共和国(きょうわこく、羅: res publica レース・プーブリカ)とは、国家が国民全体に所有されている状態、すなわち君主が存在しない国家である。
ギャングスタ・リパブリカについて。
-ギャングスタとは
-リパブリカとは
-ギャングスタ・リパブリカとは?(疑問)
の三本立て。
ギャングスタというものについて理解できるしリパブリカというものについて共感できる、ギャングスタ・リパブリカの意味するところもわかる。じゃあ『ギャングスタ・リパブリカ』ってなんなの?とかいう疑問についてちょっと自分なりにまとめます。一点おことわりとして、
※りまーく
whitesoftの前作猫無ディストーションというゲームを苦手な人間が書いてます。ギャングスタ・リパブリカに罪はないし関係もないので文中disらないよう注意したつもりですが意図しないところでにじみ出ている可能性があります。猫無ディストーションを大切に思っている方はおおらかな気持ちで読み流していただければと思います。
・ギャングスタ・リパブリカ――ギャングスタであって同時にリパブリカ
というわけでまず全体像から。ギャングスタ・リパブリカの趣旨を一言でまとめるとこれはポストモダンとか呼ばれている考え方をエロゲーのフォーマットに引き写したものです。絵描き歌とかキテレツ大百科のお料理行進曲みたいな感じであれをふんふんと口ずさみつつ料理をすると揚げればコロッケだよキャベツはどうした~って晩御飯がいつの間にやら出来あがってしまうようにギャングスタ・リパブリカもゲームを進め女の子と部活動していくうちにあら不思議ポストモダンなる考え方が提示する人間関係が完成するという構成になってます。
このいまポストポスト言ってるポストモダンなる言葉が何かというとエピクロス的な原子の雨とは……ヘーゲル的イデオロギー闘争とは……想像界、つまりわたしの三つのトーラスとは……みたいな人類の黒歴史の総称で僕の理解の範疇を超えているため説明不能なのですがことを万人が認める正しそうな生き方とは?という疑問に限定してしまえばこれに対するひとつの考え方を指します。
『正しい生き方があるとすればそれは少なくとも自分の正しさで生きること』
そしてじゃあ自分の正しさとはどのようなものかと問うと
『他者への優越によらない肯定のあり方』
上がモダン、下がポスト二つあわせてポストモダンです。言い方を変えると、上がギャングスタ下がリパブリカでギャングスタ・リパブリカ。漠然としてますがフランスの全高校生が必修科目でやる内容でおいしいコロッケを作るよりはかんたんなので以下順番にみていきます。
・ギャングスタとは
ギャングスタとは悪い人です。上で言う自分の正しさに従い生きる人のことを指してギャングスタ、たとえて悪とギャングスタ・リパブリカでは呼びます。あるいは心の中のガラクタを捨てない人。改めて言うような内容でもないですが確認がてら書いておくとここで自分の正しさで生きるとは3つのことを意味します。
-他人の正しさに絶対死んでも従わない
他人の正しさやルールに同意できないならノーと言う。喫煙ルームであろうと携帯のアラームだろうと日本国憲法であろうと政治資金規正法であろうとそこには例外がないこと。悪とたとえるゆえん。
-絶対死んでも自分で判断する
他人の正しさやルールに同意できるならイエスと言う。それは服従ではなく合意。人の考えをいいと思ったなら無理に反対する必要もない。つまりルールに従わないとは他人を無価値なものとするのではなく、しかし神と崇めるでもなく全て毎回・毎日・毎時・毎分自分の正しさと照らしあわせてイエスかノーかを判断すること。判断の必要性を自覚すること。
-同時に、自己責任
自分の正しさで判断する以上自分の行動の結果は他人の責任ではあり得なくなる。自由には法的でも倫理的でもなくただ自分の正しさに対する責任が伴う。都会に出かけた主人公とこおりさんのやりとりでいう、
「叶って、こういうとこで探検始めたりしないんだね」
「え?いや、まあ、そうかな?」
「叶なりに、TPOをわきまえてるのかなって」
「いかんなぁ」
「何がいけないのよ?」
「冒険心が足りなかったこういうとこでも臆さず探検せねば」
「あれ?ひょっとしてあたし、余計なこと言っちゃった?」
(中略)
「……べつにいいんじゃない?」
「そりゃ、こおり的にはいいかもしれんけどな」
「ううん、叶が奇行に走らないほうがいいってことじゃなくてたぶん叶ってさ、こういうとこ、知らない人ばかりだから、責任取れないって感じてるんじゃないかな」
「んー?」
「地元だとさ、だいたい知ってる人だから、何かあっても謝ったらいいし、あとでフォローできるけど、こういうとこだと、そういうわけにはいかないじゃない」
「……まあな」
「そういうの、叶って無意識にわかってるんじゃないかな?何だかんだで叶って気遣うじゃない?」
