイが参考にしたショーペンハウアーの哲学みたいに?)、何か流れていくもの、その流れの中で引っかかって形を作るもののこと。
「何でもかんでも物語仕立てにしやがって。そんなにみんな、ストーリーが好きなのか。俺は断然否定するね。ドラマなんか、くだらないよ。
なあ村上、大事なのは瞬間にすべてをかけることなんだ。パンクロックはスパークだ。そう思わないか?」
こんな台詞を冷めたひねくれ者のはずの主人公に、今ある村上やアキたち仲間とのために吐かせるところにやられた。うまいです。
彼らの言葉がどれほどの重みを背景に言われたものなのか、それを秤にかけるという行為にはろくな意味はないけど、然るべきところで然るべき相手に言われるまっすぐな言葉には素直に打たれてしまう。
「僕らはまだ、人生を楽しむことが出来る。漠然と、もう自分たちは楽しいことが出来ない、してはいけないと決めつけていた。だけれど、考えれば方法はいくらだってあるんだ。」
「そうだ、なんでもだ。どんなことでもだ。強く、長く、だ。それさえあれば世の中思い通りにならないことはない。俺たちは自由なんだよ。万能ではなくても、とにかく自由なんだ。それは凄いことなんだぜ?」
瀬戸口廉也氏は決して端正でインパクトのある文章を書くというわけではない。そんなに密度が高いというわけでもない。複雑な話を書くというわけでもない。でも自分の文章のテンポを知っているし、自分のテーマ展開のテンポを知っているという感じがする。セールスポイントや客寄せのネタが綺麗に抽出されてしまって、それらを除くと可食部が少ない痩せた作品が多い業界で、地味だけど手ごたえのある、セールスポイント的な部分に回収されないまとまりのある作品を書ける、といったら大げさか。まあそれは絵や音楽との協働のお陰でもあるんだけど(音楽に関しては、結局本作では、とりあえずまあまあのが2曲あったので良しとする。サントラの8と13)。
CARNIVALにも増して、ヒロイン自体に魅力があるというよりは、主人公との関わりの中のヒロインの魅力。主人公の比重がさらに増しているように思う。ヒロインたちの台詞は特に面白かったりはしない。台詞が面白いのは村上や翠などのサブキャラを除けば、地の文も含む主人公だけである。これは僕も含めた大半のエロゲーマー、エロゲーに病的に依存しているタイプのエロゲーマーにとってはどちらかというとマイナスになる。ヒロインといちゃついている感じがあまりしないから。主人公の面白い物語を読む作品になってしまうから。それでも、トルストイやドストエフスキーみたいな小説でエロゲーをやれたら、という変な希望は、ささやかな形で実現されたかもしれない。でもきらりルート2はもう少し先まで書いて、恋愛の物語として締めるのはダメだったのかなあ。ともかく、パンクに仮託して伝えたかったメッセージがストレートに届いた作品でよかったです。製作者の方々に感謝します。
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(追記、2007.11.27)
キラ☆キラの第一印象は上に書いた通りなんだけど、その後もっと意味もなくつらつらと書いておきたかったなあということで。
案の定、BGMのサントラを延々と聴いています。通勤中とか本がなかなか読めなくなってしまった。ゲーム中での使い方はややべたなのが多かったり、keyみたいに綺麗にフェードアウトしなくてブツッと切れてしまったりすることが多くてもったいなかったけど、BGMだけで聴いていると、聴き飽きないよい曲が多い。ドタバタの曲や軽快な曲はツアーのときのエピソードとかバンドの雰囲気がいろいろと思い出されるし、紗理奈や千絵姉がこういうのを演奏している情景を想像することも意味もなく楽しい。村上や殿谷でもいいが、やはり紗理奈がなんだか一番楽しい。8番と13番がいいと書いたけど、BGMだけで聴くと6、14、16あたりもいい。なんかもう延々と寝ながら聴いてしばらく引きこもりたくなる。8なんかニュアンスは違うけどCARNIVALのあの曲みたいに、ところどころゲームのテキストと相性がばっちりすぎるくらい合っていてよかった。
きらりがデビューを進められて、d2bの仲間といっしょでないとと躊躇するのが何ともたまらない。やはりあのメンバーでないといろいろと無理だよ、というくらい楽しい思いをした。一人で新しくやったとしても新しい仲間は出来るんだろうけど、でもそれは自分の中の1つの時代に区切りをつけた後でなければならないわけで、そんな風に区切りをつけて前に進んでいかなければならないということが、なんと言うか理不尽なことに思えてしまう。楽しかったことは思い出に変わるけど、でもそれでいいのかよ、というなんともままならない部分が、鹿之助ルートで彼がなかなか音楽を止められない原因みたいなのかなあと。千絵姉や紗理奈は働き始めてしまった。とても強いと思う。だって鬱になるでしょ。楽しかった思い出はこれから先を生きていくための大切な宝物となり力の源となるけど、でも自分の心をえぐってしまった甘美な傷でもあるでしょ。それに負けないために、それぞれのルートで自分が選んだヒロインとの未来があるわけだけど。そして現実生活でそんなヒロインを持たない僕はどうしたらいいのでしょうか、と・・・。
