ほわあああああ――――!ほわっ!?ほわわわわわわっ!?ほ、ほわあああぁぁあぁっ!?(宇宙は生まれようとするとき既に生まれていた)(虚数の時間に生まれた子宇宙はビッグバンが始まるそのとき既に膨張を終えていた)(エンディングにたどり着いたとき宇宙の開闢、ワームホールの存在、アインシュタイン=ボース凝縮の不可能性についてなぜか自分に問うていた。な…何を言っているのかわからねーと思うがおれも何をしてるのかわからなかった…
催眠術だとか超スピードだとか
そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
もっと恐ろしいものの片鱗を 味わったぜ…
というわけでPriministArをプレイ中感じたおそろしいものについて。基本かのこさんの話。なに言ってるのか自分でもよくわかってないんですがたぶんこういうことかもしれない。小奈美、小春、愛、かのこ、全自動嫁型幼馴染の命脈は確かに受け継がれていた。
・HOOKのゲームは最高だ
前提として確認しておくとこんなこと言っては失礼だけどメイドバイHOOKのゲームと言えば基本張り子の虎であり企画で始まり企画倒れで終わります。公式ホームページだけ見ればHOOKSOFTあなたの心に掛かるソフトハウスはまさにエロゲーマーの安息の地であるかのようでここはなんて素晴らしいブランドなんだろう、どれだけ見事なゲームを作るのだろう「かわいいの根本の探求」「ときめきとあこがれ」「くせになりそうなしあわせ」「一緒にいたいの先」プロジェクトごとに軸となる純愛テーマを決めそれを表現するサブテーマから肉付けを行い演出手法を決定し笑いあり安らぎあり小さな日常の中にキャラクターの命を灯しエロCGはプレイヤ主観を徹底しなんかカッコいい名前の新システムを毎度開発し制作スタッフの情熱は横溢し、この真摯に純愛を突き詰める姿勢はあらゆるエロゲメーカーの規範たりうる「純愛の完成」「究極」「集大成」「到達点」純愛の伝道師を自ら標榜し不退転の覚悟を見せるこのブランドはエロゲーの未来を背負い引っ張っていく存在である、間違いない、HOOKSOFTは最高だ、HOOKのゲームは最高だ一生ついていこう、と思わされるものの世間ではなぜかビミョウな扱いをされているブランドでありその温度差について理解するにはしばらくの時間が必要です。
なぜに見る感想見る感想「眠」の文字が出てくるのか?5段階評価でいう2くらいのアホの子扱いはなにゆえか。HOOK(笑)的やるせなさはなぜ漂ってしまうのか。こんなにエロゲーマーの心をわかっているブランドはないはずなのに。誰もHOOKのこと理解してない。平均値67?なにかの陰謀か。わかってるよオレはわかってる。神を疑うな民衆を疑えと悪評を見なかったことにするのもHOOKに掛かる魚の常たる行動ではあります。それでも心のどこかに小骨のようなものが残っていたのかもしれません。体験版をプレイし本当に疑うべきは自分だったのだと気付いた瞬間のじんわりした羞恥は今でもありありと思い出せます(あれ……今……もしかして……眠い……?)進まない会話、安売りされる!マーク、大胆すぎる説明ゼリフ、秘める気ゼロの好意×5ヒロイン×1パターン、うまく言えてないのに漂う今うまいこと言った感、何気ない会話の中のしゃべる順番決まってる感、なかなか類を見ない精神年齢、卑屈な主人公の上から目線、つらいクリック、落ちるまぶた、おいコンセプトどこに行った。本当にこんなこと言うのは失礼だと思うんだけど、すごい努力してるのは伝わってくるけど努力が結果に結びつくかというと必ずしもそうとは言えないわけで、HOOKのゲーム一般において、おそらく個人差を超えて、何が言いたいかっていうと文章があれなわけです。その点を踏まえて逆に自分から眠りにいくくらいの気持ちができてようやくHOOKのゲームを楽しむ土壌ができたと言えるので、つまり楽しませろではなくて楽しもうというピクニック精神がおそらくユーザーには求められています。今回もその点はあんまり改善してません。むしろこじらせてる。しかしその上でかのこさんにはくせになるしあわせがあった気がする。HOOKのゲームは最高です。
<その包容力、もはや菩薩級>
安芸 かのこ (あき かのこ) CV:秋野花
身長:154cm スリーサイズ:B85/ W54/ H86