「俺は気なんて遣わないぞ。無配慮だってことには定評がある。悪だからな。気遣いなんてあってたまるか」
「まあまあ、そんなに照れなくてもいいんだけど」
かく自分の正しさで生きる人間たとえてギャングスタでありましょーと言うギャングスタ・リパブリカですがこのように生きる時陥りやすい間違いとしてジャック・デリダなるおっさんが持ちだした論点が二つあります。言葉を変えるとギャングスタとして生きる時気をつけなければいけないこと。
-自己特権化、及び
-強引な一般化
これを説明する典型的な例として帝国主義がよく挙げられます。大した話じゃないので形だけ追います。
まず自分はヨーロッパであるという立場から正しさについて思考をスタートします。正しさ、すなわち自分がいいと思うものについて考えましょう。わかりよくするためにヨーロッパ(自分)対ヨーロッパ以外(自分以外)というシンプルな二択の構図を用意します。科学技術・文化・歴史自分が価値だと感じられるものを素晴らしいとして賛美しましょう。自分が素晴らしいと思っているものなので当然賛美に値します。思い返してみるとヨーロッパには色々素晴らしい物があります。それは疑いようがない。すると二択のもう一方であるヨーロッパ以外は比較的ゴミであると言えます。比較的。そうして思うにどう考えたってヨーロッパの優越は揺るがないのだからそれは普遍的な価値ということであり、つまり好みの違いではなく進歩、万人にとって素晴らしいものであり(強引な一般化)、故に植民地化によってより優れた価値の恩恵に与る土民は幸運であり植民地主義は正義でありむしろ白人の責務ですらある(自己特権化)。
自分が絶対である以上比較すれば他人はクズである。かくしてとりあげた価値以外のあらゆるものを排斥し、閉じこもり、絶対性を付与し、自己選別し、特権化するところにモダニズムの危険があるらしいとかいうところでそのエゴの暴走を防ぐためにポストモダンとしてデリダ先生が提唱したのがちゃぶ台返し(そもそもなんで二択にするねん)という考えでして、
『全ての他者は全て他者である』
言い方を変えるとリパブリカです。
・リパブリカとは
リパブリカとは上でみた帝国主義に陥らない方法、正しくギャングスタであるための戒め、ギャングの掟です。
『全ての他者は全て他者である』
すなわち、全ての他者はそれぞれ他の人である。
すなわち、全ての他者とはそれぞれ違う名前を持ち、違う考え方を持ち、違う価値観と正しさを持った、他者という言葉でまとめることのできない、別々の人たちである。
自分対自分以外というくくりをするから頭おかしくなるのであって本来人間関係とは自分対こおりさん対希ちゃん対禊さん対……(70億回省略)……対古賀ゆとりである、という認識それがリパブリカ、冒頭で持ってきましたが、
共和国(きょうわこく、羅: res publica レース・プーブリカ)とは、国家が国民全体に所有されている状態、すなわち君主が存在しない国家である。
みんな対等でしょう?って言うのも恥ずかしいくらいの大前提です。個人間の解消不可能な差異を改めて肯定し自閉的に閉じないこと~なんて先生はカッコつけて言ってますが。ともあれリパブリカとは自分の正しさは絶対だけど自分は絶対じゃない、他人の正しさは否定できても他人は否定できないという自戒でそしてこの掟の下にそれぞれ違う正しさを持ったギャングスタたちが集いケンカする共和国ギャングスタ・リパブリカがきっと理想の人間関係なんじゃろなあというのがこのゲームで言ってることの半分です。
「ぶつかりあえば、わかりあえる、って」
「私がこおりとわかりあっているとでも?」
「それはとんだ脳天気。私は意見を変えない。こおりも意見を変えない」
「うん、もちろん」
「それでも、わかりあってるって感じる。同じ場所に立ってるって感じるから」
「あとは……どんな生き方を選んでも、それは一つの選択だって思える」
という感じにギャングスタとリパブリカを準備し終わったんでそれじゃあ『ギャングスタ・リパブリカ』ってなんなのか?と問いたいとこですがやっぱり収まり悪いのでこのゲームが言ってることのもう半分についてもさらっと追いかけます。悪の組織の入り方。ギャングスタであるため自分の正しさに従い生きるためにどーしても必要なものが一つあり、それはなにかというと自分の正しさです。心の中のガラクタ。
-凛堂禊『救世主』アブラハム
-水柿こおり『しがらみ』イサク
-時守希『公平さ』論理
-古雅ゆとり『無垢の王者』その場のノリ
みたいに既に持ってる人はそれでいいんですが持ってなかったり固まってなかったりちょっとよくわかんなかったりそういう人はどないすんねんってことで「誰も溺れないように」ギャングスタ・リパブリカは慈悲深くも教えてくれます。私は言った。アホ毛あれ。するとアホ毛があった。
・正しさを手に入れるには
