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violinsさんの暗い部屋の長文感想

ユーザー
violins
ゲーム
暗い部屋
ブランド
暗い部屋制作委員会
得点
83
参照数
5701

一言コメント

唐辺葉介氏の新作、と言えば分かる人には分かるでしょう。小説で日の目を見られなかった作品が、PCメディアという形で世に出されたわけですが、(本作では控えめとはいえ)相変わらず心を抉ってくれます。あとに残るはやるせなさと希望。(11/25に追記)

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

体験版をやった限りでは『PSYCHE』のようにとことん気持ち悪い(もちろん褒め言葉です)作品になるのかと思いきや、先に立つのはやるせなさ。
過去作ではCARNIVALに一番近い作品なのではないでしょうか。


PCメディアで出すことになり、三人称の一人称への切り替えを含めた書き直し、BGM、背景等の視覚情報、テキストの表示方法。
ぱっと思いつく限りこんなところでしょうか。
唐辺氏は一人称でも評価されてるので書き直しに関してはほぼ問題ないかと思います。
(自分は信者なのでどんな文体だろうが唐辺氏の作品というだけで飛びつきますが(笑))

で、BGM。これが素晴らしい。
作品を彩り、引き込み、突き放す。
是非ヘッドホン、イヤホンを使って読んで欲しいです。

背景に関してはイメージを抱きやすくする程度に抑えられていたかと。
勿論小説よりはイメージを固定化してしまうのですが、過度なものは見られなかった。
特に人物に関してはシルエット表示である上、輪郭のぶれを出していたのが印象的。

発売前から言われていた事ですが、テキストの表示方法には否定的意見の方が強いかと。
ぶっちゃけ読みにくいです。慣れますが。
スクロールの長さが一文単位なのでばらばらである点と、背景と色が重なるのが痛い。



全体的な話はこんなところで、作品の内容に入りたいと思います。
ここからは思ったことをつらつら書くので悪しからず。





―――――――――――――――ネタバレ注意―――――――――――――――――――









「誰が悪い」と決めつけることができない、いつの間にかずれた歯車。
いくつもの”ずれ”。
その”ずれ”のきっかけは確かにあった。
しかし歯車は最初からいびつな形で存在し、かろうじて均衡を保っていたのか。

親がおかしければ子もおかしくなる

「問題を抱えた親」というのは良く聞く。
それはその親自身に帰結するのか。それとも親から子への連鎖が続いているからなのか。
精太郎、彼の存在は「初めから」おかしかったのか。
死体をモノとして見、残酷なほどの冷静さを見せる彼は。
徹底的に自分に非のないストーリーを描き、それ以外を排除する彼女は。
遠い未来の幸福を夢見ながら、現在を顧みない、積極的な関わりを持とうとしない彼は。
暗い部屋に閉じこもり、自分たちを選ばれた存在だとし安寧を得、自己を正当化する彼女は。
・・・・・・
・・・それとも”いびつ”と思うこと、それ自体おかしいのだろうか。



「運命だったんだよ」
そう言いきってしまうのは簡単だ。
運命を否定し、原因を特定し、誰かを・その原因を咎めたいと思う気持ち。
一方で、変えようのない運命を認めているからこそ感じる「やるせなさ」。

運命だと言ってしまうのは好きではないのだが、登場人物の「非」を見せられても追及しようと、そして心を軽くしようとは思えない。
やるせなさを感じながらも前に進むことの美、希望の光。
それが唐辺氏の作品の見せる力なのかな。
少なくとも自分には(一面で)そう感じる。



作中最後に示される一枚絵。
夢物語か現実か。

「馬の頭に釣り竿つけて、先っぽにニンジンつるすでしょ。馬はそれを追いかけてずっと走るって」
「あのニンジン」

なのかなぁ、と思ってしまう。
暗い部屋を飛び出して外の世界を知った精太郎。
彼は言う。

>せっかく生まれて来て、ここにいるんだから、少しでも多くの物を見たいな。
>ただ見るだけで良いんです。
>本当に。他には何も。

彼が見たかったものの、ひとつなのではないだろうか。





最後に、特典小冊子に関して一言。
うん、はっちゃけすぎです、唐辺さん(汗
粗が目立つけれども、それでも没頭してしまう。
また、乱丁箇所が見られるがむしろ演出なのではないかと思ってしまうあたりが恐ろしい。