誕生日:2月6日 血液型:A型
気心の知れた幼なじみ。
温和な人柄で少々引っ込み思案の照れ屋さん。
過保護とも取れる世話焼きな一面があり、春近を甘やかすことに幸福を感じている節がある。
しかしその控えめな性格のせいで自分の意志を強く出せず、結局は小さなおせっかいで幸せを得る可愛らしい小市民。
たまに家に来るときも軽やかにお料理、お掃除、お洗濯。
その心底楽しそうに家事に勤しむ姿は、まさに夢想。
(以上Getchu.comより)
幼馴染、世話焼き、天然、巨乳、家事万能、のんびりした声、くるりと巻いた横髪の隙間からおしとやかな印象をまき散らす安芸かのこさんですが実際の姿はその真逆に落ち着きのない妹役です。隙あらば「ほわあああああ――――!」とか「ほわっ!?」とか「ほわわわわわわっ!?」「ほ、ほわあああぁぁあぁっ!?」「ほら、落ち着いてぇー、深呼吸! せーの、はいっ! すぅー、はぁー、すぅー……」「ほわあああああああああっ!?」「ほわあぁ―――――――――っ!? ほわああぁ――――――――――っ!?」とか叫びまわります。落ち着け。小市民というか小動物的でプレーリードッグよろしく首を伸ばして周囲をくまなく警戒するもののあらゆる危険を見逃します。「こ、今度はな、なんでござられますか!?」
あるいは、目ぐるぐるさせてほわほわ言います。
「や、やっぱり見られてた……チカくんに、わたしのパンツ……見ら、パンツ……ほわあぁ――――っ!!」
「はうぅ!? チ、チカくんが、わたしの、パパパパパ、パンツ……っ!?」
「ほわあああぁ――――――――――!!?」
このかのこさん通称ほわこたんは一見HOOKに脈々と受け継がれてきた嫁型幼馴染の系譜に連なる女の子です。ご飯が美味しく、ふわふわしていて、甘ったるい声をして、とりあえず嫁にしたい。向い合ってひじき食べたい。一緒にイオンに行ってどこまで衝動買いを許してくれるか検討したい。ポテチ?雑誌?浄水器?誕生日に花束を贈るか鉢植えにするか悩ましいし靴下を脱ぎ散らかしたらそっと片付けてくれるのかちょっと怒られるのかも難しい。退屈な日常を描くことで生活感というのか彼女の好みや行動を想像する取っ掛かりを与えてくれるこの辺りはHOOK伝来の魅力であり、まさにHOOKの幼馴染としてのありようをかのこさんはお持ちです。
しかし一方でPriministArかのこさんルート、エンドロールを眺めながら感じたのはらしさ以上のなにものか、言葉にするなら多分らしくなさに近いものでした。純愛の伝道師HOOKの新境地をみたような。そしてそれはおそらく純愛をしてないからじゃないかと思えてなりません。
・純愛とは宇宙であり、宇宙とは幼馴染である
エロゲーにおいて純愛とは理由のない好意のことを指します。イケメンとか武闘派とかドッジボール最強とか好きな理由がそもそもにおいて女の子の中に存在しない(気がつけばそこにあるもの)として好意の形を限定したものが純愛です。なぜ好きなのか?どこが好きなのか?その答えがあるのが非純愛、わからないのが二流の純愛、ないことを示し続けるのが純愛で二流さえ越えてしまえばふたつの愛はその純度を比較不可能なのが特徴です。ヒエラルキーは存在しません。
他方(それがなにものにも替えられないこと)全てをなげうつ価値として愛情を限定してみるとそれはただちに愛情の中に全順序部分集合を構成します。つまりどっちがより偉く、強く、揺るがず、重いかというヒエラルキーが発生します。これを示そうとすると女の子はプライドを捨てる必要があるし処女である必要があるし精液はおいしいものだし避妊は悪だし無条件に無防備に主人公に命気持ち臓器あらゆるものを差し出すチキンレースが始まります。どっちの愛がより深いか白黒つけることを望むこの愛情を仮に性愛と呼んでみます。性愛の一部は純愛であり純愛の一部は性愛です。
純愛を追求するうえで壁となるものについて考えてみると真っ先に挙がるのがこの性愛との混同です。純愛のかたちに本来決まりはありませんが放っておくと性愛のヒエラルキーに侵略され支配され形を決められてしまいます。非処女は死。ちなみにどうにもならないものと思われます。いかに付き合っていくかが問われます。
