短いからこそ濃厚で異質な雰囲気が光る作品。BGM、SEが秀逸であり、異世界への引き込みは見事。しかし、「純愛」なのか?
結構前にプレイした作品なので記憶が曖昧なのはご勘弁を。
鋼屋ジンさん、沙耶の唄についての考察
ttp://togetter.com/li/10179
ここによると、
<純愛言うけど、「沙耶の唄」こそ「※ただイケ」のお話なんだけどな。
<「長く仲良くしてた」友人を見た目で嫌悪したフミノリが、沙耶に対して「今までの積み重ねが大切だよ」と教えるのが、皮肉なんです。
とある。
プレイ当時はこの作品が「純愛」ゲーと呼ばれるのに全く違和感を感じなかったのですが、上のような意見もあると。
「今までの積み重ね」の大切さをどこで説いていたのか記憶に全くないので反論しずらいし、ズレが生じるでしょうが、ごちゃごちゃ書きたい事を書きます(汗
フミノリにとっての「世界」において、沙耶という存在は希望であり、救いであり、神にも等しい(というよりメシアに近い)存在と感じた。
フミノリが沙耶に感じた感情は単なる恋愛における「好き」とは異なるものだったのではないか。
唯一の希望である沙耶。彼女に徹底的に依存した感情。
すがる、という言葉が一番当てはまるかと。
そして、希望が手中に収まった事で余裕が生まれ、「二人だけの世界」を奪われることに焦りが生じる。
だからこそ、耕司を始めとするかねてからの友人に敵対するのも分からなくはない。
確かに友人らに足しては「見た目」に酷い嫌悪感を抱いていた。
しかしトリガ―を引いたのは、それに加えて「沙耶」という存在がいたからこそであり、感情に歯止めがきかなくなった。
・・・どちらにせよ、沙耶への想いの起点が「見た目」であることは間違いないんですよね。
成程、皮肉と言えば皮肉である。
しかし、プレイ当時は皮肉さよりも世界の曖昧さに惹かれた。
主観でー個人の認識でもってー世界は紡がれ、少なくともその世界は個人にとって大きな比重を占めたものだと。
世界はたやすく歪み、その世界に囚われる。
確かに客観的には歪んでいるのだろう。
しかし、畢竟、「世界」はそういうものであり、主観的であるのが当然なのではないか。
フミノリにとっての、化け物より人間をとるという選択。
両者の生きる世界が違うというのは全くもって普通のことなんですよね。
このレベルでの「見た目」で区別するというのは。
相いれないかつての仲間と、同族である沙耶。
「見た目」は区別の手段であって、かねてからフミノリは沙耶と同じ世界の住人であった、と。
その世界は沙耶が全てであり。
沙耶という存在の他に選択肢がないからこその一途さ。沙耶にとってのフミノリにしても然り。
そこで鋼屋さんの述べる「※ただイケ」という言葉。
この「※ただイケ」というのは同じ土俵(人間同士)に立った場合に使う言葉なのではないか、と思うわけで。
その点で、鋼屋さんのように言い切るのには抵抗がある。
「純愛」とは、広辞苑によると「純粋な愛。ひたすらな愛情」
大辞林によると「邪心のない、ひたむきな愛。」だそうで。
沙耶への想いは一途でひたむきである。
最初の選択肢で付きつけられる、沙耶といる世界をとるか、人としての世界をとるか。
ここで沙耶を取ることで、沙耶を中心とした、沙耶の為だけの世界を選んだ事になる。
恋愛的な「愛」でないとしても、やはり「純愛」であろう。
・・・頑張って書こうとしたけど難しいものです。論理的ではなくて申し訳ないです(汗
最後に少し。
個人的には二つ目のBADが一番綺麗に感じた。
凍りつきながらもひたむきにフミノリの元へと向かう沙耶。
沙耶の中心がフミノリであったことを端的に表す演出が好きでした。