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vostokさんの朝からずっしりミルクポット2リットル ~ふたなり姉妹のドスケベ露出センズリ@秋葉原~の長文感想

ユーザー
vostok
ゲーム
朝からずっしりミルクポット2リットル ~ふたなり姉妹のドスケベ露出センズリ@秋葉原~
ブランド
みさくらなんこつハースニール
得点
85
参照数
3738

一言コメント

悪の華、再び。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

 おねがい……さきっぽだけは、見ないでぇ……

 これはパッケージ表面に印刷されている煽り用の台詞で、実際はヒロインたちは裸同然の格好でビール瓶のような陽物を立ててアヘ顔で野外を歩いており、さきっぽだけ見えなければ問題ないとかそういうレベルではない。レースの下着のようなもので飾られた凶悪な「幹」の部分はほぼ丸見えになっている。こうして実際の事象をそれよりも低く評価するものを引き合いに出して描写するやり方を、修辞学では抑言法という(と思う)。実際よりも高く評価するもので描写する誇張法の逆である。それとも緩叙法(表現を和らげることで逆に強調する方法)だろうか。ともかく、さきっぽだけ見えなければ問題ないとすることによって、逆に対象物の巨大さが強調されてしまっている。これは言葉のほうでことさら大げさに過小な表現を用いているのではなく、単に対象物のほうが通常の言葉による表現の範疇を逸脱した非常識に巨大なものなので、普通の言葉を用いれば釣り合わずに自然とそうなってしまうのである。ヒロインの伊織は女の子らしく可愛くて小さなものが好きなのに、物のほうがそれを許してくれない。

これは日常の規範を逸脱したみっともなさを笑う喜劇であると同時に、それを抱えたままでは日常に復帰することのできない者の絶望と、破滅に突き進むことによる跳躍を描く悲劇でもある。規範を破壊し、言語も破壊する…

 みうぐっ みうぐでじゃぐろおおおおっ!!
 どべびむもっ ばれれみれるもほめぎゅめほふめかかわあああっ

 この辺になってくると意味すらもおぼつかなくなってきて(なに言ってるのかよく分からない…)、ザーウミ(超意味言語)とか北斗の拳の断末魔に近づいていく。




 …というような言語学的なアプローチで何とかなると思っていた。はじめは。
 でも進めるにしたがってゲームから吹き出る強烈な負の力に抵抗できなくなり、途中からはただひたすら押し流され、消耗させられてしまった。テンポのいい言葉のアクロバットががんばっていた前作と比べると、今作でももちろんそういう楽しい表現はてんこ盛りだけど、それにも増して亡者の呻きのような重くもたれる喘ぎ声が増量されていて、そっち系の属性があまり開発されていない読者としては、耳と脳に長時間毒電波を浴びせられているようで、面白いとかエロいとかいうよりも、疲れた。

 伊織たちが無限に湧き上がる精液に苦しめられながら、秋葉原(実写動画)の通りを徘徊し、気違いじみた歌を歌っているのを見ていると、ここまで彼女たちを追い詰めてしまった自分たちに罰が当たるのはいつだろうかということが否が応でも頭をよぎる。伊織は唯我独尊を宣言して周りから自分を閉ざし、そうして悪役を買って出ることで僕たちの良心が少しは守られるのかもしれないけど、彼女の欲望が何を反映したものであるかを思えば、そんなことは考えるだけ無駄のような気がする。

 職人芸的に安定した超絶アヘり声を奏でる櫻井ありすさんと比べると、香織役の桃也みなみさんは地声が出てしまっていて聞いていて不安になる。そしてその生々しさは「がんばるお姉ちゃん」というキャラクター性に回収され、いずれにしても僕らにダメージを与える。声の即物性は回避しがたいことは、言語として崩壊した言葉を大量に投げつけてくるこの作品において特に強く感じられるところで、声が耳に残る。それは身体性や観客とのコンタクトによってこちらの地位を脅かしてくるある種の演劇にも通じるものがある。こちらの地位を脅かしてくるというのは、ヒロインに生えていたり、露出プレイという観測者を引きずり込む設定が好まれていたり、バタイユ的な破滅の解放感が希求されていたりする辺りにもうかがえる。そしてこれだけ超絶プレイをしておきながら伊織がまだ処女らしいというのが、奇跡のようであり皮肉のようでもあり素晴らしいのかも。

 正直、3はつくらなくてもいいと思う。マンネリだったら悲しいし、これ以上エスカレートしたらつらくて耐えられなさそうだし、方向転換してハッピーエンドな癒し系にするのなら別タイトルでいいような気がする。出るならもちろん買わせていただきますが。



<おまけ>
 本作と前作の間の外伝的な位置にある文庫版(みさくらなんこつ、蝦沼ミナミ作)の感想もついでに:

 一日に何度か出してあげないとすぐに一升瓶のような大きさになってしまうという恐ろしい事態で、これはもはや障害者の認定を受けても仕方がないレベル。『フランケンシュタイン』のような顕在化した無意識の文学であり、『ねじ式』のような不条理文学であり、『地下室の手記』をさらに押し進めて、収奪された身体性に復讐される寓話文学であるはずだが、あくまで祐希堂伊織の「日常」と言い張るのがシュール。エロゲーではなくお手軽な文庫本というフォーマットになっても狂騒的な笑いと病的な吸引力は失われず、冷静になると何でこんなものを読んでしまったのかという因果なもの感はむしろ強まったような気がする。これが何かの生理的な経済に駆動された構造物であることは多分間違いないのだが、自分の中で何処に位置づけたらいいのかにわかに決められず、まさに「腫れ物」扱いだ。

 本作はオリジナルからスピンアウトした「日常」物だが、オリジナルよりもバッドエンド感が強い。柚子とささやかな幸せを手に入れることも不可能ではなかったはずだが(あれほどのふたなりなら普通は不可能だが、というか普通のふたなりというのもないが)、破滅に向かって進まざるを得ないのは悲しいものがある。伊織ちゃんに幸せと平穏を与えてください。