これを読んで真っ先に思い浮かんだのが「頭の中は宇宙よりも広大である」ということ。
作中ではこんなことが書かれているのだけれども。

>絶対に出られない檻を、二重にしようが、三重にしようが、一番狭い檻から出られないんだから、意味無いですよね。
>一生出られない檻なら、僕は生まれたときから入ってるんだよね。
>それは、この頭の中にあるのです。
















11/25 追記。+2点で83点に。
正確なプレイ時間は3時間23分でした。


オフィシャル通販(+MK)で買っていたのですが、先日ver1.1に修正されたディスクが届いたので再プレイ。
【これにはおまけとして作中で使われた曲など(というか使われてない曲の方が多い)32曲が入っていました。】
訂正(2011/1/18)→【ED「It's Not The Sweetness We're After,It's The Sugar」以外全て入ってました】
完璧見落としてました(汗
合計52曲かな。ED曲以外はBGM鑑賞に入ってないやつも網羅してると思われます。

修正に関しては誤字脱字が中心かと。それでも残っていますが。
また、三人称で書いた名残も修正されていなかったので多少違和感が。
とは言っても、些細なものです。




以下、再プレイでの感想。
踏み込まない(正確には踏み込めない)けど、相互承認論(ラカン・フロイト…)とか参考にしたのだろうか。
母親と幼児の欲望が無限に続く鏡像のように反射する、ナルシシズム的な世界の。
「CARNIVAL」で一番喉につっかかってる「理沙は学の母親にはなれないし、学は理沙の父親にもなれない」との言葉も同様に見えてきそうな気もする…


>普通の人。普通の家族。人間としての欠陥。

"普通"ってなんでしょうね?
一般的な。標準的な。
漠然としたイメージ以上のものではなく、数値としては表せないもの。

季衣子はイジメの発端は母親にあるものの、イジメ"続けられる"のはやはり自分に人間としての欠陥があるからじゃないか、自分はミジメな存在なんだと思い込んでしまう、と言い、
精太郎は初めは違和感を覚えた母親との性交に慣れたと、ただの日常の一部になったと言う。

集団単位で言えば、もちろん(その時代、地域での)比較の上で"普通"の範疇か否かが定まるのでしょうが、
個人単位ならば「自分は普通ではない」と思った、認識した時点で、"普通"から逸脱する(逆もまた然り)のでしょうね。




日野家という暗い部屋から出て、押川家へ行き、取調室という暗い部屋に至る。
季衣子にとって安息の地ではなかった押川家も、精太郎にとっては世界への窓で。
日野家は他人が踏み入り、窓は自身の手で開け放った。
それでもあそこは――防毒マスクでも造られる世界は――彼の居場所なのだろう。
世の中に「出る」ではなく、「見たい」と言う。
見れれば充分であると。
彼の居場所は、変わらない。


>新しい環境に入るということは、新しい自分に出会うのと同じ意味なのでしょうか。
あの閉ざされた部屋で僕は、外界だけではなく、自分の事さえもろくに見ていなかったのでしょう。

赤子のように無垢であった精太郎。
ただただ日常を享受し、本の中へ、映画の中へ、母親に向けて思いを巡らすことはあっても、主観の揺らぎは無かった。

>食べながら、キャッキャッと笑う様子を見て、初めは僕も笑っていたのですが、やがて居たたまれない様な息苦しい感情が胸を侵食し始めたのです。
>無邪気にはしゃぐ子供と、少し疲れた笑顔を浮かべる母親の間に流れる空気感が、なんとも言えず厭でした。

母親の死に対しても、季衣子の父親の死に対しても強い感情を表さなかった精太郎が、赤の他人を見て吐いてしまうシーン。
彼はその親子に、暗い部屋にいた時の自分と母親の姿を見たのでしょうね。
自分にとって"居場所"足り得たあの世界は、彼女にとって満足いくものではなかったのではないか。
精太郎には父親の役割を与え、虚飾に彩った世界で、彼女の安らぎはあったのだろうか。





ラストシーン。
子どもの姿の男の子と女の子が寄り添う姿。
防毒マスクを被らず、拓けた場所で寄り添う二人。
希望。幸福。


しかし、あのまま別れ別れになっていたとしたら?
子どもの姿。永遠に戻ることのできない姿。
泡沫の…夢。