『思惟的なことは常にヘテロトートロジックなあり方を要請する』
正しさ欲しいんですけどどうしたらいいですかとデリダなるおっさんに訊いてみると正しさ?こうすりゃいいじゃんと彼は一言で終わらせてしまいます。思惟的なことは常にヘテロトートロジックなあり方を要請する。他人に伝えようという親切心に欠けているのでギャングスタ・リパブリカがこれをお話の形で翻訳してます。ループとアホ毛に。これについて確認していきます。
ギャングスタ・リパブリカの世界にはループなる現象がでてきます。これは「AはAである」という論理の循環、トートロジーの比喩になってます。デリダ先生は言います。思考とはヘテロトートロジーである。ヘテロトートロジーとはなにか。トートロジーの持つ性質である。トートロジーが示す自己が自己へと閉じこもるあり方はそれでいて外部へと開かれ他(ヘテロ)性を受け容れる。これこそが思考そのものの本質である。。。何言っとんじゃって感じなのでさらに翻訳してみると、うだうだ悩んでることにも意味はあるよとかまたモラトリアムというのは停滞期間ではなく、成長する期間だ。
(site1031さんの「ギャングスタ・リパブリカ」の感想
http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=17665&uid=site1031から剽窃)
これだとさすがにざっくりいき過ぎてるんでもう少し別の言葉にしてみましょう。視点を変えると別なものが見えてくる、または理系の人だったらガウスの発散定理を積分型から微分型にするのは無意味じゃないでしょ?っていう積分型じゃないと計算出来ないけど微分型じゃないとイメージ掴めないっていう話で村上春樹風に言うと「耳を澄ませば求めているものの声が聞こえる。目をこらせば求められているものの姿が見える」疑問を突き詰めると新たな疑問に出会うことができる。といった表現できっとわかるはずがありませんでした。すいません無理ですね。イメージ掴めない。裏道探してはみたもののやっぱりそもそも論しないと無理そうです。ギャングスタ・リパブリカは語る、自分の正しさはどうやったら手に入るか?諦めてそもそもからやり直すことにします。アホ毛に辿り着くまで少し耐えてください。
というわけでさてそもそも何がそもそもなんだというと一つに(そもそも)ギャングスタ・リパブリカに人間の女の子は存在しません。(なぜならそもそも)自分の正しさとは凛堂禊『救世主』とか水柿こおり『しがらみ』『公平さ』『無垢』みたいにコレ、とかっちりと決まるようなものではなく、ある程度は意識的にまたある程度は無意識や環境・偶然他あらゆる要素により決定されていくふわっとしたものです。自分で自分の正しさの全てを意識することはできません。決まった形はなく、辿り着き獲得したこれで安心だという状態になることのできるものでもなく、つまり自分の正しさとはただ憧れ、ただ求めるだけの姿の見えないものです。むしろ自分の正しさをいつだってどこだってコレと決めた時その人は停滞・トートロジー・勘違いに嵌っているのであってポストモダンにおける自分の正しさとは『あらかじめ想定すべきモデルなしに追い求め発明し続けなければならないものである』と表現されます。この過程におけるちょっとした前進をヘテロトートロジーと呼んでいます。すなわち(そもそも)ギャングスタとは自分の正しさで生きる人のことではなく、自分の正しさで生きようとしている人、のことです。自分で意識できるような心の中のガラクタは自分の正しさのうちのごく一部でしかありません。ニュートン力学のようなだいたい正しいけどたまに破綻する性質のものです。キーホルダーは便宜上のレッテル・象徴でしかなくもらったらおしまいでなくメンテナンスが必要です。メンテの後にはウサギが微妙にモルモットっぽく変わってるかもしれません。
・心の中のガラクタ――主人公の場合
そこで満を持して出てくるのがギャングスタ・リパブリカに登場する唯一の人類、主人公です。彼の心の中のガラクタがなにかというと『悪』。翻訳すると、自分の正しさに従って生きることが自分の正しさである、という「AはAである」式トートロジックな存在。自分の正しさに従うために自分の正しさに「従おうと」する人。ギャングスタであるためになにをすればいいか?答えは簡単で、彼のようにすればいい。自分の正しさとは手に入れるものではなく追い求めるものなので。悪の組織には悪に憧れた時入れます。
