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violinsさんの穢翼のユースティアの長文感想

ユーザー
violins
ゲーム
穢翼のユースティア
ブランド
AUGUST
得点
90
参照数
969

一言コメント

壮大な舞台における、人間たちの物語。かなりやりたいことはできたんじゃないかと推測するくらい質・量 ともに満足いくものだったが、大手八月という(エロゲ的)「優等生」らしさを感じないわけでもなかった。つまりもうちょっと刺があっても良かったかな。 見聞と経験の差。そしてそれはどの位置でのものか。「知っている/知らない」・「できる/できない」を前提とし、その上で(今いる立場・状況から)「やる/やらない」を選択する。社会最底辺の「牢獄」から平民層の住む下層、そして政教を司る聖教会と貴族・王族の住む上層まで、まさに「国家」の端から端まで駆け抜ける。「個々人がつくっていく歴史」というものは非常に胸踊る。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

音声は9割5分ほど聞いた時間。「クリック後もボイス継続」あり
3:12/序章
5:43/一章、フィオネ
5:03/二章、エリス 
6:40/三章、コレット、ラヴィリア
7:40/四章、リシア 
5:50/五章、ティア
6:01/おまけ(17個、その内エロが13)
0:01/メーカーロゴ

計:40時間10分


CG数(差分含まず):109枚
 内訳(エロ):ティア20(8)、エリス16(8)、コレット・ラヴィ20(8)、リシア16(8)、
 フィオネ16(8)、他21(6)
エロ:4回ずつ(※コレット単独2回、ラヴィ単独1回、3P1回)。また、娼婦三人1回ずつ
 1回につき20分ほど。フェラ+本番とか二回戦が過半。前戯も長め
BGM数:44曲(OP,挿入歌、ED×2含まず)
一~四章の個別は、エロ2回+ちょっとしたシナリオのみで、各1~2時間ほど。
 残りは共通。五章は固定End一本道





 ※以下、既プレイ者向けに書いています。ネタバレ満載です。








◯テーマ

「生まれてきた意味」を"見つける"物語ですね。「意味」は所与のものではなく。
身分は顕著に受動的なものであるが、それだけではなく、能動的に”見つける・探す”。
そして"見つける"だけでいいかというとそうではなく、自らの信念に従って生きていく
ことができる、個性と人格とを陶冶した「強い個人」たれ、という、そういう物語。


うまくまとめられなかったので散文的に蛇行しながら長々と書いてますが、結局
このテーマを膨らませて具体的に書いているだけです。




カイムはどの章でも直近の課題の当事者ではあったが、「牢獄」より上層が舞台の
三・四章は直接の選択者・行為者ではなく補助的な立場にある。
当たり前ですね。いきなり聖職者になれるわけでも、王になれるわけでもない。
貴族の地位授与という例外はあるものの、大原則として身分は絶対的な壁であり、
カイムが「聖女」「王」になることは「できない」。
「できる」ことと言えば支えになったり叱責したり助言したりと、促す・導くこと。
更に二章ではエリスを「(自律的)自由」の身にさせようと説得する場面でもまた、
この側面がでている。
うん、説教くさい。
一見すると五章では、この説教くさい台詞群が少なからずブーメランになっている。
ジーク曰く「自分の足で立っていない」(五章)。
この時のカイムは、まるで操り人形に過ぎなかった当時のリシアを見ているよう。




五章のセカイ系的命題に行く前に、カイムの弱さが強く表に出た二章を見る。

エリスに対してみせた脆さ(「理想像の押し付け・見ているのは見"たい"もの」)は、
問題に直面しているのが「まさに自分である」かどうかが決定的であると読める。
側近・教育者・擁護者・相談役といったサポートの役割は充分に果たせるほど「優等生」
だが、いざ自分の決定的「選択」となると躊躇する。
 ※おまけのリサストーリーで「娼婦の相談を度々受けていた」とあるように、三、四章
  同様この面では秀でていることが見て取れる
「自分の問題」を乗り越えてこそ、本当に「強い個人」であると言えるだけ成長したこと
になる、成長できるのだろう。


で、問題の五章。

「最愛の人を取るか都市全体を取るか」という命題は、ギルバルトが<<大崩壊>>を意図的に
引き起こしたと知った四章ラストの場面では、カイトは<<大崩壊>>経験者・被災者という
立場から、その思い・考えを一蹴する。「そんなくだらないことのために」と。
それが五章においてこの命題に直面し、「知り」「できる」立場にたったカイムは始め、
ルキウスの依って立つ基盤:倫理的「正論」を振りかざし、苦しみから目を背け逃げ出す。
「選択しない」という第三の「選択」を消極的にだが「して」いる。
カイム自身が「<<大崩壊>>は経験した者にしかわからない」と断言し、軽々しく口にする
リシアに憤りを覚えていたように、このセカイ系的命題も「経験した者にしかわからない」
種類のものなのだろう。
この「経験」の有無に絶対的断絶を与えるなら、上述したブーメランも多少弱まる‥‥か。