第二の壁が純愛をどう表現するのか。好きの理由の無さをいかに示すか。「もう、しょうがないなぁ、仁は」全然自分に都合よくないけど好き、のように利害と切り離すすべが問われます。「から好き」から「けど好き」へ。メイドだったり主人公をダメ人間にするのがかつて主流でした。君が望む永遠しかりAsterしかりホワイトアルバム2しかり。ここでも理由の無さ(目的)が見返りの無さ(手段)にすり替わり性愛と再び混じり合ってわけわからないことになります。アイデアが問われます。
第三の壁が純愛をいかに獲得するか。現在に到るまでの過程から純粋さの表現を目指す叙述的なアプローチ。昨日これだけ純だったんだから今日も純だよという論法です。その最もラディカルな開き直りとしてはじめからずっと純愛だった、産まれた時から好きでしたという肉親や幼馴染がいてまたこれが属性としての幼馴染の意義でもあります。理由なんてないんだよと強弁してしまえるところ。理由のなさを時間に仮託してしまえるところ。仮にどれだけの美少女とどれだけ運命的な出会いを果たしたとしても初対面から一ヶ月で永遠の愛を誓われたらやっぱりどこか胡散臭くこれまた一ヶ月くらいでコロッと引っくり返る気がしてしまうもので「時間なんて関係ないよっっ」って彼女が言うそれは正論なんだけど説得力にはどうしたって欠けてます。理由のないものとして定義したはずの純愛を支えるために根拠が必要になる瞬間は必ず来ます。普通の女の子はそうして理由を示すことが出来てはじめて「理由なんてないんだよ」って言うことが許されます。
それはフィクションであるがゆえの制限と言うのか、空想は自由であるがゆえに自由を許されないとかいう部分なのかもしれません。たとえば『穢翼のユースティア』のエリスさんを持ってくると彼女の愛情がどうも信用ならないのはそれが過程において危ういから。彼女は口では好き好き言うものの振り返れば過去はボロボロです。彼女にとっての主人公は過去においてあまりに代替可能で、誰でもいいのがたまたま主人公だっただけで、これは歴史だ歴史にifはないとフィクションでいくら言っても虚しさが生まれるばかりです。結果として現在の愛情まで薄っぺらく見える場合も出てきます。偶然とか運命はフィクションだからこそ安売りのできないものなのかもしれません。現実のGカップはこの世の奇跡でもゲームの爆乳は原画担当のサジ加減であってそれを開き直って楽しんだとしてもその瞬間確実に心に一枚壁ができてます。これはフィクションなんだということを前提にしてフィクションを楽しむ限り真実のGカップにはたどり着けません。間違えた。真実の純愛にはたどり着けません。である以上、作り話である以上奇跡偶然あるいはifすら可能な限り排除するように純愛(理由のない好き)を獲得する過程はしっかり固めておくことが求められその点幼馴染にはお手軽な安心感があります。
そして安芸かのこさん。幼馴染なる属性を背負い純愛の王道をゆく女の子。ところが注目すべきことに彼女の好きにはそのきっかけが明示されます。それもルートの山場、彼女の愛情を代表するようにして。私にとってのヒーローだった。助けてくれて好きになった。ちょっと格好いいかもしれなかった。そこには目に見える気持ちの転換があり、不純な動機があり、子供とはいえなんとはなしの打算が見えます。「けど好き」ではなくて「から好き」。PriministArはそこでちょっと留まってみようというチャレンジをしてます。
上でぐだぐだ理屈を並べたようにどうやら現在の純愛は「べき」「あるはず」「決まってる」で内向きのルールを決めすぎる。幼馴染を理想として愛するあまり個々の関係性を楽しむことを忘れてしまってる。元々純愛にいい悪いは存在せずその深さは比較できない感じるだけのものであったはず。このスタート地点へ回帰するための試みとして理想ではなく事実に、無償の愛ではなくぼんやりとした不純の愛に留まってみようかなと言ってるようです。エロゲーは理想を求める作り話、それは確かですがでもそもそもなぜ話を作るのかといったらラベルを論ずるためでなく、もう一つの人生を生きるためだったはずだと。初めからベストばかり求めてたらより良いものにすら手が届かないし即物的な動機で恋に落ちたってそれは全く取り返しのつかない出来事とは違う、まもってくれたからからしゅき、って子供の打算程度ならむしろ微笑ましくもある。素朴な、ちっとも普遍的でないかのこさんの一喜一憂が当たり前のことを思い出させてくれます。それはたぶんぽっと出の宇宙とテキトウな物理定数がことのほか上手く回って今エロゲーしているしょうもなさにちょっと似ています。