ここで初めまで話を戻すとギャングスタ・リパブリカにおけるループはトートロジーの比喩って筋でした。設定によるとこのループを抜けるために必要なものは精神的高揚でありその時アホ毛がなぜか立ちます。このアホ毛がヘテロトートロジーであり、いつまでもたどり着けない自分の正しさへのちょっとした前進です。同じ所でぐるぐるうだうだ悩んだ末に自分が知らず求めていた何かを得たというしるしでありそれが心の中のガラクタを作っていきます。論理を逆順に辿っていきましょう。アホ毛を立てるためには精神的高揚を覚えればよく、精神的高揚とは他者への優越によらない自分だけにとっての価値を感じることであり、つまりぼんやりとした自分の正しさに指先が触れることであり、そのためにはただそれを追い求め発明し続ける意思を持てばいい。ギャングスタになるためにはギャングスタであろうと思えばいい。その身近な目安がアホ毛。
「悪とは、何?」
「人がそうしたいと思うのとは違うやり方で、人がそうなりたいと思うことを実現すること」
この意味するところもここで言葉にできます。ギャングスタ・リパブリカで言っている自分の正しさの話(半分)とアホ毛の話(もう半分)を1つにまとめるフレーズです。
-違うやり方で
常に違うやり方を考えるという自分に課す『問題』。それはルールに埋没しないための自戒。何事も自分の言葉・自分の視点・不完全な自分の正しさで翻訳し直す。たとえばボランティア活動を悪意の仕業に解釈し直す。自分の正しさだけで生きるのがギャングスタである。
-そうなりたいと思うことを実現する
自分の正しさを追い求めるのを諦めない。そこには行き方も目的地も必要ない。アホ毛あれ。するとアホ毛がある。たとえばシャールカ先輩。ギャングスタであろうとするのがギャングスタである。
「よし、みんなシャールカについてこい!」
「どこに行くんですか、シャールカ先輩」
「知らん」
以上このゲームが言ってることについて。短く終わるつもりがアホ毛のためだけに大分手間取ってしまいました、が、だがしかし思うにそれはギャングスタ・リパブリカがあまりに自分の正しさを各キャラにかっちり割り振っているからで、そこでそもそも論に立ち返る必要がうまれたので、悪いのは僕ではなくギャングスタ・リパブリカの設定であり、それについてちょっと言いたいことがあります。
・ギャングスタ・リパブリカとは?
理想のあり方は民主主義でも君主制でもなくて共和制。理想を書いた話。話中で現実的な困難には特にぶつからないのであって混み入った話はおいておいて自分の正しさとはみたいな大前提の話をしているのがギャングスタ・リパブリカ。しかし大前提は所詮大前提です。実際の世にはリパブリカでない民主主義や君主制がはびこっていてそれはなぜかというと共和制はうまくいかないから。共和制がうまくいかないのはなぜかというと利害が衝突するから。そうしてエロゲーの場合恋愛という利害の対立、1かゼロか私かあの泥棒猫かという相容れない状況の代表例である男女恋愛から現実的な話に移ってくのが一般的。けどそれはこのゲームではやらなかった。理想のようにいかない理不尽とぶつかった時どう処理をしていくか?それに対するアプローチは千差万別で七烏未奏みたいな七転び超理論でもいいし田中ロミオの摩擦熱でもいいしお朱門ちゃんみたくお朱門教をひらいてもいいし新島夕の幸せスパイラルでもいいし瀬戸口廉也の諦観めいた執念めいた胸糞悪い感じでもいい。気に入るかどうかなんて好みによるほんの些細な部分であって共有できる論点に対して自分の正しさでなにかを言うときそれは主張と呼べる。それは斬新な真新しいものである必要もなく二番煎じでも本当にその立場にいるならまるで構わないそういう類のもの。互いの正しさをぶつけて議論ができる。たとえばライターとエロゲオタクの間で。それは正しくギャングスタ・リパブリカなあり方。
けど。
『ギャングスタ・リパブリカ』は実際的な障害と出会わない。理想であり理屈のままであって何のトラブルもない否定されない遥か高みから妥当なことだけ言っておしまい。誰もにとって妥当とは限らない自分だけのガラクタ・正しさを捨てるなと口で言いつつこのライターのガラクタの姿はまるで見えない、まるで安全な場所から離れようとしない、大前提を確認するだけなら道徳の教科書読めば日本語でかんたんに書いてあるのだし私と小鳥と鈴とで尽きてるのだしそれで「こおりちゃんがこおりちゃんとして決めたことはいつだって正しいと思うな、私は」とか言ってる自分自身が決断を放棄してなぜお話で、物語で、エロゲーで、具体化の場で机上の空論に終始するのか?2.16MBつまり113万文字ものスペースを与えられてなぜお人形遊びしかしないのか?sense offや猫無ディストーションから前に進んでるか?アホ毛立ってるか?人に褒められるためじゃない内的モチベーション見えるか?そもそも表現してるか?エンターテイメントでもなく自分の意見の表明でもなく。なまじっかな能力の高さでドラマっぽく深い話っぽく見えるだけでそのどちらでもなく。人間を描かず迷わずそれってクリエイターか?このエロゲーやってなにか残るか?このライターにとってギャングスタ・リパブリカってなにか?って問うとただのオナニーの道具としか思えない。