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violinsさんのsense off ~a sacred story in the wind~の長文感想

ユーザー
violins
ゲーム
sense off ~a sacred story in the wind~
ブランド
otherwise
得点
92
参照数
873

一言コメント

SFという要素を組み込み、スケールを大きくしながらも主張としては非現実的とは言い切れぬもの。「……あなたの言葉は、『関係性』を結ばない」 ※「未来にキスを」のネタバレも含みます

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

「未来にキスを」においては、むしろ肉体から解放された、精神的な繋がりこそが至高のものであると、


>お兄ちゃんはお兄ちゃんの中のボクだけ見てくれればそれでいい。
>ボクとお兄ちゃんは、もうお互いを見なくてもいい。
>ただ、自分の中だけを見ていたらいい。


これが精神的なレベルのことであり、肉体は不要であるかのように捉えていた。






しかし「sense off」においてはそれを透子は望むが、それを体現していた慧子はそこからの解放を、肉体という縛りの中に入ることを望んだ。

これは単なる主張の違いとして片づけるには余りに抵抗がある。
何より、透子シナリオは”肉体を持って結ばれて”初めて"the end of the world"を迎えることができる。

※"the end of the world"に関しては追記参照。
物語の主人公であり、新たな歴史の始まりの体現者の一人である直弥はこう言う。



>多分自由って言うのは、
>不自由な縛りの中で……不自由な肉体を通した繋がりみたいなことの中で感じることができるんだと、そんな気がする
>だから、俺は透子が欲しい


>肉体の感覚――
>その地平に立っているからこそ――
>そこから飛翔し――
>誰かの――透子の心の中に、
>そしてあらゆる世界に飛ぶことができる。




少なくとも彼は「肉体というハードウェア」を前提として捉えている。必要不可欠なものだと。

この「肉体」は「檻」という表現でも語られる。
ではこの「檻」は、「未スを」においていかにして語られていたか。


――椎奈を閉じ込めるモノとして、康介はその「檻」から奇跡的に自由であるとして。


「檻」は例えば家族”観”であったり、法であったり、教育であったり。
本来は意志を持たず、人を支配するはずがないものでありながら、「実体のない超越したシステム」としてその支配下に人間を置く。



>わたしたちは、檻の中でわたしたちの姿を創る。
>そうやってしか、自分たちの像は創れない。
>そうやって知覚した像こそが、真実の像。
>檻の中に、変革された未来がある。



同じ「檻」という言葉ながら、同一に認識することが適切ではないのだろう。
「肉体――ヒトという生きた存在」と、「実体のない超越したシステム」とを。



肉体を持つことで得た感覚。
その感覚をもとにして得た相手。
その相手を取り込み、感覚を遮断して、自分の中に創り上げた”相手”を見る。



>それは、馴染みのある声。
>遮断された感覚の中、聞こえてくる声。



ここが、sense off された世界であり、――圧倒的な楽園


















追記('10/9/12)大したこと書いてませんが。



・成瀬√での終末観及び珠季√での告白

ゆうろ絵、BGM「ピアノフォルテ」、穏やかに死を受け入れる描写が自然と受け取れるテキスト。非常に高次元に組み合わさった名場面だったかと。


SWAN SONG「教会END」において感じる美しさは、圧倒的な美。
何かよく判らない、理解できないながらも感じざるを得ない。そんな美。

それに対して、Sense offにおける美しさは、心にストンと落ちてくる、納得の上での美。
まるで言葉を定義した瞬間に感情が輪郭をもって現れるような、言葉を発した瞬間に、感情が色づくような。そんな美。


この美しさは珠季√4/29でも感じとれた。
世界の変容…卑近な例で言えば「好きな人ができたら世界が色づいて見える」と同じかと。
もちろん程度の差なんなりはあるのだが、「主観によって――解釈によって、世界は違って見える」、その部分での揺らぎはない。


その上、珠季のかわいさが尋常じゃない。特に立ち絵でその心情の変化を見事に表したゆうろ氏に賞賛を贈りたい。
味があるってことなんだろうなぁと。
例えば「ましろ色シンフォニー」なんかの和泉つばす絵は確かにかわいい。そつがない。
が、強く心に響くものがあるかと言うと…。もちろん元長氏を始めとした他スタッフの力も合わさってということが前提で。



・各END(="the end of the world")

・成瀬:(成瀬の)意識の継続、転生

>あの人に出会った。
>今日は、わたしの誕生日だ。

・珠季:珠季の死と直弥との共生関係

>……俺たちは、共生体となった。
>肉体を超越して……結合した。

・椎子:直弥の死と転生(?)

>なるほど、じゃ、どこ行くか未定だけど、とりあえずどこか行くか
>はいっ

・美凪:直弥の精神的な永遠の眠り(≒死?)と、転生(?)

>ここにいなくてはいけない人だ。
>それに、もっと大切なのは、あの人とわたしは繋がっているということだ。

・透子:≪世界の読み替え≫の例外≒美凪の力の例外≒直弥の能力の副産物、再び世界に存在

>そしてそこに、探し物はあった。

・慧子:精神世界での邂逅と、歴史の始まり

>閉じたモノローグの先に、未来が――
>歴史は、もう始まっている――


上記の「転生(?)」=相手を自分の内に取り込むこと。
そして「転生(?)」してないものの、これをまさに表しているのが珠季ENDかと。

また、成瀬の転生はラストの一枚絵が現在の姿の直弥だったことから、やはり精神的なもの、つまり上の結論と同じかと。

安易すぎるかとも思うが、「未スを」と組み合わせて考えるなら別にこの程度でもいいのではなかろうか。



そしてこの"the end of the world"
物理的世界の終わり、精神的世界の始まり。
肉体的接触による感覚に基づく他者の知覚[自己内部への取り込み]の終わり、感覚を遮断した内部世界の構成。

自己の内部への他者の取り込み(≒圧倒的な楽園)と解すれば、この"the end of the world"="birthday"であり、そこまでへの流れが"birthday eve"。


(おそらく)記憶を失って現実世界に再び現出したことから、この解釈は透子に対しては当てはめ難いのであるが、この場面から「不安定ではない肉体を得た透子との新たな出会い」の始まりなのではないか、とか適当に言ってみる。

”意味”を失っていた、解釈を与えることができず『関係性』を結べなかった透子が消え、能力を持たない(?)他の人と同じ存在として蘇る。……根拠ないですね、はい。