子どもとも大人とも言い切れない、あやふやさが漂う年頃の青年たち。ダムに沈む最後の夏を舞台に、些細なことから揺れ動く彼らの心情。緻密な心理描写と、群像劇と呼べるほど丁寧に描かれた複数視点。そこにあるのはただのありきたりな物語。
1.「in the hight of summer」(恭生視点)+貴理視点
2.「a side role」 (英輝・有夏視点)
3.「blue marbles」 (冬子視点)
4.「when one was a boy」 (1年後の物語)
本作は以上のように複数視点が導入されており、特定の期間を異なるキャラを主体として見ていく周回型となっている。
2~4は恭生視点の話でいくつかのENDを迎えることで解放するが、冬子視点の痛さ・辛さが素晴らしスパイスとなっている。
青年組(恭生、貴理、有夏、英輝)のあやうさ。
他のゲームと同様に選択肢によって√が変わるが、選択肢ごとの差が小さかったり、
些細な事・意図せぬことから物語が大きく展開したりする。
(例えば、有夏√において、バスの中で有夏が貴理に「恭生が好き」「付き合うことになった」などを言う。
この場面、有夏の内心では貴理の対抗心を引き出そうとしたのだが、結局は貴理を一歩引かせることに)
こうした場面の説得力、個々の心情の機微が丁寧。
逆に言えば眠くなるのだが・・・
更に周回型である=同じような文章を読むのはキツイ。。。
若々しく、むしろ恋愛に関しては幼く(思い出の品を探すのに拘る姿勢から見られるように)意固地な性格の恭生視点を越えた先にある冬子視点。
ここで化けた。
恋愛はしたことないが、幾人もの男と寝ている、そんな彼女。
自暴自棄とはいかなくとも、諦念に充ちていたり、無垢な若さに溢れる恭生たちに嫉妬する一方、心の深くで故郷へ愛も残している。
無邪気さはないものの、恭生たちと同様のあやうさを秘めている。
そんな彼女が女将さんに甘えることができたり、恭生たちの関係に傷を与えたり・・・
一言で群像劇と書いたが、英輝が単なるサブキャラに止まっていない。
背景に家庭環境もあるのだが、恭生・冬子の「出ていった人間」の対象たる「町に残り続けた人間」の代表。
行動で示すのがじいさんなら、子どもらしく直接言葉でぶつける英輝。
このサブにいる大人(じいさん、女将さん)とメインキャラの対比がまた上手い。
そんな、各々の感情に充ちた話は単なるボーイ・ミーツ・ガール。
だからこそ、誰の目にも懐かしい。