 ※それでも自ら望んで天使の力を利用したギルバルトと、その尻拭いとして否応なく
  選択する立場に立たされたカイムでは状況が大きく異なるが、両者ともに同じような
  稀有な選択に直面した(できた)ことに変わりはない。

「カイムさんは優しいですね(コレット、ラヴィリア)」「お前は優しいな(リシア)」
といったように、カイムは「感情」(五章、バルコニーにおけるルキウスとの会話で実利、
理想、忘れたけどあともう一個と対置された、それ)的でもある。
「感情」が根深いからこそ、「実利」等といった信念に従い非情になりきれない。
<<大崩壊>>時に兄アイムに手を差し伸べたのも「好き」だった故の感情的「咄嗟」の判断から。

ティアと駆け落ちすれば二人がしあわせにはなれるだろう。しかし待っているのは都市
の崩壊、つまりエリスもジークも娼婦三人組もティアもカイム自身も全員が間もなく死ぬ未来。
カイムは確固たる信念は持っていなくとも、うまく立ちゆくだけの身体・精神を備えた
「小賢しい」「ものわかりの良い」人物であるがゆえに、娼婦リサのように思考をとめる
ことが、ギルバルトのように利己的になることが、ルキウス・システィナのように功利主義
を貫くことが、行動原理を選ぶことが、できない。




「家、家宝の剣」  に縛られるフィオネ
「人形としての自分」に縛られるエリス
「天使の声」    に縛られるコレット
「家族(愛情)と"王"」に縛られるリシア
「使命」      に縛られるティア
「兄・母親」    に縛られるカイム

「意味」である、もしくは「意味」と密接に関係している一方、どれも一種の呪縛として
働いているが、各々からこれを短絡的に切り離す・排除することは本作の良しとするところ
ではないだろう。
「今の自分は過去の集積だ」といった趣旨の台詞は「夜明け前より瑠璃色な」で月の王女フィーナ
が述べたものだが、「仮に王女でなくなったフィーナはもう『フィーナ』ではない」ように、
彼女たちからそれらを抜き取るのではなく、「家」「使命」といったものをコントロールする、
支配されるのではなく自分の一部として組み込む。
それでこそ「強い個人」である。
「剣に振るわれるな」とフィオネの兄・黒羽クーガーが言っていたことも思い起こされる。



シーナ・アイエンガー教授の「選択」をテーマにした講義(コロンビア白熱教室。NHKで放送)
にあるように、人生を「運命・偶然・選択」に分けるならば、生まれという「運命」を嘆く
だけでは建設的ではない。少なくとも「強い個人」にとっては。
確かにコレットが「天使の声」を聞けたことは生まれ(=運命)に支配され、天使の声を待つ
という祈りは直接的には無意味であった。
しかし、ラヴィリアが「(他意はあるがそれでも)コレットこそ聖女にふさわしい」と思える
ほどの聖職者になれていなければ、軍勢を率いる「救世主」たりえただろうか?

・・・あれ、矛盾してる(汗
コレットについては、「都市を浮かせているのは聖女の祈り」という基盤が「聖女イレーヌ」
就任直後に崩れ、それから「天使の声」を信じたのは自発的選択でもあった。
が、三章で描かれた場面はやはり「天使の声」に固執し縛られているように思われる。
「意味」は見つけたけれども、「意味」に縛られている様は初期のフィオネに通じるか。
では、「強い個人」になったのはいつかと言うと、五章で「天使の声」を手段に変えたとき
だろうか。
「天使様をお救いせねば」という目的は献身が強くとも自律的判断と言えるのではないか。
少なくともこの時点で、ただ「天使の声」を聞き、それに従いさえすればよい、という考え
から脱却していると言えよう。たぶん。




「強い個人」をキータームとして用いてきたが、カイム自身が(無意識的に)望む人間像
でもあると思われる。

エリスには親殺しという贖罪の視点で見ているとカイムは思い込んでいたが、実際は母親
や兄アイムの言葉に縛られていただけ。
とはいっても、相手を支配するのではなく対等でありたい、人間同士として接しようと
していることは隅々に感じられる。
エリスに理想を押し付けていたと自覚した上での「自由」の要求にせよ、「使命」を果た
そうとするティアの言葉に従う・選択を任せることにせよ、「自分を含めた誰をも疑え」
とリシアに諭すことにせよ、コレットとのチェスにせよ‥‥。