これ以上ファンディスクとかで何かやっても蛇足になりそうな気がするけど、それでもこの世界からは抜け出したくない。とはいえ、こんなパンク魂に悖る女々しいことを恥知らずに書けるのは、飽きっぽく移ろいやすい自分の気持ちを固定して残しておきたいという不安の表れなんだけど。とにかく今しばらくはこの物語から離れたくないのだけど、なんか書いてもこんな風に愚痴っぽくなってしまうし、再プレイするか音楽を聴くか他のみんなの感想を読むくらいしか出来そうにないかな。なんかおかしいよな。
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(追記、2014.07.21)
運動不足で太り始めて汗っかきになったおっさんが、何だか無性にキラ☆キラのBGMが聞きたくなって、ゲームを起動してしてそのままずるずると久々に再プレイした(ついでに、この際BGMを抽出してサントラを作り直した。やっぱり何度も聞きたくなってしまい、通勤中に繰り返している)。どんな夏だからなのだろうか。
とりあえず千絵と紗理奈のお話が終わって一息。昔書いた感想を見返してみたが、恥ずかしいし拙いしで直視できない。かといって今なら十分に語れるというわけでもない。電気サーカスを読んだ今となっては、キラ☆キラのやさしさには戸惑うところもあるけど、感心するところもある。やさしいかやさしくないかは話の終わらせ方に過ぎないものであって、人は外側からやってくるものに押しつぶされながらがんばっていくしかないという命題そのものは変わることはないのだけど、やはり優しい結末と苦い結末をひとつの作品の中に並べることができるゲームというのは、なかなかいいものなんじゃないだろうか。
ロックバンドの修行パートで、無茶をして色々なものを失って身軽になっていくときのスピード感、悲惨なことをなんでもないような口調で表すのは作中で繰り返されるモチーフで、光の当て方はその都度違っていて、開放的であることもあれば、出口のないやりきれなさを伝えることもある。身軽になるための音楽であって、音楽の中にいるときは人間のことを考えなくていい。人間は音楽を抜きにして考えると面倒くさいものだけど、人間がいないと音楽も鳴らない。翠いわく、ロックは間違った理屈で勝手に人間を擁護して、でも一生懸命だから励まされてしまう。正しいことを言って正しいことをしたら正しい結果が得られるのはパズルや経済のような分野の話であって、そこに快楽がないとは言わないけど、寒々としている。正しくあろうとしてもできないことについて瀬戸口廉也がなんでもないような口調で書くとき、彼は何かリアルにあることを模写してその受け入れ方まで示しているのだろうけど、そんなふうに納得して終わりにしていいと言い切れないのは、「語り」と「内容」のずれを帳尻合わせせず、いつも開いた形で終わらせているからなのだろうな。しっかり者の千絵が裁判で疲弊する母親を見て、自分もいつか鹿之助に依存しきってしまい、捨てられでもしたらああなってしまうのろうなと想像したり、人あたりの穏やかな紗理奈がもっと自分を信頼して話してほしいと鹿之助に不満を言ったりするのは、たぶん「キャラ設定」や「物語の進行」的なものからは離れた脱線であって、それによって彼女たちの「設定」はぶれてどのキャラも似たようなところがあるということになって、話の糸ももつれるのだろうけど、そういうずれの中からキャラ同士の内面、あるいは作品と読者の垣根が次第に侵食されていくのがこの作品の魅力であって、その意味では人間嫌いの人の話とは言いがたいところがある。
バンドが地方へのツアーをやったことはなんだったのか。何で大阪だったり神戸だったり、熊本だったり沖縄だったりしたのか。その選択肢には何の意味も必然性もなくて、選択したという事実とそれに意味を与えたことと、記憶だけが残る。ストーリー上は、千絵と紗理奈ではツアーの位置づけは違っていて、千絵の方は帰京後の家庭問題を予告するようなだめな中年男や尖った母親がでてきて、千絵姉は放っておいても勝手にこういう問題に巻き込まれていくのではないかと気の毒になりもうロックンロール。紗理奈の方は、熊本から西は日差しの強さのせいか非現実的な明るさがあって、帰京後の対話・会話・電話の言葉と責任パートと対照的で鮮やか。夢の彼方の出来事のようだ。彼女の枕元に星の砂の小瓶があるのもやさしい。とはいえ、ツアーを意味の中に回収してしまうのではなくて、ただツアーをやったという事実があって、その先に今の千絵や紗理奈がいるという、物事の連続をそのまま受け入れて安らぎを得ることができるのなら、それが一番いいことなのだろうなと思う。きらりの話ばかりがインパクトがあるように見えるけど、ヒロインとしてとても素敵な二人なのだったと思い出せてよかった。