この身の丈にあった、目的とするのではなくただ結果として積み上がった愛情をPriministArはドラマ性皆無の日常だったり徹底した主観構図の一枚絵だったりで支えてくれます。結果としてエロシーンがよりエロいです。これに正直感動しました。かのこさんがエロいというよりかのこさんとエロイことをするという事実がエロいというちょっと自分でもなにを言ってるのかよくわかりません。初エッチに際し浮かぶかのこさんとのちっちゃい時の思い出といいますか肩甲骨外せるびっくり人間に憧れて練習してたこととか、ピアノの先生怖いとか言ってトイレにひきこもってたりとか、スキップが絶望的にヘタクソとか、落ちてたバーツ硬貨をやたら欲しがるからあげるの惜しくなってあげなかった後悔だとか、10年前小学校でひらがなドリルを隣の席で一生懸命やってはそ、とかをの字がうまく書けなくてほわほわ慌てていた幼馴染がたった今下着脱いだ感、育った乳が目の前10cmにある感、あるいは彼女の膜をこれから破る・破らねばならぬというなにやら緊迫感、思い出と地続きの処女喪失がそこにありあるいはふと高校の入学式の日髪型が決まらないで洗面所でいじけてたことだとか、その日着てたコートの茶色とか縫い物手伝うって張り切って即針で指刺すどんくさい姿であるとか、それで思いっきり血出てるのに頑なに刺さってないって言い張ったり手芸カタログ渡したら次なに作るか悩みはじめた横顔の思いがけない真剣さとかそうして長い間同じ時間を過ごしてきた女の子が今マッパで男性器咥えてる不条理感、申し訳無さと気恥ずかしさ、総じていいのか?こんなことしてしまってええのんか?感に満ちてちょっと処理しきれません。勢いで服脱がしてからのこのあとどうすんねんみたいな戸惑いとかキスしたあと一瞬無言になるようなテンプレ的やりとりにもどこか新鮮さを感じます。そしてそれは間違いなく属性とかセオリーとかから一歩離れたがゆえのものです。つまり「ほわあぁ――――っ!?」という叫びによって。
・そしてほわる幼馴染
純愛の条件を理詰めで並べていくと女の子はどこまでも都合のいい存在、マウスを押すと好きって言う自動販売機みたいなものに近づいて恋愛の理想はひとつになることだって思えてしまいますがかのこさんはそういう時にほわることによって設定の羅列とは無関係の一人の女性となります。かのこさんは頻繁にほわり、かのこさんがほわるたび、主人公とかのこさんは明確に二人に分かれます。かのこさんは僕の言動が理解できず、困惑し、照れて、逆ギレ気味にほわるのであってその時彼女はオフラインになり、意思疎通の難しい、他人だって事実を思い出させてくれます。
唐突に叫ぶがゆえにかのこさんは現実の他人と同じくどこか予測不可能で、その髪は寝グセかパーマかとか、魔法のように体育の授業サボる言い訳出てくる頭の仕組みとか、今何考えてるのか知りたくなるし、そのとき作り込みすぎない幼馴染としての描写は逆に膨大な余白となって想像の自由を与えてくれるしそうして回を重ねるごとに思い出す記憶の増えた幼馴染シナリオはよりエロくなり、エロい気持ちで一つになろうとするとまた「ほわあああぁ―――――!?」とか言い他人に分かれ言いなりになってくれないがゆえに妄想は積み上がりそうしてまた果たして(この幼馴染の幼馴染んだ穴に挿入して)いいものだろうかと自問しては自答する、迷いに満ちるそのループはどうやらいわゆるくせになるということではないかと思わされます。
エロからちょっと離れて考えてみても家に行くたび「婿に来い!」ノリで冷やかしてくるかのこ母、それに照れたり怒ったりアグレッシブにほわっていくかのこさん、付き合い始めると今度はカラダの相性についてしきりに訊いてくるかのこ母とビミョウな顔して沈黙するかのこパパ、ほわるかのこさん、そこにはかわらずに変わっていく幼馴染がいて一つの楽しみが確かに完成してます。「ほわあああ―――――!?」には往く川の流れのごとき変化がある。今は慣れてきてむしろ「ほわぁ!?」程度のジャブ的なほわりにその真髄をみた思いがする。幼馴染でありながら幼馴染らしくないところにかのこさんの魅力はあるようです。ちなみに一番好きなヒロインは千里です。