エロゲという媒体は絵・システム等の負担を考えても、「一人ひとり」を深く描くことに
適していると思っているし、そこを期待してもいる。

王(リシア)、政治家(ルキウス)、騎士(フィオネ、ヴァリアス)、聖女(コレット)、
頭(ジーク)、「人形と対比した人間」(エリス)等々、全力を賭してそれぞれの役割を
演じている。生きている。
ファンタジー世界が舞台であるため、その役割自体が特殊であり彼らの姿・思考は
現実と比べて感得しにくい面はあるのだが、「リアリティ(≠現実っぽさ)」は高く
視点変更がなくとも各々の中に入り込みやすい。共感し葛藤しやすい。
本作の魅力は舞台と物語展開の広さ(例えば勢力争いから武装蜂起、セカイ系)にも
あるのはもちろんだが、あくまで彼ら彼女ら人間を掘り下げて描いている。
どのキャラも血が通っている。そこは曲げていない。「強い個人」たろうとしている。
ここが本作の一番好きなところです。




次に、生まれという「運命」よりも「選択」を重視しているように思える場面を取り上げる。

ルキウスとシスティナが養父殺し、つまり生まれではなく生まれてから以後に得た地位・
立場に立った二人が同じ行動を起こし、最後までその立場を貫いたことが主役級のロマン
ティックな雰囲気を醸し出している。
リシア自らの手による実父(=ギルバルト)殺しが正史から外されている(更に言えば個別√
ですら直接触れられていない)ことがまた、所与の「王(=運命)」であり、自ら変わろう
としなければ操り人形と化しそうだったリシアとの対比が見られるような見られないような。

ギルバルトに対する娘婿ヴァリアス・養子システィナの、叛旗・血縁の否定を見ても、
生まれ持った血そのものよりも何をなしたかこそ重要であると――貴族・王族支配の国に
おいて――説いていることが、テーマの裏付けになっている。
コレットも初代イレーヌの血だけでは、聖女として、「天使及び御子の声」を聞く存在と
して、充分な活躍はできなかっただろう。
フィオネもまた「家」に縛られ盲目的に主君を定め、疑問を感じることはあっても職務
に準じ続けただろう。
自立・自律以前のリシアは単なるお人形のまま都市と運命を共にした‥はず。
 (あまり言いたくないけれど、全体の整合性を考えれば一~三章の個別√では
 ギルバルトの支配が続いて都市は落っこちたでしょう。ティアの協力如何に拘らず)
付け加えると、リシアは王という身分を誕生によって得るので未来がほぼ確定している。
しかし、王の座が「意味」かというと、それだけで充分とは思えず、政、それも
「全国民の父」たる執政こそに「意味」がある、と考えるべきだろう。




◯まとめ・雑多なこと

見聞と経験の差。
「知っている/知らない」・「できる/できない」を前提とした「やる/やらない」。
「強い個人」という人間像と成長。

こういう芯がしっかりしてて、まさに大作と呼べる肉付けがなされているので満足度が高い。
真っ当な「人間」像だから耳に痛くも気持ちいいし。
リアリズムとアイデアリズムとのバランスもなかなか。
まあ大ラスの演出はややあっさりしすぎたかなぁと思うけれど。

相変わらずBGMは脇役に徹しているなぁ、と。台詞重視のアニメ・映画的。
好みで言えば全面に出てくるほうが好きだが、強すぎるとキャラ・シナリオを食う、没入を
阻害するのもわかる。
曲数の割に「また聞きたい」と思えるものは少なかったが、振り返ると、本編プレイを楽しめた
大きな要因のひとつになっていた。

どうでもいい即死以外のBad endもあったら嬉しかったが、見たくないエリス陵辱しか良いのが
思いつかないのでまあいいか。

シナリオ運びにおける刺激は強めで、生活リズムが崩れるくらいはまった。
そして残ったのは大量のエロシーンw どれも前戯をちゃんとするのが良い!

演技・声について。
括弧の外、つまり一文字目に込める感情や、文章に現れていないが読点をつけるといった
演技が素晴らしい。特にカイム:大石恵三はじめ男性声優陣がいい仕事してくれ、全体的
にかなり満足いく演技でした。
リシアの「ここ一番」はもうちょっと強くてもよかったし、エロは差が顕著に出ているが。
特にフェラ。(本作において)コレット:遠野そよぎは飛び抜けてる。

メーカーロゴのアレは、登場してしまったことそれ自体がネタと背反しているとも考えられる
のがちょっと深い。たぶん。